子どもたちの中に眠っている「宝」探し――学習支援の現状と課題

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「先生との約束を守れなくて、ごめんなさい」

それが、私の顔を見てFが口にした最初の言葉だった。

第一希望だった都立高校の入試結果が不合格だとわかった時、彼女が選んだのは2次募集の高校も夜間定時制の高校も受験せず、働くという道だった。

「アメリカに行くという夢を叶えるため、働いてお金を貯めます。」

それから2年、3つの仕事を掛け持ちして働いたが、収入の大半は家計を助けるために消え、思うようにお金は貯まらなかったという。(注)

 

(注)「子どもの貧困」対策として、全国に広がっている“学習支援”とは何か、その現状と課題を明らかにするためには、私が中学校の教員として、また学習支援コーディネーターとして出会った子どもたちの様子に触れる必要があります。そこで、子どもたちのプライバシーを守るために、典型的な事例からFとKという二人の中学生を造形し、その架空の事例を通して、子どもたちの姿をお伝えします。

 

2009年は、「子どもの貧困」再発見の年と言われています。もちろん、それまでも貧困状態の子どもたちが日本にも存在していたのですが、「こんな豊かな日本のどこにそんな子どもがいるの」という認識の人が大半でした。

 

けれども、2009年、厚生労働省が初めて、国民生活基礎調査から判明した子どもの貧困率を発表したことにより、15.7% つまり6人に1人のこどもが相対的貧困状況にあるということが明らかになり、それが社会問題となりました。(2015年の調査では13.9%)

 

「子どもの貧困」の再発見と同時に、多くの人に衝撃を与えたのが「貧困の連鎖」という言葉でした。それは子どもの頃、貧困状態にあると、それが将来にわたって影響するという状況を一言で表した言葉です。

 

しかし、この言葉が「貧困家庭の子どもは貧困になる」という宿命論的に理解されてしまうと、新たな偏見を生む恐れがあります。「貧困」は、貧困を生み出す社会的メカニズムによって世代を超えて再生産されるのだということを正しく知る必要があります。

 

Fが小学生の時に両親が離婚し、母が一人で3人の子どもを育てることになった。離婚後、就いた仕事はどれも低賃金であり、休みなく働くうちに身体をこわし、より家賃の安いアパートに引っ越すため、Fは私の勤める中学に転校してきた。

母に代わってすべての家事を担っていたFは、やがて学校も休みがちになっていった。

 

2015年の国民生活基礎調査によると、ひとり親世帯の相対的貧困率は50.8%ですが、それはひとり親の就労の難しさと低賃金に大きな原因があります。日本の母子世帯の就労率は80.5%と世界的に見ても高く、また離婚前のDVが原因で心にダメージを受けていたり、働き過ぎによって身体を壊してしまったという理由で、働きたくとも働けないケースも多くあるのです。

 

転校生であるFにはもともと友人が少なく、しかも久しぶりに登校しても、休んだ間に進んでいる授業の内容についていくことが困難になっていった。

Fは、髪を染め、ピアスの穴を開けた。それは、居場所のない学校に身を置くための、自分の気持ちを支える唯一の鎧だった。

 

 

“学習支援”の目的

 

「貧困の連鎖」を防ぐための方策のひとつが“学習支援”です。

 

家庭に勉強する場所がない、朝食を食べられず学校でも授業に集中できない、勉強がわからなくても聞く人がいない、塾に行くお金がない、高等教育を受けた経験のあるロールモデルが近くにいない等、複合的な不利の蓄積によって、能力が十分に伸ばせず、低学力となってしまう子どもたちがいます。その上、高校受験に際しても学費をかけられないという事情から選択の幅が狭まります。

 

唯一受けた公立高校の受験で失敗すれば、残された選択肢は夜間の高校に進むことですが、夜間の高校に4年間通って卒業できるのは3分の1です。もし高校を中退してしまうと、中卒で社会に出なければなりません。

 

無料で学習を支援することで、負の連鎖を止め、希望している公立高校の合格を後押しして、高卒の資格がとれるようにする、それが“学習支援”の目的のひとつです。

 

