2012.08.28

復興の時間/復興の空間

矢守克也

社会 #震災復興#一日前プロジェクト

復興の時間 --〈順向〉と〈逆向〉

災害からの復興について考えていると、時が進む方向について考えさせられることが多い。

筆者は、長年お付き合いのある阪神・淡路大震災の被災者の方(同一人物)が、「何もかもあの日で終わりました」という言葉と、「すべて地震から始まりました」という言葉、この両方を口にされるのを聞いたことがある。

一方に、「もし…しておけば」、「仮に…ならば」と、どこまでも時を〈逆向〉して、あの日の出来事を回避しえた可能性を追求せずにはおられない気持ちがある。他方に、それでもなお、次から次に押し寄せてくる被災後のきびしい現実に向き合いながら、時の流れに〈順向〉して生きていかねばならない現実がある。この両者を無理矢理にでも折りあわせねばならない事情が、字義だけをとらえれば矛盾するかに見えるこれら2つの言葉には込められている。東日本大震災の被災地においても、同様であろう。

被災者は、多かれ少なかれ、このような葛藤に苦しめられるが、とくに、災害で家族を喪った遺族の方において、ここで言う〈順向〉と〈逆向〉が、もっともきびしく辛い形式で同居することが多いだろう。世間で言われる「心の復興」とは、煎じ詰めれば、きびしく対立する〈順向〉と〈逆向〉の両者をどのように矛盾なく接合させるかにかかっているように感じる。よって、遺族をはじめとする被災者の「心の復興」へ向けた支援においても、この矛盾と葛藤の軽減に向けたサポートが中心に据えられるべきであろう。

〈順向〉と〈逆向〉のバランス

〈順向〉と〈逆向〉の対立と共存というモチーフは、コミュニティや社会の水準でも観察できる。たとえば、防災に関する議論でしばしば引き合いにだされる「災害マネジメントサイクル」では、「事前の準備→(発災)→直後の初動対応→復旧・復興」といった段階的な事態の進行が仮定されている。しかし、サイクルという用語に端的に表現されているように、ある災害からの復旧・復興(たとえば、大きな津波被害を受けた集落をどこで再建するか)は、いうまでもなく、次の災害へ向けた事前の準備とオーバーラップする。

このように、防災の実践において、「今後、何をなすべきか」(〈順向〉)と、「あのとき、何をしておかねばならなかったのか」(〈逆向〉)とは、結局、同じことに帰着する。しかし、上で見たように、時の流れを断ち切る断絶の極大とも呼ぶべき巨大災害の前後で、一人の人間がこの両者をバランスよくよく並存させることは、そう容易ではない。

「一日前プロジェクト」と「失敗学」

このことが明瞭なかたちで表れているのが、内閣府(防災担当)が平成18年度から実施している「一日前プロジェクト」である。このプロジェクトの報告書の冒頭には、「災害の恐ろしさ、事前に備えておくことの大切さを国民のみなさんに気づいてもらう一つの手段として、この『一日前プロジェクト』が誕生しました。『もし、災害の一日前に戻れたら、あなたは何をしますか?』の問いをきっかけに、災害対応の経験や被災体験を失敗談を含めて語っていただく…(後略)」と記されている。

つまり、このプロジェクトは、被災者個人にとっては、そう簡単に折り合いがつくはずもない〈順向〉と〈逆向〉の矛盾・葛藤を、コミュニティや社会の水準に展開することによって、「復興・支援」と「防災・減災」を共に前に進めようというねらいをもっている。ある災害の被災者が痛切に感じとった〈逆向〉を、未来の潜在的な被災者の〈順向〉に接続させるわけである。

「失敗学」の提唱者として知られる畑村洋太郎氏の姿勢にも、〈順向〉と〈逆向〉が見え隠れしている。畑村氏は、その「失敗学」にもとづく原因究明と、責任追及中心の従来型の原因究明とを峻別する。地震にせよ、津波にせよ、原発事故にせよ、結末をすでに知っている〈逆向〉の目には、「これこれの原因があって、誤った判断があって、その結果…」と、不幸な事態に至った過程を特定することが容易であるように映る。

それゆえ、たとえば、「なぜ、そんな簡単な対策をしておかなかったんだ!」と、関係者の責任を追及する態度が醸成されやすい。むろん、これはこれで社会に必要な営みである。(なお、上述した種類のご遺族の苦しみは、責任追及の対象が自分自身になっていることから生じている点に留意)。

しかし、「失敗学」は、真の原因究明、事故防止のためには、こうした〈逆向〉の視線だけでは不十分であり、〈順向〉の視線が不可欠だと論じる。〈逆向〉の視線には、こうなることが必然であったと見える事象、したがって、「こうすれば必ず防げた」と映る事象が、その時その場、その渦中にあった人に対してどのように見えていたかに迫らないかぎり、真の原因究明や事故防止にはつながらないというわけである。

畑村氏は、かつて筆者に、「私は、ヒアリングが上手だと言われるんですよ」と語ってくださったことがある。その理由を同氏は、独特のヒアリングスタイルに求めておられた。「全体像がまだわかっていない時に、『自分ならばこのように判断するけれどどうですか』という聞き方をします」と。

