経常収支黒字減少のなにが問題なのか?

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国際収支の発展段階説――日本は成熟した債権国

 

話は変わるが、筆者は、この種の問題を考えるためには「国際収支の発展段階説」を援用するのが有用であると考えている。「国際収支の発展段階説」とは、一国の経済発展によって、国際収支構造(貿易収支、所得収支、経常収支、対外純資産残高)が変化していくという考え方である。「国際収支の発展段階説」はあくまでも超長期の変化を考えるものなので、1~2年単位で経常収支の推移を追いかける場合には使うべき方法論ではない点には注意する必要がある。

 

「国際収支の発展段階説」によれば、一国で経済発展が進むに従い、国際収支の構造が以下で言及する7つの段階を経て変化していくと考えられる(図1)。

 

 

graph1

 

 

まず、第一段階は、「未成熟な債務国」である。この段階では、経済発展の初期に相当する。すなわち、経済発展の初期では、自国で生産する財の数はすくなく、多くの財を海外から輸入せざるを得ないため、貿易収支は赤字である。また、政府が海外から資本を導入して国内産業を育成することが多いが、そのための資金を自国で調達することも困難であり、海外からの借り入れによって開発資金や技術導入の費用を賄うことになる。

 

この場合、海外への借金の利子や技術サービス料の支払い等も増えるため、所得収支も赤字、経常収支も赤字となる。その結果、対外純債務を抱えることになる。「未成熟な債務国」での国際収支構造は、「貿易赤字・所得赤字・経常赤字・対外純債務」となる。

 

経済発展がある程度進み、輸出産業が発展すると、輸出が増加するため、やがて貿易収支は黒字化する。ただし、その段階に至るまでの海外からの借り入れが蓄積されているため、その利払い等で所得収支の赤字は拡大、対外純債務も増大する。この「貿易黒字・所得赤字・経常赤字・対外純債務」状態を「成熟した債務国」という。

 

そして、さらに経済発展が進むと、貿易収支黒字額がよりいっそう増加し、所得収支の赤字を上回るようになる。その結果、その国は、経常収支黒字国に転じる。経常収支黒字国になれば、対外純債務も減少し始める。この段階を「債務返済国」という。「債務返済国」の国際収支構造は、「貿易黒字・所得赤字・経常黒字・対外純債務」となる。

 

経常収支黒字の状態が続けば、やがて対外純債務国から対外純債権国へ転換する。その場合、貿易収支、所得収支ともに黒字化するため、経常収支の黒字額はさらに拡大する。この段階を「未成熟な債権国」という。「未成熟な債権国」の国際収支構造は、「貿易黒字・所得黒字・経常黒字・対外純資産」となる。

 

そのまま経済発展がある程度進むと賃金水準が上昇するなどの要因で製造業の海外移転が起こる。これによって、貿易収支は赤字に転じる。ただし、過去の対外純資産の積み上がりから所得収支は黒字を維持するため(所得収支の多くが過去に海外へ投資した株式の配当や債券の利子からなる)、経常収支も黒字を維持する。この段階を「成熟した債権国」という。「成熟した債権国」の国際収支構造は、「貿易赤字・所得黒字・経常黒字・対外純資産」となる。

 

これがさらに進むと貿易収支の赤字が拡大する。所得収支は黒字だが、貿易収支赤字が所得収支黒字を上回るため、経常収支も赤字に転じる。経常収支赤字に転じることによって、対外純資産が減少し始める。この段階を「債権取崩国」という。「債券取崩国」の国際収支構造は、「貿易赤字・所得黒字・経常赤字・対外純資産」となる。

 

「国際収支の発展段階説」は、この6つの段階までが一般的だが、現在のアメリカやイギリスのように対外純債務国になっている国もあるため、7つ目の段階に「成熟した債務国」があると言えるだろう。

 

このような「国際収支の発展段階説」の重要な点は、国際収支構造の変化は、一国の経済発展段階と密接な関係があり、経済の発展段階に従って経常収支や対外資産(負債)残高の構造が決まってくるという点である。

 

また、経済の発展段階で、一国の貯蓄と投資のバランスが決まってくる点にも注意が必要である。例えば、経済発展の初期段階では、国民はあまり豊かではないため、貯蓄額は少ない。一方、経済発展のための投資需要は強い。すなわち、経済発展の初期段階は、貯蓄不足に陥っていることが多い。そのため、海外からの借り入れを中心に投資のための資金調達を行う必要が出てくる。そして、これが経常収支赤字(と資本収支黒字)をもたらす一方、経済が成熟し、例えば、少子高齢化社会が近づくと、1国におけるリタイア世代の割合が高まるため、貯蓄の取り崩しが行われる。そのため、相対的に貯蓄不足となれば、経常収支赤字(と資本収支黒字)となる。

