2012.08.06

毎日新聞が取り組む復興に向けた紙面 ―― マスメディアとソーシャルメディアの力を合わせて

小川一(毎日新聞記者)×荻上チキ

社会 #ソーシャルメディア#原発事故#震災復興

震災時にメディアが果たす役割にはどのようなものがあるのか。東日本大震災において、メディアはどんな役割を果たしてきているのか。本記事では、毎日新聞社の小川一記者に、毎日新聞社あるいは小川一記者が、東日本大震災発生後、どのような対応・取材を行ってきたのか。そこで見えてきた成果と課題などを荻上チキが伺っている。地方紙と全国紙の役割、ソーシャルメディアとの役割の違いなど、これからのメディア・ジャーナリズムの可能性を考えるきっかけとなるインタビューとなっている。

原発事故報道におけるジレンマ

荻上 「復興アリーナ」では、東日本大震災での各メディアのさまざまな取材・活動などを検証したうえで、あれこれダメだったと叩くのではなく、「次の災害」の際に参照できる教訓を残していければと思っております。ウェブロンザとのコラボ企画ではありますが、新聞社の垣根は無視して、様々な記者の方にお話を伺っていきたいと思っております。

今回の震災では、毎日新聞社ももちろん、被災地ならびに原発事故の周辺区域などで取材を行い、発信をしてきました。そこで、小川一記者にお話を伺います。最初に伺いたいのは、今回の震災の際に、毎日新聞社、および小川記者ご自身が、どのような活動をどのようなタイミングで試み、その活動をどのように評価しているのかという点です。

小川 このような企画にお声がけいただき、嬉しく思います。まず全体的なことをお話しましょう。毎日新聞社は、震災後はすぐに対策本部を設置し、水や食料などの物流ロジスティックを立ち上げました。地元の記者たちはもちろんのこと、販売店などの関係施設も被災したため、現地の状況を確認し、ガソリンや物資をトラックに積んで届け、情報インフラを整備しました。報道の基盤確保に関しては、初期にやれるだけのことはやったという実感があります。

ただ注意すべき点があります。津波の被災地と原発事故の起きた福島では全く事情が違うということです。今回、我々は被ばく量の上限を事前に設定していたのですが、それでもなお記者をどこまで入れるかという判断は非常に難しいものでした。一部では「マスコミはみんな逃げた」という厳しい意見もありましたが、やはり記者・新聞社としては事実を報道したいと思う一方で、事故の全貌が見えない状態において記者たちの安全を確保する必要もある。だからこそこれは大変つらい批判で、これから議論をしなければいけない課題と思っています。

我々マスコミにとって大きなトラウマのひとつに、1991年の雲仙普賢岳の火砕流がありました。この時は死者行方不明者43名を出したわけですが、毎日新聞社も3名の記者を亡くしているのです。今回の福島でも、会社としては記者を守らなければならない。しかしジャーナリストとしては現場にいきたいし、いかなければならない。そのせめぎ合いの中で、どのような判断が最適だったのか、検証しきれていない。今でもそこが、最大の悩みではあります。

荻上 過去の災害から教訓として得られたものの中で、今回の震災に活かすことができたナレッジというものはあったのでしょうか。たとえば、阪神淡路大震災の経験から、震災直後、精神医学の分野からも、記者のPTSDにもケアが必要であるといった指摘がありました。後方支援としてメンタルケアを行うといった対策はあったのでしょうか。

小川 残念ながら具体的な対策はできていません。PTSDに関しては、私自身も、御巣鷹山の日航機墜落事故の取材の後に経験しており、今回もやはり危惧はしていました。幸い、今の時点では、社内からそのような話は出ていません。

地方紙と全国紙、それぞれの役割

荻上 全国メディアと地元メディアでは報道の内容も役割も大きく違っていたと思います。毎日新聞社は、そうした報道の役割をどのように意識されていましたか。

小川 地元紙と全国紙では目線が異なり、我々はそこに暮らす方々の実感を完全に共有することはできません。ただ、我々にできることは、福島で起きていることを福島の中にとどめず、全国に発信することだと認識しています。全国紙と地方紙の棲み分けについては、差異を意識するというよりは、地方紙にできないことを全国紙で補うという認識です。

