2013.03.11

キャッシュ・フォー・ワークという言葉をご存知だろうか。もともとは発展途上国に対し、労働の報酬として資金を提供しようという考え方だ。この手法を被災地における復興にも応用しようと、さまざまな取り組みが行われてきた。2012年10月に開催された本分科会では、被災地における「製業・生活再建」にスポットをあて、どのような方法で雇用を生み出していったのか、それぞれのキャッシュ・フォー・ワークのかたちについて語り合った。(構成/山本菜々子)

被災者を雇用するかたちで資金を提供し、支援する

永松 東日本大震災からの復興過程で「キャッシュ・フォー・ワーク」という言葉をよく耳にするようになりました。これは、被災者を雇用するかたちで資金を提供し、支援をしようという考え方です。東日本大震災以降、わたしはこのキャッシュ・フォー・ワークを各地に広めてまいりました。

本日は2タイプのパネリストの方に来ていただきました。一方は「復興グッズ」を制作することで、仕事を創出しようとしている方々。もう一方は政府の緊急雇用事業を使いながら、被災者が被災者を支援するかたちで雇用を生み出そうと試みている方々です。両者を有機的に組み合わせることによって、被災地の復興が成り立っていくとわたしは考えています。

最初に刺し子の制作に取り組んでいる、テラ・ルネッサンスの鈴鹿さんお願いします。

「刺し子作りに没頭することで、震災の嫌なことを忘れられる」

鈴鹿 わたしたちは「大槌刺し子プロジェクト」を行っています。商品はコースター・布巾・ランチョンマットなどを扱っています。

大槌刺し子プロジェクト;http://tomotsuna.jp/

活動内容としては、大槌町中高年の女性40名程の皆さんに刺し子をつくっていただき、インターネットなどを通して全国に販売しています。活動に参加する際に、希望者には講習会に参加いただき、刺し子の作り方を覚えていただいています。2012年8月末までの累計で、販売枚数は1万7000枚、売り上げが約2千万円、登録人数が187名、つくり手の刺し子さんに928万円をお渡ししています。

80代女性の刺し子さんの声を紹介します。「『米でも買って』とお給料を渡し、家族に喜ばれるのが一番です」。その他にも「少しでも収入になるので助かります」「刺し子をつくっていることで、作業に没頭できる。津波や震災のつらいことを忘れることができる」「震災後、仮設住宅に移り、以前近所方たちがどこにいるのか分からなったが、毎週設けられる刺し子会で、安否を確認できた」といった声も寄せられています。

販売はイベントやインターネットを使っておこなっています。また、2012年の夏はap bank fesなどのイベントで販売させていただきました。販売代理店も少しずつ増やしています。自主店舗が19店舗。オンラインの店舗が8店舗です。また、ファックスと電話注文も受けつけています。

売り上げはイベントが大きな割合を締めています。とくにap bank fesのような大きなイベントではndymoriというアーティストの方が販売場所にきてくださって、とても注目を浴びました。Tシャツの販売など、コラボ商品にも取り組んでいまして、大手通販会社のフェリシモとエコバック・ミニトートなどを制作しています。また、Yシャツのポケットのところに刺し子を施した、「刺し子スーツ」というのも特注でつくっていますし、声援団の方々が集まって東北を支援するライブをおこなう際には、特注のTシャツを注文していただいています。

現在の課題は、プロジェクトを安定させていくことですね。震災後1年以内は、復興への関心も高く、積極的な営業をかけなくても売れていく状況でした。しかし、時間が経つにつれて関心が薄れ、一時的に販売数が落ち込んだ時期もあります。いまは冬に向けてパーカーをつくっているところで、早ければ今月にも販売する予定です。

目標は、10年以内の産業化実現です。小さくても現地で雇用を生み出し、刺し子の収益によってお母さんたちが収入を得られるような、コミュニティービジネスの仕組みをつくりたいと思っています。具体的には商品の支払いにより、生活再建を促進すること。また、刺し子をつくることによって、心のケアやご自身で収入を得る事で生きがいを得てもらうということです。

