2019.05.16
「自立」に向けた教育のジレンマ
「教育で始末をつける」ことへの違和感
生徒が、学ぶことと自己の将来とのつながりを見通しながら、社会的・職業的自立に向けて必要な基盤となる資質・能力を身に付けていくことができるよう、特別活動を要としつつ各教科・科目等の特質に応じて、キャリア教育の充実を図ること。(文部科学省 2017,p. 19)
上の文章は、2017年3月に公示された、新しい『高等学校学習指導要領』からの引用です。上記の引用にもみられるように、近年では学校でのキャリア教育の必要性が叫ばれ、そこでは「社会的・職業的自立」(以下、「自立」(注1))に向けた教育を行うことが求められています。
しかし、こうしたキャリア教育を推進する流れについては、批判も寄せられてきました。たとえば児美川孝一郎は、現在の子どもたち・若者たちが直面する「自立」に向けた困難が、企業の採用行動や政府の雇用政策によってもたらされているにもかかわらず、その解消をキャリア教育の推進によって目指しているという構図のねじれを指摘しています。そして、そうした「教育で始末をつける」構図は、教育の対象である子どもたち・若者たちにこそ「自立」に向けた困難の原因がある――「甘えているから」「働く意欲がないから」「職業観が未熟だから」――という、問題認識の「転倒」を誘発しかねないと警鐘を鳴らしています(児美川 2007)。
私(筆者)も、子ども・若者の「自立」に向けた困難の解消を一手に担おうとする、今のキャリア教育の流れに違和感を覚える1人です。その違和感は、私がある学校で約10年間にわたり行っていたフィールドワーク調査の結果がもとになっています。調査の中で私が見てきたのは、「自立」に向けた教育を行う教師たちの努力と、それを完全に達成することの難しさでした。生徒の「自立」という目標に向けて、ある課題を克服していくような実践に取り組むと、今度は新たな課題が顕在化してきてしまう……。教師たちはそうしたジレンマに直面し、頭を悩ませていました。
以下では、フィールドワーク調査の中で見出された「自立」に向けた教育の3つのジレンマについて紹介し、今後どのような対応策が求められるのかについて述べていきます。
調査校の紹介
私はこれまで、約10年間にわたり、首都圏のある高等専修学校(以下、Y校)でフィールドワーク調査を行っていました。高等専修学校という学校種の名称を初めて耳にする方も多いかもしれませんが、いわゆる「高専」(高等専門学校)ではありません。後期中等教育段階(つまり高校段階)の専修学校であり、中学校卒業者の0.7%ほどの進学先になる、小規模な学校種です。
高等専修学校の生徒たちは、各学校で、情報処理、農業、看護、調理・製菓、理容・美容、ファッションデザイン、音楽・演劇などの専門的な技能の習得を目指します。また、3年制で「大学入学資格付与指定校」に認定された学校の卒業生たちは、高校卒業者と同じ扱いでの就職や公務員の受験、大学・短大・専門学校等への進学が可能になります。
生徒たちの多くは、必ずしも専門的な技能の習得という点に強く惹かれて入学してきたわけではありません。学業不振や不登校、非行傾向、発達障害、対人関係の苦手さなどの背景があり、全日制高校に不合格になった、あるいはそもそも全日制高校への進学が難しいと考えたために、高等専修学校に入学した生徒も少なくありません。生徒層は、定時制高校や通信制高校に非常に近いと考えてもらってよいと思います。高等専修学校では、全日制高校への進学が難しかった生徒たちを受け止め、専門的な技能に加え、学力や学校生活で得られる経験、高卒扱いの学歴を提供し、就職先や進学先へと送り出す役割を果たしています。
私がフィールドワーク調査を行ってきたY校は、発達障害の診断を受けている生徒が半数を超える、高等専修学校の中でも特殊な学校です。一方で、発達障害などの診断を受けていない生徒も在籍し、私は彼ら/彼女らの学校適応や進路形成、「自立」のプロセスについて、研究を進めてきました。
彼ら/彼女らの多くは、学業不振や不登校、非行傾向、対人関係の苦手さなどの背景があり、全日制高校への進学が難しかったためにY校への進学を選んだ生徒たちです。また、入学時点では教師に不信感を持っている生徒が多く、喫煙・飲酒・家出などの「問題行動」や無断欠席、教師への反発・無視などもたびたび起こります。しかし、そうした生徒たちがやがて毎日登校するようになり、教師のさまざまな指導を受け入れるようになっていきます。