地方紙の記者は彼ら自身が被災者でもあり、同じ目線で寄り添って取材ができます。そうした情感というのは、全国紙記者が到底かなわないものです。全ページを割いて地元のための発信ができるのも、地方紙ならではの特性です。

一方、地方の声だけでは、災害の風化とともに霞ヶ関や永田町では忘れられてしまう。我々全国紙の新聞は、毎朝毎夕、総理大臣や省庁事務次官の前に必ず置かれる媒体なので、地方の声をリレーして中央へ届け、中央を動かすという気構えで臨んでいます。

荻上 今回、各新聞社が避難所への救援物資として、自社の新聞を届けていました。実際の避難所での反応はどのようなものだったのでしょうか。

小川 避難所への新聞の提供は、販売店の被災状況により地域で異なりますが、基本的には被災の翌日、翌々日から開始しました。「情報も支援物資だ」と池上彰さんが指摘したとおり、新聞を持っていくと、皆さん、待ってましたといわんばかりに、次々と手にとっていかれます。そして読み終わると、きれいに畳んで次の人に渡す。スイッチがなくても届く一覧性のあるメディアとして、紙をあんなに大事にして頂き、評価してもらえたことが非常にうれしかったです。

荻上 被災地ではいつまで無料での配布を継続したのでしょうか。有料に切り替えたタイミングはありますか?

小川 まず、避難所に対しては、終始、無料配布を貫きました。復興に伴い有料にするかどうかの判断は非常に難しい問題です。神戸では阪神大震災の被災者が復興を遂げてもなお、ある日突然有料にするわけにはいかず、苦労した販売店もあったと聞きます。そこは新聞社それぞれ、極端にいえば販売店それぞれの判断です。

しばしば誤解されることですが、本社と販売店は、主従の関係にはなく、あくまで同等の立場です。販売店は自身も被災者ですから、現地でしかわからない独自の判断をそれぞれ行っています。なので、本社から「こうしろ」と一元化するものではなく、現場の判断を尊重すべきものだと考えます。

過去の経験との大きな違い

荻上 取材について伺います。これまでの災害報道や事件報道と今回の報道で大きく異なった点、あるいは初めて経験した部分は主にどのようなものでしたか?

小川 過去の経験と大きく違ったのは、今回はあまりにも対象となるエリアが広すぎるという点でした。阪神大震災を含め、雲仙普賢岳や御巣鷹山にしても、被害が集中するスポットがあり、そこに多くの悲しみも希望も集約されていました。ところが今回の震災は中心点がなく拡散していく状況だったので、なかなか全てを追いきれない。情報が集まる場所がわからないので、どこにいけばいいのか、どこまでやれば見えてくるのかという、茫然自失の感がありました。

荻上 そうした面を克服するため、他局との連携はあったのでしょうか。

小川 行うべきでしたが、現実にはなかなかうまくいきませんでした。これだけ広い被災地を取材する場合は、無駄な競争はやめて、全てのメディアが協力し合う必要性を痛感します。ひとりの被災者に五社が一気につめかけるというような形ではなく、極端にいえば地域ごとに役割分担を決め、ネットワークで連携しながら、まだ取材のできていない地域へも足を運ぶ。今後はそうしたことを話し合いながら実現できないかと思っています。

荻上 ボランティアにも過密地域と過疎地域があったといわれますが、報道にも、取り上げられやすい地域とそうでない地域という課題があったと思います。

報道そのもののスタイルも問われたと思います。フリージャーナリストの得意分野も、一方でひとりで出来ることの限界も判明しました。一方で新聞社は、何百人何千人と社員がいる会社だからこそ、分担して出来ること、逆に難しいことがあると思います。社内の連携はどのように行ったのでしょうか。

小川 編集局すなわち私の立場から見ると、次のような手続きで取材先を決めていきます。まずは現地に行けるかどうかを調べます。通行可能な道路を洗い出し、黒板に情報を張り出して、何十台というハイヤーや百数十人の記者の配置を一斉に決めていく。そして現地に入った記者は、必要に応じて自己判断で移動するなど、一人ひとりの自由度を残しながら、全員で道を拓いていくような形です。