永松 ありがとうございました。「大槌刺し子プロジェクト」ではメディア利用はあまりされていませんが、売り上げ規模が大きいことに驚きました。とても健闘しているなという印象を受けました。

次に、SAVE IWATEの寺井さんお願いします。

「ぞうきん」と「くるみ」で仕事づくり

寺井 SAVE IWATEで活動をしている寺井と申します。SAVE IWATEは、震災直後の3月13日に「この状況をなんとかしたい」という思いのもと、盛岡の有志があつまって立ち上げた団体です。震災直後は支援物資を被災者に届けるという活動をしていましたが、少しずつ被災地の方に仕事を提供する活動を増やしていきました。現時点でスタッフが50人程、ボランティアの方も毎日10~20名の体制で活動しています。ちなみに、SAVE IWATEのマスコットキャラクターをしりあがり寿さんに提供していただいています。

SAVE IWATE;http://sviwate.wordpress.com/ 

仕事づくりの話は、大きく分けてふたつあります。

ひとつ目は「復興ぞうきん」です。いままでに3万6000枚を製作しました。支援物資のタオルを被災者の方に縫って頂き、ぞうきんにしてもらいます。評判もよく、予約注文も溜まっている状態です。

震災後、沿岸部の被災地から内陸に避難された方のなかには、温泉やホテルを避難所として利用する方もいらっしゃいました。はじめは温泉に入れたりして良い環境だったのですが、ときを経るにつれ、温泉での避難生活を苦痛に感じられる方が多く見られました。やはりなにもすることがないのは、人間にとってつらいことなんですね。しかもあの震災を経験されていらっしゃいますから、やることがないと嫌なことばかり思い浮かんでしまう。非常に苦しい時間をみなさん過ごされていたんです。

一方、わたしたちはたくさんの支援物資をお預かりしていたのですが、余剰物資も多くありました。そのひとつが、タオルです。山のように集まって使い道に困ったタオルと、なにもすることがなくつらい思いをされている避難者の皆さん。「タオルを使って、被災者の方にぞうきんを縫ってもらおう」というアイディアが生まれ、「復興ぞうきん」が始まったんです。

このアイディアが受け入れていただけるか心配もありました。最初に相談をしにいったところでは難色を示されて結局断られてしまいました。転機となったのは、ある旅館でスタッフが何気なくぞうきんを縫っていたところ、避難者の方が「おもしろそうだ、やりたい」と寄ってきてくださったときです。このことがきっかけとなり、盛岡市にある愛真館という旅館にタオルと糸と針を持ち込み、この事業が本格的にスタートします。人によって縫い方もさまざまで、色とりどりの綺麗な糸を使って、幾何学模様や凝りに凝った模様で縫ってくださる方もいます。そのぞうきんを200円で買い取り、300円で販売しています。100円はこちらで経費として使用しています。

ぞうきん以外にもいろいろつくってみたいという方には、衣料品のリフォームをしていただいています。衣料品も余剰物質のひとつですし、汚れたものや破れたものもあり、被災者の皆さんに配れないものも多いんです。またヤマブドウの藁でかごづくりをしてみたいなあとも、考えています。

ふたつ目の取り組みとして、三陸地方でたくさんとれる「和グルミ」を使った仕事づくりがあります。岩手では古くから美味しい味を「クルミ味」と表現するほど、この地域のクルミはとても美味しいんです。しかし現在では、クルミを食べるまでに手間がかかるため、くるみがほとんど料理に使われずにいます。このクルミをなんとか使いたいと思い、活用方法を考えました。

まずはわたしの独断で、昨年の秋から被災地に向けて「クルミを買い取りますので、集めてください」と声がけをはじめました。すると昨年はたまたまクルミの大豊作の年で、最終的に約320人が23トンのクルミを集めてくださった。いまさら「買えない」とは言えませんから、総額600万円分すべて、買ってしまいました……(笑)。あまりに大量のクルミに、周りのスタッフも「こんな量をいったいどうするのか」と不安げに見てくるのですが、とにかく買い集めました。

買い取り資金の出所は、去年作成した「三陸復興カレンダー」の売り上げです。一部1000円で、およそ一万部も売れて。この収益をほとんどクルミにつぎ込みました。ちなみに2013年のカレンダーももう完成していますので、ぜひ買い支えていただければと思います(笑)。

