東日本大震災、体育館避難所で起きたこと

要支援者への対応

 

<高齢者>

 

米小避難所では深夜徘徊をする人はいませんでしたが、体育館の階段を上がる際に手を貸す必要のある方がいました。また、夜間にトイレに行くと戻るべき自分の家族が寝ている場所が分からなくなる方もいました。

 

 

<精神障害を抱えた方>

 

一人一役という考え方で、飲み物係を担当してもらいました。避難して来た人は、トイレに行く回数が増えることを抑えるために飲み物を控える傾向にありました。そこで、定期的に全員に声をかけて支援物資のお茶やスポーツドリンクなどを配布する係をしてもらいました。

 

 

<乳幼児>

 

自分の子どもも震災時に1歳6ヶ月だったので、子どもを連れての避難所生活の大変さを感じていました。常に大人が離れられないことにより、皆が作業をしている時に同じ作業をできないこともストレスです。

 

ミルクから食べ物に変わる時期には、離乳食を用意しなければいけません。夜泣きも、母親にも子育てをしていない世帯にもストレスです。

 

そこで、小学校から特別教室を一部屋借りて、子育て世代同士を一つの部屋に集め、お互いに助け合える部屋を作りました。子育て世代は周りで他の子どもが泣いていても気にならないし、ミルクやオムツを差し伸べたりして助け合うこともできます。

 

ミルクもオムツも支援物資でしたので、誰の物でもなく、サイズごとに皆で使っていました。緊張感とため息の入り混じった体育館と違い、子ども部屋は天使の遊ぶ部屋でした。自分も疲れると子ども部屋へ行き、子どもの元気な声に癒されてきました。

 

 

困ったこと

 

<寒さ>

3月11日は、陸前高田にとってはまだ冬です。体育館は天井が高いのでストーブの熱も周りを暖めずに上に上ってしまいます。半月ほどは毛布も十分でなく、寒さで眠れなくなる人が多かったことを覚えています。

 

 

<痛み>

 

避難所の中で困ったことの一つに痛みがあります。ストレスにより高血圧になり頭痛を訴える人もいました。困ったのは歯痛です。頭痛であれば、救急車を呼ぶことも考えますが、歯痛で救急車を呼ぶわけにもいきませんし、どこの歯医者さんが受け入れているかの情報もありませんでした。通常時に定期健診することの重要性を感じました。

 

 

<狭さ>

 

避難所での問題で上位にくるのが、プライバシーがないことと狭さです。幼児と一緒の家族を除いて体育館で寝泊りしてもらい、一人当たりのスペースは2,5m×80cmでした。枕元(または足元)に着替えや飲み物などの個人の物を置くために身長より長めに場所を取りましたが幅は80cm程度です。

 

 

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<ペット>

 

ペットは家族と思っている人も少なからずいました。しかし、狭い体育館にペットを入れることは多くのトラブルが予想されます。ペットを車の中で飼うなどして対応してもらいました。

 

 

<市役所と勘違い>

 

陸前高田市役所は最上階まで津波に飲まれ、多くの職員を流されました。市役所職員も市民である以上被災者なのです。それでも、市役所では通常業務を含め震災対応と行方不明者の確認に尽力していたため、各避難所の運営や管理に人を割り付けることはできませんでした。

 

そこで、相談場所を探しあぐねた人が、小学校体育館に来ました。行方不明の家族を探すため情報を求めたり、物資を求めたり、中には「自衛隊はいつ来るんだ」とか「役所は何をしているんだ」とクレームを言われたこともあります。

 

ここには被災者だけで市役所の人もいませんでしたし、市役所と自分たちのこと以外をやり取りする余裕などありませんでしたので、丁重にお断りしてお帰りいただきました。

 

 

食事について

 

避難所生活が始まった直後は「支援がいつまで続くかわからない」ということで、長持ちする食材をできるだけ使わないようにしていました。結果、食事の内容が偏りました。

 

集団生活で怖いのは食中毒ですので、できる限り加熱し、肉は揚げ物にして食べました。葉物野菜など痛みやすい食材は数も少なかったので優先して使いました。しかし、毎日のように野菜が届けられるわけではありません。一週間野菜なしという期間も当然あります。

 

半月が過ぎた頃には、食材の備蓄も増えたので、缶詰などで魚も食べるようになり、特に高齢者に喜ばれました。

 

また、どの順に食材を使うかにも悩みました。人数も多い。支援がいつまで続くのか分からない。大量にカップラーメンが備蓄されていても200人で食べればあっと言う間です。

 

そして、人数が多いため、調理にも時間がかかります。作りはじめから食事を配るまで2時間くらいは必要だったと思います。冷蔵庫もないので、暖かい日は最初に作った物がだめになりますので、日中は支援物資のカップラーメンで過ごしたこともあります。

 

食事に関して困ったのはアレルギーです。避難当初、小麦アレルギーの子どもを連れた家族がいました。避難の最初には食材もなく対応できませんでした。他の人が少しずつでもおかずを食べている時にその子はおにぎりだけしか食べられません。申し訳ない気持ちでいっぱいでしたが、なんともなりません。2~3日で親戚の家に避難場所を変えました。

