2012.11.15

復興予算に見る被災者主権

津久井進 弁護士

社会 #震災復興#復興予算#東日本大震災復興基本法#被災者主権

霞ヶ関の論理

政府は、2011年7月29日、「東日本大震災からの復興の基本方針」を策定しました。そして「集中復興期間」と位置づけられる当初5年間に要する復興予算を約19兆円と見積もり、同年度1次ないし3次補正予算と2012年度当初予算で計18兆円を計上しました。いまこの復興予算の多くが、被災地の復興との関係が疑われるような事業に便乗的に支出されることが問題となっています。いわゆる復興予算の流用問題です。

ちなみに「流用」というと、霞ヶ関は「流用ではない。ちゃんと法律にのっとっている」というので、「転用ですか」と聞くと、「いや、転用でもない」とおっしゃる。というわけで、「便乗ですね」というのがいまのところの私の落としどころです(笑)

さて、問題はどの言葉を使用するかではなく、復興と関係ないと思われる事業に予算が投じられていることです。一例をあげると、被災地以外の地域の企業に対する国内立地推進事業費補助金(経産省)、被災地以外の国税庁舎の耐震改修費(財務省)、被災地外の公共事業や施設改修費(国交省)、反捕鯨団体シー・シェパードへの対策費(農水省)、海外の青少年交流事業費(外務省)、東京の国立競技場の補修費用(文科省)、もんじゅを運営する原子力機構の核融合エネルギー研究費(文科省)、武器車両等整備費(防衛省)、刑務所での職業訓練費(法務省)等々があります。

霞ヶ関には、その法律が悪法であろうが多くの不備が見られようが、法律にのっとっていればよいという独自の論理があります。今回の問題は、素直な市民感覚に照らしてみれば疑問視せざるを得ない事業が多くあります。また、復興予算の主な財源が今後25年間にわたる増税であることからすれば、国民が憤るのはもっともでしょう。

今年の10月に枝野経済産業大臣が、国会でグループ補助金が被災地に届いていないことを指摘された際、「熟度が足らないため」と答弁されました。「熟度とは何か」と追及されたものの、それ以上ははぐらかされ、答えられなかった。私は「熟度が足らない」とは、被災してめちゃくちゃになってしまった商店主は、復旧に手一杯で補助金の申請までたどり着いていないという意味かと最初は思ったのですが、しかし、いまは単純にグループ補助金の申請書の書き方がこなれていないという意味なのではないかと見ています。

たとえば立地補助金を申請する大企業の場合、申請書は経済産業省にダイレクトに提出できます。しかしグループ補助金の場合、地域の人が集まって話をし、なんとか合意したものを素人なりに書類にし、市町村に提出します。それを受け取った市町村は、書類を審査し、必要があれば再提出を求め、協議を繰り返したのちに県に送ります。やはり県でも協議をし、それを通過したものがようやく経産省に提出されるプロセスとなっています。

ここには現場を見ずに書類しか見ていないことなどいくつか問題がありますが、最大の問題は書類の書き方を知るはずのない人たちを助ける人手がないことです。民間の事業者を支える仕組みができていないんですね。ですからいくら予算がついても同じことが繰り返されてしまう。それを「熟度が足らない」という霞ヶ関の論理がおかしいのではないでしょうか。

被災者の目線をもった復興予算

現在、国会では、衆・参両議院の決算行政監視委員会や行政刷新会議等で、予算の仕分け等も含めた検討が行われつつあります。このような動きが出るのは当然のことですが、しかし議論の舞台が霞ヶ関や永田町ばかりで、そこに被災地や被災者の姿が見えないことがとても気にかかっています。

復興予算の検証を行うにしても、被災者不在のままでは正当性は担保されないでしょう。復興予算を語るとき、リアリティを持った被災者の目線が絶対条件です。監視委員会や行政刷新会議、マスコミではなく、むしろ被災地の市民代表等も含めた第三者機関を設置し、検証を行うほうが好ましいと私は考えます。

そしてすでに19兆円の大枠を突破することが確実な見通しである復興対策費について、たんなる検証にとどまらせず、疑問視される支出については予算の執行停止や一般予算への振替などを行い、本来の被災地向け予算をあらためて確保しなくてはいけないと思っています。

ちなみに今日の話のキーワードのひとつに、「予算の民主化」があげられると思います。いま行政刷新のウェブページには予算内容を国民自身がチェックできるように「霞が関を丸はだか」と称するサイトがあり、各事業のレビューシートを公開し、誰もが事業の点検を行える仕組みができています。しかしわれわれ国民はそれをやってこなかったし、知りもしなかった。そういう怠慢があったことも反省しなくてはいけないと思います。