集めたクルミは専門の器具を使って殻むきをして販売しています。蕎麦屋さんに、つゆに混ぜていただいたり、おかしにしてもらったり、料理屋さんで使ってもらったりしています。いまはクルミのタレを開発中で、被災した赤武酒造と連携してくるみのリキュールなどにも取り組んでいます。

永松 こういった場ではなかなか聞く機会がない、資金繰りのお話まで伺うことができて大変参考になりました。震災後から始まった活動であるということも意外でした。ボランティアだけでなく、ビジネスの側面も強い活動ですね。

次に「おだがいさま工房」の天野さんお願いします。

わたしたちは商品をつくっているんじゃない、希望を創っているんだ

天野 福島県富岡町生活支援復興「おだがいさまセンター」の天野と申します。生活復興支援の拠点であるわたしたちが、なぜ「おだがいさま工房」という工房を立ち上げたのかについて、お話をさせていただきたいと思います。

おだがいさま工房;http://odagaisamakobo.blog.fc2.com/

まず、「おだがいさまセンター」について説明したいと思います。郡山市には「ビックパレット福島」という福島最大級の大規模避難所がありました。一時は2500人を超える方が身を寄せていらっしゃいました。その多くが富岡町・川内村等の原発30km圏内の方々でした。

昨年5月1日、その避難所に「おだがいさまセンター」を立ち上げました。2011年8月31日に避難所は閉所されましたが、われわれは活動を継続し、現在は郡山市の富田町の500戸程の仮設住宅群のなかに、100坪ほどの避難者の支援拠点としてセンターを運営しています。

センターでは「いのちを守る」「生きがいと居場所を創る」という二本の柱で活動しています。福島県は宮城・岩手とは違い、原子力災害によって元の場所に住むことができない状況にあります。避難先の新しい土地では「あたたかい下着が欲しい」と思っても、地元のように行きつけのお店もありませんし、情報もなかなか入って来ない。そうなると少しずつ引きこもりがちになってしまうんです。そうした方々をなくすために、生きがいと居場所を創出する必要があると考えています。

居場所づくりを考えるとき、わたしたちは男性の参加をとくに重要に考えています。というのも、仮設住宅における報道を見ても、女性の参加者が多く、男性の参加者が少ないんです。どうしたら男性にも参加していただけるのか考え、「男は金がないと動かない」という話になりました。そこで考えたのが7月7日に開始した「おだがいさま工房」です。

富岡町はもともと、夜森ノ桜が非常に有名です。町の一画に桜の名所があるのではなく、町全体が桜の名所なんです。そこで富岡町の自然をイメージした草木染めを製品としてつくり出そうと考えました。現在は染色・織り・仕立てといつた三つの作業の研修を行っています。のちのちには「富岡ふるさと染め」というブランド化までいきたいと考えています。

「おだがいさま工房」は、雇用の創出ももちろんですが、人と人との繋がりをつくっていただくことも目的のひとつです。避難者の皆さんは、いつ帰れるのかわからない不安のなかで生活を送っています。だからこそ繋がっていくことが大切だと思っています。そしてそこから生きがいや希望を創り出したい。わたしたちは製品をつくっているのではなく、希望を一緒に創っているんです。そして富岡町の新しい文化を創っていきたいです。

5月に染織りをやりたい住民を募集し、集まってくださった方に「趣味ではなく、仕事として、職人になっていただきます」とお話をしました。そこで決意を持ってくださった30数名に、説明会と体験研修を行い、それでも仕事にしたいと残った方と7月に工房をはじめました。10月から本研修を始めて、製品づくりに取り組む予定です。また2013年度には、販売網を構築していきたいと思っています。

課題もあります。賃金を保障するために、売り上げを確保することと品質の向上を目指すこと。被災地だからつくるのではなく、ゆくゆくは高級デパートにコーナーができるくらいの製品をつくりたい。ブランドとして高価な商品を目指すのであれば、つくり手を育てるのにも数年が必要になるでしょう。ですから、当面の賃金が得られるような小物も作成して、職人を育てていきたいと思っています。

