震災復興と地域産業 ――「仮設商店街」からみえてくる現代の諸相

東日本大震災から2年。東北の被災地では世代を超えて受け継がれてきたもの、日常の暮らしが一瞬にして奪われた。

 

一度、失われたものは、二度と同じかたちでは戻らない。だが、立ちどまり、もがき、地域と向き合い、対話し、ふたたび立ち上がることによって生まれてくる新たなものがある。当然、それは物質的なものだけではなく、人と人の関係性、自然と人の関係性なども含んでいる。それらが地域社会や環境、秩序の形成につながっていく。

 

復興の過程では当然のことながら、意図したとおりに物事が進む場合もあれば、意図しなかった問題に直面することもある。その合間に、被災地の本質的な課題が横たわっているようにみえる。ときを重ね、それを乗り越えようとしていくことによって、復興の道筋が形成されていく。

 

わたしは地域産業論・地域社会経済の研究者として、被災地にほぼ毎月通っている。被災地で立ち上がろうとする人びと、地域で生きつづける人びととの対話を通して、地域という空間に「産業」があることの意義を深く痛感させられることになった。そして、人口減少、超高齢化が進む地域では、これまでとは大きく異なる地域産業のあり方が求められることを改めて感じている。

 

超高齢社会では「人生80年時代・90年時代」を見据えた地域社会をつくっていくことが必要となってくる。そして、東日本大震災の復興の現場を歩いていると、そうした課題を先鋭的に内在させている場所があることに気づいた。

 

仮設のプレハブに、飲食店はじめ、八百屋、魚屋、酒屋、理美容店、電気屋から、学習塾やマッサージ店までが並ぶ。このような「仮設商店街」は、震災後、半年過ぎた頃から設置され、現在では被災したほとんどの市町村に置かれている。とくに、中心市街地が壊滅するなど甚大な被害を受けた地域では、荒涼とした空き地のなかにあって、その存在は際立ってみえる。

 

復興のシンボルとしても、心のよりどころとしても、人びとの再起の場としても……「仮設商店街」は、多くの要素が絡み合った「場」のようである。時限つきの仮の空間といえるが、被災地の地域社会にとって大きな意味を持ち始めている。さらに、被災地の課題は被災地だけの閉じた課題にとどまらず、現代社会の諸相を投影しているようでもある。

 

 

仮設商店街の成り立ち

 

仮設商店街には、全壊した店、津波で流出した店、建築制限のかかった場所にあった店などが入居している。以前より「シャッター通り」と揶揄されてきた地方都市の多くの商店街。人口減少、高齢化が進んでいた被災地では、その問題が先鋭的に表れていた。

 

震災後、避難所で生活していた被災者が仮設住宅に移り始めたあたりから、仮設店舗の話が持ち上がる。早かった市町村では、震災から1~2カ月後、地域の商店主たちに事業再開の意向について調査を開始している。意欲の高い地元商店やスーパーマーケットは、すでにテントでの販売や、軽トラでの出張販売を始めていた矢先であった。

 

商店街では多くの店が店舗と住まいを兼ねている。そのため、被災した店主やその家族は避難所生活を経て、仮設住宅や借り上げ住宅での暮らしに移っていった。住まいが「仮」のうえに、働く場も「仮」という状態に、多くの人びとは置かれた。そうしたなかで、仮設商店街への入居に手をあげた店主は少なくなかった。

 

だが一方で、中心市街地が海にほど近く被害が大きかった地域、岩手県であれば山田町、大槌町、陸前高田市などでは、亡くなった商店主も少なくない。店舗内で遺体が見つかったケースも多かったという。残された店主たちは、亡くなった仲間たちのためにも「ふたたびまちで商売を」という思いであったのだろう。

 

商店側から行政に働きかけた地域では、仮設商店街の設置の動きが早かった。岩手県釜石市の丸屋商店の丸木宏之氏は、市長に直談判し、仮設商店街の早期の建設を訴えた。その結果、2011年9月15日に「復興天神15商店街」が完成、岩手県内第1号の仮設商店街となった。市内にあった4つの商店街から15店が集まり入居している。場所は移転した中学校の跡地にあり、139世帯ある仮設住宅に併置されている。

 

そのほぼ同時期に、岩手県宮古市田老に「たろちゃんハウス」が完成した。グリーンピア三陸みやこには、仮設住宅が約400戸並ぶ。田老地区の中心市街地は壊滅状態となり、宮古市の中心部に買い物に出るにも車で20分以上かかる。高台にあることから、周辺に商店がなく、入居者の買い物対策が課題となっていた。

 

この「たろちゃんハウス」が興味深いのは、仮設商店街の形成にあたり、協同組合を新たに結成したことである。もともと商店街を形成しておらず、個人店舗の経営であったため協同組合を組織していなかった。震災後の2011年5月から有志でテント市を始め、結束を高めながら「たろちゃん協同組合」を設立。テントでの販売は同年9月までつづけ、9月25日に仮設プレハブ2階建ての「たろちゃんハウス」をオープンさせている。

 

こうした仮設店舗での事業再開は、阪神・淡路大震災以降、制度的に整えられてきた。自然災害により被災した事業者の復旧については、プレハブの仮設施設を整備することにより、早期の事業再開支援がなされてきた。阪神・淡路大震災の際には仮設工場が目立ち、当時、神戸市が応急的に設置した仮設工場は170件にのぼった。このときの経験をふまえ、現在では独立行政法人中小企業基盤整備機構(中小機構)が仮設施設の整備事業をおこなっている。賃貸料は無料、内装費や光熱費等は事業者の自己負担となる。

 

2012年3月時点で仮設施設は、建設中と完成を含めると、406案件(カ所)、2348区画(事業所数)であった。岩手県が213案件、1215区画ともっとも多く、次いで宮城県が100案件、699区画、福島県が64案件、326区画となっている1)。その後も増えつづけ、2012年7月の段階では、510カ所、3102事業所あり2)、現在はさらに数が増えていると思われる。業種は商店や小規模の水産加工場が目立つが、福島県は状況が異なり、移転地での仮設工場の設置が多いようである。そして、仮設商店街はほとんどの被災市町村に複数カ所、分散して置かれている。

 

1)中小企業基盤整備機構「東日本大震災に関する中小企業支援策」

    (http://www.smrj.go.jp/kikou/earthquake2011/

2)関満博『東日本大震災と地域産業復興Ⅱ/2011.10.1~2012.8.31 立ち上がる「まち」の現場から』新評論、2012年。

 

仮設商店街は完成から原則1年以内に国から市町村に無償譲渡され、その後は市町村が保有、事業再開拠点としての役割を果たしていくことになる。現在、ちょうどこの段階にある。入居期限は当初2年間とされていたが、ほとんどの入居者が店舗を新築することができず、中長期の運用を見据えた方向に切り替わりつつある。時間の経過とともに建物の性質だけが「仮」のままで、機能的にはすでに「仮」ではなくなりつつある。それは、地域にとって重要なコミュニティへ移行してきたということにほかならない。

 

 

 

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