また、卒業後の進路についても、ほぼすべての生徒が在学中に正社員就職や大学・短大・専門学校等への進学を決定して卒業していきます。調査当時(2014年度)の卒業者の進路未決定率が、定時制高校全体では27.7%、通信制高校全体では39.8%であったことをふまえると(注2)、Y校はより多くの生徒を「自立」に近づく進路へと導いている学校であるといえます。(こうした状況が成し遂げられていく詳しいプロセスについては、伊藤(2017)をご参照ください。)
しかしY校では、生徒の「自立」に関して、ある課題に直面していました。それは、卒業生たちが就職先や進学先を早期に離職・中退してしまうという課題です。就職後3年以内での離職は、転職活動の際に不利な条件となりえます。また、学校を中退すると新卒採用のルートに乗れなくなるため、正社員の仕事を見つけることが難しくなります(小杉 2011など)。そのため、卒業生の早期離職・中退は、「自立」から遠ざかるものとして、Y校でも課題として捉えられてきました。
そうしたなかでY校では、私が調査を行っている期間中に、卒業後3年以内に就職先・進学先を離職・中退する卒業生の割合は、約5割から約2割まで減少しました。その背景には、在学中に「辞めないための指導」を徹底し、卒業後も卒業生たちとのつながりを維持するという、教師たちの努力がありました。しかし、それでも生まれてしまう離職者や中退者の存在に、教師たちは頭を悩ませていました。また、離職・中退した卒業生たちが「自立」からさらに遠ざかっていく様子も見えました。
「自立」に向けた教育の3つのジレンマ
Y校での調査の中で見えてきたのは、「自立」をめぐる課題を「教育で始末をつける」ことの困難さでした。教師たちは、ある課題を克服していくような実践に取り組むと、今度は新たな課題が生まれてしまうというジレンマに直面していました。
1つ目のジレンマは、生徒の登校継続を支える実践と、卒業後の就学・就業継続を支えることとのジレンマです。
Y校には、不登校経験がある生徒が数多く入学してきます。彼ら/彼女らを「自立」へと導くためには、まずは彼ら/彼女らが登校し続けられ、卒業できるようにするための手立てが必要になります。そのため教師たちは、日常的に生徒の反応や表情に目を配り、生徒が登校しないときには家庭訪問をしたり一緒に学校で宿泊したりするなど、生徒たちが登校を継続できるよう、「密着型」の教師‐生徒関係を築いていきます。
また、友人関係がうまく築けず、そのことが不登校のきっかけになる生徒もいます。そのため教師たちは、友人づくりの手助けを行ったり、生徒間のトラブルに細かく目を配ったり、場合によってはトラブルに介入したりするなど、生徒間の関係をコーディネートしています。
しかし、不登校経験がある生徒の登校継続を支えるために行うこれらの実践は、卒業後の就職先・進学先で築かれる対人関係とのギャップを生み、そのことが卒業生たちの離職・中退の原因の一つになっていました。生徒たちの中には、精神的な不安を抱えたときに先回りして声かけや手助けをしてくれる教師や友人たちの支えによって、「自立」へのルートに乗り続けられた生徒も少なくありません。しかし卒業後の就職先や進学先では、彼ら/彼女らが精神的な不安を抱えたときに、それに気づいて支えてくれる他者を見つけられない場合もあります。そうしたなかで、精神的な不安を解消する術がわからず職場や学校に通い続けられなくなり、「自立」へのルートから外れていく卒業生たちがいました。
2つ目のジレンマは、卒業後の就学・就業継続を支える実践と、離職・中退した卒業生の「自立」を支えることとのジレンマです。
Y校では、卒業生たちの約5割が卒業後3年以内に就職先・進学先を離職・中退しているという課題を受けて、「辞めないための指導」に取り組むようになりました。具体的には、(1)苦労して何かを成し遂げる経験を部活動などで増やし、その経験が自信になるよう振り返っていく指導、(2)卒業後3年間は我慢して仕事や学校を続けるよう念を押し、就業・就学継続を絶対視させる指導、(3)就職先・進学先での困難を自らの努力やふるまいの改善で克服していくことを求める指導などが行われています。これらの指導は、卒業生たちが新しい環境で自分を支えてくれる他者がいなくても、自らの力で離職・中退の危機を乗り切っていけるように導入された指導です。
こうした「辞めないための指導」が行われるなかで、卒業生の離職・中退の状況は大幅に改善していきました。実際に卒業生へのインタビュー調査では、彼ら/彼女らが離職や中退を考えていた時期にこれらの指導を思い返し、職場・学校に残り続ける決意をしていた様子が語られています。しかし、「辞めないための指導」は、離職・中退した卒業生にとっては、彼ら/彼女らを「自立」から遠ざけるものへと反転してしまいます。
