阪神・淡路大震災から20年、共助を軸としたあたらしい防災へ

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 予想される反論――「釜石の奇跡」は自助ではないのか?

 

ここまで読んでも、「自助7割論」が害悪だという主張には納得できないという読者からは、次のような反論が聞こえてきそうです。筆者は「釜石の奇跡」を知らないのか。あの大津波を生き延びた釜石の子どもたちは、まさしく行政や周りの大人を頼りにせず、自らの意思で率先して逃げたではないか。自助を否定することは、釜石の実践を否定することではないのか、と。

 

ここで、「釜石の奇跡」について改めて説明しておきましょう。岩手県釜石市では、市内の小中学生は地震の発生後、即座に避難して、99.8%が生存することができました。行政に指定された避難所まで浸水したにも関わらず、です。

 

その背景には、8年に及ぶ徹底した防災教育がありました。いくつかの小学校では児童が多数、津波に巻き込まれるなど悲惨な被害が明らかになる一方で、釜石のこの事例は私たちが見た一つの希望でした。誰が呼びはじめたかは今でははっきりとしませんが、いつの間にかこの事例は「釜石の奇跡」と呼ばれるようになり、防災教育の成功事例として世界的にも有名になりました。

 

釜石での防災教育に中心的かつ指導的な役割を果たしたのは片田敏孝(群馬大学教授、災害情報)です。片田は、徹底的な自助論者です。これまでの防災を行政による「災害過保護状態」として徹底的に非難します。そして、「行政がやってくれないから、しかたなく自分たちでやる」といった、「受け身の自助」も否定します。

 

片田が重視しているのは「内発的な自助」です。それはすなわち、「親として家族を守りたい、地域の若者としてみんなで安全を守り抜きたい、そのような内なるものとして沸々と湧いてくるような自助のこと」だと言います 。それがあって、初めて災害からいのちを守れるのだと。

 

私は、この片田の主張に反論すべきことは何一つありません。むしろその本質を突いた洞察と実践に感動を覚えたものの一人です。そのうえで、あえて問題を掘り下げてみたいと思っています。それは、「内発的な自助」を生み出す原動力は何なのでしょうか、ということです。

 

そこで、片田がどうやって子どもたちに避難の重要さを教えたかについてみてみましょう。片田の著書から引用します。

 

あるとき、子どもたちにこう聞きました。

「この次の津波がきたとき、君たちはきっと逃げるだろう。でも、君たちのお父さんやお母さんはどうすると思う?」

子どもたちの顔が、一斉に曇ります。なぜかわかりますか。

「お父さんやお母さんは、僕を迎えにくると思う」

迎えに来るとどうなるか、というところに、子どもたちの思いは及ぶわけです。そこで私は、不安そうな子どもたちにこう語りかけます。

「今日、家に帰ったら、お父さんとお母さんに『僕は絶対に避難するから、お父さん、お母さんも必ず非難してね』と伝えなさい。お父さんやお母さんは、君らが逃げることを信用してくれないと、迎えに来てしまう。だから『僕は絶対に逃げるから』と、信じてもらうまで言うんだよ」

(片田敏孝(2012)『人が死なない防災』集英社新書, pp.90-91)

 

子どもたちは、自分が助かりたいから、自分が死なないように、という思いで避難をしているわけではありません。むしろ、子どもなりに、自分の大事な父母を守りたいという思いが、子どもたちの避難行動の強い動機となっていったのです。これを可能にするのは、片田も指摘しているように、家族間の強い信頼関係です。そして、学校と保護者の間での信頼関係も不可欠であったでしょう。

 

また、片田は、釜石の海の恵みの素晴らしさを指摘しながら、その恩恵を受けるためには、津波のリスクと向き合って暮らしていく必要性についても子どもたちに説明しています。津波の恐怖と真正面から向き合い、それでもここで暮らす、その時のために備えるという気持ちに子どもたちがなれるのは、その土地への愛着があるからに他なりません。

 

このように考えると、片田がいう「内発的な自助」とは、釜石という土地に根付いた人々の共同体としての意識や信頼関係があって初めて生まれてくるものであったといえるのではないでしょうか。片田の防災教育とは、「コミュニティの中で他者とつながっている自分」と「自然の恩恵にあずかりながらリスクを負っている自分たち」の存在を自覚させ、自分の命のかけがえの無さを自覚させたことに大きなイノベーションがあったように思われます。

 

このことは、自助が先にあって、それを支えるために共助があるという補完性の原理とまったく逆の構造です。逆に共助の基盤があるからこそ、自助が促進されるという関係があるように、私には感じられるのです。

 

そしてこのような見方は、決して私だけのものではありません。世界的には、コミュニティの一員であるということの意識が、防災や復興を促進するという研究成果が多くみられます。以下にいくつか紹介しましょう。

 

 

社会関係資本が支えるレジリエンス

 

最近の防災では、直接的な被害を減らすだけでなく、生じた被害からいかに速やかに社会経済活動を回復させていくかということにも関心が高まってきました。こうした災害からの回復力は「レジリエンス」と呼ばれ、国内外を問わず防災業界のキーワードとなっています。

 

わが国でも、レジリエンスを高める施策として、企業の事業継続計画(BCP)の促進が行われてきました。BCPの普及が進めば、大災害が発生してある企業の生産活動が停止しても、代替的な企業と速やかに取引が開始されることで、わが国の経済活動は維持されると期待されてきたからです。

 