これは、一見何でもないことのようであるが、非常に微妙な立場に立った尋ね方だということに気づく必要がある。すなわち、完全な部外者、第三者の立場から、つまり安全圏から〈逆向〉を前提に、「こうできたはずじゃないのか!」と詰問するのではない。かといって、当事者としての〈順向〉を前提に、「そうするほかなかったんでしょうね」と単純素朴な傾聴や全面的な共感を示すのでもない。

筆者の考えでは、これはインタビュー対象者に対して、インタビュワーが自らを、これから共に問題解決にあたるパートナー(共にコトをなす共同実践者)として定位する姿勢である。言いかえれば、ちょうど「一日前プロジェクト」において目指されていた〈順向〉と〈逆向〉の接続が、畑村流インタビューでは、インタビュワー(畑村氏)とインタビュー対象者との関係性の中で巧みに実現されているのである。

むろん、〈順向〉と〈逆向〉は、いずれか一方に軍配を上げるべき筋合いの話ではない。復興の時間には、つねにこの両方のベクトルが混在していることを見定めて、両者のバランスをとった思考と実践に結びつけることが大切だろう。

防潮堤の上に置かれていたアルバム(岩手県宮古市田老地区にて筆者撮影)
防潮堤の上に置かれていたアルバム(岩手県宮古市田老地区にて筆者撮影)

空間の復興  -- 過去や未来を懐胎する空間

時間と空間が出会うところに、「ある/ない」という現象があらわれる。つまり、現在は、ここに「ある」が、過去や未来は、ここには「ない」。現在生きている人や現在存在しているモノは目の前のここにいる(あるいは、ある)が、過去や未来のそれは、ここには存在しない。「ある/ない」の間には、そう簡単に架橋しえない無限の断絶があるように見える。しかし、本当にそうか……。

社会学者の真木悠介氏に「時間の比較社会学」という名著がある。その中に、現在、米国と呼ばれている土地にずっと住んできた人たちが、移住者によって命や住処を奪われるばかりでなく居住地の森を奪われたとき、「彼らは二度殺された」という趣旨の一節が出てくる。

最初の死は、むろん具体的な人の死や住処の破壊である。肝心な二番目の死は、彼らの文化の中で、祖先たちが「今も」そこに住み、自分たちも「やがて」そこに還っていくとされている空間 -森- の破壊による、死の抹殺(死の死)である。彼らは、生だけなく死をも奪われた、というわけだ。

破壊によって浮き上がった意味

こういった感覚は、一見すると、前近代的なオカルトにさえ映るのかもしれない。しかし、そうではない。たとえば、東北地方で、先祖代々住みつづけた土地が津波で跡形もなくなってしまった方々も、おじいさんが苦労して建てた家も、これから生まれてくる赤ちゃんのために買ってあったオモチャも何もかも流されたと嘆く方々も、これとまったく同じ思いを味わっているのではないだろうか。過去も未来も奪われた、と。

今、問題にしていることは、津波で破壊し尽くされた光景に、被災者やご遺族の方が呆然自失としている、という意味ではない。そうではなくて、このような方々にとって、津波による物理的環境の、突然の、しかも、ほぼ全面的と言えるような破壊によって、それ以前の何でもない日常的な光景(物理的環境)が懐胎していた豊穣な意味が、むしろ「はじめて姿を現した」と見るべきである。

つまり、何の気なしに見ていたあの家に、おじいちゃんは「まだ」一緒にいたし(「現在はあるが過去はない」のではなく)、生まれてくる赤ちゃんもオモチャとともに、「もう」一緒にいた(「現在はあるが未来はない」のではなく」)。初めて心の底からそう思えるからこそ、被災者のみなさんはシンドイのだと思う。むろん、私たちも、潜在的にはまったく同じ感覚を、薄められたかたちではもっている。たとえば、長年住んだ住処を転居するとき、だれかが愛用していた品物を譲り受けたとき、過去や未来が付いてくるとでも言いたくなる感覚を味わうことがあるだろう。

なお、付言しておけば、津波防災対策としての高台移転については、賢明な何人かの論者がすでに指摘しているように、選択肢のひとつとして念頭に置きながらも、その負の側面にも十分留意する必要がある。なぜなら、高台移転は、考えようによっては、津波が来てもないのに、津波による破壊と同様の負の影響 ―― ここで言う「死をも奪う」働き ―― をもたらしかねないからだ。

たとえば、当事者がまったく預かり知らぬところで、突如として、上に言うおじいちゃんも赤ちゃんもオモチャも放棄しなければならないようかたちで高台移転が実施されるとすれば、それは、もはや、津波そのものにも匹敵する破壊力をもっているとさえ言えるかもしれない。

死をも奪わないために

復興のお手伝いに必要な「共感」ということがあるとしたら、そのベースは、ここで議論しているような水準に求めるべきであろう。私たちは、最初の死を、今ここにとり返すことは、大変残念なことにできない。しかし、二つ目の死を回避すべく、被災者と共に考え行動することはできる。

プロフィール

矢守克也

京都大学防災研究所防災研究所・巨大災害研究センター・教授。同上・地震予知研究センター阿武山観測所・教授を兼任。京都大学大学院情報学研究科・教授を併任。専門は、社会心理学、防災心理学。著書に、「防災ゲームで学ぶリスク・コミュニケーション」(ナカニシヤ出版)、「夢みる防災教育」(晃洋書房)、「防災人間科学」(東京大学出版会)など。

この執筆者の記事