1980年代に江戸川区で生活保護のケースワーカーが自主的に始めた中3勉強会のように、市民による学習支援もあります。さらに2015年に施行された生活困窮者自立支援法で任意事業と位置付けられ、補助金を得て自治体が行う学習支援も広がってきました。私が学習支援コーディネーターとして働く学習支援事業もそのひとつです。

 

“学習支援”の目的は、「学習指導」にとどまりません。

 

貧困であり、早期に勉強につまずき、しかも教師などおとなへ不信感が強い、そういう子どもたちが、もう一度自信を取り戻し、将来に希望を持てるように応援することにあります。

 

公立の中学校で働きながら、またその後、“学習支援”に携わる中で、私は、子どもたちには様々な要因から埋もれてしまっている美点がたくさんあること、しかもそのことに周囲も、いいえ本人さえ気がつかないことが多いと知りました。“学習支援”とは子どもたちの中に眠っている「宝」探しをすることです。

 

梅雨入り宣言が出た翌日のことだった。朝から降っていた雨が夕方になり、ひときわ雨脚を強めていた。こういう日には欠席する子どもたちが多くなる。自転車で通う子どもたちが大半だからだ。また、夜おそくまで働いている保護者は、6時という時刻にはまだ家庭にもどっておらず、「行きなさい」と背中を押してもらうこともできない。

今日もお休みが多いだろうと思っていると、6時ちょうどに、ずぶ濡れになってやってきた少年がいた。Kだった。

「どうしたの」と聞くと、「遅刻するといけないから、雨だけど自転車で来た」というのだ。

Kが学習支援を利用するにあたって、学校と連絡をとった際、「学校では、授業中ほとんど寝ているか、または『トイレにいく』と言って1時間中帰って来ないこともあります。勉強に取り組むことは難しいと思いますので、長い目で見てください。」と言われていた。

 

これまで学校生活でまったく勉強に取り組まなかった子どもたちが、学習支援の教室で変わるのはなぜでしょうか。私はその理由は主に3つあると思います。

 

 

子どもたちが変わる理由

 

子どもたちにとって、家庭以外でもっとも長い時間を過ごすのが学校です。しかも、その学校生活の多くは授業時間によって占められています。授業がわからない、指名されても答えられない、テストで他の子とくらべ低い点数しかとれない、それは子どもたちにとって、自分は価値のない人間だと(実際にはそうではないにも関わらず)、言われ続けている状態なのではないでしょうか。

 

昔は、学校から帰るとどこかの広場に集まって遊ぶというように、学校の外に、学校とはまったく別の世界が広がっていました。そこでは、学校とは別のヒーローが登場する可能性があり、またお互いの良さを認める際、学校とはまったくちがう物差しが存在しました。けれど今、外の世界どころか、学校の中でも、勉強以外のことで活躍できる機会が極端に少なくなっています。

 

勉強ができないということで傷ついている子どもたちは、自分のことを「自分はばかだから」とよく言います。「勉強だけがすべてではない」、それは子ども時代を通り過ぎ、社会に出てそれを実感したおとなが言うことであり、子どもたちにとっては“今“がすべてなのです。

 

勉強ができないことで傷ついた子どもたちは、勉強を諦めてしまう場合もあり、そうなるとなおさら勉強がわからなくなるという悪循環に陥ります。

 

けれど、彼らは、本当は「わかるようになりたい」「勉強ができるようになりたい」と切実に願っています。ですから、学習支援の教室で、つまずいたところにもどって丁寧に説明してもらい、やり直すことで勉強が少しでもわかるようになると、一気に前向きになるのです。

 

子どもたちが変わる2つめの理由は、自分の将来に希望が持てるようになるためです。

 

「勉強が苦手である」ことは、中学生にとっては、「高校に行けない」という絶望に直結します。

 

「中学校を卒業したら高校に行きたい?」と聞くと、「わからない」と言う中学生がいますが、それは「行きたいか」という希望と「行くことができるか」という可能性を混同していることが多いからです。「行きたいけれど、行けるわけがない」と思う中学生は、その不安な気持ちを「わからない」とひとことで表すことがよくあります。