今後、本格的な職人養成研修、優れた作品や手仕事を見に行く視察研修、そして草木染めの人間国宝の志村ふくみ先生、洋子先生においでいただくアドバイザー研修の三つの研修を行い、最初にかかげたコンセプトを大切にしながら、おだがいさま工房のブランドを確立していきたいと考えています。

永松 ありがとうございます。生きがいと居場所の創出という理念を掲げる一方で、製品の質には目をつぶろうということになりがちなのですが、おだがいさま工房では、製品には妥協を許さず、職人としての人材を育てていくという意気込みが伝わってまいりました。

「職がないので外に出る」を変えたかった

永松 ここまでが、「ものづくり編」だったのですが、ここからは趣が変わり、被災者が被災者を支えるための雇用づくりに移っていきたいと思います。次は川原さんに仮設住宅支援のお話を伺います。

川原 釜石から来ました@リアスNPOサポートセンターの川原と申します。

@リアスNPOサポートセンターは、平成16年に、釜石市内の商店街と一緒にまちおこしの活動を開始しました。もともとはまちを元気にするためのNPOでした。ところが3月11日の地震と津波によって、自分の家も事務所も流されてしまったんです。われわれも被災者になってしまいました。避難所で食い繋いでいる毎日でしたが、われわれの代表が「NPOとしてできることをしよう」と言いはじめたんですね。そこで、まずは物資の運搬の手伝いに取り組んでいました。

@リアスNPOサポートセンター;http://rias-iwate.net/

震災から日が経つにつれ、被災者の皆さんが生活拠点を徐々に内陸部へと移していくのを目の当たりにしました。市外で出ていく人に話を聞くと、「職がないので外に出ざるを得ない」と言う。実際、釜石市の主な産業である水産加工業は、なかなか立ち直れない現状がありました。であれば、他に職をつくればいい。どんな職がつくれるだろうと釜石市に相談をしたところ、「緊急雇用制度」を教えてくれました。

この制度を利用して、「釜石市仮設住宅団地支援連絡員配置事業」と銘打ち、仮設住宅に受付をつくりました。避難所を歩いていると、大きな避難所には自衛隊が来たり、豊富な物質が届いているのですが、小さな避難所には支援があまり届かないことが分かるんです。さらに津波の被害を免れた家を訪れると、自力で懸命に生きていらっしゃった。避難所に明らかな格差があったんです。きっと避難所から仮設住宅に移行してもこの格差は発生しているだろうと思い、緊急雇用制度の受付を設置しました。仕事は、専門性のあるものではなく、避難されている方で、コミュニケーションがとれる方であれば、誰でもできる仕事を考えました。

釜石市の仮設住宅全体の状況をお話しますと、建設数が3164個、入居が2717世帯、団地数は66か所となっています。一番大きいところは250世帯、一番小さいところは4世帯で、お年寄り4人しか住んでいません。釜石市を8エリアに分けて、エリアごとに支援連絡員を配置しました。現在、3万7000人釜石市の人口の0.2%である91名の雇用を行っています。

支援連絡員の役割として、はじめは仮設住宅団地のハード面の見回り、相談受付を行なっていましたが、現在では談話室の管理、利用予約受付もしています。また、最近は仮設住宅のなかに不審者が侵入するといった問題もありますので、来訪者の受付もしています。その他に支援物資・各種文書の配布、自治会等のイベントの手伝いなどですね。あくまでも自治会の自立を阻害しないのが目的で「つなぎ役」と「お手伝い」に徹しています。

じつはわたしたちが活動するまでは、自治会の青年団員が個人の責任で支援活動を行っていました。それでは、青年団の方の責任が重すぎるということで、われわれは責任の所在をはっきりと明文化して活動しています。最近は見守りの活動も重視しています。というのも職を失った50・60代の男性が引きこもりがちですので、生存しているかどうかの確認が必要になって来たからです。