荻上 被災状況がわからなかった当初は、手探り状態だったでしょう。

小川 そうですね。とはいえ記者は、現地に到着した時点から締切りが迫っているので、たどり着いたところでとにかく取材をはじめ、書けるところから原稿に落としていく。そしてまた、書きながら、被災地のさらに先へ先へと進んでいくという状況でした。

荻上 現地からメールで記事を送信するにあたって、電気や通信設備面などでの困難もあったかと思いますが。

小川 何とか公衆電話が通じれば公衆電話の回線を使い、他の支局を介して原稿を送りました。新聞協会賞をいただいた津波の空撮写真も、緊急着陸した地点の周辺は全ての通信が停止しており、タクシーで被災地を移動しながら通信のつながるスポットを見つけて送信したことで掲載できたもの。万事が綱渡りのような状況でした。

ソーシャル時代における新聞の役割

荻上 新聞以外の、各メディアの役割についてはいかがお感じになられたでしょうか。

小川 やはりソーシャルメディアの力は、「圧巻」のひと言に尽きます。今回、百数十人の記者を全投入しましたが、それでも記者は、行った場所からしか発信できない。

一方でツイッターなどのソーシャルメディアには、多様な情報が溢れている。地元メディアの河北新報などは、新聞制作システムが一時使用できず、機能が制限されたりしたため、ツイッターで情報発信を行っていました。そうした情報から得たものの中から、信頼に足るものは、精査した上で紙面化して発信するなど、もっともっと活用すべきだったと思っています。

また、これは個人的な感想ですが、極限状態で人を勇気づけるのにも、たったひと言でいいという場合があります。取材の成果を原稿化してまとめるには相応の時間を要しますが、心に響くひと言は、ソーシャルメディアを通じてリアルタイムで伝えることができる。そうした連携をもっと進めれば、より多くの人を励まし、勇気づけられたのではないかと感じています。

荻上 毎日新聞社の記者でも、取材の模様をツイッター発信する方はいましたね。社としてツイート禁止、あるいはもっと発信しろといった、使い方が話題になることはあったのでしょうか。

小川 震災当初はそうした話題は出ませんでした。ただ、今回の経験から、記者はもっとツイッターやフェイスブックなどのソーシャルメディアに取り組むべきだと認識しており、現在は社内で研究会を立ち上げるなど、新たな取り組みを開始しています。

ある部分はジャーナリストとして大きな媒体に書く。ある部分は個人としてソーシャルメディアを通じて発信する。ある側面では取材者として発信し、ある側面では被災者として書くといったように、有事を想定してもっと伝導を上げていくことが重要だと思っています。

荻上 となると、有事にいきなりアカウントを立ち上げるのではなく、平時から情報発信をしていきながら、どの記者がどこから発信しているといった信頼化を加速していく方向が重要になりますね。従来、新聞社では、ソーシャルメディアの普及が遅かったという印象があります。震災を機に雰囲気や意識が変わったということはあったのでしょうか。

小川 最たる証拠は、従来ほどんどソーシャルメディアを使っていなかった私が、ツイッターなどを使うようになったという事実です(笑)。過去、新聞社にとってネットの情報というのは、匿名巨大掲示板とのことだという認識が強く、紙とネットは無関係という意識が浸透していました。本来であれば、記事として書くのもソーシャルメディアで発信するのも、等しく責任があるべきなのですが、そのような自覚が薄かった。

しかし今回の震災を経て、その意識は徐々に変わりつつありあります。「次の災害」に備える意味でも、これから本格的に変えていかなければならないと思っています。

僕らの古い時代は、新聞社が情報をスクリーニングして発信すればそれでよいという時代でした。しかしソーシャルの時代は、逆に周囲の人々が徐々に情報のレイヤーを下げていき、一次ソースに近づいていく。ならばそれを僕らがサポートする、そうした発想の転換が必要だと認識しています。何といっても現在は、取り調べ室も可視化を要求される時代です。我々マスコミが、自分たち自身を可視化しないなどということはあり得ないと思っています。

荻上 ソーシャルメディアには速報性というアドバンテージがあります。となると今後は、各メディアの役割分担と連携が進み、次の災害時にはより練られた方法論が確立しているのがベストということですね。

