2013.07.10

東日本大震災――いま、もう一度確認したいこと/目を向けたいこと

標葉隆馬 科学技術社会論

社会 #東日本大震災#震災復興#科学技術社会論

2011年3月11日から2年が経過した現在でも、東日本大震災の被害は現在進行形にあり、被災地の多くでは普段の復旧・復興のための努力が続けられています。このような状況の中、私たちは何を考え、何に目を向ける必要があるのでしょうか。

今回、私が書かせていただく内容は、新しい事実や問題を切り口鮮やかに示すものではありません。むしろ、かねてより繰り返し言われ続けてきた事柄を改めて確認する、そういった行為が主なものになります。

しかし、震災発生から2年が経過した今、基本的とも思える事柄を再度確認することには意味があり、また今後を考える上でもやはり必要なのではないでしょうか。しばしの間、お付き合いをいただければ幸いです。

3.11の被害の概要、そして被災した地域はどのような場所だったのか?

東日本大震災と続く福島第一原子力発電所事故がどのような被害をもたらしてしまったのでしょうか。ここではまず、とりわけ大きな被害と影響を受けてしまった宮城県・岩手県・福島県の状況に絞り、その概要を確認したいと思います(*1)。

(*1)数字はそれぞれ県・並び復興庁から以下の日付で発表されたものに基づきます。宮城県-2013年4月10日、岩手県-2013年3月31日、福島県-2013年4月22日、復興庁-2013年4月12日。また死者数には関連死を含んでいます。また無論のこと、東日本大震災は宮城・岩手・福島の3県に限らず、青森県や茨城県にも深い爪痕を残し、また全国的・世界的に様々な社会的・経済的・政治的影響を与えた出来事だったことを強調しておきます。

表1:東北三県における人的被害・建物被害概要
表1:東北三県における人的被害・建物被害概要

宮城・岩手・福島の東北三県だけでも、18000人以上の方が亡くなられ、数多くの行方不明者と避難者を出した甚大かつ深刻な被害が生じた災害でした。これらの人的被害また家屋の倒壊は、地震、そして多くは津波による被害でした(*2)。

内閣府が発行する平成23年度防災白書によれば、92.4%の方が津波によって命を落としています(内閣府 2011 http://www.bousai.go.jp/kaigirep/hakusho/pdf/H23_zenbun.pdf)。津波によって破壊された家、道路、街並み。そういった光景が東日本の沿岸部数百kmに渡って続いている(写真1)、想像を超えた広域災害が起きたのでした。

(*2)また津波によってさらわれ、未だ行方の分からない方が数多くいるという点も特徴です(例えば1995年1月に発生した阪神・淡路大震災では6434人もの方が亡くなられましたが、現在も行方不明の方は3名となっています)。未だこれだけの多くの方の行方が分かっていないという事は強調しておきたいと思います。

写真1:震災後約1か月後の福島県南相馬市沿岸部の光景(2011年4月16日撮影)
写真1:震災後約1か月後の福島県南相馬市沿岸部の光景(2011年4月16日撮影)

また例えば交通・ライフライン・農林水産等に関わる各県の被害総額は現在までに、宮城県ではおよそ9兆1828億円(平成25年3月11日現在 http://www.pref.miyagi.jp/uploaded/attachment/202741.pdf)と計算されています(*3)。更には、このような被害額という形で表現されにくい被害、被災者の方の抱えるストレス・苦悩、就学・就職への影響など課題山積の状況が今なお続いています。

(*3)2011年6月24日付で内閣府が発表した資料では、全国での被害総額はおよそ16兆9千億円と推計されています。

では、このような大きな被害を受けてしまった地域はどのような場所だったのでしょうか。3.11の災害は、どのような地域を襲った災害だったのでしょうか。非常にあらっぽいものになってしまいますが、いくつかの基本的な数字を押さえておきたいと思います。次表2をご覧ください(*4)。

(*4)この表2は、中村征樹(編)『ポスト3.11の科学と政治』(ナカニシヤ書店)掲載の拙稿から抜粋したものになります。尚、このデータは2012年2月24日までに宮城県・岩手県・福島県・総務省・復興庁から公表されたデータに基づいています。