これからの課題として、住民の方の不安を減らすということがあげられると思います。たとえば、釜石市の仮設住宅の場合は高齢者が多いので、住居者全員が出ていくまでは存続していく方針を決定しました。しかし、それでも皆さんから「2年で出なきゃいけないのでは」「これからどうしたらいいのか」といった相談がいまでも寄せられますし、被災してしまった自分の元の家がどうなってしまうのかという相談もあります。われわれはこのような不安を減らすため、連絡員たちの雇用を生みながら仮設住宅の支援をしつづけていきたいです。

永松 ありがとうございます。これまでは主にボランティアや外部の支援者が担ってきた被災者の見守り活動を、被災者自身が仕事としておこなったということは、今回の震災でみられる大きなイノベーションだと思います。

次は気仙沼復興協会の事務局長の千葉さんより、緊急雇用を使った雇用創出の取り組みについてお聞きしたいと思います。

スコップも作業着も手袋もないゼロの状態から

千葉 気仙沼復興協会の千葉です。当協会は緊急雇用の予算配分を受けまして、市の震災対応分野を受託するかたちで活動をおこなっています。協会が雇用主となって被災失業者を雇用する仕組みです。一番多い時で130名程雇用がありましたが、現在は90名程となっています。10代から60代まで幅広く雇用しています。

気仙沼復興協会;http://kra-fucco.com/

わたしたちは、4月28日に民間の任意団体として活動をスタートさせました。気仙沼では事業所の8割が被災をしましたので、多くの方が職を失ってしまいました。その方々に一日も早く雇用を創出すること、また、気仙沼市外に流出することなく、気仙沼市で働きつづけたいという思いをくみ、市の有志が立ちあがりました。そして、6月9日に一般社団法人になり、現在に至ります。

気仙沼復興協会では、大きく分けて四つの事業部で活動しています。

ひとつ目は清掃部です。5月の連休前に清掃部として活動を開始しました。ゼロからのスタートですので、当時はスコップも作業着も手袋もなく大変苦労しました。当初は被災した家屋の泥だしをしていましたが、現在は漁業支援、農業支援などの活動もしています。去年は蠅が大量に発生しましたので、害虫駆除もおこないました。いまは個人のニーズがなくなってくるなかで、地域に根づいた活動をと、一軒一軒コーディネーターが廻っています。

ふたつ目に福祉部です。7月に立ちあがり、仮設住宅を廻っています。われわれは被災失業者雇用の側面もあるので、専門性のある方がいません。そのため、「はまらいんカフェ」というお茶会をはじめました。「はまらい」というのは気仙沼方言で「一緒にやりませんか」の意味です。お茶会を通して、バラバラになってしまったコミュニティーの、自治会の形成のお手伝いをしました。見よう見まねではじめましたが、NPOやNGOの支援も頂きながら、少しずつ幅を広げてまいりました。気仙沼も90か所の仮設住宅がありますが、そのなかでも支援の入り方もさまざまです。われわれも専門的知識がなかったものですから、被災者が被災者を背負うということで、当初はさまざまな点でつまずきました。

オレンジのTシャツを着て回るんですが、「なんか怪しい団体が来た」「宗教関係なんじゃないか」と、はじめは警戒もされるんですね。しかし、被災者さんのお話を傾聴するというところから少しずつ認識をしていただけ、現在の活動に繋がって来ていると思います。

福祉部では、自治会立ちあげの手助けを目的としていたのですが、ほとんどの仮設住宅で自治会が立ちあがりました。そうすると自律的にお茶会も初めましたので、われわれもどうやって関わっていくのかというのを考えています。やはりこれからは、男性が出てこないというのと、従前のコミュニティーと仮設住宅コミュニティーとの繋ぎを意識した活動をしていくことが必要になってくると思います。

三つ目は写真救済部です。震災により気仙沼では100万枚の写真が流出したのではと言われています。もちろん写真だけではなくいろいろなものが流出したのですが、かたちが分かり易いためか、大量の写真が避難所などに集められてきました。集まったのは良いんですが、泥になった写真を放置しておくわけにはいかないので、ボランティアで洗浄活動を開始しました。