 

この「国際収支の発展段階説」に従えば、現在の日本は「成熟した債権国」に位置することになる。これはとくに驚くべき結果ではない。

 

 

意味のない議論

 

このように「国際収支の発展段階説」では、国際収支の構造は、国の経済構造の発展段階によって決まるものであるため、経済構造の転換なしに国際収支構造だけを変えようとするのは無理がある行動と言わざるを得ない。例えば、経常収支赤字であることが多い経済発展の初期と成熟期において、経常収支を無理やり黒字転換させようとすれば、どのようなことが起きるだろう。

 

経常収支を黒字化させるためには、投資を抑制させるか、貯蓄を増やすしかない。例えば、投資を抑制させるために、外資流入規制(資本取引規制)を採用して海外からの資金流入を減少させた場合、経済発展の初期段階では、国内の産業の発展が遅れることとなり、経済の「テイクオフ」がいつまで経っても実現しない。また、国内に有利な投資機会がないとなれば、少数とはいえ、富裕層の資金は海外へ流れるだろう(経常収支黒字と資本収支赤字)。このような経済では、社会不安が避けられず、経済どころか国自体の存在基盤が失われるだろう。

 

また、成熟社会で貯蓄の取り崩しを規制するとしよう。リタイア世代が、自分が貯めた貯金の取り崩しを抑制したまま、生活水準を維持するためには、経済をデフレにするしかない。つまり、モノの価格が低下する社会では、リタイア世代の貯蓄はある程度維持され、同時に、価格低下による名目収益の下落によって国内企業の設備投資意欲も失われるため、成熟経済の下でも経常収支黒字(と資本収支赤字)が維持される可能性が高まるだろう(後者の事例はまさにデフレ期の日本そのものである!)。つまり、国の発展段階と国際収支構造の関係を考えると、例外なく、「経常収支黒字が善」という考え方が必ずしも正しくないことが理解できるだろう。

 

そもそも、ほとんどの国が変動相場制を採用している状況では、為替レートによる調整メカニズムが多少なりとも働くので、対外資産が多いか少ないかという話は経済を語る上では大した意味はない。仮に日本の対外資産が枯渇し、債務国に転落し、世界中に人々にとって価値のない国になったとすれば、円の価値は他国通貨に対して大きく減価する(すなわち円安になる)だろう。円の価値が大きく下落すれば、日本に残っている製造業の対外競争力は著しく改善するし、日本への投資コストが安くなるので、日本に投資しようとする投資家が世界中で増加するだろう(日本にまったく輸出産業が残らない状況になればどうするのか? という現実離れした議論をする人が出てくるかもしれないが、これについては「比較優位」の話であらためて議論したいのでここでは捨象する)。そうすれば、おのずと経常収支黒字が拡大し、対外資産が蓄積する局面に入る可能性が高まるだろう。

 

また、国際収支統計自体の問題として、年間の誤差脱漏(何かの勘定に分類するのが困難な資金のやりとり、もしくは把握するのが難しい資金のやり取り)が5兆円を超えることもざらである点が指摘できる。なにせ毎年の誤差脱漏が、ある年には5兆円近くにのぼり、次の年には-3兆円とまったく逆になることも統計的にはありうるので、3兆円程度で推移する経常収支の内容を細かく議論したところで経済の先行きに対して重要なインプリケーションがもたらされるとも考えにくい。

 

ついでにいえば、かつては、経常収支と長期資本収支の合計額を「基礎収支」と呼び、これが一国の外貨獲得能力を示す指標として一部のエコノミストや為替アナリストに重宝されたことがあったが、現在はなくなっている。理由は簡単である。この統計に意味がないからである(それでも現在の国際収支統計からわざわざ計算している人もいるようだが、自己満足だけの時間の浪費である)。

 

以上より、「『国際収支統計の経常収支黒字の減少で日本は国際競争に負けつつある』という類の議論は意味がない」ということをもって、話を終えてもよいのだが、せっかくなので、以下では、最近の経常収支黒字縮小の原因を考えてみよう。【次ページにつづく】

 

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シノドス国際社会動向研究所

vol.269 

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