2014.02.19

原発事故による「ふるさとの喪失」は償えるのか

除本理史 環境政策論

社会 #震災復興#帰還政策#原子力損害賠償紛争審査会

福島原発事故による避難者数は、震災発生から3年が経とうとする今も、約14万人にのぼる(2014年1月末現在)。事故後、9つの町村が役場機能を他の自治体に移転し、広い範囲で社会経済的機能が麻痺した。一部の自治体は、役場機能を元の地に戻しつつあるが、住民の帰還は見通しがたい。

筆者は2011年5月から、共同研究者とともに原発事故被害の実態調査を開始した。それまでの公害問題研究の経験を、少しでも活かせないかと考えてのことである。同年7月には、福島県内外で避難者の方々からの聞き取りをはじめたが、ほどなく、国の原子力損害賠償紛争審査会(原賠審)が、事故被害のうち賠償対象となる最低限の範囲を示す「中間指針」を公表した(8月5日)[*1]。

その内容は、最低限の指針とはいえ、避難者から聞かれる被害実態とあまりに隔たっていた。とくに実感されたのは、「ふるさとの喪失」というべき重大な被害が等閑視されていることだった(拙著『原発賠償を問う』岩波ブックレット、2013年、第II章)。

2011年12月、野田首相(当時)が事故収束を宣言して以降、避難者を福島に戻す「帰還政策」が強まったが、避難者が元の地に戻れるのであれば「ふるさとを失った」という被害は存在しないことになる。しかし反対に、避難者たちは2011年秋頃から、「もう戻れない」という思いを強めていった。自宅周辺の汚染状況がしだいに明らかになり、一時帰宅で朽ち果てていく家を目の当たりにしたことなどがその原因である。

しかも、国が「戻れる」とする放射線量の目安は、年間20ミリシーベルトと相当高いので、「戻れるといわれても戻りたくない」という人が多く出てくるのは当然だ。除染やインフラ復旧は、現在も十分な見通しが立っていない。避難者の喪失感は、こうした客観的背景に基づくものであり、単なる主観的な被害ではない。

以下では、原発事故によって失われつつある「ふるさと」の原状回復と賠償について考察したい。筆者が学んできた経済学によれば、被害とは価値の喪失と考えられるから、ここで失われた「価値」とは何かが問題となる。まずは、「ふるさとの喪失」の内実からみていこう。

[*1]http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chousa/kaihatu/016/houkoku/__icsFiles/afieldfile/2011/08/17/1309452_1_2.pdf

コミュニティ、自治体の危機と地域づくりの破壊

原発事故により、たとえ全住民が避難しても、それが一過性のもので、汚染の影響が残らなければ、地域レベルの被害は比較的容易に回復できるだろう。しかし、今回のように避難が長期化すると、回復は難しくなる。地域を構成する複数の個人・世帯の間で、原住地への帰還や生活再建に関する意思決定(たとえば移住先)が多様化し、住民が離散していくからだ。

住民が戻れず離散していけば、コミュニティが失われ、自治体は存続の危機に直面する。役場を戻し、事故収束、廃炉、除染などの作業で人口が流入したとしても、住民が入れ替わってしまえば、すでに元の自治体ではない。コミュニティとともに、そのなかで継承されてきた伝統や文化なども失われてしまう。

このことは、住民が主体となり地域発展を進めてきた自治体にとって、地域づくりの担い手と取り組みの成果の喪失を意味する。それだけではない。過去の取り組みの延長線上に展望されていた、地域の発展可能性あるいは将来像も失われようとしているのだ。

たとえば飯舘村は、1980年の冷害を機に内発的な地域づくりに転換し、住民参加の発展や、牛肉の産直を通じた村の「ブランド化」などに取り組んできた。1994年に策定された第4次総合振興計画では「地区別計画」が作成され、地区・集落を単位とする地域づくりが本格化していった。

とくに2004年に、村が合併しないことを決め「自立」の道を選択したころから、農家レストランを営む女性が地元のコメと水でどぶろくをつくり、それが村の名物となったり、オリジナル品種のジャガイモ等の栽培、加工品開発がすすむといった動きがあらわれていた。

原発避難は、このような地域づくりの破壊も引き起こしたのである。

飯舘村の酪農家たちは手塩にかけて育ててきた牛を処分した。写真は、空になった牛舎(2011年8月11日、筆者撮影)。
飯舘村の酪農家たちは手塩にかけて育ててきた牛を処分した。写真は、空になった牛舎(2011年8月11日、筆者撮影)。

避難者が失ったものは何か

避難者が戻らなければ、コミュニティや自治体が維持できなくなるのは明らかだが、このことは、個別の避難者からみるとどのような意味をもつか。

避難者の口から「戻りたいけれど戻れない」という苦悩がしばしば語られる。「戻りたい」という言葉は、原住地に固有で、代替性のない要素への思いを表現している。具体的には、土地を含む自然資源、景観、コミュニティなどが挙げられる。