東日本大震災復興基本法成立の過程

復興予算は正当な手続きを経て承認された適法なものですし、復興予算を獲得した各省庁は、復興予算の使途を国民に公開してきているわけですから、少なくとも外形的・手続的には問題はありません。この厳然たる事実に蓋をした議論は、冷静さを欠いた感情的な非難の応酬に終わり、新たな愚を生み出しかねないと思います。そこで、法的観点からは、別の切り口での検討が必要だと私は考えます。

今回の復興予算の法的根拠は、「東日本大震災復興基本法」の基本理念として明記された「単なる災害復旧にとどまらない活力ある日本の再生を視野に入れた抜本的な対策」(第2条1号)との文言にあります。ここに端的に象徴されているように、そもそも復興予算の根拠法は、「日本」という国全体の支出を指向していました。まずは「東日本大震災復興基本法」の成立過程を振り返ってみましょう。

当初、この法案には「東日本大震災復興の基本方針及び組織に関する法律案」という名前がついていました。この法律案の第1条を紹介します。

「第1条 この法律は、東日本大震災が、その被害が甚大であり、かつ、その被災地域が広範にわたる等極めて大規模なものであるとともに、地震及び津波並びにこれらに伴う原子力発電施設の事故による複合的なものであるという点において未曽有の災害であることに鑑み、被災地域の復興についての基本理念を明らかにするとともに、東日本大震災復興対策本部の設置等を定めることにより、被災地域の復興を迅速に推進して被災地域の社会経済の再生及び生活の再建を図り、もって現在及び将来の世代にわたって国民経済を健全に発展させ、及び国民生活を向上させることに寄与することを目的とする。」

注目していただきたいのは、「被災地域の復興についての基本理念」「被災地域の復興を迅速に推進して被災地域の社会経済の再生及び生活の再建を図り」という文言です。私たち日弁連は、被災地の前にまず被災者がいるのだから、被災者の復興・再建を目的にしなくてはいけないと指摘してきました。

その後の三党協議の結果、法案は「東日本大震災復興基本法」と法案名を変え、第二条に「一人一人の人間が」という文言が入りました。

「第2条 東日本大震災からの復興は、次に掲げる事項を基本理念として行うものとする。

1 未曽有の災害により、多数の人命が失われるとともに、多数の被災者がその生活基盤を奪われ、被災地域内外での避難生活を余儀なくされる等甚大な被害が生じており、かつ、被災地域における経済活動の停滞が連鎖的に全国各地における企業活動や国民生活に支障を及ぼしている等その影響が広く全国に及んでいることを踏まえ、国民一般の理解と協力の下に、被害を受けた施設を原形に復旧すること等の単なる災害復旧にとどまらない活力ある日本の再生を視野に入れた抜本的な対策及び一人一人の人間が災害を乗り越えて豊かな人生を送ることができるようにすることを旨として行われる復興のための施策の推進により、新たな地域社会の構築がなされるとともに、二十一世紀半ばにおける日本のあるべき姿を目指して行われるべきこと。この場合において、行政の内外の知見が集約され、その活用がされるべきこと。」

よかったと一安心したところ、じつは第1条に仕掛けがあったんですね。

「第1条 この法律は、東日本大震災が、その被害が甚大であり、かつ、その被災地域が広範にわたる等極めて大規模なものであるとともに、地震及び津波並びにこれらに伴う原子力発電施設の事故による複合的なものであるという点において我が国にとって未曽有の国難であることに鑑み、東日本大震災からの復興についての基本理念を定め、並びに現在及び将来の国民が安心して豊かな生活を営むことができる経済社会の実現に向けて、東日本大震災からの復興のための資金の確保、復興特別区域制度の整備その他の基本となる事項を定めるとともに、東日本大震災復興対策本部の設置及び復興庁の設置に関する基本方針を定めること等により、東日本大震災からの復興の円滑かつ迅速な推進と活力ある日本の再生を図ることを目的とする。」

「被災地域の復興」が「東日本大震災から復興」となっています。「被災地」という文字が消えている。「東日本」ということは当然、北海道から新潟、東京あたりまで対象となります。そして「現在及び将来の国民が安心して豊かな生活を営むことができる経済社会の実現」。この文言によって、将来のための防災が入ってくる。他にも「国難」「国民の豊かな生活」「日本の再生」など、国全体の経済再生を指向する文言に置き換えられてもいます。各省庁は、この文言どおりに事業を策定し、予算要求しました。そして今回の復興予算の流用問題に至ります。

