震災復興と地域産業 ―― 社会的役割を深める「道の駅」

被災しながらも支援するということ

 

災害直後、支援物資が届くまでは地域内で必要な食料や物資をまかなうことが課題となる。その点、ほとんどの道の駅は農産物直売所を併設しているため、支援が届くまでの数日間はしのぐことができ、行政や近隣の避難所に食料を供給した道の駅も少なくなかった。また、内陸で被災しなかった道の駅が後方支援にあたり、被災地に食料を供給したケース、自衛隊などの中継地点を意識し軽食を用意したケースなど、柔軟な支援体制がみられた。道の駅が地域の防災拠点として有望視されるのは、こうした地域を背景にする食料備蓄のような機能を兼ね備えていることとも関係しよう。

 

だが、食料供給だけでなく、緊急時の利用者の生命の安全を確保することが何よりも重要であり、この段階を乗り切るには、マンパワーに加え設備面での充実も課題となってくる。現場で事に当たったスタッフからは、非常用電源(発電機)、衛星通信電話、非常用トイレ、食料・飲料水や毛布の備蓄庫、燃料備蓄などが必要との声があがっていた。

 

では、道の駅の防災拠点化を図っていくには、今後どのようなことが必要になってくるのであろうか。東北地方の道の駅十数カ所を訪問、駅長やスタッフから話を聞かせていただいたが、災害時対応の責任を誰が負うのかといった問題が浮き彫りになった。一般に道の駅の管理者は市町村であり、運営を公社や第3セクター、生産者組合、民間、NPOなどが指定管理者として請け負っている。今回の震災では、道の駅の駅長やスタッフが避難者に対して無償で食料や支援物資を提供し、結果として運営側の公社等が責任を負ったことが問題となったケースが少なからずみられた。行政からの委託業務の内容に災害時対応が含まれていなかったからである。

 

防災設備を備えている道の駅もあり、震災後に設置するところも増えている。道路管理者である国が設置者の市町村に対し、備蓄倉庫、貯水槽、非常用電源、災害時用トイレ、情報提供施設などを提示し、各駅の実状に応じて必要な設備を配置するというかたちをとる。整備に際しての費用負担は、道路管理者の国と設置者の市町村が、施設に応じて案分することになっている。

 

だが、これら設備の運用に関する権限は指定管理者の公社や組合等にはなく、設備の設置者の国と市町村側にあることから、現場ではとまどいがみられる。災害時、設備が目の前にあるのに、現場のスタッフたちは使用することをためらう状況に置かれている。これは指定管理制度に内在する問題といえよう。これも契約の範囲に、災害時対応が含まれていないことと関係する。

 

こうした食料供給やハード整備を十全に機能させるには、自治体等との「災害時協定」を結んでおくことが求められる。一方で、道の駅と自治体の役割を固定化してしまうと緊急の対応を阻んでしまう恐れもあるため、今回の経験を踏まえ、できるだけ現場に任せつつも、責任の範囲の線引きを柔軟に考えておくことが望ましい。道の駅の防災拠点化を進めていくには、こうした議論が不可欠となってくる。

 

 

来客の減少に負けず、全国行脚する道の駅

 

他方、福島では農作物の風評被害に直面する道の駅も少なくない。福島空港のすぐそばに位置する道の駅「たまかわ」。玉川村生産物直売所「こぶしの里」を併設するとともに、空港内には「空の駅たまかわ」を置き、玉川村の特産品を販売していた。さるなしやトマトを使った加工品が売りであった。

 

東日本大震災では地震の被害はほとんどなかったものの、福島空港が緊急避難場所となったため、沿岸部から多くの避難者が押し寄せ、道の駅は通常営業をつづけるとともに、空港ではおにぎりやお弁当を炊き出しに近いかたちで販売、スタッフや生産者たちは朝晩三交代で対応しつづけた。原発事故の情報に翻弄されながら次第に人は多くなり、東京に向けての臨時便のキャンセル待ちをする人のために働くという、複雑な状況であった。

 

