東日本大震災、仮設住宅に移るまでに起きたこと

物資の問題

 

<物資と宛先>

 

震災から半月くらいは宅配便の配達も機能していませんでした。配達が始まっても家を流された人がどこの避難所にいるのか把握できません。発送してから避難所に荷物が届くまでに一週間くらい必要でした。

 

よって、保存食以外の食べ物を入れてもらった場合は、期限が切れていたりカビが生えていたりした物もありました。(食品は賞味期限が切れていても食べました)

 

また、どこに避難所があるかの情報がほとんど発信されていなかったので、いろんなあて先の物がありました。「米崎町の避難所様」「小学校避難所様」「体育館避難所様」は米小避難所に届けられました。運送担当者さんも「これも受取ってください」という受け取りをしました。今考えると、支援の偏りになっていたのではと反省しています。

 

しかし、陸前高田市は市役所も被災し、公的建物のほとんども被災しました。受け取っても分別し配布することは困難だったと思います。陸前高田市は日本の今回の震災なかでも酷い被災状況だったと思います。この状況を想定した支援物資の配分方法の確立も必要と思います。

 

 

<物資をいただく中で考えたこと>

 

震災直後から多くの物資を届けていただきました。宅配便が機能するのに半月ほど時間がかかったため、ほとんどの物資は支援者の車で届けてもらいました。

 

毛布やタオルや衣類は嵩張りますが、必ずと言っていいほど積んできてもらいました。食料や水、中には地元の畑から野菜をもらってきたという人もいました。他にも非常食、カップラーメン、など長期戦を想定した物が多かったことをありがたく思います。

 

中には、水道の止まった中での集団生活は水の確保が大変でしょうからと白色の20リットルポリタンクを10個以上持ってきてくださった人がいます。灯油用タンク(赤)と一目で区別が付き、安心して使えました。

 

便利に使えたのは固いヨリのロープでした。サバイバルキャンプを趣味としている方が、7ミリ×200m、9ミリ×200m、12ミリ×100mと複数の種類のロープを持ってきてくださりました。一緒にスコップや、ロープを切れるハサミもあり助かりました。

 

また、防災について考えさせられる物資もありました。

 

個人からの支援物資として非常持ち出し袋が10袋以上届いたのですが、大半が水も簡易食料も期限が切れている。電灯にいたっては液漏れで使えない物でした。これでは、送ってくださった人が万が一被災していた場合にも役にたたなかった事が想像できます。製造年を見ると平成7年と16年がほとんどでした。つまり阪神淡路大震災と新潟県中越地震の年に購入した物です。

 

防災や減災への取り組みは、事が起きた時に多く取り組まれ、それで満足してしまう。一過性の流行になっているのではないでしょうか。東日本大震災をきっかけに、非常持ち出し袋を準備した方は多いでしょう。最低でも年に一度は中身の確認をして欲しいと思います。

 

 

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避難所の受付

 

避難所の受付にはさまざまな人が来ます。人を探しに来た人。支援物資を持ってきてくださった人。慰問活動に来た人。メディア。受付では、まず用件を聞き、それぞれの担当につないでいきます。

 

 

<人探し>

 

避難所で一番多いのは人探しです。行方不明の親族を探しに来ます。出会えた時の感動は言葉では言い表せません。抱き合い背中を叩きあいながら涙で会話になりません。

 

やっとしぼり出した声で「生きてた~、良かった~」と。本当に全員が生死の境を越えて、半信半疑で探した結果の再会ですから。避難所の受付では2ヶ月間ずっと、感動の再会が繰り返されました。

 

 

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<支援物資>

 

物資を持ってきてくださった場合には会長に挨拶の対応をしてもらいながら物資を受け取る担当につなぎます。衣類やタオルなどの生活用品からポリタンクや燃料、食料品などさまざまなので受け取る担当もさまざまです。

 

担当が来るまでの間には、避難所が解体された時にあいさつ文を送らせてもらうためにご芳名と住所などを書いてもらいます。辞退された方が多く、ご挨拶を送れずにいることを心苦しく思います。