小川 そうですね。そのために信頼を担保できる力量のある記者が数多くソーシャルメディアを活用し、情報を精査した上で、流通している情報がデマであればデマであるとも指摘する。そうした情報のスクリーニングの機能を果たす人が何人もいるという状態をつくることが、僕らのできる情報貢献ではないかと思っています。

ジャーナリストと専門家の連携とは

荻上 会見について伺います。初期の原発関連会見については、科学者を中心に、質問のポイントがおかしい、原発や放射性物質について的を外した質問も多かったとの指摘も多くなされました。ならば、会見の場に専門家を動向し、その場で話を聞くという対応は難しかったのでしょうか。

小川 記者会見は基本的にジャーナリスト限定のため、許可の面での困難はあるかと思います。また、会見というのはひとつのサッカーゲームのようなもので、全員でチームプレーをしながらいい言葉を引き出すという技術が必要とされます。その点で不慣れな方や専門家が入った場合、自分の意見を滔々と演説してしまったり、余りにも専門的な質問に拘泥し、会見の流れを中断してしまうという事態も起こりえます。

しかし一方で、今回の原発問題では、ジャーナリストが専門知識と一般市民の間の伝達を担ったのですが、その領域にもっと科学者の方が入ってきてほしいという思いがあります。それこそソーシャルメディアを駆使し、おかしい点があれば直接指摘してもらえれば、ジャーナリストはそれをふまえて会見に臨めます。

たとえば先日亡くなられた弁護士でありジャーナリストの日隅一雄さんの東京電力の記者会見での応答などは、ひとりのジャーナリストがあれほど深い分析をした事実に私も感動を覚えました。あれほど深い話を一般市民に伝え、信頼を得るには、ソーシャルメディアが最適だったのでは推察します。

また役割分担という点で思い出すのは、新潟柏崎の原発事故の際の新潟日報の報道が素晴らしかったことです。あの記者はもの凄い知識量と強い看破力を兼ね備えていた。実際に事故現場を経験している記者は経験値が違う。願わくば、彼らに会見で質問をしてほしかった。既存メディアの底力を示すには、そうしたオールキャスト日本代表というようなチームをつくって、会見に臨めたらもっとよかったと思っています。

いかにプロセスを可視化していくか

荻上 今回の記者会見の模様は、ある程度は一般公開もされましたが、情報のフローが過密化しているときこそ、キャッシュ、アーカイブの機能が必要と感じます。新聞社では記事の時限設定が慣例としてありますが、震災のとき対応を変えた点はあったのでしょうか。

小川 毎日新聞社ではこれまで紙のPDFを無料で公開することは絶対になかったのですが、震災以降の1か月間は全ての紙面をPDFで閲覧できるよう公開しました。

荻上 新聞社にとって、録音データをそのまま公開するというのはタブーに近いと思うのですが、しかし会見にアクセスしがたい人にとっては、現地にいる人がすべての情報を公開してくれたら、記事そのものの検証もできるためありがたいとおもいます。一次ソースの確保が困難な中で、ソーシャルメディアの有効な使い方としても、記事になる前の情報を提供してほしいと思いますが、そうした意識はありますか。

小川 仰るとおり、それは今後の僕らの課題だと認識しています。これまでは完成品だけを見せていましたが、現在は、いかにプロセスを可視化していくかが重要と思っています。一次の発表資料や会見の録音をそのままアップし、記事を読んで概要を把握した読者がさらにソースを遡って知りたいことに辿り着ける。そうした仕組み作りを実現したいと思っています。

荻上 今回、原発事故による政府不信、東電不信が根強くあり、そこにメディアが加担しているのではないかという疑心が蔓延していたと思います。大本は、データを出す前に安全だという判断だけを示した政府に対する根強い不信であると思いますが、その意味でもプロセスの可視化は今後、メディアにとって平時も含めた大きな課題として残っていくと思います。

小川 全く同意です。ニュースソースはもちろん守りますが、たとえばガーディアンの記者やニューヨークタイムズのコラムニストなどは、取材予定を公開してツイートで要人への質問を公募したりしています。そうしたことを積み重ねることで信頼を得ていく。それが重要ではないかと思います。