 

3年生になり、私のクラスになったFもそうでした。

 

「卒業したらどうするの」

「わからない」

「高校に行くということは考えたことない」

「お母さんは『せめて高校は出て欲しい』と言ってるけど、勉強きらいだし、第一、受かりっこないから」

 

学習支援の利用に先立ち、大切にしているのは、初めて教室に来てくれた際の面談です。

本人が希望して来ていない場合、その面談が「来てもいいかもしれない」と思ってもらえる唯一のチャンスだからです。けれども、面談で何を聞いても「別に」としか答えない中学生がいます。Kもそうでした。

 

口の重いKに「とてもいい名前だね」といったのは本心からだった。

するとその名前をつけるまでの両親のエピソードを雄弁に語り始めた。今、その両親は離婚し、祖母と暮らすKにとって、両親が必死に考えてつけた名前は、自分の誕生が歓迎されていたという証なのだ。

「分数の計算はできる」 

 続いて勉強について質問をすると、彼は言った。

「そのあたりから、わからなくなった。」

「母さんと父さんが別れることになって、転校したら、その小学校の方が授業が進んでて、みんなができることが自分だけはできなくて。でも、どうしたらいかわからないから、もう勉強なんてどうでもいいやってなった。」

 

本当は勉強がわかるようになりたい、そんな思いをみんな心に秘めています。それを発信できる機会を作ること、その発信に気付いたら、しっかりと受け止めることがとても重要です。

 

「高校には行かない」「勉強もしない」と言っていたFが変わったのは、本当に奇跡のような偶然からだった。

なんでもない雑談をしている時、Fが好きなアメリカ人の歌手の話になった。

「はじめは曲が好きで聴いてたんだけど、歌詞の意味も知りたくて、自分で調べてるけど難しくて」

「手伝おうか」

 拒絶されるかもしれないと思いつつ、さりげなく切り出すとFは目を輝かせて言った。

「ほんと、じゃあ、明日持ってくる」

歌詞を翻訳するだけではなく、主語と動詞から成り立つ英文の構造を説明するうちに、Fの理解力に驚かされることになった。一度説明したことは忘れない、他のことにすぐ応用できる。しかも、わからない時にする質問が適切であった。

 

学習支援の教室に通い子どもたちが変わるもう1つの理由は、そこでの出会いを通じて、自分をどう受け止めるか、また他人をどう見るかということが変わるからではないか、と私は思っています。

 

「勉強ができない」「じぶんは頭が悪い」と思っていた子どもたちが、「やればできる」と自信を取り戻すことで、自己肯定感が上がるということは当然想像できます。けれど、もっと奥深いところで変わるものがあります。

 

学習教室に来ても、まったく勉強に手をつけず、愚痴を言ったり、友達の悪口を言って過ごす子どもたちもいます。それに対しても学生ボランティアは、その言葉に耳を傾け、応答し続けます。

 

自分だけのために隣に座り、声に耳を傾けてくれる人がいる。そんな風に自分だけのために他人が費やす時間が積み重なると、それが「私は居ても居なくてもいい存在ではなく、認められ大切にされている」という実感につながっていきます。そして大切にされることで、子どもたちは、「自分は大切にされるに値する存在だ」ということを知るのです。

 

これまで、何ができるか、何が優れているかということだけで評価され、しかも、その評価がつねに低く、自分で自分を認められずにきた子どもたちは、「ありのままの自分でいい」と心から思えるようになります。

 

そう思えて、初めて「もっと自分を伸ばしたい」という心の底に眠っていた思いに気がつくのです。

 

一緒に英語の歌詞を翻訳する作業をしている中で、

「やっぱり高校を受けてみない」

私は思い切ってFに提案してみた。

「勉強も手伝ってあげるから。あなたなら、今からでも本気で勉強したら合格できると思うよ」

「やってみる」

Fはもう「どうせ、私なんか」と言わなくなりました。【次ページにつづく】

 

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シノドス国際社会動向研究所

vol.269 

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