表2:東北三表2:東北三県37自治体データ一覧県37自治体データ一覧(クリックで拡大)
表2:東北三表2:東北三県37自治体データ一覧県37自治体データ一覧(クリックで拡大)
表2:東北三表2:東北三県37自治体データ一覧県37自治体データ一覧(クリックで拡大)
表2:東北三表2:東北三県37自治体データ一覧県37自治体データ一覧(クリックで拡大)

この表から見える傾向がいくつかあります。その一つは、今回の災害が襲った場所が主として第一次産業の地域であったこと、そして同時に相対的に貧困な地域であったことです。またこれらの地域では、高齢者が人口に占める割合が高い傾向にありました。この事実を見るとき、今回の災害では亡くなられた方のおよそ65%が高齢者の方だったことを思い出す方もいらっしゃるのではないでしょうか(内閣府 2011)。

今回の災害は、とりわけ東北地方の沿岸地域を襲ったものであり、このような高齢化や社会構造に伴う課題という背景を持った地域を襲ったものだったということを改めて認識する必要があるのではないかと思います。そしてこれらの問題は、都市と地方の格差の問題と合わせて、日本社会全体が抱える根源的な課題につながっています。

また、こういった数字を見るだけでは見えにくい/見えてこないような影響がさまざまにあったことにも注意が必要だと思います。一つだけ例を挙げたいと思います。朝日新聞で連載されている「プロメテウスの罠」の2012年5月25日付の記事(http://digital.asahi.com/articles/TKY201205240436.html?id1=2&id2=cabcafcf)では、南相馬市の病院での検死を担当した医師の話として、足が不自由だった方が、津波は免れたものの、原子力発電所事故の影響で隔離されたために避難もできずに餓えで亡くなられた事が綴られています。

地震・津波・原子力発電所事故の被害の中で起きた、このような悲劇の一つ一つは、死者○○人といった表現の中では見えてきません。しかしながら、3.11の全体像と課題群を考える上で、その一つ一つの出来事に出来る限り目を向けていく、拾い上げていく、そういった営みがやはり重要になるのではないでしょうか。

福島県浪江町に見る状況

2013年4月11日、私は浪江町にいました。目的は、原子力発電所事故の影響で震災後2年間もの間アイソレートされてしまった町の状況(*5)を肌で知るため。そして同時に、浪江町にある祖父の家の状況を確認するという個人的な理由でもありました(幼少期には、しばらくその祖父の家で暮らしていました)。

(*5)2013年4月1日、福島原子力発電所事故の影響により設定されていた「警戒区域」・「計画的避難区域」が「避難指示解除準備地域」・「居住制限地域」・「帰還困難区域」に再編にされました[1]。それに伴い、浪江町内の一部地域について、日中の一時立ち入りが可能になりました。浪江町の最近の様子については、区域再編実施に先だって公開されたGoogle Street Viewの様子がニュースにもなり、Googleを通じて町の様子を実際にご覧になった方もいるかもしれません。今回の訪問では、友人のジャーナリストである粥川準二さんに同行をいただきました。

浪江町には、請戸川という川が流れています。かつてこの川で虫とりや魚とりをした時の光景と記憶が筆者の原風景になっています。浪江町に行くことができた4月11日、ちょうど請戸川の桜並木が綺麗に咲き誇っていました(写真2)。しかし、見る人はいません。人通りのなくなった道には枯草が伸びてしまっています(写真3)。それでも、この日は幸運にも一時立ち入りで戻っていらした一組の地元住民の方にお会いすることができました。この桜並木を見にいらっしゃったとのこと。今は福島市に避難されているとのことでした。短い時間ではありましたが、昔話をすることもでき(*6)、懐かしくもある一方で、ここに「普通に」人が戻る日はいつになるのかということを強く意識せざるを得ない出来事でもありました。

(*6)お会いできた方は、祖父が経営していた小さい病院にも来ていただいていた方で、昔のことや、病院に勤務されていた看護婦さんの話などができたことは幸運なことでした。しかし、こういう状況でなければもっともっと良かったのですが。

写真2:請戸川の桜並木(2013年4月11日撮影)
写真2:請戸川の桜並木(2013年4月11日撮影)
写真3:請戸川の桜並木(2013年4月11日撮影)
写真3:請戸川の桜並木(2013年4月11日撮影)

