「財政赤字容認論」は許容できるか――景気減速と「反緊縮」の経済学

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そのひとつは、今年の春から夏にかけて日本でも話題となったMMT(現代貨幣理論・現代金融理論)である。MMTに基づく財政運営のポイントは、自国通貨建てであれば政府による資金調達に制約はなく、政府は雇用と物価の安定を旨として財政運営を行えばよいというところにある。

 

すなわち、MMTでは財政運営の参照指標が財政収支からインフレ率に置き換えられ、インフレ率が一定の目安を超えるようになった時点で、課税などを通じた需要の抑制とインフレ率の調整がなされることになる。インフレ率が参照指標とされるのは、財政支出の拡大などを通じて経済が拡大し、労働力や設備などの資源の制約に直面すると、インフレ率が上昇することで経済全体の資源の利用状況が把握できることになるためだ。

 

翻っていうと、インフレが高進しない限りは財政赤字が許容され、財政支出を拡大させる余地があるというのがMMTの見方ということになる(なお、MMTでは政府と中央銀行を合わせた統合政府を前提に分析と議論がなされている。この点の詳細についてはWray(2012)を参照のこと)

 

MMTは「異端の経済学」とされているが、財政赤字を容認し財政政策の積極的な活用を求める提案は、「正統派」とされる経済分析の枠組みのもとでも活発になされている。そのひとつは長期停滞論に基づくものだ。

 

ハーバード大学のローレンス・サマーズ教授は、2013 年 の講演で、多くの国が成長率の下方屈折と慢性的な需要不足のもとで長期停滞に直面していると指摘した(Summers(2013))。金融危機などをきっかけに生じた需要の収縮は、設備投資や人的投資の減少を通じて経済の供給サイドにもマイナスの影響を与えることになる。

 

こうしたもとで、財・サービスの需給を均衡させる実質金利が極めて低い水準となっており、名目金利の低下余地に限度(実効下限制約)がある中でインフレ率の低下が生じると、実質金利が高止まりして慢性的な需要不足が生じてしまうことになる。このような局面では金融緩和を通じた景気刺激によって停滞から脱することは困難であり、財政政策の積極的な活用が必要になるというのが、この議論のポイントである。

 

低金利環境の出現は、金融政策の運営上は大きな制約となるが、財政にとっては低利での資金調達が可能となることを意味する。ピーターソン国際経済研究所のオリビエ・ブランシャール上級研究員(元IMFチーフエコノスト)は、この観点から財政政策の積極的な活用の可能性を考察している(Blanchard(2019))。この議論における注目点は、経済成長率と金利の大小関係だ。金利が成長率を下回る局面では財政赤字が存在しても財政の持続可能性が確保される(借金が雪だるま式に膨らまない)場合があり、この場合には低金利の環境を利用して財政支出を拡大させる余地が生じることになる。

 

この点を踏まえ、Blanchard(2019)は、安全資産の利子率が経済成長率を下回るのは歴史的に見て例外というよりむしろ常態であり、政府債務の累増が資本蓄積の減少などを通じて経済厚生にもたらすコストは従来想定されてきたよりも小さいことを示し、こうしたもとで財政を拡張する余地が従来よりも広がっていることを指摘している。

 

今年の春から夏にかけてはMMTが話題となったが、2年ほど前には「シムズ理論」(プリンストン大学のクリストファー・シムズ教授の米国・ジャクソンホールでの講演の内容)が注目を集めた(Sims(2016))。物価水準の財政理論(FTPL)に依拠するシムズ理論も、増税や歳出削減による財政収支の均衡化を前提としないという意味で、財政赤字容認論のひとつといえる。

 

財政健全化をめぐる伝統的な議論では、現時点における政府債務残高の水準を所与として、それを増税あるいは歳出削減でどのように返済していくかが議論の焦点となるが、FTPLの枠組みでは物価上昇によって政府債務の実質的な負担が低減することに焦点が当てられる。すなわち、FTPLの枠組みでは、財政赤字の拡大が物価の上昇によって調整されることになる(なお、FTPLは政府と中央銀行を合わせた広義の政府をもとにした枠組みであり、政府債務には中央銀行の債務、すなわち貨幣が、政府の税収には通貨発行に伴う中央銀行の利益が含まれる)。

 

このFTPLの枠組みを踏まえ、Sims(2016)では、日本の消費増税を2%の物価安定目標とリンクさせ、物価目標の達成を待って消費増税を実施することなどが提案されていた。

 

 

金融緩和による政策対応の余地をめぐる議論と財政赤字容認論

 

