イスラーム過激派とは?Q&A

▶シノドスの電子メールマガジン「αシノドス」

https://synodos.jp/a-synodos

▶真の教養を身に着ける「シノドス・サークル」

https://synodos.jp/article/20937

Q4.イスラーム過激派はなぜ政治に宗教を持ち込むのですか?

 

イスラーム過激派に限らず、理念上イスラームには政治と宗教を分離するという発想がありません。これは、632年にアラビア半島のマディーナで成立したイスラーム共同体の指導権も統治上の権限も預言者であるムハンマドがつかさどっていたことに由来します。

 

ムハンマドの死後、しばらくの間はカリフと呼ばれる彼の後継者たちが共同体を指導しましたが、カリフたちは「アッラーからの啓示を受け取る」という機能以外のムハンマドの役割を一体的に継承したため、宗教と国家が明確に区分されない、政教一元的な社会のありかたが生まれたのです。そして、そのような社会の生活のすべてを律する法がイスラーム法なのです。

 

19世紀以降、国家の原理から宗教を排除・分離する思想としての世俗主義が西洋から持ち込まれ、世俗主義は政教分離と同義としてとらえられました。イスラーム世界でも、近代国民国家として成立した諸国家は事実上世俗主義を前提とする国家を建設しました。しかし、政教一元論のイスラーム的世界観は民衆の間で根強く、イスラーム世界の諸国でもイスラーム法を部分的に取り入れたり、モスクなどの宗教施設を国家が管理したりするなど、厳密には西洋的な世俗主義、政教分離に反する運営がされてきました。

 

また、西洋的な政教分離の発想に立つと「聖」「俗」と区別される領域は、イスラームの世界観では一体のものとしてイスラーム法によって律せられると考えられますので、イスラーム法を尊重して生きる上では、西洋的な政教分離を厳密に適用するのは非常に困難です。

 

このため、イスラーム法による統治を実現することを目指すイスラーム主義者、中でもイスラーム法による統治は武装闘争によってのみ実現すると考えるイスラーム過激派にとっては、世俗主義を前提とする既存の諸国家も、共産主義のような無神論も、世俗主義にもとづくさまざまなイデオロギーも、反イスラーム思想の代表とし敵視の対象となるのです。

 

その一方で、イスラーム世界で世俗主義を唱導・擁護する側もイスラーム主義を思想的な敵と位置付けていると考えられています。2011年の政変以降のアラブ諸国、とくに軍とムスリム同胞団が対立しているエジプトの政局は、軍が体現する世俗主義と、ムスリム同胞団が掲げるイスラーム主義との思想的対立という側面もあるのです。

 

 

Q5.イスラーム過激派の軍事活動はテロですよね?

 

この問題についても、重要な点はテロ、テロリズムという言葉が明確に定義づけられることなく政治的な敵対者を貶めるためのレッテルとして使用されていることです。イスラーム過激派に限らず、敵方の武装闘争をテロ、テロリズムと決めつけることにより、彼らが武装闘争によって実現しようとしている目的や、武装闘争を通じて主張したい要求事項について、第三者が考えたり、耳を傾けたりする機会を奪う、という行為は「テロ対策」の常とう手段です。

 

ここではテロリズムを単なる破壊や殺戮ではなく、仮に「暴力の行使や暴力行使の威嚇によって相手方に要求をのませる政治行為の一形態」として議論を進めます。

 

イスラーム過激派は、彼らが「イスラーム世界」だとみなす場所から十字軍・シオニズムの侵略を排除し、彼らがそれと信じる「イスラーム法」を施行するという政治的な目的を掲げています。そして、その目的を実現する手段は武装闘争のみだと考えています。

 

彼らの活動がテロリズムとみなされるのは、敵となる主体(特定の国や、その国の世論)に対し、武装闘争の目的や要求事項を適切に広報した場合となります。したがって、ある場所で外国人が誘拐された際、「某国を占領する十字軍(=外国軍)の撤退、資源を収奪する外国企業の追放」の様な要求が出された場合、そうした行為はテロとみなされますが、「異教徒や異端宗派の根絶」のような交渉や妥協しようのない要求や、「身代金」要求だけが出された場合は、それをテロ行為とはみなしがたいのです。

 

日本人も多数犠牲となった2013年1月のアルジェリアでの石油施設襲撃事件の場合、犯行の主体は一見イスラーム過激派のように見えますが、彼等は石油施設襲撃事件に際し、自らが掲げる政治的目的や要求事項を明確に表明したり、十分広報したりしていません。このため、当該の事件については、一般的な刑法上の犯罪、あるいは単なる山賊行為と考えるべき要素も多数あるのです。

 

また、武装集団の構成員がムスリムでも、その武装集団がもっぱら敵対する国の軍・治安部隊との直接戦闘や支配領域の奪取に努めたり、破壊と殺戮の量・質を誇るだけで政治的効果を期待しない広報をしたりするのみの場合も、そうした集団の行為はテロ行為というよりは純然たる戦闘行為や戦争犯罪に類するものと言えるでしょう。

 

上記のような発想に立つと、イスラーム過激派がいわゆる西側諸国やその国民・権益を攻撃対象として重視することは、ある意味合理的・理知的な選択といえます。なぜなら、そのような諸国が攻撃される事件が発生した場合、攻撃そのもの、そして犯行の主体とその主義主張について、世界中で大々的に報道されることになるからです。その結果、イスラーム過激派は自らの目的や要求を広く知らしめ、場合によっては彼らが関心を持つ分野で攻撃対象となった国の政策を変更させたり、敵対的な政策をとる政府を選挙で敗北させたりすることができるからです。

 

一方、報道の自由の無い国、あるいは自国民の人命や企業の損失の優先順位が低い国や社会を攻撃した場合、報道が規制されて事件そのものが「なかったこと」にされたり、いくら大きな被害を与えても何の社会的反響も呼ばなかったりします。この場合、自らの主義主張や要求事項を広く世に知らしめることができませんので、「戦果」がどんなに大きくても「テロ行為」としては失敗作となります。皮肉なことですが、報道の自由・表現の自由・情報を得る自由が保障されている社会、自由で優秀な報道機関を擁する社会であればある程、「テロ攻撃」の魅力的な標的となってしまうのです。

 

したがって、イスラーム過激派の個人・団体についても、彼らの行為がテロにあたるか否かは、個々の主体が自己の主義主張・要求事項を明示しているか、実際の戦果と広報を連動させてそうした主張を効率的に流布させる能力はどの程度かについて判断する必要があるのです。

 

 

1 2 3
シノドス国際社会動向研究所

vol.267 

・堅田香緒里「ベーシック・インカムとジェンダー」
・有馬斉「安楽死と尊厳死」

・山本章子「誤解だらけの日米地位協定」
・桜井啓太「こうすれば日本の貧困対策はよくなる――貧困を測定して公表する」
・福原正人「ウォルツァー政治理論の全体像――価値多元論を手がかりとして」
・鈴木崇弘「自民党シンクタンク史(11)――シンクタンク人生から思うこと」
・杉原里美「掃除で、美しい日本人の心を育てる?」