「財政赤字容認論」は許容できるか――景気減速と「反緊縮」の経済学

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このところ、財政支出の拡大を求めるさまざまな提案の是非をめぐって、活発な議論が行われている。今年の春から夏にかけてはMMT(現代貨幣理論・現代金融理論)が注目を集めたが、財政政策の役割を重視する考え方は、「正統派」とされる経済分析の枠組みにおいても広がりをみせている。もちろん、このような「財政赤字容認論」に対しては根強い批判もある。

 

残念なのは、財政赤字の容認や積極財政の是非を問うこのような議論が、ともすると極端な方向に流れがちなことだ。財政支出の拡大を懸念するあまり、いきなり「国債暴落」や「ハイパーインフレ」を持ち出すとなると、財政が破綻する前に議論のほうが発散してしまうことになるだろう。

 

そこで、本稿ではこれまでの財政運営をめぐる経過を振り返りつつ、財政赤字容認論はどこまで許容できるかについて論点整理を試みることとしたい。以下ではまず日本の財政状況について確認したうえで、財政赤字容認論として4つの代表的な見解(MMT、長期停滞論、ブランシャール論文、シムズ理論)について概観し、それをもとに今後の議論の方向性について展望する。

 

 

1.低金利・低インフレと低成長の併存

 

政府債務の累増と長期金利の低位安定

 

日本の財政については「(財政破綻前の)ギリシャより悪い」と言われることがある。日本は政府が抱える債務だけでなく保有する金融資産もとびぬけて多いことに留意が必要だが、その点を考慮しても政府債務残高(純債務・対GDP比)がG7各国の中でイタリアと並んで多いことは事実だ。

 

一方、長期金利(10年物国債利回り)は足元マイナス圏で推移している。最近時点については大規模な金融緩和によって金利水準が全般的に押し下げられている可能性があるが、過去20年以上にわたって長期金利は1%台(2011年まで)あるいは0%台(12年以降)で推移してきた。消費税の再増税(10%への引き上げ)の延期が表明された14年11月と16年6月には「増税を延期すると国債暴落」との見解が表明されたが、増税延期の表明後に実際に生じたのは、いずれも長期金利の水準が過去最低(当時)の記録を更新する(国債価格は上昇)ということであった。

 

このことを踏まえると、「国債暴落」と言う前に、このような財政状況のもとでも長期金利の低位安定が維持されてきた理由を考えてみるほうがよいだろう。この点について考察するうえでは、政府と民間の資金過不足の状況についてみることが役に立つ。そこで、「資金循環統計」(日本銀行)をもとに各部門の資金過不足の推移を確認すると(図表1)、政府部門(一般政府)は1992年度に資金不足に転じ、その後、振れを伴いながらも最近時点まで資金不足の状態が続いてきた。家計部門は1990年代から2000年代(00年代)前半にかけて資金余剰の幅が縮小し、その後は余剰幅がほぼ横ばいで推移している。

 

 

(図表1)民間部門と政府部門の資金過不足の状況

(資料出所)「資金循環統計」(日本銀行)より作成

 

 

このように政府部門の資金不足の拡大と家計部門の資金余剰の縮小が生じる中にあって、企業部門については90年代半ばに資金不足から資金余剰への転換が生じ、足元では家計部門と同じか、それをやや上回る資金余剰が生じている。財政赤字の拡大と家計貯蓄の減少にもかかわらず、国債の消化が円滑に行われ長期金利の低位安定が確保されてきた背景には、資金循環をめぐるこのような状況がある。

 

財政の持続可能性(政府の借金が雪だるま式に増えていかないための条件)をめぐっては、政府債務残高と家計金融資産残高の大小関係に着目する分析がしばしばみられるが、企業部門が貯蓄超過となっている現状では、この両者の比較からは誤った判断が導かれてしまう可能性があることに留意が必要となる。

 

 

経済の停滞と緩慢な需要の動き

 

1990年代に政府部門が資金不足に転じ、企業部門が資金余剰となった背景には、バブル崩壊とそれに引き続く経済の停滞がある。90年代以降の政府支出の推移をみると、バブル崩壊をうけて景気が低迷した時期(90年代前半)、金融システムの不安定化が生じた時期(90年代末)、リーマンショックの影響で景気が急速に悪化した時期(00年代末)を中心に、財政支出の大幅な拡大が生じた。これと軌を一にする形で税収も減少し、その結果、財政赤字の拡大が生じたことになる。