 

食事について様々な支援をいただいたので、いくつか紹介したいと思います。

 

 

<食材の支援>

 

ご支援で届けていただいた物に対して申し訳ない言い方かもしれませんが、必要なものがちょうど良い量で届くわけではありません。

 

長期保存を意識したカップ麺は多く届けていただきましたが、実際には、200人分のお湯を沸かすことは容易ではありません。

 

困ったのは、調味料が少ないことです。塩分の多い食事は体に良くないとは言われますが、塩分の少ない食事は食欲をそそりません。なにせ200人分ですから、食堂で消費するくらい砂糖、塩、酢、しょうゆ、味噌を必要とします。調味料の種類が少ないと作れる料理の種類も限られます。

 

 

<来なかった炊き出し>

 

支援者さんによる炊き出しは、一度避難所に来て顔を合わせながら日程を調整します。

 

しかし、何度か待てど暮らせど来ないということがありました。せめて、来ないことが確認できれば対応のしようもありますが、携帯電話の電波が届いたのは震災から一ヶ月後です。連絡の取りようがありません。

 

来る前にどこを周っているのかも知らされていないので、こちらから確認に行くこともできません。ある程度の時間まで待って、来ないと判断した段階で「今日は休める」と思っているお母さんたちにお願いし、簡単にできる夕飯を作ってもらったことも一度や二度ではありません。

 

後日確認すると昼に炊き出しした避難所で、近隣の人も集まり、予定数の倍以上が提供されて米小に来る分の材料と時間がなくなったとのことでした。

 

 

<困った炊き出し支援>

 

ある時には、夕飯時に炊き出しに来た団体が出してくれた料理がとても美味しい。しかも品数も量も多くしばらくぶりに満腹と言う幸せを感じました。

 

しかし、おかしい。それほど大量の食材を持ってきた様子はなかったのです。気がつくと、翌日用に仕込んでおいた芋や葉物が全てなくなっていました。翌々日用の缶詰もありません。こちらのストックを全て使われてしまったのです。

 

毎日やりくりして、2~3日先までの食材を計算して調理していたスタッフは、気が抜けてしまいました。しかも、なかなか手に入らない調味料もほとんどなくなっていました。

 

善意からの行動とはいえ、スタッフの一人が「二度と来ないでください」と叫んでいました。

 

ストックしていた食材や調味料を支援者に使われて予定が変わった。食材の少ない中、これがどれほど調理班の心を折ったか。数日は具のない味噌汁とご飯と味の薄い料理が続きました。

 

 

ありがたかった支援と困った支援


全ての物資がありがたいものでした。ただ、時間とともにニーズは変わっていきます。

 

避難所の初期は、毛布、食料、水、着替え、医薬品、女性用品、3月ですので電気を使わないストーブが求められました。

 

数日たつと、長期戦を意識した物資を必要とします。米、缶詰、マスク、枕、ゆるい衣類(寝るとき用)、サランラップ、などです。

 

さらに数日が過ぎると、靴(スニーカーなど)、長靴(捜索用)、体育館の中で寝るスペースを仕切るもの、味の濃い食品、甘い物、と生活にアクセントを求めるようになりました。

 

その中で、自分たちでも思いもしなかった支援があります。

 

阪神淡路大震災や中越地震の経験者から、名刺入れやノートと筆記具、マジックペン、模造紙、パソコンが届きました。最初は、生きることに精一杯でしたが、避難所内の記録や周知に威力を発揮しました。コーヒー、ビール、タバコ、テレビ、マンガ、など、贅沢と思い、こちらから求めることもできないような物も届き嬉しかったです。

 

 

<どんな支援が必要?>

 

支援を受ける際に「何に困っていますか?何が必要ですか?」という問いが一番困ります。答えは「全てに困っています。あなたが生活する際に必要な物全てが無いのです。」です。

 

どの団体にも得意分野と不得意分野があるはずです。学生団体のように「お金はないけど人数と力はあります」という団体と、企業のCSRではできることは違うでしょう。団体の目的と得意分野を伝えていただくとこちらも具体的なお願いをすることができます。

 

たとえば、難民支援協会は、普段から困っている方の支援をしているため、被災地でも丁寧に聞き取りをしてくださりました。特に法律と会計の専門家を何人も連れてきたり、女性特有の問題にいち早く取り組まれていました。

 

また、Save the Children JAPAN は米小避難所に10日目あたりから来ていただき、子どもたちと遊んだり子どものために必要な物を届けていただきました。避難所の数が多く、全てを一つの団体で見ることはできなかったので、できるだけ多くの避難所に目が届くようにと子ども支援団体どうしが分担を決めて活動をしていたと聞いています。

 

 

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他にも、体育館の中で運動をしなくなる人、狭さで体調を壊す人が出ることを心配して、継続的に体操を指導しに来てくださった人もいます。やはり、活動の目的と規模が分かると避難しているグループも頼みやすかったことを覚えています。