祖父の家は古い木造の家でした。祖父の家は、3月11日の大地震、そしてその後の大きな余震によって二階部分は完全に崩壊し、一階部分はかろうじて残っているものの、全体的に傾いてしまいました(写真4)。そして地震で倒れた家具やわれた食器が散乱したままになり、また屋根が崩れてしまった影響で、家の中の壁にはカビも生えてしまいました(写真5)。

写真4:浪江町にある祖父の家の概観(2013年4月11日撮影)
写真4:浪江町にある祖父の家の概観(2013年4月11日撮影)
写真5:家の内部(2013年4月11日撮影)
写真5:家の内部(2013年4月11日撮影)
写真6:町の商店街の一角(2013年4月11日撮影)
写真6:町の商店街の一角(2013年4月11日撮影)
写真7:浪江駅前-落ちたままの街灯(2013年4月11日撮影)
写真7:浪江駅前-落ちたままの街灯(2013年4月11日撮影)

祖父の家に限らず、浪江町内には、3月11日の大地震、そしてその後の大きな余震によって倒れてしまった家が多くあります。また完全につぶれていなくとも、大きく壊れてしまった家屋やビルはそれ以上にあります。それらの倒れた家屋が、破壊された商店街が(写真6)、閉じられたスーパーマーケットが、落ちた街灯が(写真7)、2年間もの間そのままになってきたのです。

この事態をどのように捉え、また今後を考えるべきなのでしょうか。少なくとも現時点で言えることの一つは、一部の地域において日中における立ち入りが容易になったことは一つの進展を意味する一方で、被害の状況がまだ何も終わっていないという現実でもあります。

忘れられていく3.11

ここまでに、3.11を巡る被害の概要と現在も続く状況(の一部)を確認してきました。そして、そういった一つ一つの被害には、それぞれの物語があります。本当であれば、その被害一つ一つは、数字によって一括りにして議論できるような事柄ではないのだと思います。加えて、震災の前から存在していた被災地域における貧困や高齢化などの社会構造的な問題も、依然として課題のまま残っています。

しかし、このような状況について、私たちはどのくらい目を向けてきたでしょうか。またどのように目を向けているでしょうか。この点に関連して、早稲田大学政治学研究科ジャーナリズムコースの田中幹人准教授らのグループと筆者は、メディア上における言論と関心の動向に注目した分析を進めてきました。これまでに得られた結果から見えてきた事柄の一つは、大手新聞社やソーシャルメディアなどのメディア上における「取り上げられる/関心を持たれる情報・トピックスの格差」でした(*7)。

(*7)ここでご紹介する内容と結果の詳細等については、田中幹人・標葉隆馬・丸山紀一朗 『災害弱者と情報弱者-3・11後、何が見過ごされたのか』(筑摩書店)で詳しく議論をしていますので、ご覧いただければ幸いです。

これまでの分析の結果、3.11を巡る大手新聞社による報道では、原子力発電所事故に関わる事柄にフォーカスが強く当てられている傾向にあることが見えてきました。原子力発電所事故がもたらした影響とインパクトの大きさを考えるならば、それは致し方ないことかもしれません。

しかし、一方、その影響によって地震や津波の被害といった事柄は相対的に背景化してしまったということもまた事実です。言い換えるならば、「地震・津波」を巡るトピックスは、「原子力発電所事故」に「呑み込まれて」しまったのです。原子力発電所事故の影響は、直接的な被害に加えて、このような社会的関心配分の問題としても捉えられる必要があるのではないでしょうか。

また別の研究グループの分析では、マスメディア上で報道された地域の間に偏りがあること、またその報道の偏りが被害の大きさを反映していないことが明らかにされています(目黒 2011; 高野・吉見・三浦 2012)。例えば山元町などでは、多くの方が亡くなられ、死亡率が4%を超えてしまうほどの被害を受けたにも関わらず(表1を参照)、そういった大きな被害の実態は他の地域に比べてメディア上では余り取り上げられませんでした(高野・吉見・三浦 2012)。