これらが避難先で完全に回復されるなら問題はないが、それは不可能だ。経済活動や居住のスペースとしての土地は、元手さえあれば避難先で回復可能である。しかし、福島県浜通りなどの被害地域では、土地は先祖から引き継がれ、次の世代へと受け渡していくものだという意識が強い。

2013年3月末から不動産賠償の手続きがはじまったが、そこに至る過程で、実際に住んでいた人と登記上の所有者が一致しないケースが非常に多いことが問題視された。このことは、土地や家屋が、頻繁に売買される「財物」と同じではないことを示唆している。代々受け継がれる土地や家屋は、代わりのものをすぐに手に入れることはできない。つまり、代替性が乏しいと考えるべきだろう。

また、コミュニティも地域に固有である。東京のような大都市では、地域における人間関係が農村部に比べて希薄なため理解されにくいが、被害地域における人びとの暮らしは、さまざまな場面でコミュニティと深くかかわっていた。たとえば子育ても、各世帯内で完結するのではなく、地域のなかで行なわれる。コミュニティの諸機能は、それなしで済ませられるようなものではなく、人びとの暮らしにとって、非常に重要な意味をもっていた。

避難者たちは、原住地に固有の要素から切り離されたことによって、「生きがい」の源であった諸活動(農作業など)を奪われだけでなく、コミュニティや地域の環境から得ていた各種の「便益」をも喪失したのである。

「かけがえのなさ」と経済的価値

ふるさとは、かけがえのないものだ。かけがえのなさは個人的な愛着を含んでいるが、それだけではない。たとえば長い間、ていねいに管理されてきた農地は、生産手段として客観的に見ても他に代えがたい(再生産に要する時間がきわめて長い)。

かけがえのなさは、他に代えがたい(代替性が乏しい)という意味での固有性とともに、普遍的な「価値」をも表現している。こうしたふるさとの価値を、19世紀の思想家、ラスキンにしたがって「固有価値」と呼んでおこう。固有性と普遍性の併存に、この概念の本質がある(大島堅一・除本理史『原発事故の被害と補償』大月書店、2012年、第3章)。

固有価値と混同されやすい概念に、使用価値がある。使用価値とは、モノやサービスの有用性そのものである。しかしそれは、靴は履くものであり、服は着るものだというように、ありふれた有用性にすぎない。その場合の市場の評価は、同一の使用価値をもつモノやサービスであれば、価格が安ければ安いほどよいということになろう。そこでは、製作者や産地などによる個性は捨象されてしまう。

これに対して固有価値は、(通常の)使用価値とは異なり、固有であるがゆえに普遍的な価値をもつという性質がある。固有価値は、後者の普遍性という側面において、貨幣的・経済的価値と結びつく。すなわち、市場において消費者から評価されることにより、価値実現がはかられる。たとえば、地域ごとに特色のある農村景観は、「歴史的・文化的価値」をもつものとして都市住民に評価され、「消費」の対象となっている。

こうしたトレンドは、農村研究で「消費される農村」あるいは「農村空間の商品化」などと呼ばれ、近年、重要な研究対象となっている。具体的には、農産物が単なる食品としてではなく、健康や環境という観点での価値形成が進んでいることや、グリーンツーリズムなどといわれるように、消費者が農村に直接出かけて、農産物だけでなく農村空間そのものを「消費」する、といった現象を指す。

この動向の少なくとも一部は、都市の消費者が農村のもつ固有価値を積極的に評価し、地域の持続可能性(サステナビリティ)に貢献したいという志向を反映しているのだと考えられる。ここに、市場のあり方の転換という歴史的趨勢をみてとることができる。

従来の経済学が考えてきた市場とは、「生存競争」型のそれである。すなわち、ある効用を充足するのに最低の機能を備えた財をもっとも安く供給するという、単一の目的に適合する消費者と供給者が生き残る世界である。そこでは、消費者の関心は(通常の)使用価値のみに向けられ、地域の環境、歴史、文化のもつ固有性は、およそ価値評価の対象とならない。

他方、現代の市場がむしろそうであるように、「共存的競争」の世界では、地域固有の資源をもとに、多様なものが供給、購入され、それらが共存しつつ、たがいに補足しあう。このような市場では、資本主義の発達過程で駆逐されてきた職人の手仕事にも、相応の評価が与えられるのである。

ただしもちろん、このような市場のあり方の転換は、あくまで傾向として看取されるにとどまる。現状では、むしろ従来型の市場が強固に機能しているというべきだろう。そのため現在のところ、固有価値が市場のなかで十分に評価されているとはいいがたい。