ちなみに、「東日本大震災復興基本法」の根拠のひとつとなっていた東日本大震災復興構想会議の復興構想7原則のうち原則5には、「被災地域の復興なくして日本経済の再生はない。日本経済の再生なくして被災地域の真の復興はない。この認識に立ち、大震災からの復興と日本再生の同時進行を目指す。」とあります。学生のレポートだったら確実に減点対象になる循環論法が使われていますね。先日、野田総理は「日本の経済再生なくして東日本の復興はない」といってましたが、所信表明演説では「福島の復興なくして日本の再生はない」ともいってました。このような循環論法が堂々とまかり通ることがそもそもおかしな話でしょう。

日弁連は、2011年5月20日には「東日本大震災復興の基本方針及び組織に関する法律案に対する意見書」を、同年8月19日には「東日本大震災復興構想会議の提言に対する意見書」を発出しました。私も5月16日に「被災者が主人公となる復興基本法を」(日本災害復興学会・1049文字の提言)等をまとめ、復興の主体が被災者であるという視点を中心に据えて、そもそも法案に「被災者」が明記されていない不条理を訴え、被災地中心・被災者本位を主張し、復興施策について日本経済再生の観点を強調すべきでないことを繰り返し提言してきました。

「被災者のために」という視点の欠落が、こうしたかたちで弊害となってあらわれたことに深い遺憾の念を禁じえません。ただ「東日本大震災復興基本法」にはひとつだけいい点があります。第9条に、「国は、被災者を含めた国民一人一人が東日本大震災からの復興の担い手であることを踏まえて、その復興に係る国の資金の流れについては、国の財政と地方公共団体の財政との関係を含めてその透明化を図るものとする。」と書いてあります。阪神淡路大震災のときは15年経ってようやく復興予算の問題が発覚したわけですが、今回は15ヶ月で取りざたされました。それは第9条によるところが大きい。この進歩は評価すべきだと思います。

復興予算収縮の反動化を防ぐ

何よりも重要な問題は、本来、被災地に投入されるべき復興予算が行き届いていないという事態です。たとえば、中小企業庁が所管する「中小企業等グループ施設等復旧整備補助事業」(津波や原発事故で被害を受けた商店街や漁港等のグループに対し、施設・設備の再建・修理費用を補助するもの)は、ニーズを過少評価したことから予算不足に陥りました。

そのため第1~4次の募集では県によって8~9割が却下され、第5次の募集でも6割超の申請が却下されてしまっています。まさに被災者の自主的な復興の芽を摘む深刻な結果となっています。被災地の実情を把握できていない国はもちろんのこと、被災者の声を反映する立場にありながら需要を読み切れなかった被災県の対応も、被災者に真摯に向き合ってきたといえるのかどうか猛省されなければならないでしょう。

この例からも明らかなとおり、今回の復興予算問題は、被災者を主体とする施策が行われなかったところに主たる原因があります。すなわち、復興における被災者主権の見地からすれば、復興予算に対する被災者の民主的コントロールが欠如していたことを示しているのです。

復興予算の流用問題が発覚したことで、財務省は、予算収縮のお墨付きを手に入れました。これから反動化がおき、予算請求が通りづらくなるに違いありません。10月23日の東京新聞には、茨城県北茨城市長による「復興予算の使途」という小論が掲載されていました。北茨城市は、震災によって11人が亡くなり、1000件の家屋が壊れた深刻な被災地です。しかし今後、被災三県ではないことから、復興予算を使えなくなってしまうのではないかと心配されています。

いま、もっとも重視されるべきことは、復興予算に被災者の声を反映させ、被災者に必要な予算を届けることであって、便乗支出への批判に終始して予算を削ることではありません。もし、復興予算問題への過剰反応によって財務省や復興庁が過度に予算編成を硬直化させ、被災者が求める予算まで縮小されることになれば、本末転倒そのものでしょう。

逆方向にブレる反動化を防ぐためには、やはり被災者の声が欠かせません。この被災者本位の復興予算の再配分の作業は、「削る仕分け」から「付ける仕分け」への発想の転換と、「国主導」から「被災者主導」への役割を転換する流れをつくる必要がありますが、どうもそういう流れにはなっていません。

復興における被災者主権のために

以上の観点から、私は復興予算の見直しの取り組みに当たって、やるべきことが4つあると思います。

ひとつ目が、被災者の声を直接聞き、被災地のニーズを集約する仕組みを設けること。何度となくお話してきたように、被災地の復興の主体は、国でも、被災自治体でもなく、あくまで一人ひとりの被災者です。であるならば、被災者のニーズに直結した支出をしていくべきでしょう。

