被災地最前線からの報告 ―― 記者たちが探し出した『真実』

災害遺構を残すか否か

 

亀松 「復興」というときに、象徴的な言葉に「災害遺構」があります。例えば原爆ドームが戦争の遺構として残されているように、今回の震災でモニュメントとなるものがある。それらを残しておくべきなのか、撤去すべきなのか。被災者がどのようにお考えかお聞きしたいと思います。スライドには女川のコンクリートの塊、石巻の水産加工会社のタンクや南三陸町の防災対策庁舎などがあげられます。

 

三浦 防災対策庁舎については、町長が取り壊すことを表明しています。

 

亀松 残したほうがいいという声はありますか。

 

三浦 かなり多くあります。この建物は後世にどれくらいの高さまで津波が来たのか、人々がここでどうやってがんばっていたのかを伝えるために必要じゃないか、という声ですね。

 

この建物は遠藤未希さんという方が、最後まで住民に逃げて下さいと避難を呼びかけていた場所として有名だと思います。正確な数字はわかりませんが、この建物には約50人が避難していました。三階の屋上までが15m前後でしたが、津波が押しかけてきて、そのうち10人しか生き残れなかった。周りはほとんど壊滅してしまって何もありません。

 

一方で、流された40人の遺族からすれば、買い物に行くときや学校に行くときに自分の親、子ども、あるいは恋人が亡くなった場所をいつも目にしなければならないという辛さを慮る必要もあります。町長はこれを考慮して取り壊すべきだとおっしゃっているんです。

 

 

三浦英之氏

三浦英之氏

 

 

亀松 なるほど。今のコメントでも壊すべきと壊すべきないという意見にわかれています。ここでアンケートをとってみたいと思います。各地域の災害遺構を残すべきだと思いますか? 「残すべき」「残すべきではない」「わからない」の三択でお答えください。

 

アンケートの回答をいただいている間にお聞きしたいのですが、石巻のタンクはどうなるんでしょう。

 

川端 最終的にどうなるかはっきりとわかっていません。もう電線も復旧してしまっていて、動かしようがないんです。ただ道路の真ん中に置いたままにしておくのは難しいでしょう。また女川を襲った津波はとりわけ強烈だったようで、コンクリート建築が倒壊したのは女川の港周辺で4棟あったようです。専門家によると世界的にもあまり例がないそうで、女川町はこの意見を取り入れて全部残そうとしました。ただ1棟だけでは、遺族の方が見るに堪えないということで撤去されました。

 

その地域で暮らしていく人にとって、無残な跡をずっと見続けていくのはなかなか難しいことだと思います。一方で津波がどれだけ大変なものだったのかという記憶を、なんらかのかたちで残さなくてはいけない。その折り合いをどうつけていくかは、これからまさに議論しなくてはいけないでしょう。

 

亀松 なるほど。

 

さて、アンケート結果ですが、すごく割れています。

 

1. 残すべき 34.9%

2. 残すべきではない 31.1%

3. わからない 33%

 

こんなにきれいに意見が割れることって珍しいですね。

 

大槌町でも震災遺構の話はありますか。

 

東野 大槌町舎も同じような話があります。あと民宿の上に、観光船はまゆりが乗っていることで話題になりましたよね。船については、安全上の理由であのままにしておくのは危険だという住民の声があったため二ヶ月で撤去されました。

 

実はもう一度復元しようという声が地元や町の外であがっています。「残しておけば外から観光客が来るからいいじゃないか」という意見もある一方で、「そんなものを金儲けするために残すという考え自体申し訳ない」という気持ちも強くある。この論争は未だに続いています。今のアンケートで意見が三つに分かれているというのは、そういったいろんな立場を反映しているのかもしれませんね。

 

川端 「観光地化」という言葉がよく語られるんですね。先日も雄勝の公民館の上に乗っかった観光バスが撤去されました。これに関しては報道もされましたし、たくさんの人が見に来ました。将来的に雄勝の観光資源になるだろうと言われていましたが、そこで亡くなった人が多かったので観光化に対する抵抗感が強くて、撤去されることになったんです。原爆ドームも観光で来る人がいるわけですよね。大勢の人が見に来るということをネガティブに捉えるのか、前向きに将来への継承として捉えるのか、ここでも同様に意見が割れたんだなということがよくわかります。

 

佐々木 積極的に見せることを始めたところがありましたよね。釜石でしたっけ?

 

伊藤 あちこちで被災地ツアーというのが始まっていますね。

 

東野 「観光」という言い方だと「やっぱり……」となるけれど、防災教育上いいものですし、記憶を風化させないことには貢献します。震災遺構を残すことで、50年、100年経っても津波の恐ろしさが伝わる。ただ、そう納得するにはかなり時間がかかると思います。原爆ドームも多分最初は抵抗があったと思います。時間が必要ですね。そこをどう思うかは僕らが考えるべきじゃなくて、やはり地元の人が納得するかどうかだと思いますが。

 

伊藤 地元の人に任せると、今抱いている心の痛みが復興の妨げになってしまうんじゃないかと僕は思います。物理的に、片付けたいという気持ちになるから、地元の人だけに委ねるとどんどんなくなってしまう。「観光」という言葉は抵抗がありますが、日本国民、世界中の人のためにも、これだけひどい災害の跡をしっかり残しておくのはわれわれの責任だと思います。「これは貴重です」という外部の声を現地に届けないといけないと思いますけどね。

 

 

伊藤智章氏

伊藤智章氏

 

 

佐々木 僕はいろんな人に見てほしいなって思っています。半年遅れて南相馬市にきたわけですが、実際に見て歩いて初めてわかったことが結構ありました。震災から一ヶ月後に石巻に行ったとき、すごい匂いがしていて、これはテレビや新聞の言葉ではなかなか伝えづらいものだと思ったんですね。

 

実は阪神大震災で尾張取材に行ったとき、日曜になると大阪から小さなカメラを持った人たちがやってきて、観光客の横で写真をたくさんとっているのを見たことがありまして。そのときはすごく腹がたったんです。何をこんなところに来やがってと。でも今被災地に来て思うのは、まずは来て見てもらってほしいなということです。僕は外から来た人間だからそう思うのかもしれない。被災地の方は複雑な思いでしょう。

 

川端 大川小学校の校舎もまだ被災したまま残っています。やはり遺族の間では意見が割れています。たくさん写真を撮りに来る人や観光バスで来る人がいて、何だと思う人もいる。たくさん見てほしいという遺族の方も大勢いる。

 

確かに地元の人だけの議論にすべきではないと思うんです。実際、日本には災害遺構が少ない。壊した方が手っ取り早いのは確かですし、残すために費用もかかる。当然それを地元の責任だけで残すわけにはいきません。残すのであれば、国として費用を定めて、それをどうまかなっていくのかということを地元の住民だけの議論ではすませてはいけないと思います。

 

亀松 なかなか二者択一は難しいと思います。伊藤さんは残すべきだという立場ですか。

 

伊藤 そうですね。例えば田老の防潮堤ですが。これは40年かけて作ったものですが、今回の津波で倒れてしまった。10mの防潮堤はものすごい高さで、東京の江戸川の河口にある堤防よりもよほどがっちりしている。それが自然の力によって、いとも簡単に崩れてしまうわけですね。東京の人に見てほしい。自分たちの住んでいるところに同じものがきたら簡単にやられます。それを東京の人も知らないといけない。観光という言葉はよくないけど、見に来てその人たちのためにも残しておいてほしいと思います。

 

 

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シノドス国際社会動向研究所

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