 

企業部門については、経済の停滞が続く中で設備投資が抑制基調で推移し、債務の圧縮が図られて、リーマンショック後には現預金の積み上がりが顕著となった。このような企業行動の慎重化と、需要不足を補うための政策対応の規模拡大を通じて、資金循環にも変化が生じたということになる。

 

長期にわたる経済の停滞は需要の緩慢な動きをもたらし、需給ギャップは総じて供給超過(需要不足)の状態で推移した。このような需要の緩慢な動きは物価の動向にも影響を与えている。消費者物価指数は1999年から2012年にかけて下落基調で推移し、デフレが大きな社会問題となった。「デフレではなくなった」とされる最近時点についても、物価上昇率(前年同月比)は0%台半ばで推移しており、物価上昇の勢いは依然として弱いままとなっている。長期金利の低位安定が続いてきた背景には、このような低成長と低インフレの併存という状況がある。

 

 

2.財政赤字の動向と「悪い」金利上昇の可能性

 

もっとも、このような経済環境は国債の安定消化と長期金利の低位安定が今後も続くことを保証するものではない。もし財政赤字の拡大が続いている状況にあるなら、早晩、国債の消化余力が下がり、財政の持続可能性に対する懸念から国債の信用力が低下して、リスクプレミアムの拡大による「悪い」金利上昇が生じてしまうおそれがあるからだ。

 

そこで、最近時点における財政の状況を国の一般会計について決算ベースでみると(図表2)、2013年度以降の政策経費(基礎的財政収支対象経費)は野田内閣の時(12年度)と比べてほとんど増えていない。一方、税収については、18年度の時点で12年度より16兆円増加している。これらのことを税外収入の状況と併せてみると、基礎的財政収支の赤字幅は2012年度の26兆円から18年度の10兆円へと大幅な縮減が生じている。このように、これまでのところ、財政収支の均衡化に向けた取り組みは適切になされており、こうしたもとで「悪い」金利上昇が抑制されてきたものと考えられる。

 

 

(図表2)政策経費(基礎的財政収支対象経費)と税収の動向

(資料出所)「決算統計」(財務省)より作成

 

ただし、内閣府の「中長期の経済財政に関する試算」をもとに今後の動向についてみると、消費税率引き上げに伴う増税対策の実施や社会保障の充実などにより、19年度には1.5兆円、20年度には3.4兆円の政策経費の増加が生じることから(いずれも前年度との差額)、当面は財政収支の改善が足踏みすることが見込まれている。消費増税を機に財政規律の弛緩が生じることがないか、十分な注視が必要な状況にある。

 

 

3.財政赤字容認論のポイント

 

このようにみてくると、財政赤字容認論を最初から全面否定することが必要な経済環境にはなく、財政健全化とデフレ脱却などその他の政策目標との兼ね合いを考えつつ、財政赤字容認論の得失についてバランスのとれた検討を進めていくことが重要ということになるだろう。

 

財政政策の役割を再評価する動きは、実際の政策運営の現場にも広がりをみせている。IMF(国際通貨基金)のゲオルギエバ専務理事は10月8日の講演で、世界的な景気減速が懸念される中、金融政策だけでなく財政政策もともに活用して景気減速のリスクに対処していく必要があるとの認識を示している。また、ECB(欧州中央銀行)のドラギ総裁は9月23日の講演で、MMTのような財政政策のアイデアにも耳を傾ける必要があるとの見解を示している。これらの議論の背景には金融政策による政策対応の余地が狭まってきたとの認識がある。

 

世界的な景気減速の影響は日本にも及んでおり、最近公表された多くの経済指標は、景気が後退局面に移行する可能性が相当程度あることを示している。こうした中、追加の金融緩和措置をめぐる議論も活発に行われているが、マイナス金利の拡大がかえって景気にマイナスの影響をもたらしてしまう可能性などにも十分配慮して、財政政策と金融政策の今後の運営を考えていく必要がある。財政赤字容認論に対する賛否はともかく、このような議論の流れについては十分な把握が必要であろう。

 

 

4つの財政赤字容認論

 

一口に財政赤字容認論といっても、その内容はさまざまだ。ここではそれを便宜上4つに分けて、それぞれの議論をながめてみることとしよう。【次ページにつづく】

 

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シノドス国際社会動向研究所

vol.269 

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