斜めからみる「日本のポストモダン教育学」

日本の人文社会科学における「ポストモダニズム」の本格的受容はいつごろはじまったのであろうか? 80年代初頭の浅田彰の華々しい活躍はとりわけ印象深かったが、もちろんそれに先立つ1970年代に、「1968年」の余燼冷めやらぬなか、フランス文学出自の書き手を中心に、雑誌『現代思想』や『エピステーメー』などを拠点としてジャック・デリダやミシェル・フーコーらの紹介が精力的になされてきた。

 

しかし歴史学や社会学のアカデミック・サークルのなかで彼らの業績が表だって踏まえられ議論されるようになるのは、本格的には1980年代以降のことである、といってよいだろう。流行に弱い社会学では、浅田の本格的デビューにわずかに先立つ1980年に、デリダ、フーコー、そしてとりわけジャン・ボードリヤールを踏まえた内田隆三の「〈構造主義〉以後の社会学的課題」(『思想』676号)、さらにJ・A・オースティンの言語行為論とフーコーの権力分析を比較した亘明志の「M.フーコーの権力分析と社会学的課題」(『社会学評論』第31巻第1号)が出ており、ゆっくりとしかし確実な影響を、その後80年代から90年代にかけての日本の理論社会学全般に及ぼしていく。

 

さて、そのような状況に、日本の教育学はどう対応していたのだろうか? 日本の教育学における近代批判は、内発的にはたとえば、やはりポスト「1968年」の一環としての反差別運動に呼応するかたちで現われ、すでに70年代に、障害者教育や発達心理学の内在的批判から立ち上がった反発達論(先駆的には山下恒男『反発達論』現代書館、1977年)といった成果を結実させていた。そしてイバン・イリイチの脱学校論やパウロ・フレイレの被抑圧者の教育学の紹介と受容もまた、この時代にはじまっており、79年には教育社会学出身の山本哲士が本格的なイリイチ研究(『学校・医療・交通の神話』新評論)をまとめている。山本は80年代からはピエール・ブルデューの紹介に乗り出しており、その文脈でフーコーを中心にフランスのポスト構造主義へも論及することも多くなる。

 

もし仮に日本における「ポストモダン教育学・教育思想」の「正史」を描こうというのであれば、このラインをたどっていくのがよい。そしてその後のアカデミックな教育研究——主として教育史学と教育社会学におけるイリイチ、フーコー、ブルデューらの受容の進捗とエスタブリッシュメント化、それと裏腹なかたちでの、実践的な社会批判、教育批判としてのインパクトの弱化を描いていくことが必要であろう。

 

しかしながら本稿ではそうした正道をとらない。正道をたどる前にその下準備として、ごく少数——具体的にはたった二人の論者の仕事を概観することによって、問題状況の大雑把な見取り図を描くことを目指す。すなわちこの「教育学におけるポストモダニズムのエスタブリッシュメント化と去勢」のプロセスを一身に具現化したかのごときキャリアをたどった一人の研究者と、その反対に、アヴァンギャルドな流行としてそれなりの注目を浴びた「ポストモダン教育学・教育思想」と、少なくとも表向きはまったく没交渉にすごしたもう一人の研究者、この二人の教育学者をクローズアップすることによって、日本教育学におけるポストモダニズム受容の可能性と限界を描き出したいと思う。なお、二人とも故人であるのは、おそらくはたんなる偶然である。

 

 

1.森重雄 ——「批判的教育社会学」の退却

 

山本哲士は1948年生まれ、まさに「団塊の世代」であるが、日本の教育社会学においてはこの世代の影は存外薄く、一回り上の天野郁夫(1936年生)、潮木守一(1934年生)らの世代と、一回り下の苅谷剛彦(1955年生)、広田照幸(1959年生)に挟まれてあまり目立たない。森重雄は1956年生まれ、苅谷、広田らと同世代であるが、まさに山本ら「1968年」のラディカリズムのインパクトを正面から受け止めたうえでアカデミックな教育社会学を革新する、という課題を自らのテーマとしていた。その「批判的教育社会学」の問題意識の概要を、彼自身の言葉をもとに再構成してみよう。