 

震災当初はご芳名をいただくことを失念していました。慌ただしかったのもありますが、自分たちが避難所を抜け出せるイメージが湧かなかったからです。体育館の隣に仮設住宅が建設され始まったのを見て初めて次の生活をイメージできました。

 

一ヶ月ほど経つと、不思議な現象がおきだします。

 

「毛布などを持って来たのですが、お邪魔でしょうか」と言葉にする支援者さんが多くなりました。わざわざ支援に来てくださった人が、なぜこんなに低姿勢なのか疑問で聞いてみると、いくつかの避難所で断られてきたとの事。一ヶ月も経つと、公民館などの小さな避難所では置き場所がなくなりお断りしているようでした。

 

米崎小では、支援物資をまずは受け取ります。有用な物を皆に分けてから、余った場合は他の避難所に運んで必要な物を受け取ってもらいました。衣類などは、サイズが合わずに着ることができない物も、他の避難所に行けば背の高い人や細い人がいれば役に立つからです。

 

 

<慰問活動>

 

歌やパフォーマンスの披露に来てくださった場合には、内容を確認することから始まります。テレビでよく見る著名な方も何度かお越しいただきました。

 

暗い避難所を明るくすることは良いことだと思いますが、空きスペースに限りがありますので全ての活動をしてもらうことはできませんでした。

 

「小学校の避難所」ということで、広いフロアを想像してきた人も一人や二人ではありません。実際には、被災者が寝る場所になっていて、まとまったスペースはほとんどありません。

 

また、シンセサイザーなどを持ち込んでの活動の申し出もありましたが、安定電源が使えるようになったのが4月10日ですので、それ以前はお断りせざるを得ませんでした。

 

 

<メディア>

 

様々なメディアが避難所の様子を取材しに来ました。私は「この報道はいつまで続くか分からない」と思っていました。阪神淡路大震災の時は、2ヵ月後に地下鉄サリン事件が発生し、震災のことが伝えられなくなったことを記憶していました。

 

自分たちも「いつ忘れ去られるかも分からない」という気持ちがあり、積極的に取材を受けていました。しかし、一ヶ月もしないうちに避難所の皆から「疲れた」といわれました。カメラが来ていたのでは寝ころがってもいられない。化粧もできない、髪も整えられない、カメラを向けられたらストレスになる……。

 

避難している人の生活が最優先なのにそれに気づけなかったことを反省しました。それ以降、取材は避難所の外で受けることにしました。

 

 

メディアについて

 

<毎日届けられた地元新聞>

 

米小避難所には電気も電波もありませんでしたが、地元地方紙の東海新報が毎日届きました。

 

毎日掲載される生存者と避難場所と名前、そして死亡が確認された多数のお名前、各地の被災状況や臨時医療施設の開設情報、そして福島の原発事故も東海新報の記事で知ることができました。

市役所の職員同様、東海新報の職員と関係者も同じ被災者なのに毎日広範囲の情報を届けていただくこと、今でも頭が下がる思いです。

 

 

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<シナリオありきのメディアも>

 

地方紙だけではなく、震災の3日後には多くのメディアが訪れました。テレビには、生存の知らせに取り組んでもらいました。

 

各自が言葉で伝えていては時間がかかり、伝えられる人数に限りがあるということで、画用紙に生存や行方不明の情報を書き込むように言われ、それを胸の前に掲げて階段に並んでカメラでゆっくりと写してもらいました。後から聞くと知人もそれを見て私と家族の生存を知ったとのことでした。

 

「自分たちは、いつ忘れ去られるんだろう」という不安をよそにその後も多くのメディアが訪れてくださいました。

 

しかし、中にはシナリオありきで取材をするメディアもいます。

 

4月初旬のこと、菅元総理が避難所を訪れてくださりました。その時、被災地取材をしている人とは違うリポーターが来ました。リポーターは「総理が今頃来て、遅いと思いませんか」と私達に聞きました。まさに、「遅い」という言葉以外いらないという問いかけです。

 

