東日本大震災――いま、もう一度確認したいこと/目を向けたいこと

忘れられていく3.11

 

ここまでに、3.11を巡る被害の概要と現在も続く状況(の一部)を確認してきました。そして、そういった一つ一つの被害には、それぞれの物語があります。本当であれば、その被害一つ一つは、数字によって一括りにして議論できるような事柄ではないのだと思います。加えて、震災の前から存在していた被災地域における貧困や高齢化などの社会構造的な問題も、依然として課題のまま残っています。

 

しかし、このような状況について、私たちはどのくらい目を向けてきたでしょうか。またどのように目を向けているでしょうか。この点に関連して、早稲田大学政治学研究科ジャーナリズムコースの田中幹人准教授らのグループと筆者は、メディア上における言論と関心の動向に注目した分析を進めてきました。これまでに得られた結果から見えてきた事柄の一つは、大手新聞社やソーシャルメディアなどのメディア上における「取り上げられる/関心を持たれる情報・トピックスの格差」でした(*7)。

 

(*7)ここでご紹介する内容と結果の詳細等については、田中幹人・標葉隆馬・丸山紀一朗 『災害弱者と情報弱者-3・11後、何が見過ごされたのか』(筑摩書店)で詳しく議論をしていますので、ご覧いただければ幸いです。

 

これまでの分析の結果、3.11を巡る大手新聞社による報道では、原子力発電所事故に関わる事柄にフォーカスが強く当てられている傾向にあることが見えてきました。原子力発電所事故がもたらした影響とインパクトの大きさを考えるならば、それは致し方ないことかもしれません。

 

しかし、一方、その影響によって地震や津波の被害といった事柄は相対的に背景化してしまったということもまた事実です。言い換えるならば、「地震・津波」を巡るトピックスは、「原子力発電所事故」に「呑み込まれて」しまったのです。原子力発電所事故の影響は、直接的な被害に加えて、このような社会的関心配分の問題としても捉えられる必要があるのではないでしょうか。

 

また別の研究グループの分析では、マスメディア上で報道された地域の間に偏りがあること、またその報道の偏りが被害の大きさを反映していないことが明らかにされています(目黒 2011; 高野・吉見・三浦 2012)。例えば山元町などでは、多くの方が亡くなられ、死亡率が4%を超えてしまうほどの被害を受けたにも関わらず(表1を参照)、そういった大きな被害の実態は他の地域に比べてメディア上では余り取り上げられませんでした(高野・吉見・三浦 2012)。

 

加えて、我々の別の分析では、中央メディアやTwitterをはじめとするソーシャルメディアにおいて、3.11に関わる事柄の話題のシェア率が時間と共に減少していく実態も確認されました。何を当たり前のことを、と言われるかもしれません。しかし、この震災に関わる事柄が関心の外にいきつつある状況、「忘れられていく3.11」という現実を敢えて強調したいと思います。

 

 

最後に

 

最後に、ここで書かせていただいた内容をまとめたいと思います(*8)。今回の災害では、地域ごとに被害の規模と性質に違いがありました。また今回の被災地域には高齢化や貧困の問題が見え隠れするなど、3.11以前から存在した様々な社会条件上の差異があります。このような格差をスタート地点として、復旧・復興が進んでいくということの意味を考えていく必要があります。

 

そして、その社会的な格差の問題と並行して、「情報」を巡る格差の問題も今回の広域災害では顕在化しました。地震・津波・原子力発電所事故と並ぶ複合的災害において、原子力発電所事故の事態への関心の高まりとともに、地震・津波による被害への注目が相対的に低くなってしまいました。それは同時に、その背景にある社会の実態や構造への関心の低下でもあります。

 

(*8)また東日本大震災や災害を巡る状況・論点の俯瞰的把握においては、関西大学社会安全学部(編)『検証 東日本大震災』(ミネルヴァ書房)が情報と示唆に富んでいますので、ご紹介させていただきます。

 

これらの問題群の帰結として、格差の固定と更なる拡大というシナリオもあり得ます。そういった可能性とリアルタイムで推移していく事態に、少なくとも危惧を持って向き合う必要があるのではないでしょうか。理想論を言うことが許されるならば、本当の意味での震災からの復興や対策を講じるには、地方における格差や「情報」を巡る格差といった問題は避けて通れないものであり、今こそ目を向ける日本社会の根幹に関わる課題なのではないでしょうか。

 

最後に、改めて当たり前の事柄を強調したいと思います。3.11を巡る被害はまだまだ現在進行で続いています。その中で、復旧・復興を目指した様々な努力と創意工夫が続けられています(*9)。しかし同時に、急速に「忘れられていく3.11」という現実があります。今回の東日本大震災を考えるにあたっては、被害の格差やその背景にある社会構造的な課題に加え、このような「情報」を巡る現実と格差にも視点を向けなければならないのではないでしょうか。「忘れられていく3.11」と失われていく背景にある社会構造への関心に抗い、まだまだ続く被災地の課題と現在に関心を持ち続けていくことが私たちには求められるのではないでしょうか(*10)。

 

(*9)実際に/現場で、そのプロセス・作業・活動にあたられている方々には、ただただ頭が下がるばかりです。

 

(*10)最後に一点、当該問題を考える際に筆者が必要と考える姿勢について書かせていただきます。今回の震災においてもっとも被害を受け、また今後も影響を受けてしまう人々への視座を忘れてはならないことは論を待ちません。一方で、筆者も含め、政策担当者や研究者、中央に資本を持つ産業といったアクターは、それらの災害における弱者ではありえません。この問題を議論・検討する際には、筆者も含め、既にそういった権力構造の上にあることの認識を忘れてはならないと思います。自戒を込めて。

 

参考文献

 

関西大学社会安全学部(編)『検証 東日本大震災』, ミネルヴァ書房, 2012年2月.

高野明彦・吉見俊哉・三浦伸也 『311情報学-メディアは何をどう伝えたか』,岩波書店, 2012年8月.

田中幹人・標葉隆馬・丸山紀一朗 『災害弱者と情報弱者-3・11後、何が見過ごされたのか』, 筑摩書店, 2012年7月.

中村征樹(編)『ポスト3・11の科学と政治』, ナカニシヤ出版, 2013年2月.

目黒公郎 「東日本大震災の人的被害の特徴と津波による犠牲者について」, 平田直・佐竹健治・目黒公郎・畑村洋太郎(編)『巨大地震・巨大津波-東日本大震災の検証』, 朝倉書店, 2011年11月.

 

 

 

 

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シノドス国際社会動向研究所

vol.279 

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