既存メディアが情報を独占していた時代は終わった

荻上 全国からさまざまな反応があったと思いますが、どんな反応があり、課題があったのでしょうか。

小川 原発報道に関しては、リスク論をめぐって、何を書いても誰かから不信がられるという状況がありました。記者の中にも、この程度なら安全だという人から、危険を想定すべきだという人まで幅広い意見がある。この事象に対しては、社として一定の結論を出すのではなく、人に寄り添い、記者の良識の中で現状を伝えていく。その積み重ねしかないと感じています。

荻上 具体的に、課題解決のためのプロジェクトなどは画策していたりするのでしょうか。

小川 まだ構想の段階ですが、復興に関しては、福島をいかに手助けするのかということに重点をおいた取り組みをしたいと思っています。津田大介さんの「動員の革命」よろしく、ネットで課金をして農家へ寄付したり、あるいはその使い道をみんなで議論するといった展開です。記事を届ける以外の部分でも、何かできないかと考えています。

今朝(取材当日)の朝刊で、生活保護の不正受給問題に対し、ネットで資金を集めて新聞で意見広告を掲載するというチャレンジがありました。そうした試みの対象に、新聞という場所を選んでもらえたことは、本当に光栄に思っています。新聞社としても従来の広告単価を大きく下げて紙面を提供し、そうした支援を福島でも行えないかと考えています。

それから水面下での構想ですが、福島の農協の方々に話を聞くと、福島の農産物を買ってもよいという人はいるものの、それを他県で売るボランティア等が不足している。そうした課題に対し、全国紙の紙面で募ることはできないだろうかと。特にソーシャルメディアでの展開については、福島の救済を第一に何とかしていきたいと個人的には思っています。

荻上 社内で、震災を取材した記者のノウハウを今後に伝えるための取り組みは、行われているのでしょうか。

小川 既に朝日新聞社さんが全記録をまとめて発行していますが、毎日新聞社でもいま現在プロジェクトが進行しています。記者全員のアンケート、PTSDなども含めた体験記、反省文を含む全記録をまとめたものになる予定です。一般公開については、今後の判断になります。

荻上 最後に、小川さんのように、ソーシャルメディアに前のめりな方が編集局の局長職に就任されたことは、新聞業界でのひとつのサプライズ人事と言われていますが、そこにどのような期待がなされているとお感じになりますか。

小川 サプライズという声を私は聞いていませんが、既存メディアが発信手段を独占していた時代とは違い、みんなが発信者になる時代には、全く違う発想の新聞が必要だと思っています。以前、東京地検特捜部も経験した検事総長を取材した際には、従来は東京地検特捜部こそが犯人を逮捕するんだという意識が強過ぎて、失敗例も多々あったと言っていました。そうした失敗例を踏まえて、組織を変えていく必要があると。

我々新聞もまさに同じ状況にあります。みなさんが情報を発信できる時代であれば、その流れの中に入り、協力させていただいて、何かを成し遂げる。そうした時代の転換期にあると認識していますので、大事な情報へとアクセスしやすい環境づくりを、微力ながらも実現していきたいと思っています。

プロフィール

小川一毎日新聞社編集編成局総務

1958年京都市生まれ。京都大学教育学部卒。毎日新聞社編集編成局総務。1981年入社、社会部長、販売局次長、コンテンツ事業本部次長、「教育と新聞」推進本部長などを経て現職。共著に「犯罪報道と人権」(現代書館)、「報道される側の人権」(明石書店)、「犯罪被害者対策の現状」(東京法令出版)、「あなたの個人情報が危ない」(小学館)など。

この執筆者の記事

荻上チキ評論家

「ブラック校則をなくそう! プロジェクト」スーパーバイザー。著書に『ウェブ炎上』(ちくま新書)、『未来をつくる権利』(NHKブックス)、『災害支援手帖』(木楽舎)、『日本の大問題』(ダイヤモンド社)、『彼女たちの売春(ワリキリ)』(新潮文庫)、『ネットいじめ』『いじめを生む教室』(以上、PHP新書)ほか、共著に『いじめの直し方』(朝日新聞出版)、『夜の経済学』(扶桑社)ほか多数。TBSラジオ「荻上チキ Session-22」メインパーソナリティ。同番組にて2015年ギャラクシー賞(ラジオ部門DJ賞)、2016年にギャラクシー賞(ラジオ部門大賞)を受賞。

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