教師たちや卒業生たちによれば、離職・中退した卒業生たちはフリーターや無業の状態になることが多く、職を転々としていたり、引きこもりや昼夜逆転の状態であったりすることも少なくないそうです。また、教師とのつながりを断ってしまう卒業生も少なくありません。こうして彼ら/彼女らが「自立」から遠ざかっていく背景には、「辞めないための指導」があったと考えられます。
というのも、離職・中退した卒業生たちがこれらの指導を思い返したとき、「我慢する力が足りない」「教師との約束を破った」「自らの言動の問題で離職・中退に至った」というふうに、自身のことをネガティブに捉えざるをえなくなるためです。「辞めないための指導」は、本人が内面化すればするほど、離職・中退した際の自責の念やそれによる精神的な苦しみ、教師への後ろめたさを高め、「自立」に向けた再起を妨げるものとなりえます。【次ページつにつづく】
3つ目のジレンマは、卒業後の就学・就業継続を支える実践と、教師たちの多忙化とのジレンマです。
Y校の教師たちは、卒業生の離職・中退を少しでも防ぐために、卒業後も生徒たちとのつながりを維持することを目指して、さまざまな実践を行うようになりました。たとえば教師たちは、離職や中退を考えたときには必ず相談に来るよう卒業間近の生徒たちに伝えており、実際に卒業後に彼ら/彼女らの相談に乗っているケースも見られます。
またY校では、卒業1年目と2年目に卒業生が教師たちとともにY校に集まるイベントを設けています。こうしたイベントは、教師たちが卒業生の就業・就学後の様子をうかがうという意図もあって行われています。さらには、卒業生がいる職場や学校から卒業生が離職・中退の危機にあるという連絡があった際には、教師たちが卒業生や職場・学校と連絡を取り、両者に働きかけを行うことがあります。実際にそうした教師の働きかけによって、卒業生が就労・就学を継続できたケースもありました。
こうした教師たちの働きかけは、卒業生に離職・中退をふみとどまるきっかけを与えてきました。しかし、Y校の教師たちは、日常的に部活動や、夜間・休日の生徒・保護者への緊急対応、学校での宿泊などで、かなりの時間外労働を行っています。在校生へのさまざまな働きかけに加え、こうした卒業生へのサポートまで担うことは、ただでさえ忙しいY校の教師たちの多忙化を加速してしまいます。
「教育で始末をつける」のではなく「社会で始末をつける」
Y校の教師たちは、密着型の教師‐生徒関係や生徒間の関係のコーディネートといった生徒の登校継続を支える実践が、卒業生たちの早期離職や中退につながってしまうというジレンマを抱えていました。そのため教師たちは、生徒たちの登校継続を支える実践を維持しながら、さらに「辞めないための指導」や卒業生とのつながりの維持といった実践を上乗せすることで、卒業生たちの離職・中退を防ごうとしてきました。しかしこれらの実践は、卒業生たちの就業・就学継続を一定程度支える一方で、離職・中退した卒業生たちを「自立」から遠ざけたり、教師たちの多忙化を招いたりするというジレンマを抱えていました。
こうしたジレンマの原因をY校の実践のあり方に求めるのは、私は適切ではないと考えています。むしろ、その原因は、生徒たちの「自立」に向けたさまざまな課題を「教育で始末をつける」ことを求める、社会のあり方にあると考えています(注3)。若者たちの「自立」に向けた困難は、「教育で始末をつける」現状から「社会で始末をつける」方向へとシフトしていくべきだと考えます。
とくに早期離職や中退については、その責任を引き受けて変わっていくべきは、離職へと追いやる職場(や中退に対して無策な学校)、それを黙認する社会の制度、さらには早期離職・中退をした若者を正社員から遠ざける社会の構造だと考えています。Y校の場合、卒業生が離職・中退に至った原因は、本人の精神的な問題だけでなく、実際には、家庭の経済的困難、長時間労働、人間関係での孤立やいじめ、業務内容上の困難、会社・学校への不信感など、多岐にわたっていました。離職・中退の責任を、職場・学校の体制や人間関係・業務内容のミスマッチなど、本人やY校以外に求めるべきケースも少なくありません。
若者の「自立」に関する困難を「社会で始末をつける」とき、対応策は多岐にわたります。給付型奨学金の拡充や時間外労働の上限規制、ハラスメントの相談窓口の周知、精神的な不安を抱えた人々が気兼ねなくサポートを求められる体制などが考えられます。しかし、一番重要なのは、若者たちに「自立」を求める圧力を弱め、「辞めてもいい」と言える社会を作ることだと私は考えます。なぜなら、どんなに対応策が充実したとしても、離職・中退したり「自立」から遠ざからざるをえなくなったりする人が完全にいなくなることは考えづらいからです。