その誘いには乗らず「阪神淡路の震災の時には2ヶ月でニュースに乗らなくなった。来てもらえるだけでありがたい」と私は答えましたが、その言葉が使われることはありませんでした。

 

私は元総理と言葉を交わしていなかったにも関わらず、菅元総理に私が問題提起をしたような記事さえ書かれたことを後から知りました。

 

 

運営ボランティア

 

震災から1週間後には、陸前高田市社会福祉協議会とボランティアによる「陸前高田市社会福祉協議会災害ボランティアセンター」が立ち上がって、避難所運営を手伝うボランティアさんも派遣していただきました。

 

それまで自分たちで受け入れ、運び込み、整理し配布していた作業を代わりにしてもらえる。とても助かりました。

 

しかし、それも一週間を過ぎる頃から徐々に問題が出てきました。

 

毎日入れ替わるボランティアさん。中には元気すぎるボランティアさんもいます。避難所の人の多くは疲れ切っています。「さあ、今日は何をしますか? 指示をください! 始めましょう!」とテンションの高い声を上げられると、「今日は結構ですから、休ませてください」と言いたくなる日もあります。

 

また、受付を担当してもらっても、衣類・食材・医療の話はそれぞれ誰につないだらよいか避難所の担当の顔と名前を覚えるまでに時間がかかり、覚えた頃にはボランティアさんが変わるということの繰り返しで、結局すべて私の所に話しが来てしまいました。

 

その後、災害ボランティアセンターに連絡して「一週間以上の長期ボランティアさんをお願いします」と連絡し一ヶ月以上滞在する予定のボランティアさんを派遣してもらい問題が解決しました。

 

そのボランティアさんのうちの一人は、仮設住宅の運営にも手伝ってもらい、その後に私が「桜ライン311」という団体を立ち上げる時にも事務局長として一緒に活動してもらいました。長期に活動していただけたことと同時に自分たちの気持ちとタイミングを第一に考えてくださったからこそ多くの活動にご一緒していただけました。

 

また、もう一人は、この記事に写真を提供してくださった人です。当時、避難所内はさまざまな出来事を受け入れることができない人がたくさんいました。自分もその中の一人です。自分には、そんな状態にカメラを向けることができませんでした。しかし、今になるとこの写真は貴重な記録です。写真を撮っていてくれたボランティアさんに感謝します。

 

あくまでも今回は長期間一緒に生活したからこそ被災者に理解され撮れたものです。今後の万が一の際に避難所に押しかけて「記録は大切」との言葉を盾にして避難している人の心情を省みずにカメラを向けることは避けてください。この点は強調して記させていただきます。

 


SNSでの発信

 

震災から一ヶ月目の4月11日、微弱ですがauの電波が届きました。なんとか情報を発信したいと思っていましたが、電話で発信できる情報量は限られています。

mixi、Facebook、Twitterと思い浮かびましたが、比較的パケット使用量が少なかったTwitterを選びました。この段階では、フォロワーがいなければ発信しても届かないことを知りませんでした。知識不足ながらも、つぶやき(@kajyuon)は始まりました。

 

ツイッターではこんなことも起きました。4月12日の昼に米崎町内で住宅火災が発生。消防団が出動しても、水道が復旧していなかったので消火栓が使えない。遠くの川から水を引くことにしたが、震災で屯所を失った消防団は予備のホースがなく鎮火に時間がかかった。そのことを「支援として消化ホースが欲しい」とつぶやいたのです。

 

被災地の情報を検索していた人が多数いたようで見つけてもらい、リツイートと非公式リツイートで拡散してもらいました。

 

まもなく神奈川からホースが届き、続いて各地からホースが送られてきました。結果的にその騒ぎの効果で、登録から半月でフォロワーが300人を超えたと記憶しています。

災害時のような電波が通じにくくなる状況では、文字数制限がありパケット使用量の少ないtwitterを選んで正解だったと思います。ただし、ツイッターアカウントはフォロワーがいないと役に立たない可能性が大ですから災害発生前に作っておく必要があるでしょう。【次ページにつづく】

 

 

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