しかしながら、東日本大震災ではこうした期待は大きく裏切られました。国際的な競争の激化によって、多くの代替的企業は淘汰されていたため、一部の企業の生産物に多くの企業が依存しているということが、震災後に初めて明らかになったのです。そしてその企業の生産活動が中断したことで、震災直後の我が国の製造業の活動水準は大幅に低下しました。このことは、個々の企業の自助努力によるBCPの作成には大きな限界があったということを意味しています。

 

もちろん、被災企業は手をこまねいていたわけではありません。各社総力を挙げて、生産活動を回復させていきました。大手自動車メーカーの生産活動は、2011年6月頃にはほぼ通常の水準に戻ったといわれています。その回復のスピードには世界が驚きました。

 

なぜ、日本企業はそのような速やかな回復を遂げたのか、このことについて調査したイギリスの経営学者オルコットとオリバーは、日本企業のサプライチェーンの企業間にソーシャル・キャピタルの蓄積があったことを指摘し、それが速やかな相互応援や資源動員を可能にしたと分析しています。

 

「自分たちが供給責任を果たさなければ、世界中の企業の生産活動が止まってしまう。そう考えると、自分たちは絶対に生産活動を止めてはいけないと思った」「日本のものづくりを止めてはいけない」といった人々の声を紹介しながら、企業コミュニティの一員としての責任感が、早期復旧の原動力となったと彼らは指摘します。

 

もう一つの例を紹介します。アメリカの経済学者チェムリーライトとストアは、2005年にハリケーン・カトリーナの被害を受けたニューオリンズにおいて、著しく人口回復の早い地域があったことに着目し、それがなぜかを分析しました。そのコミュニティとは、東ニューオリンズ地区にあるMQVNとよばれるカトリック系ベトナム人コミュニティのことです。カトリーナにより、彼らの居住地域はほぼすべて水没しましたが、水が引くとライフラインが回復するのも待たずに帰還をはじめたのです。

 

それはなぜなのでしょうか。二人の結論はこうです。このコミュニティでは、カトリック教会を中心として宗教的なサービスを提供するとともに、ベトナム語の教育やベトナム食材の販売、さらにはコミュニティにおける社会的活動のためのスペースの提供など、コミュニティに帰属する人々へ貴重なサービスを提供していました。

 

こうした、コミュニティに帰属している者のみが利用できる公共財のことを、経済学ではクラブ財と呼ぶのですが、MQVNから離れることは、このクラブ財の恩恵を一切受けられなくなることを意味します。言い換えれば、MQVNに多くの住民が速やかに戻ってきて、その地域での生活再建に努力したのは、その地域でしか得られないクラブ財の供給をコミュニティが担っていたからに他ならないのです 。しかも、クラブ財は、人々のベトナム人としての、カトリック教徒としての文化や誇りを守っていく上で必要不可欠なものだったのです。

 

以上紹介した二つの事例もまた、共助が自助を促進しているということの証左ではないでしょうか。

 

 

共助を柱とした、新たな防災パラダイムへ

 

これまで私が述べてきたことは、自助を強調するだけでは防災は進まないどころか、むしろ弊害が多いということ、そして自助が機能するためには、その基盤としての共助が充実しなければならないと言うことに尽きます。そのような観点から、最後に今後の防災のあり方について具体的な提言をしてみたいと思います。

 

第一に、われわれ日本に暮らす人々は、多かれ少なかれ運命共同体であるという意識を改めて醸成することが必要だと思います。道徳教育を強化するべきと言いたいのではありません。数年に一度で構わないので、我が国のシステムの大部分を一時停止させるような大規模訓練を実施してみてはどうでしょうか。

 

私は日本の大都市部では郊外への一斉避難訓練が必要だと真剣に思っていますが、そのような局面では、自助の名の下に各人が野放図な行動を取ることが、いかに深刻な問題を引き起こすかが明らかになることでしょう。企業間の相互連携BCPの作成など、一斉の訓練であるからこそ人々が共同して取り組むことができることは多いはずです。そしてこうした訓練は、我が国の社会関係資本の向上に大いに役立つことと思います。

 

第二に、人間への投資を真剣に考えるべきです。地域コミュニティの多様な資源をつなぎ、活性化するための人材を育成し、全国に配置していくことが必要だと思います。必ずしも防災分野だけに限る必要はありません。若年層の失業が社会問題化しているように、人材の卵は地域に多く眠っています。こうした人々が地域コミュニティのために活躍できる機会を創出していくべきです。

 

筆者は、東日本大震災以降、被災失業者の雇用機会の創出のための活動や調査研究を行ってきましたが、被災失業者が被災者の支援に関わることによって、コミュニティとしての一体感や帰属意識を高めていることがわかってきました 。こうしたことは平時における取り組みでも期待出来ることだと思います。

 

第三に、防災に関わらず、様々なリスクを対象として取り組みを進めるべきです。たとえば、新型インフルエンザへの対応において、地域コミュニティの機能はほとんど議論になっていません。ですが、政府による緊急事態宣言が発表され、不要不急の外出が制限される事態になったときには、コミュニティの中で多くの弱者が孤立することが予想されます。

 

介護事業者も通常通りの業務を継続できず、これまでの災害事例からも、過剰な外出自粛ムードが蔓延するように思います。現在の新型インフルエンザの行動計画でも、この部分はほとんど認識されていないように思います。これは一つの例ですが、そういった様々な事案を防災の射程に加えることによって、コミュニティにおける当事者を増やすことができるのではないかと思います。

 

 

サムネイル「生田新道 東急ハンズ三宮店東側」松岡明芳

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