政府の「東日本大震災からの復興の基本方針」には、「東日本大震災復興対策本部は、毎年度、本方針の実施状況のフォローアップを行い、その結果を公表する。また、その公表結果について、被災者及び被災した地方公共団体の意見を聴取する」と明記されていますが、この聴取の仕組みが設定されていません。被災者に申請を提出させるのではなく、霞ヶ関や永田町から、被災者の声を持ち帰らなくてはいけない。平時からの重要な政策課題である「予算の民主化」を実現するため、復興予算においても被災者の声を反映させる仕組みは欠かせません。

ふたつ目が「東京電力原子力事故により被災した子どもをはじめとする住民等の生活を守り支えるための被災者の生活支援等に関する施策の推進に関する法律」の具体的施策に十分な予算措置を講じること。

この子ども原発被災者支援法は議員立法ではありますが、市民の声が集まってできた市民立法でもあります。しかし閣法でないため予算が措置されておらず、いまだ本格的に始動していません。被災者主権の見地からすれば、こうした市民立法の法律の実施にこそ復興予算が投じられるべきでしょう。現在、被災者のニーズの集約過程にありますが、提案されている施策はどれも切実な被災者の訴えに基づくものです。予算不足を理由に排斥されることのないよう、あらかじめ手当てをしておくべきと考えます。

三つ目は、被災者の生活再建に直接結びつく予算の投入を行うこと。被災地の復興が遅々として進まない原因は、被災者の生活再建が進んでいないところにあります。「東日本大震災からの復興の基本方針」でも、住民ニーズの把握、被災ローン減免制度(個人版私的整理ガイドライン)の運用支援、雇用支援、必要に応じたパーソナルサポート的な支援の導入など、被災者の生活再建に直接結びつく施策を講じることとされていますが、復興予算の大部分は公的事業を対象としており、これら被災者への直接支援は極めて手薄です。

被災者に対する直接的な法的支援となる日本司法支援センターの事業についても、阪神淡路大震災における法律扶助事業と比べて有力な支援メニューは乏しく、むしろ支援は後退しているのが現状です。被災者生活再建支援法に基づく支援の拡充も放置されたままです。被災者本位の復興予算とするべく、改めて被災者の生活再建に直結したニーズを洗い出し、当該ニーズに即した事業への支出を行うべきでしょう。

そして四つ目は、今回の問題の法的根拠となった「東日本大震災復興基本法」の改正を含めた、復興の法理念を確立すること。阪神淡路大震災でも、復興費用16.3兆円の約23%が復興以外の用途に流用されたことが明らかとなっています。これ以上、同じ愚を繰り返さぬよう、基本的な法理念をあらかじめ確立しておく必要があると考えます。

関西学院大学復興制度研究所は、平成22年1月に恒久的な復興理念法として「災害復興基本法案」を提唱しました。そこでは、「復興の目的は、自然災害によって失ったものを再生するにとどまらず、人間の尊厳と生存基盤を確保し、被災地の社会機能を再生、活性化させるところにある」(第1条)と明記し、復興の目的を被災地に限定しています。東日本大震災の復興はまだまだ先の長い道のりです。今回の教訓を反映させて復興予算の目的を限定する「東日本大震災復興基本法」の改正を急ぐことは当然ですが、予算の民主化を含む被災者主権を明記した「災害復興基本法」の制定が望まれます。

(2012年10月25日 シンポジウム「東日本大震災の復興予算と被災地」より)

プロフィール

津久井進弁護士

弁護士。マンション管理士。1969年愛知県名古屋市生まれ。1993年神戸大学法学部卒業。1995年弁護士登録。弁護士法人芦屋西宮市民法律事務所代表社員。民事・刑事・家事など幅広い分野で弁護士活動をするほか、災害復興の制度改善や被災者に対する法的支援に取り組む。日本弁護士連合会災害復興支援委員会副委員長、阪神・淡路まちづくり支援機構事務局長、関西学院大学災害復興研究所研究員、兵庫県震災復興研究センター監事、公益社団法人チャンス・フォー・チルドレン監事、福島大学大学院東京サテライト非常勤講師、神戸松蔭女子学院大学非常勤講師ほか。主な著書「Q&A被災者生活再建支援法」(商事法務)、「大災害と法」(岩波新書)、(以下いずれも共著)「災害復興とそのミッション」(クリエイツかもがわ)、「3・11と憲法」(日本評論社)、「災害救助法 徹底活用」(クリエイツかもがわ)、「東日本大震災 復興の正義と倫理―検証と提言50」(クリエイツかもがわ)、「住まいを再生する」(岩波書店)等多数。

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