「自立」に向けた教育のジレンマ

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3つ目のジレンマは、卒業後の就学・就業継続を支える実践と、教師たちの多忙化とのジレンマです。

 

Y校の教師たちは、卒業生の離職・中退を少しでも防ぐために、卒業後も生徒たちとのつながりを維持することを目指して、さまざまな実践を行うようになりました。たとえば教師たちは、離職や中退を考えたときには必ず相談に来るよう卒業間近の生徒たちに伝えており、実際に卒業後に彼ら/彼女らの相談に乗っているケースも見られます。

 

またY校では、卒業1年目と2年目に卒業生が教師たちとともにY校に集まるイベントを設けています。こうしたイベントは、教師たちが卒業生の就業・就学後の様子をうかがうという意図もあって行われています。さらには、卒業生がいる職場や学校から卒業生が離職・中退の危機にあるという連絡があった際には、教師たちが卒業生や職場・学校と連絡を取り、両者に働きかけを行うことがあります。実際にそうした教師の働きかけによって、卒業生が就労・就学を継続できたケースもありました。

 

こうした教師たちの働きかけは、卒業生に離職・中退をふみとどまるきっかけを与えてきました。しかし、Y校の教師たちは、日常的に部活動や、夜間・休日の生徒・保護者への緊急対応、学校での宿泊などで、かなりの時間外労働を行っています。在校生へのさまざまな働きかけに加え、こうした卒業生へのサポートまで担うことは、ただでさえ忙しいY校の教師たちの多忙化を加速してしまいます。

 

 

「教育で始末をつける」のではなく「社会で始末をつける」

 

Y校の教師たちは、密着型の教師‐生徒関係や生徒間の関係のコーディネートといった生徒の登校継続を支える実践が、卒業生たちの早期離職や中退につながってしまうというジレンマを抱えていました。そのため教師たちは、生徒たちの登校継続を支える実践を維持しながら、さらに「辞めないための指導」や卒業生とのつながりの維持といった実践を上乗せすることで、卒業生たちの離職・中退を防ごうとしてきました。しかしこれらの実践は、卒業生たちの就業・就学継続を一定程度支える一方で、離職・中退した卒業生たちを「自立」から遠ざけたり、教師たちの多忙化を招いたりするというジレンマを抱えていました。

 

こうしたジレンマの原因をY校の実践のあり方に求めるのは、私は適切ではないと考えています。むしろ、その原因は、生徒たちの「自立」に向けたさまざまな課題を「教育で始末をつける」ことを求める、社会のあり方にあると考えています(注3)。若者たちの「自立」に向けた困難は、「教育で始末をつける」現状から「社会で始末をつける」方向へとシフトしていくべきだと考えます。

 

とくに早期離職や中退については、その責任を引き受けて変わっていくべきは、離職へと追いやる職場(や中退に対して無策な学校)、それを黙認する社会の制度、さらには早期離職・中退をした若者を正社員から遠ざける社会の構造だと考えています。Y校の場合、卒業生が離職・中退に至った原因は、本人の精神的な問題だけでなく、実際には、家庭の経済的困難、長時間労働、人間関係での孤立やいじめ、業務内容上の困難、会社・学校への不信感など、多岐にわたっていました。離職・中退の責任を、職場・学校の体制や人間関係・業務内容のミスマッチなど、本人やY校以外に求めるべきケースも少なくありません。

 

若者の「自立」に関する困難を「社会で始末をつける」とき、対応策は多岐にわたります。給付型奨学金の拡充や時間外労働の上限規制、ハラスメントの相談窓口の周知、精神的な不安を抱えた人々が気兼ねなくサポートを求められる体制などが考えられます。しかし、一番重要なのは、若者たちに「自立」を求める圧力を弱め、「辞めてもいい」と言える社会を作ることだと私は考えます。なぜなら、どんなに対応策が充実したとしても、離職・中退したり「自立」から遠ざからざるをえなくなったりする人が完全にいなくなることは考えづらいからです。