汚れている写真を洗浄し、洗濯バサミにぶら下げて乾燥させます。7月に事業化いたしました。いまはデジタル化アーカイブ化を行いパソコンに取り込んでおります。福祉部と一緒に出張閲覧というかたちでパソコンをもって仮設住宅を廻ったり、市民が集まる集会所に持っていって写真を閲覧していただき、一枚でも多く持ち主に返す活動をしています。なかなか足を運べない年配の方も多くいらっしゃって、まだ25万枚ほど残っております。枚数が多くなかなか探し出せないことなどから、現在は、探しに来られた方の写真を撮らせていただいて、それを使用し顔認証機能を行い、検索範囲を狭め、一枚でも多く返すという活動しています。

四つ目はボランディア受入部で、10月に活動をはじめました。もともとは清掃部のなかでボランティアを受けつけていました。しかしこの時期になると、仮設住宅の入居が進みますので、もともとボランティアの受け入れを担っていた災害ボランティアセンター・社会福祉協議会が、生活支援の方に重きを置くようになってきました。そのような背景から、福祉協議会と連携を取りながら、当協会がボランティア部を設置し活動することになりました。

これもまったく知識のないところから始まりましたので、はじめは10名を受け入れるのも大変な状況でしたが、いまは、多い日で100名前後のボランティアの方に来てもらっています。現在は、被災者個人のニーズは少なくなっておりますので、海岸の清掃活動をおもに行っています。それに加えて農業・漁業の支援にも取り組んでいます。いまでは、それぞれの部署と連携しボランティアの受け入れができる状態です。

今後の課題として、活動資金をどうするかというのを考えなければいけません。われわれの活動は緊急雇用の予算でまわしておりますので、どうしても限界があります。ですから、今後はスタッフの就労支援などの活動にも重きをおいていかなければと考えています。

永松 ありがとうございました。先日、気仙沼に伺った時、「ボランティアの受け入れをしたら被災地の皆さんの仕事が減るんじゃないんですか」というお話をしたことがあったんです。すると、「ボランティアの人が被災地に来てもらってお金を落としてもらえば、それが被災地の雇用に繋がるんだ」ということでした。それがとても印象に残っています。

最後は福島で活動をしています、ワールドインテックさんからお話を伺いたいと思います。

長期的な雇用を生まなければ、復興は生まれない

工藤 ワールドインテックの工藤と申します。わが社は製造業を中心とした人材派遣をしている会社です。現在、雇用を通じた復興事業に取り組んでいます。

ワールドインテック;http://www.witc.co.jp/

2011年6月に、いま関わっている「福島絆づくり応援事業」の案が県から出され、当社が手をあげました。長期的な視点で継続雇用を生み出せないと自立は生まれない。自立をすることが最終的な復興に繋がるんだ、という考え方でやっています。

これはぼく個人の考えなんですが、震災が発生した直後はボランティアの人たちの力がすごく重要なんです。被災者だけではどうにもできないことが沢山あります。でも、ある場面をきっかけに地域の人が自分でお金を稼ぐというフェーズに入っていかないといけません。だからこそ長期的な仕事を意識しました。

事業スキームとしては、各自治体であがって来た仕事に対し、県が窓口になり一括で管理するかたちを取っています。その雇用の部分を行政の代わりに、われわれが担います。人を集めたり労務管理をしたりするのはわれわれ人材派遣会社ですから、得意な業務なんですね。協力させてもらうことで、各自治体の雇用の仕事を排除することができ、自治体は機能回復に集中できるようになります。ちなみに、2011年度の、のべ雇用実績は2053名です。

基本的に時期ごと地域ごとに仕事が変わっていきました。6月~8月の段階は避難所の仕事が多く、被災証明の発行などが忙しい時期もありました。その後、避難所から仮設住宅に仕事が移っていくと、そのタイミングで仕事が変化します。

たとえば川内村をあげると、村には入ることができるけど、皆さん別の所に避難されている。ですので、現地のパトロールのニーズが増えてきました。実際に不審者を捕まえて新聞に載ったりもしています。こういった仕事が9月~12月の間で増えてきました。

後半はアンケートなどの実態調査が多いですね。県などからも要請があって進めています。このあたりから、イベントのお手伝いだったり、職人育成のお手伝いも増やしていきました。また、買い物支援や、避難所の皆さんが談話できるような集会所の運営なども行っています。