対応策のエアポケットや予想外の事態はどこかで必ず起こります。対応策はたえず不完全であるということを人々が共有し、離職や中退を「自己責任」や負のレッテルとして捉えなくなること、さらには仕事や学校から離れている人々を教育の外の領域、つまり無条件の収入保障などの普遍主義的な社会権の保障によって支えていくことが、もっとも必要な対応策だと考えます(注4)。
最後にキャリア教育に話を戻すと、キャリア教育を推進する立場からは、「社会に参画し、そこで期待される役割を果たすために必要な力を身につけさせることが肝要である」(藤田 2017: 30)というふうに、本人の「力」(文部科学省的に言うなら「資質・能力」)の育成ということが強調されます。しかし、そうした語りをただ鵜呑みにするのではなく、本人の「力」に焦点化して「教育で始末をつける」ことに限界はないか、「教育で始末をつける」ことが求められることで覆い隠されてしまう問題はないかといった点を、立ち止まって考える必要があります。「教育で始末をつける」ことばかりを目指すのではなく、教育にできることとできないことを区分けして「社会で始末をつける」道筋を考えていくことこそが、重要だと考えています。
注
(注1)本来、若者の自立については、自分で働いて得たお金で自分の生活費をまかなうという経済的な意味での自立だけでなく、食事の支度や洗濯などの日常生活を自分で整えられるという生活の自立、親の家を出て一人で(あるいはパートナーなどと)暮らすという居住の自立、さらには精神的自立や政治的自立などの捉え方もあります(小杉 2011)。本稿ではその中でも、自立についての議論で特に焦点があてられることが多い「社会的・職業的自立」、つまり自分で働いて得たお金で生活するという側面に着目します。
(注2)文部科学省『平成27年度 学校基本調査』をもとに算出しました。
(注3)仮に、「自立」に向けたさまざまな課題の多くが、社会が解決すべき課題だと考えられていて、学校が解決すべき課題がごく少数に限定されていた場合、一つの課題を解決するための実践が新たな課題を顕在化させるというジレンマも起きにくくなります。なぜなら、課題を解決するための実践自体も少なくなりますし、そうした実践を行ったとしても、顕在化した新たな課題が学校が解決すべき課題だとみなされない可能性も高いからです。しかし、実際にはそうではないからこそ、新たな課題やジレンマは生じますし、それを解決していこうとする教師たちの多忙化も加速していきます。
(注4)これらの主張は、教育やワークフェアについて論じた仁平典宏の議論に着想を得ています。仁平(2009, 2015)は、教育やワークフェアにはつねに不確実性が伴い、必ずある人々を排除・周辺化することになるため、普遍主義的な社会権が保障されるべきであると論じています。そうした不確実性や排除・周辺化の可能性は、教育やワークフェアに限らず、多くの労働政策についても言えることだと考えられます。
引用文献
・藤田晃之,2017,「キャリア教育の課題と展望」『月刊高校教育』第50巻第8号,pp. 28-31.
・伊藤秀樹,2017,『高等専修学校における適応と進路――後期中等教育のセーフティネット』東信堂.
・児美川孝一郎,2007,『権利としてのキャリア教育』明石書店.
・小杉礼子,2011,「自立に向けての職業キャリアと教育の課題」宮本みち子・小杉礼子編著『二極化する若者と自立支援――「若者問題」への接近』明石書店,12-27.
・仁平典宏,2009,「〈シティズンシップ/教育〉の欲望を組みかえる――拡散する〈教育〉と空洞化する社会権」広田照幸編『教育――せめぎあう「教える」「学ぶ」「育てる」』岩波書店,pp. 173-202.
・仁平典宏,2015,「〈教育〉化する社会保障と社会的排除――ワークフェア・人的資本・統治性」『教育社会学研究』第96集,pp. 175-196.
プロフィール
伊藤秀樹
1983年、東京都生まれ。東京学芸大学教育学部講師。東京大学大学院教育学研究科博士課程単位取得退学。博士(教育学)。主な著書は、『高等専修学校における適応と進路』(東信堂、2017年)、『自己語りの社会学』(新曜社、2018年、第7章を執筆)、『半径5メートルからの教育社会学』(大月書店、2017年、第6章を執筆)、『ライフデザインと希望』(勁草書房、2017年、第3章・第5章を執筆)など。