フランスの共和主義とイスラームの軋轢から「市民性教育」について考える

社会統合の場としての非宗教的「共和国の学校」

 

なぜスカーフをとらないだけで、ムスリム少女を学校から追い出そうとするのか。それを考えるには、フランス社会が長年、公的な領域から宗教的影響を追放することに闘ってきたことを想起しなければならない。

 

「カトリックの長女」といわれてきたフランスでは、国王と教会の結びつきが強く、民衆に対する宗教的影響も強かった。しかし1789年革命の後、カトリック教会勢力を国家権力から排除しようとする共和主義勢力とカトリック教会、そして王政復活をのぞむ王党派勢力の間で100年にわたって対立が続いてきた。

 

そうした中、1881年以降、共和主義者のフェリー教育大臣は、国家による小学校の設立とその無償化を進め、6~13歳までのすべての子どもに通学を義務付けた。そして学校でのカトリック教理問答を廃止し、教室から十字架を取り外すなど、宗教的に中立な場と教育内容を定めた。さらに教員養成を国家が行い、世俗教師を学校に派遣して、司祭を教室から追放していった。こうして、それまで民衆教育を担ってきたカトリックから子どもたちを徐々に引き離し、国家によって民衆の脱宗教化が行われていったのである。

 

さらに1905年には「国家と教会を分離する法律」が成立し、共和国は人々の信仰の自由を保障し、いかなる宗教も承認しないことが定められた。この「政教分離法」は、共和主義者と対抗関係にあったカトリック教会を国家権力から切り離す狙いがあったが、他方で、プロテスタントやユダヤ教徒といった宗教的マイノリティの信仰の自由を保障したことも重要である。というのも、この法の制定直前に起こったドレフュス事件をきっかけに、フランス社会に激しい反ユダヤ主義の嵐が起きたことで、1789年の人権宣言でフランス市民として認められたユダヤ人に対する人種差別がまだ残っていることを露呈させたからだ。

 

宗教的な違いによる社会的分断が露見したときに政教分離法が制定されたように、ライシテは社会的に影響力をもつカトリックを公的権力から切り離すと同時に、国家が宗教的中立性を保ち、マイノリティの社会統合を保障する考え方でもあったのである。

 

しかも「共和国の学校」は全面的にカトリックを駆逐したわけではなく、寛容さも残っていた。たとえば、週1日は公立学校を休みとして、家庭で教理問答を実践する日を保障している。今でも水曜日は授業がないのはその名残である(実際にはほとんどの生徒たちはスポーツなど他のことをしている)。また、修道会から子どもたちをすべて公立学校に受け入れることは物理的に不可能で、カトリックの私立学校への通学も認められていた。

 

共和主義者の間でも、教育からカトリックが退場することを望む者もいれば、さまざまな主張や相反する意見を前にしても知性を働かせられるような自由な教育を望む者もいた。結果的に、後者の立場が教育現場でいかされ、ケースバイケースの対応が行われてきた[*5]。

 

今でも、保育学校(école maternelle)から高校(lycée)までの子どもたちの約20%が私立学校に通っており、その割合は20年前から変わらない[*6]。私立学校では宗教教育の時間が保障されていることもあり、95%がカトリック学校である。とはいえ、教育内容も教育省が定めた学習指導要領に則っており、教員の質の基準も、試験の編成も、公立学校と同じである。また生徒たちも、私立と公立の間を移ることはよくあり、私立学校を選択する家庭の理由も、宗教以外にも、生徒が受け入れられやすいとか、子どもに応じた教育指導があるなど、さまざまな理由が挙げられる[*7]。

 

要するに、共和主義と宗教勢力のせめぎ合いが公立学校を舞台に行われてきたとはいえ、ライシテが適用されたのは「教育内容」、「学校という場」、「教師」に関する3点であり、生徒や家庭に対して非宗教性が強制されることはなく、宗教的実践を保障するような逃げ場も用意していた。こうしたバランスがライシテを浸透させてきたといえる。ムスリムについても、スカーフを身につけたままで授業を受けられていた公立学校もあった。ところがムスリム少女がスカーフを取ることを拒否し、校長の説得に従わなかったため退学させられたことをメディアが騒ぎ立ててから、急にスカーフ少女が学校から排除されるようになっていった[*8]。

 

筆者が個人的にフランスで会った教員たちは、これまでとくにライシテが問題になるようなことはなかったが、近年、公立学校が多様な生徒を受け入れるようになり、ライシテを知らない生徒も増えてきたので、「共和国の学校」で再びライシテを教えなければならないという認識であった。

 

[*5]ボベロ、2009年、pp.107-8。

 

[*6]“Public-Privé: quelles différences?”, Education&formations, no.66, juillet-décembre 2003, p.167.

 

[*7]Ibid.

 

[*8]「スカーフ論争―隠された人種差別」ジェローム・オスト監督、2004年、パスレル。

 

 

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シノドス国際社会動向研究所

vol.276 

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