 

 

「[20世紀中葉のアメリカ合衆国における——引用者註]教育社会学[ソシオロジー・オブ・エデュケーション]は、一方で規範主義的、他方で応用志向的な、前期的教育社会学[エデュケーショナル・ソシオロジー]の研究スタンスへのアンチテーゼとして台頭した。そのさい批判されるべきスタンスは「教育学的」という形容で一括された。この言葉が批判のメタファーとなった背後には、(真正)教育社会学の学問的自意識、すなわちみずからのアイデンティティを経験的・実証的な社会学に求め、教育社会学を下位社会学に位置づけようとする強烈な自己規定が存在した。」(森重雄「教育社会学小史」『東京大学教育学部紀要』第28巻(1988年)、82-83頁)

 

 

このように独立の学として自立して以降の「教育社会学」は「教育」を外的な対象とし、その客観的な分析を標榜する。そしてそのことによって、「教育」に内在し、その従属的構成要素にとどまる伝統的「教育学」に対する学としての優位を主張する。

 

しかし素朴なタイプの「教育社会学」=「社会学的教育分析」は「教育」という対象の実在性を疑わず、「社会学」によって「教育」を分析しようとする。しかしながら「教育」というカテゴリーは決して自明の、あるいは歴史貫通的に人類普遍の何ものかではない。伝統的な(規範的)教育学はしばしばそのことに盲目であった。

 

そもそも「教育学」は「教育」という対象を分析する科学ではなく、「教育」という営みの内在的構成要素である。それゆえにこそ教育社会学[ソシオロジー・オブ・エデュケーション]は「規範主義的、他方で応用志向的な、前期的教育社会学[エデュケーショナル・ソシオロジー]」から身をもぎはなしたのであるが、「教育」というカテゴリーの自明性を問わない点においては同断であった——森はそう診断する。

 

しかしながら「教育」という対象は決して自明なものではない。それは「近代」固有のカテゴリーであり、「近代性(モダニティ)」の不可分の構成要素である。「近代」というコンテクストを無視して「教育」を分析することはできない。

 

 

「〈教育〉という単純なカテゴリーはまったく近代的なカテゴリーである。われわれはことを近代的な・実在としての・教育の形式、すなわち〈教育システム〉を通じてはじめて獲得するのである。われわれは近代的実在としての〈教育システム〉さらにその単位である学校や教室の存在によって〈教育〉というカテゴリーを表象するのであって、その逆ではない。われわれは学校や教室や時間割や授業時間やという教育の形式を通じてのみ〈教育〉なるものを諒解する。そしてこの諒解を可能とする経験的実在たる教育の形式は、まったく近代社会に固有のものなのである。」(森「マルクス「主義」教育社会学・批判」『東京大学教育学部紀要』第24巻(1984年)、40頁)

 

「教育が社会学的に問題となるのはすぐれて近代以降のことである。なぜなら教育が実体をもった固有の社会的領域として・あるいはその反映であるが教育が単純なカテゴリーとして・成立するのは近代以降のことだからである。

 

なるほどわれわれは〈教育〉という近代的なカテゴリーを得たのち、これによって教育の系譜を問うことはできる。たとえば古代家族やギルドに教育機能あるいは教育作用を求めることができる。しかし、これは近代社会に生きるわれわれの観念的かつ抽象的な表象を通じた作業であって、少なくとも社会学的には主要なものではない。なぜならわれわれは、社会学的な問題とは、その対象が実際に社会的に固有の領域を占めてはじめて成立する種類のものであると考えるからである。けれどもわれわれは、この〈教育〉という単純なカテゴリー・あるいはこれを表示する社会的領域としての教育・の成立自体を社会学的に問題化することはできる。否、むしろ、社会学的な反省(reflection)の論理は、このカテゴリーを常識化し・これを出発点とするのではなく、この常識を常識たらしめる社会学的な条件の検討を通じて〈教育〉の社会的意味を社会学的に問題化せよと迫る。

 