「ふるさとの喪失」被害の原状回復と賠償

これまで明らかにしてきたとおり、避難者が土地、景観、コミュニティなどの原住地に固有の要素から切り離されたことに、「ふるさとの喪失」被害の核心があった。その背後には、地域レベルでの固有価値の喪失がある。最後に、これらの被害の原状回復と賠償のあり方について考えてみよう。

土地は、経済活動や居住のスペースとして見れば、固有性はない。したがって、スペースとしての土地は、被害を受けた所有者への金銭賠償を通じて回復することができる。居住用不動産は、避難者の生活基盤として決定的に重要だから、事故当時の交換価値にとどまらず、再取得に要する費用を賠償すべきではないか。

住居の再取得を保障することは、生活再建を進めるうえで何としても必要だが、あくまで居住スペースの確保にとどまる。避難者たちがふるさとを追われたことには、何ら変わりがない。したがって、再取得費用の賠償は原状回復に準ずる措置と捉え、それでもなお残る被害の救済を考えるべきだろう。

個別に所有された土地は、地域的に集積すると景観を構成する。先ほど、「農村空間の商品化」について触れたが、たとえば飯舘村でも、自家畑の作物と周辺の景観を活かしたカフェが村外からのリピーターを獲得し、経営を軌道に乗せていたという例がある。地域の景観を活かして獲得されていた経済的利益は、金銭で埋め合わせることができる。しかし、景観それ自体は地域に固有であり代替性がないので、後から回復するのはきわめて難しい。

景観(一時的な訪問者としてではなく、日常的に享受すること)やコミュニティから享受されるサービスは、経済学でいう「クラブ財」(ないし「地方公共財」)の性格をもっている。つまり、地域住民に限って享受される「公共財」であって、その意味で排除性があるが、競合性は低い。

したがって、個々の成員に対し、その利益を完全には分割できない。逆にいえば「クラブ財」の被害は、各成員に対する被害の総和以上のものである。集団としての地域住民が受けた被害を、個別の成員の被害とは別に、考慮する必要があろう。

以上の考察を踏まえると、第1に、完全な原状回復は難しいとしても、可能な限りそれに近づける方策を追求する必要がある。土地などの不動産に関しては、再取得費用の賠償がそれにあたり、またコミュニティの諸機能については、それを享受していた成員個人に対し、行政が福祉面で支援措置をとることなどが考えられる。

コミュニティの諸機能については、競合性が低いという性質から、成員個人に対してとは別に、集団に対する被害回復(コミュニティ回復)の措置が併存してよい。この点では、個々の避難者の選択を尊重することを前提に、福島県内外で生活再建を進める避難者と、原住(避難元)自治体とをつないでいくための取り組みが必要だろう。

たとえば「二重住民票」といわれるアイデアがある。これは、避難先で住民登録を行なった場合にも、避難元の自治体の住民としての地位を保持できるような仕組みを指す。こうした制度の具体化に向けて、さらに検討を進めていく必要がある。

ただし景観に関しては、原状回復を展望することが非常に難しい。住民が避難することで農地が荒れたり、また本来、原状回復を意図する除染によって土が剝がれ、放射性廃棄物が積み上げられるなど、逆に景観が悪化している場合が少なくない。

さらにいえば、以上のような施策を進めても、失われた地域固有の要素が完全に回復されるわけではない。したがって第2に、それらを喪失したことによる精神的被害を評価し、賠償することが考えられる(「ふるさと喪失」の慰謝料)。

この点について、原賠審は2013年12月、帰還困難区域の避難者らに対して「故郷喪失慰謝料」の賠償を認める指針を決定した[*2]。しかし指針をよく読むと、これまでと同じ1人月額10万円の避難慰謝料を、将来にわたり一括払いすることで、額を大きくみせているにすぎない。これでは「ふるさとの喪失」を償うことはできない。

原発事故被害の救済には、いまだ多くの課題が残されている。適切な賠償、新しい政策・制度の形成などを通じて、総合的な取り組みを進めていくことが強く求められる。ただしその成否は、被害地域への国民的な「まなざし」に大きく影響される。地域の固有価値に対する理解がどこまで進むかがカギである。

[*2]http://www.mext.go.jp/component/a_menu/science/detail/__icsFiles/afieldfile/2013/12/27/1329116_011_1.pdf

サムネイル:原発避難で空になった牛舎(飯舘村で2011年8月11日、筆者撮影)

プロフィール

除本理史環境政策論

1971年生まれ。大阪市立大学大学院経営学研究科教授。専攻は環境政策論、環境経済学。著書に、『原発賠償を問う』(岩波ブックレット)、『原発事故の被害と補償』(共著、大月書店)、『環境の政治経済学』(共著、ミネルヴァ書房)、『環境被害の責任と費用負担』(有斐閣、環境経済・政策学会奨励賞)など。

この執筆者の記事