被災地最前線からの報告 ―― 記者たちが探し出した『真実』

生きた証の伝え方

 

川端 報道とは関係ありませんが、震災直後に遺体安置所に行ったとき、たくさんある身元不明の遺体の顔写真が壁一面に貼られていたんです。

 

亀松 どういう見た目かわかるように写真を貼っていたわけですね。

 

川端 はい、身分証明書も何もないので、写真を見せたり、特徴を書いたりしていました。自分にあの写真と同じものが撮れるかどうかと考えると、かなり難しいと思います。

 

われわれは常に報じることの意味を考えなければならないと思います。これだけの人が犠牲になったという現実を、地元の人はたくさんの遺体と接しているからこそ感じていると思うんですよ。もちろん顔がわかるような撮り方はすべきでないと思いますし、遺族の方に撮らないでくれと言われたら撮れない。

 

ただ、その現実は何らかのかたちで伝えなければいけないなと思います。文字で伝えることもできますが、写真や映像のもつインパクトも手段として放棄すべきでないのではと思います。また、アンケートの結果で半分近くの方が撮るべきと言っていますが、それは受け手の考え方だと思いますね。ご自身のご家族の写真だったらどうかといえば、また数字は変わってくると思います。

 

亀松 死をどう伝えていくかを考えたときに、写真を使うという方もいると思いますが、文字を用いる方もいますね。東野さんが「生きた証」という記事をまとめて紙面にまとめて掲載したことがあります。

 

東野 そのときのことを少し説明させてもらいます。僕は被災地に来て何をやるか考えて、まずは復興の手伝いをしたいと思ったんです。復興の取材をしているとき、人の不幸を飯のタネにしてやっている後ろめたさがありました。だから、記事に載せる仕事以外に何かできないかなと考え、取材の記録を残すということをやってみようと思いました。生きている人の話はたくさん聞けますが、亡くなった人の話は消えていってしまいます。供養の意味もあるし、実際に生活していたということの証を残したいと考えたんです。

 

できるだけたくさん記録して、役場に保管しておけば何かの役に立つのかもしれません。どこの誰だったかという情報だけでなく、どういう人だったか、どういうふうにして亡くなったかを記すことによって防災のためになるかもしれない。そう考えながら少しずつやっていました。

 

すると、それを読んだ同僚の記者たちがみんなでやった方がたくさん集まるんじゃないかと考えて、40人くらいの方が一緒に取材してくださったんです。それからしばらく続けていますが、新聞に載せてほしいという依頼が結構きて、100人分の記録を掲載することになりました。それが掲載された12月9日付の岩手県版の新聞です。

 

大槌町は、死者・行方不明者を含めると1300人弱。そのうちの100人ですから、ほんの数パーセント。載せてから思ったことは、われわれは人が死んだら大騒ぎして書くくせに、何万人と亡くなったときは十把一からげにしてしまうのだなということです。だから、これだけの人が亡くなっていてこれはそのごく一部なんですと伝えることも意義があるんじゃないかと思いました。

 

亀松 住所、被災時の状況、人柄などの情報が100人分一挙に掲載されたんですね。さっき、遺族には取材に応じる義務はないというコメントがあって、もちろんその通りだけども、遺族の中にはむしろ忘れてほしいという人もいるわけですよね。

 

東野 もちろんそういう方の記録は載せていません。むしろ、かなりの人が取材に応じてくれて、拒否されるということはほとんどありませんでした。一周年で、岩手日報という地方紙が顔写真まで入れて県内で亡くなった方々の記録を全部掲載し始めました。ここに載っているのは、亡くなった方全体の3分の1に当たる数。総力取材で何ヶ月もかけて、8日間連続で掲載していました。僕はまさに、こういうふうにして記録に留めるということをやりたかった。このように共感を呼んでいることが非常にありがたいと思っています。

 

亀松 今までは厳しいコメントがありましたが、今回は、これは大事なことだ、いいことだというコメントがかなり多いですね。

 

東野 あくまでも、無理矢理嫌がる人に取材するような内容ではないということをわかっていただきたいですね。

 

亀松 他の皆さんも亡くなった方の生きた証を伝えようという気持ちを持ちながら取材しているのでしょうか。

 