このように、財政赤字容認論はさまざまな広がりを持つものであるが、興味深いのは、金融政策による景気調整に否定的であったり(MMT)、現在の低金利環境のもとでの金融政策の効果に懐疑的であったりする(長期停滞論、シムズ論文)というように、これらの議論においては金融政策の限界が明確に意識されていることだ。

 

MMTとシムズ理論の依拠する枠組みは大きく異なるが、低金利環境のもとでの量的緩和は、ほぼ完全代替になっている資産(貨幣と国債)の交換に過ぎず、その政策効果は限られたものとなるという点で共通の認識が示されている。サマーズ教授の長期停滞論においては、貯蓄と投資をつりあわせる実質金利がマイナスとなっている可能性がある中で、名目金利の下げ余地に限界(実効下限制約)があることが、金融政策による対応を困難にしているとの認識があり、このことが財政政策の積極的な活用を求める提案につながっている。

 

このように、財政赤字容認論の是非を考えるうえでは、金融緩和の余地が狭まりつつあるという現実の制約を併せて考慮することが必要となる。

 

 

4.古くて新しい課題

 

このようにみてくると、 財政赤字容認論に対する賛否をめぐっては、古くて新しい課題があるということがわかる。それは「流動性のわなが生じているもとでの財政政策・金融政策の連携と役割分担はどのようにあるべきか」というものだ。この点について、20年ほど前には「高めのインフレ目標を掲げ、金融緩和に強くコミットすれば、金融政策によって流動性のわなから抜け出すことができる」という見解が表明され、一定の支持を得ていた(代表的な見解のひとつはKrugman(1998))。だが、その後の日本における金融緩和の経験などから、金融政策による対応だけでは力不足との見方が強まっている。財政赤字容認論の評価にあたっては、このような経過も踏まえたうえでの議論が必要となるだろう。

 

もっとも、財政政策を積極的に活用しようとすると、もうひとつの古くて新しい課題に直面する。財政政策と金融政策の役割分担をめぐっては、「金融政策のほうが財政政策よりも機動的な運営が可能であり、景気調整は金融政策に委ねることが適切である」というのが一般的な見方とされてきたが、その背景には財政運営をめぐる制度的・政治的な制約の問題がある。

 

そのひとつは財政運営におけるファインチューニング(微調整)は可能なのかということだ。たとえばMMTの提唱者からは、課税を通じて物価上昇率を適切な範囲に調整することができるとの見解が示されているが、累進課税などを通じた財政の自動安定化装置があらかじめ企図したように作動する保証はない。税制の変更を伴う措置(増税)の場合には、議会による法案の審議と議決(承認)というプロセスを経ることが必要であり、政策変更に一定のラグが生じることにも留意が必要となる。

 

もうひとつは、ワイズスペンディングの実行可能性、すなわち政府が賢くお金を使うことができるかという点に関するものだ。財政支出の規模が膨らむと、どうしても非効率な支出がなされがちになる。このことは、東日本大震災の復旧・復興のために確保された予算の中に、被災地とはまったく関係のない地域の事業が1兆円以上紛れ込んでいた(しかもその中には、自治体のゆるキャラのPR費やイベント開催の経費まであった)というエピソードからも容易に理解されるだろう(なお、東日本大震災の場合には復興増税によって財源が確保されているから、増税で財源を確保すれば効率的な予算の使用が確保されるという見解も誤りであることに留意が必要である)。

 

これらはケインズ的な裁量政策(総需要管理政策)をめぐって1970年代・80年代に議論されたことに相通じるものであり、財政赤字容認論に対する賛否をめぐる議論は、”New Old Keynesian”の是非を問うものという面もある。

 

 

5.結語

 

ここまで見てきたように、低金利・低インフレと低成長の併存という現在の状況は、財政赤字容認論の許容あるいは支持につながるものであるし、一方、財政運営をめぐる制度的・政治的な制約は、財政赤字容認論に対する懸念材料となるものだ。これらの点を踏まえ、引き続きバランスのとれた検討が行われていくことが望まれる。

 

 

参考文献

 

・Blanchard,Olivier(2019)“Public Debt and Low Interest Rates,”American Economic Review,vol.109,no.4.

・Krugman,Paul(1998)“It’s Baaack: Japan’s Slump and the Return of the Liquidity Trap,”Brookings Papers on Economic Activity, 1998, vol. 29, issue 2.

・Sims, Christopher(2016)“Applying the Fiscal Theory of the Price Level to Current Policy Issues, with Words, not Equations,”

・Summers,Lawrence(2013)“IMF Fourteenth Annual Research Conference in Honor of Stanley Fischer,”

・Wray,L.Randall(2012)Modern Money Theory, Palgrave Macmillan.

(ランダル・レイ(2019)『MMT 現代貨幣理論入門』,東洋経済新報社.)

 

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