 

対応策のエアポケットや予想外の事態はどこかで必ず起こります。対応策はたえず不完全であるということを人々が共有し、離職や中退を「自己責任」や負のレッテルとして捉えなくなること、さらには仕事や学校から離れている人々を教育の外の領域、つまり無条件の収入保障などの普遍主義的な社会権の保障によって支えていくことが、もっとも必要な対応策だと考えます(注4)。

 

最後にキャリア教育に話を戻すと、キャリア教育を推進する立場からは、「社会に参画し、そこで期待される役割を果たすために必要な力を身につけさせることが肝要である」(藤田 2017: 30)というふうに、本人の「力」(文部科学省的に言うなら「資質・能力」)の育成ということが強調されます。しかし、そうした語りをただ鵜呑みにするのではなく、本人の「力」に焦点化して「教育で始末をつける」ことに限界はないか、「教育で始末をつける」ことが求められることで覆い隠されてしまう問題はないかといった点を、立ち止まって考える必要があります。「教育で始末をつける」ことばかりを目指すのではなく、教育にできることとできないことを区分けして「社会で始末をつける」道筋を考えていくことこそが、重要だと考えています。

 

(注1)本来、若者の自立については、自分で働いて得たお金で自分の生活費をまかなうという経済的な意味での自立だけでなく、食事の支度や洗濯などの日常生活を自分で整えられるという生活の自立、親の家を出て一人で(あるいはパートナーなどと)暮らすという居住の自立、さらには精神的自立や政治的自立などの捉え方もあります(小杉 2011)。本稿ではその中でも、自立についての議論で特に焦点があてられることが多い「社会的・職業的自立」、つまり自分で働いて得たお金で生活するという側面に着目します。

 

(注2)文部科学省『平成27年度 学校基本調査』をもとに算出しました。

 

(注3)仮に、「自立」に向けたさまざまな課題の多くが、社会が解決すべき課題だと考えられていて、学校が解決すべき課題がごく少数に限定されていた場合、一つの課題を解決するための実践が新たな課題を顕在化させるというジレンマも起きにくくなります。なぜなら、課題を解決するための実践自体も少なくなりますし、そうした実践を行ったとしても、顕在化した新たな課題が学校が解決すべき課題だとみなされない可能性も高いからです。しかし、実際にはそうではないからこそ、新たな課題やジレンマは生じますし、それを解決していこうとする教師たちの多忙化も加速していきます。

 

(注4)これらの主張は、教育やワークフェアについて論じた仁平典宏の議論に着想を得ています。仁平(2009, 2015)は、教育やワークフェアにはつねに不確実性が伴い、必ずある人々を排除・周辺化することになるため、普遍主義的な社会権が保障されるべきであると論じています。そうした不確実性や排除・周辺化の可能性は、教育やワークフェアに限らず、多くの労働政策についても言えることだと考えられます。

 

引用文献

・藤田晃之,2017,「キャリア教育の課題と展望」『月刊高校教育』第50巻第8号,pp. 28-31.

・伊藤秀樹,2017,『高等専修学校における適応と進路――後期中等教育のセーフティネット』東信堂.

・児美川孝一郎,2007,『権利としてのキャリア教育』明石書店.

・小杉礼子,2011,「自立に向けての職業キャリアと教育の課題」宮本みち子・小杉礼子編著『二極化する若者と自立支援――「若者問題」への接近』明石書店,12-27.

・仁平典宏,2009,「〈シティズンシップ/教育〉の欲望を組みかえる――拡散する〈教育〉と空洞化する社会権」広田照幸編『教育――せめぎあう「教える」「学ぶ」「育てる」』岩波書店,pp. 173-202.

・仁平典宏,2015,「〈教育〉化する社会保障と社会的排除――ワークフェア・人的資本・統治性」『教育社会学研究』第96集,pp. 175-196.

 

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