われわれはこの後者の問題提起が社会学的な批判的反省を通じてのみ得られるという理由から、この問題を定立し、これの解題と解明をめざす社会学的努力を〈批判的教育社会学〉とよびたい。これの分析対象は〈教育システム〉である。これの解明点は単純なカテゴリーとしての〈教育〉の系譜を問うことではなく、このカテゴリーを成立せしめる当のものである社会的実在、すなわち〈教育システム〉の系譜を社会学的にあとづけることである。」(同上、41頁)

 

 

それでは森のいうところの「批判的教育社会学」とは具体的にはどのような営みとなるのであろうか? まず彼によれば、その分析対象としての「〈教育システム〉とは、実体としては近代公教育であり近代的学校制度である。」(同上)すなわち、「教育」というカテゴリーを「学校」に先行させ、「学校」を「教育」を行う機関として位置づけるのとは逆に、具体的な制度・施設たる「学校」をこそ、抽象的な理念・イメージとしての「教育」に先行しそれを生み出しつつ、そうした因果関係それ自体を抹消して「教育」を自明化する「教育システム」の中軸とみなすのである。

 

たとえば森は、17世紀末葉イングランドでジョン・ロックが学校に説き及んだ二つの論説、『教育に関する考察』と、議会に提出された『貧民子弟のための労働学校案』に着目する。前者は上流人士の子女に対して、学校外での、家長の監督下での家庭での教育を推奨する論説ながら、標準的な教育法としての「学校」の存在は強く意識されている。他方で後者はエリザベス(旧)救貧法体制下での救貧実践の一環としての、貧民子弟の授産施設としての「労働学校working school」についての提案の一例だが、森はそこでロックが「教育education」の語を使っていないことに注目する。そこにはよりはっきりと「教育」と「学校」との間の切断がみられる。この切断がすっかり忘れ去られていくなかで、「教育」は自明化していく。森はこのプロセスをイバン・イリイチに学んで「学校化としての近代化」と捉える。

 

 

「イリイチの脱学校論=学校化論は、学校教育そのものが近代社会にたいして直接の指示連関関係をもつことに、わたくしたちの目を向けさせる。すなわち、「近代化と学校教育」ではなく「学校化としての近代化」。このユニークな観点によれば、学校教育の本質をなす〈学校的なるもの〉−質的・能動的な価値追求(学習・発達)を制度的ケアの量的・受動的消費(学校教育)に変換して人間精神を去勢する儀礼一こそ力:近代社会を形成する当のものであり、それは病理の治療薬であるどころか、近代社会のまさしく病巣なのである。この議論には、学校教育に中心的独立変数の地位を与える特異な近代分析の可能性がうちだされている。」(森「モダニティとしての教育」『東京大学教育学部紀要』第27巻(1987年)、109頁)

 

「しかし、イリイチはここにとどまらない。かれは学校悪役/教育善玉論という二項対立の構図を発展的に解消し、やがて〈教育〉そのものの歴史性に言及するにいたる。すなわち、〈教育〉とは近代になって誕生した生活の−分野である、と。かれは「普遍的に善である神聖な〈教育〉が、近代社会では学校によって汚されている」とする脱学校=学校化論の枠組承から、「〈教育〉そのものが近代社会を生成する、あるいは〈教育〉は近代社会を他の社会—たとえば伝統社会—から区別するアイデンティティにほかならない」とする議論に傾斜をみせるのである。ここには、「学校化としての近代化」から「〈教育化〉としての近代化」へのテーマの深まりがある。」(同上)

 

 

すなわち、「教育」というカテゴリーを歴史貫通的に存在する実体とみなし、その来歴を描こうとする教育史学、そして「近代」という時空間のなかでのその位置取りと機能を卒然と分析しようとする教育社会学とは異なり、森の構想する教育社会学は、「学校」を中心とする「教育システム」をたんなる時空間ではない、複雑なシステムとしての「近代」の不可欠の構成要素とみなし、そのなかでの構造連関を明らかにしようとする。「教育」と「近代」は切り離しえない。そして「教育」は「近代」の下位システムである。森はやがてイリイチにならって「教育」という言葉自体に使用にさえ消極的となっていく。

 

 

 

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