 

様々な方から支援をいただきましたが、中には少しだけ「困った」支援もありました。

 

 

<物だけ届いて管理する人がいない配布会>

 

衣類販売をしている業者さんが大型トラックで衣類を届けてくださったことがあります。町内全体にチラシで「米崎小学校前で衣類の配布をします。」とお知らせが回りました。

 

当日になりトラックが到着し衣類を降ろすころには長蛇の列ができていましたしかし、担当者がいません。ゴーサインを出す人も一人何枚と伝える人もいません。

 

最初に並んだ人が勝手にとり始めようとしますが、後から並んだ人は気が気ではありません。「数を決めろ」「時間を決めろ」と騒ぎ出します。中には割り込む人もいて、騒ぎが大きくなります。体育館避難所に来た物ではありませんが、自分たちが人の整理と配布の管理にあたります。「何をしていたんだ」「早くしろ」「説明が後ろまで聞こえない」との怒声が飛びました。

 

新聞やテレビでは「被災地では皆、混乱の中、整然としていました」と流れていたようですが、管理者のいる所では整然としていましたが、そうでない所では一度混乱が起きると整然とするのには大変な手間と時間が必要でした。

 

 

<情報が守られなかった支援>

 

アマチュア傾聴ボランティアによるコンプライアンスの問題がありました。避難所でも仮設住宅でも「お話し相手」というボランティアが来ていました。

 

しかし、前の家族に聞いた内容を次の家族に話してしまう。もっと酷いのは、許可もなく活動報告書としてまとめられたものもありました。家族や友人を失った時の混乱や相続等の金銭トラブルといった、非常に個人的な情報すら報告されていました。個人の名前は伏せていますが、読む人が読めば誰が話した内容か分かります。それが多くの人に公開されるのです。

 

私達は、すぐに発行の停止をもとめ、「なぜ、そんなことをするのか」と聞きました。答えは「助成金で活動しているので、ある程度具体的な活動実績書類を作る必要がある」との事でした。

 

話す側は、外部に漏れるとは思わずに話しています。ましてや、同じ避難所の中にいる人に話されるなど想像もしません。傾聴ボランティアを取りまとめる人は、まず、話してよいことと話してはいけないことの教育をしてから活動に取り組んで欲しいと思いました。

 

 

後に――減災は、だれが取り組むのか 

 

東日本大震災の前には「防災」という言葉を何度も聞きました。しかし、東日本大震災を境に「減災」という言葉が使われるようになりました。

 

減災と防災の違いはなんでしょうか。

 

「防災」は命と財産のすべてを守るということを目的としています。「減災」は、財産を守ることを一時的にあきらめて、命を守ることに注力しています。

 

東日本大震災の時も、一度は避難したのに「財布を忘れた」「位牌を」と自宅に向かい、二度と戻らなかった人が何人もいました。

 

では、どうしたら「減災」ができるのでしょうか。まずは、意識を変えることだと思います。

 

まず、自宅は絶対的安心な場所ではないという意識をもつ。自宅はプライバシーを守れ、生活に必要な物が揃っています。ですが、立っているその場所が安全とは限りません。崖の周辺、川の近く、海の近く、家がどんな場所にたっているのか、そして避難可能な近くの施設を知ってください。

 

次に、災害時に行政と自衛隊がすべてを何とかしてくれるという考えは捨ててください。災害を行政や自衛隊がどうすることもできません。地震の際に倒れてくる家具を自衛隊が支えることはできないのです。

 

最後に、観天望気の知識を身につけ、家具を固定し、常に災害警報の情報に気を配ること。「観天望気」というと難しそうに感じるかもしれませんが、空が急に黒くなれば誰でも屋根のあるところに入ろうとします。それが観天望気の基本です。ときどき家族と一緒に空を見上げて「雨が降りそうだから天気予報を確認してみよう」と言うところから観天望気は始まります。

 

東日本大震災は、「宮城県沖地震」という呼び名で早くから予告されていました。それは、関東直下地震も東海・東南海・南海トラフも同じです。いつか来ると予告されています。ですので、備えて欲しいと願います。

 

そしてもし地震が起きた時は、逃げる選択肢を捨てないでください。「ここは20mも津波が来るのだから逃げても無駄」と考えるのではなく、もしかしたら津波の大きさは2mかもしれない。少し逃げれば助かるかもしれません。

 

東日本大震災の後、助かった高齢者を中心に「自分は歳だから次は逃げなくても良い」と聞くことがあります。足腰の弱い人、寝たきりの人を助けようとして命を危険にさらした消防団員や近所の人のことを思い出してほしいです。逃げないという選択肢は、他人も危険に晒すということを頭に入れて欲しいのです。

 

減災は、行政・地域・個人のすべての単位で取り組むことで飛躍的に発揮されるます。「誰かがやってくれる」では家族や大切な人を危険に晒すということを知って欲しいです。

 

東日本大震災で大切な友を失った人間からのお願いです。

 

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