3月末、高速道路が開通するようになると、燃料を確保することもでき、自由に移動できるようになった。しかし、放射能の影響により、住民たちも外出を控え、来客もストップし、一転、静寂な雰囲気に包まれた。そこで、穂積俊一駅長は出荷制限のかかっていない安全な作物や加工品について、他地域での販売を決行する。同年4月の長野県安曇野市の直売所を皮切りに、東京上野駅や赤坂サカスなどで出張販売を実施、11月までの間に全国50カ所近くを行脚した。「福島で待っていては誰も来ないので、外に打って出た」と語り、生産者が営農をつづける大きな励みともなった。

 

さらに、2011年8月5日には東京・築地場外市場にアンテナショップ「緑の駅」を開店。風評被害に負けずに生産者に元気を取り戻してもらうことを目的に、福島県内業者の参画をも促している。興味深いのが、このアンテナショップのスタッフとして、玉川村や周辺の高校生、村出身の大学生がアルバイトとして働いていることである。週末限定で高校生ら7~8人が店頭に立つ。「道の駅は情報が集まる拠点。昔の商店街の機能とよく似ている。かつて商店街は子どもを育てていた。それを、緑の駅でやっている」と、穂積駅長は語る。新しい商品開発に関わるなど、高校生たちもアイデアを出し合って地域を盛り立てている。

 

震災後、原発問題に揺れ動く福島で、道の駅は果敢に新たな一歩を踏み出し、地域や生産者に希望を導く存在となりつつある。道の駅は地域の生産者なくしては成り立たない。大きな問題に直面しつつも、新たな岐路を切り拓いてきた駅長やスタッフの行動力から、学ぶべきことは大きい。

 

 

全国に販売、東京にもアンテナショップを展開する道の駅「たまかわ」

全国に販売、東京にもアンテナショップを展開する道の駅「たまかわ」

 

 

生産者から支えられ、地域を支える

 

道の駅や直売所に出荷する人びとは「毎日の出会いが楽しい」「生活が一変した」と笑顔で語る。道の駅を起点に、農山村の女性たちの起業も活発化しつつある。全国的に道の駅の数が増えつづけ、来客数も右上がりで伸びていることをみてもわかるように、道の駅は都市と農村の新たな関係を築く場となってきた。

 

小売店やスーパーなどの流通と異なり、道の駅には生産者や組合員が直接出荷する。そのため、今回の震災のように多くの水産加工業者が生産を中断し、従来の流通網が回復しない状況に置かれたとしても、最低限、道の駅への出荷は継続することができる。生産者にとって、地元に販路が確保されているということは、生産再開に向けての大きな励みとなっているようである。

 

被災地では人口減少と超高齢社会のなかで、地域資源の恵みを活かした取り組みが重ねられてきた。東日本大震災で道の駅が果たした役割を振り返ってみると、「生産の場」としてだけでなく住民の「生活」を支える存在にもなっていることが明らかとなろう。駅長やスタッフたちは、地域の産業を支え、復興拠点としての役割を担っているという意識が強い。

 

震災後、地域へ還元する道の駅も相次いでいる。たとえば、道の駅「やまだ」では山田町に売上の一部を寄付、岩手県遠野市・道の駅「遠野風の丘」では売上の一部を基金にし、遠野市とボランティア団体に寄付している。地域のなかで、道の駅は大きな社会的役割を担っていることに気づかされる。生産者に支えられる道の駅は、地域全体を支える存在になりつつある。

 

道の駅が登場して20年、地域内外の交通と物流の中心機能を持つことから、多くの人びとが集う交流の場にもなり、着実に機能を拡充し、進化を遂げてきた。いまや、農山村や中山間地域、過疎地域の道の駅は、経済性、公共性、コミュニティ、福祉、観光、防災などさまざまな機能を持つまできなってきた。休憩、情報発信、地域の連携という3つの基本機能を超えて、地域持続のための複合拠点としての役割を担う。とくに、震災を経験した道の駅は、地域が直面する課題に対応しながら、地域の複合拠点としての性格を色濃くしているようにみえる。

 

 

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