「棄民から帰民へ」 ―― 広域避難者にこそ社会的包摂の手立てを

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棄民から帰民へ

 

「棄民」という言葉がある。移民政策や戦争などで国家責任を追及する際に使われる常套語だが、阪神・淡路大震災の折、作家小田実(故人) は、著書『これは「人間の国」か』 の中に、この言葉を登場させた。「自然災害に国は責任がない」として、被災者の再起を原則、自力再建・自助努力としてきた、この国の歪みに対する告発であった。

 

阪神・淡路大震災でプレハブの仮設診療所「クリニック希望」を開設し、被災地医療に献身的役割を果たした医師・額田勲氏(故人)は、「孤独死」という言葉を掲げ、だれに看取られることもなく、亡くなっていく被災者の背景には、無縁社会と格差社会があることを暴いてみせた。

 

災害は、ただでさえ人々の日常を構成している「つながり」を突然、断ち切ってしまう。家族、住まい、仕事、コミュニティ、学び、医療、果ては自治体とのつながりまでも。復興の狭間に落ちた民は漂流し、やがて社会的に排除され、棄民となるケースさえ少なくない。そのことを私たちは、幾多の被災地でみてきた。

 

アイデンティティの喪失 ―― 自分は何者であり、何をなすべきかという個人の心の中に保持される概念さえ失う。そして家族の崩壊、蒸発、アルコールへの依存、孤独死、自殺‥‥。このような事態に「私有財産自己責任論」や「絶対的平等」を被災者に強いることこそ、まさに国家や社会のメルトダウンといえるだろう。

 

「前を向いて頑張ろう」という励ましに、「前向きに 生きたいけれど 前どっち?」と川柳で返した東日本大震災の被災者の心情は察してあまりある。

 

東日本大震災で、わが国の宰相は二代続けて「元に戻す復旧ではなく、創造的復興でなければいけない」と宣言した。「これからは山を削って高台に住むところを置き、そして海岸沿いの漁港まで通勤する。地域で植物、バイオマスを使った暖房、地域暖房を完備したエコタウンをつくる」のだという。

 

野田佳彦総理は、消費増税やTPP(環太平洋戦略的経済連携協定)への参加、原発の再稼動をめざし、復興構想会議は「被災地域の復興なくして日本経済の再生はない。日本経済の再生なくして被災地域の真の復興はない。この認識に立ち、大震災からの復興と日本再生の同時進行を目指す」という復興原則を掲げた。さらに、富裕税の見送りや法人税の事実上の減税に民自公は腹を合わせ、宮城県知事は水産特区への企業参入を推し進める。これらのピースをつなぎ合わせると「災害を奇貨」として新自由主義的復興をめざすという文脈が読み取れなくもない。

 

2005年8月のハリケーン・カトリーナの際、米共和党下院議員のリチャード・ベーカー氏は、「これでニューオーリンズの低所得者用公営住宅がきれいさっぱり一掃できた。われわれの力ではとうてい無理だった。これぞ神の御業だ」と発言し、不動産業者のジョゼフ・カニザーロ氏は、「私が思うに、今なら一から着手できる白紙状態にある。このまっさらな状態は、またとないチャンスをもたらしてくれている」と述べた。著書『ショック・ドクトリン』の中でカナダ人ジャーナリスト、ナオミ・クライン氏が明らかにした惨事便乗型資本主義の実態だ。

 

一方、わが国はどうだろう。社会保障費を消費増税の中に封じ込め、ゆとりのできた一般財源で、震災後の日本を競争国家としてテイクオフさせる。福祉国家との決別とも思える政策と菅氏の掲げた「社会的包摂」とは、どう折り合いがつくのだろう。

 

菅前総理のひと言で大合唱になった高台移転も、現実は遅々として進んでいない。移転すべき高台は少なく、当然のことながら地価は上昇し、建築制限のかかった旧集落の地価は値を下げる。行き場を失った人たちは漂流し、被災地はサプライチェーンを支える工場群や再生エネルギー基地に占領されるという「壮大な地上げ」になるのではないかと懸念を募らせている。

 

私たちは研究所創設当時から「人間の復興」を哲理に、夢のような未来都市づくりではなく、被災した人たちが可能な限り震災前の状態に戻れるような法制度や社会的支援システムの研究を進めてきた。著書『倒壊』(筑摩書房)で、大震災で生じたマイホームの二重ローン問題を初めて世に問うたルポライター島本慈子氏は、「被災者の想いは、ユーミンの『あの日に帰りたい』 だ」と喝破した。2004年の新潟県中越地震で「山が動いた」といわれ、全村民が避難した旧山古志村の村長・長島忠美氏(現衆院議員) は、被災者の心をつなぐのに「帰ろう!山古志へ」を合言葉にした。

 

災害復興の定義をめぐる議論は、それぞれの国家観や思惑がからんで果てしない。しかし、これだけはいえるだろう。被災者を「棄民にしない」ということだ。被災前の生活に戻る。避難を余儀なくされていたふるさとへ戻る。「帰民」こそ、災害復興の要諦ではないのか。

 

 

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シノドス国際社会動向研究所

vol.269 

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