加えて、我々の別の分析では、中央メディアやTwitterをはじめとするソーシャルメディアにおいて、3.11に関わる事柄の話題のシェア率が時間と共に減少していく実態も確認されました。何を当たり前のことを、と言われるかもしれません。しかし、この震災に関わる事柄が関心の外にいきつつある状況、「忘れられていく3.11」という現実を敢えて強調したいと思います。

最後に

最後に、ここで書かせていただいた内容をまとめたいと思います(*8)。今回の災害では、地域ごとに被害の規模と性質に違いがありました。また今回の被災地域には高齢化や貧困の問題が見え隠れするなど、3.11以前から存在した様々な社会条件上の差異があります。このような格差をスタート地点として、復旧・復興が進んでいくということの意味を考えていく必要があります。

そして、その社会的な格差の問題と並行して、「情報」を巡る格差の問題も今回の広域災害では顕在化しました。地震・津波・原子力発電所事故と並ぶ複合的災害において、原子力発電所事故の事態への関心の高まりとともに、地震・津波による被害への注目が相対的に低くなってしまいました。それは同時に、その背景にある社会の実態や構造への関心の低下でもあります。

(*8)また東日本大震災や災害を巡る状況・論点の俯瞰的把握においては、関西大学社会安全学部(編)『検証 東日本大震災』(ミネルヴァ書房)が情報と示唆に富んでいますので、ご紹介させていただきます。

これらの問題群の帰結として、格差の固定と更なる拡大というシナリオもあり得ます。そういった可能性とリアルタイムで推移していく事態に、少なくとも危惧を持って向き合う必要があるのではないでしょうか。理想論を言うことが許されるならば、本当の意味での震災からの復興や対策を講じるには、地方における格差や「情報」を巡る格差といった問題は避けて通れないものであり、今こそ目を向ける日本社会の根幹に関わる課題なのではないでしょうか。

最後に、改めて当たり前の事柄を強調したいと思います。3.11を巡る被害はまだまだ現在進行で続いています。その中で、復旧・復興を目指した様々な努力と創意工夫が続けられています(*9)。しかし同時に、急速に「忘れられていく3.11」という現実があります。今回の東日本大震災を考えるにあたっては、被害の格差やその背景にある社会構造的な課題に加え、このような「情報」を巡る現実と格差にも視点を向けなければならないのではないでしょうか。「忘れられていく3.11」と失われていく背景にある社会構造への関心に抗い、まだまだ続く被災地の課題と現在に関心を持ち続けていくことが私たちには求められるのではないでしょうか(*10)。

(*9)実際に/現場で、そのプロセス・作業・活動にあたられている方々には、ただただ頭が下がるばかりです。

(*10)最後に一点、当該問題を考える際に筆者が必要と考える姿勢について書かせていただきます。今回の震災においてもっとも被害を受け、また今後も影響を受けてしまう人々への視座を忘れてはならないことは論を待ちません。一方で、筆者も含め、政策担当者や研究者、中央に資本を持つ産業といったアクターは、それらの災害における弱者ではありえません。この問題を議論・検討する際には、筆者も含め、既にそういった権力構造の上にあることの認識を忘れてはならないと思います。自戒を込めて。

参考文献

関西大学社会安全学部(編)『検証 東日本大震災』, ミネルヴァ書房, 2012年2月.

高野明彦・吉見俊哉・三浦伸也 『311情報学-メディアは何をどう伝えたか』,岩波書店, 2012年8月.

田中幹人・標葉隆馬・丸山紀一朗 『災害弱者と情報弱者-3・11後、何が見過ごされたのか』, 筑摩書店, 2012年7月.

中村征樹(編)『ポスト3・11の科学と政治』, ナカニシヤ出版, 2013年2月.

目黒公郎 「東日本大震災の人的被害の特徴と津波による犠牲者について」, 平田直・佐竹健治・目黒公郎・畑村洋太郎(編)『巨大地震・巨大津波-東日本大震災の検証』, 朝倉書店, 2011年11月.

プロフィール

標葉隆馬科学技術社会論

一九八二年生まれ、宮城県仙台市育ち。現在、総合研究大学院大学先導科学研究科・助教。専門分野・科学技術社会論。(共著)『災害弱者と情報弱者―3.11後何が見過ごされたのか』(筑摩選書)、(分担)『ポスト3.11の科学と政治』(ナカニシヤ出版)など。twitter: @r_shineha

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