2011年に雇用した方々の約66%が再就職困難な41歳以上の方々です。その方たちの比率がとても多かったというのが、とても良い結果だったのではと思っています。やはり、年齢の高い方が自分たちの生きがいを閉ざさないために仕事をしているのではないかと。たとえば、80歳のお婆さんが孫のために小学校のプールを掃除したという話もあります。

昨年に入ると避難所がほとんどなくなったので、仕事の内容が変わっていきます。とくに3月以降は学校に対する給食の線量測定だとか、まちの管理だとか、前年よりも治安管理や食などの「安心」「安全」に関わる仕事にシフトしているように感じています。

今後の課題としては高齢者に対しての雇用維持ですね。それから、若い人に対しては、いかに就業意欲を向上させて、民間の企業に輩出していくかということも考えなければいけません。やはり若い人が県内の事業所で働いて、県内の事業所が活性化し、県内でお金が循環することが起きないかぎり、復興には繋がらないと思っています。

また、先ほど申しましたように、「福島絆づくり応援事業」は市町村の仕事を請け負って働いていますので、その方たちが民間企業に就職してもらうような流れもつくる必要があります。

また、緊急雇用ではなく、正社員雇用を生み出していけるかも課題になってきます。しかし、そこにもネックがありまして、正社員になるというのは、その土地で根づくということも意味しているんですね。帰れるのか、帰れないのか、国の避難政策がまだ曖昧なままですから、正社員の選択をしづらい状況があると思います。

以上が短期的な就労支援の話でしたが、われわれは長期的な施策として「成長産業等人材バンク事業」にも取り組んでいます。

民間の事業所にわれわれが雇用した人材を実習生として派遣し、6か月間の教育訓練の後に直接雇用してもらおうというものです。地元企業に就職を斡旋し、そのために必要な費用は県が負担しています。派遣会社からすると人を継続雇用できないので本来の事業からは外れてしまうのですが、就労支援のためには必要な仕事だと考え、取り組んでいます。現在、実習生は330名程います。企業も大手だけではなく、美容室や農業法人、デザイナーなど、いろいろな業種で雇用を生み出しています。

最後になりますが、去年2000名雇用したといっても、やはり短期的な雇用なんです。この事業の成功が復興に繋がるかというと、決してイコールではないと思います。やはり長期的に根づいて仕事をしながら、経済活動をしていくことが、最終的な復興に繋がるかと思いますので、これからも就労支援を続けていきたいと思います。

永松 ありがとうございました。被災者の方々の雇用を創出する上で、人材ビジネスの方々が今回大活躍しているということがよく分かりました。短期の雇用ではなく、長期の正社員としての雇用が必要ということはよく聞かれる話ではありますが、福島のように長期的な復興の道筋が描けないなかでは、被災者自身も長期の雇用を選択しづらいという状況があるということもなるほどと思いました。

本日のセッションでは「製業生活再建」ということで、非常に特徴的な活動をされている6つの団体についてご紹介しました。それぞれの、キャッシュ・フォー・ワークのかたちと、これからの課題についても共有することができたと思います。今後、ますます被災地内の経済復興が重要なキーワードになってきます。これからのみなさんの活動に期待しつつ、本分科会を終了したいと思います。ありがとうございました。

(2012年10月7日 日本災害復興文科会「製業生活再建」より)

 

プロフィール

永松伸吾災害経済学 / 防災・減災・危機管理政策

関西大学社会安全学部教授。1972年福岡県北九州市生まれ。大阪大学大学院国際公共政策研究科博士後期課程退学、同研究科助手。2002年より神戸・人と防災未来センター専任研究員。2007年より独立行政法人防災科学技術研究所特別研究員を経て2010年より現職。日本災害復興学会理事。2015年より南カリフォルニア大学プライス公共政策大学院客員研究員。 日本計画行政学会奨励賞(2007年)、主著『減災政策論入門』(弘文堂)にて日本公共政策学会著作賞(2009年)、村尾育英会学術奨励賞(2010年)など。

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