「数字となった命」という見出しで、川端さんが書かれた記事があります。今回すごい数の人が亡くなったり行方不明になったりしていて、その数字の巨大さがひとつ報道の焦点になりました。その数字が大きすぎるがゆえに、それだけで伝わったかのように錯覚してしまうのではという主旨でしょうか。

 

川端  石巻は特に犠牲者の数が一番多かったので。われわれはどうしても数字の大きさに注目してしまいがちですが、そのひとつひとつが命です。ひとつひとつの命の物語を、小さくてもいいから伝えて紡いでいかないといけないと思ったことがこの取材の原点です。

 

 

これから何を伝えていきたいか

 

亀松 最後に皆さんにこれからのことについて簡単にお話いただきたいと思います。震災が起きてから一年が経過して、一旦報道が落ち着き始めていますが、被災地の現実はこれからも続いていきます。それをふまえて、皆さんがこれから何を伝えていきたいかあらかじめフリップを用意させていただきました。三浦さんからお願いいたします。

 

三浦 「家族」だと思います。

 

今回の震災で、被災地だけでなく、電車が止まって帰れなくなった東京の人、また放射線の件もあって、皆さんが考えたのは家族のことだと思います。複雑な世の中になってきて、何を信じていいのかわからない難しくなっている今も、日本全国が「やっぱり家族はいいな」と思ったのではないでしょうか。家族という小さなグループをしっかり見つめなおすことによって、少しずつこの国を変えていくしかないなと思いました。

 

亀松 ありがとうございます。では佐々木さんお願いします。

 

佐々木 「住民の息づかい」ですね。人は誰でも小説を1編だけは書くことができると言われます。みなそれぞれの物語をもっているということですが、今回被災地でいろいろ話を聞いて、どんな人にも必ず物語があるというふうに思いました。それだけ大きなことだったんでしょう。

 

福島は特に原発という問題があって、目に見えない恐怖がずっと続いているわけです。そうした状況で、復興といいたいところですが、まだまだのところがたくさんあります。でも、元気でやっていきたいと思っている人たちもたくさんいます。その人たちひとりひとりの息づかいを多く伝えていきたいと思います。地元の人にも読んでもらいたいけど、少しでも多く東京の人に読んでもらいたい。

 

亀松 東野さんお願いします。

 

東野 「底力」ですね。新聞は生きている人に向けて書くわけですよね。被災者、そして被災者を見ている人に何を伝えるべきかを考えると、先ほど話したように、生きた証を新聞でいっぱい書いていくことに本当に意味があるかどうか疑問を抱いてしまうんです。

 

防災の研究家の方に話を聞いたとき、亡くなった人たちの話ばかり書いているのではなくて、生きている人の生活情報とか、復興していくには何が必要かを新聞は書いていくべきだとおっしゃられた。ただ、被災地に行ってみるとそうも言っていられないわけです。なかなか前を向けない人もいて、そういう人のことを伝えなければと思いつつも、それじゃダメだという葛藤が芽生えてしまう。その繰り返しを一年間やってきたような気がします。

 

少しでも復興が見えてきたら、復興について書いていきたいです。ただ国が冷たいだとか、政治が被災者のことを考えていないということもありますが、まだ被災地の方の底力を見ていないような気がしているからです。

 

今までは、良く言えば非常におだやかで、悪く言えばあまり向上心がない過疎や高齢化の進んでいたところが被害にあってしまったわけです。それを元のような町に戻せばいいという声もありますけど、そんな町に延命措置を与えているだけではいけないのではないでしょうか。町の人にも立ち上がってほしいし、そこで底力が見えたら、声を大にしてできるだけたくさん伝えたいと思います。

 

亀松 伊藤さんお願いします。

 

伊藤 「怒りと悲しみ」にしました。私はこの五人の中で一番北にいて、放射線の問題も少ないし、犠牲者も比較的少ないので、どちらかと言うと復興が早いんです。コンクリートの工事も始まっていて、復興の記事を書くことも多いですけど、被災者たちのことを忘れずに被災地にかかわっていきたいと思っています。

 

復興の話になると、政治の仕組みやいろんなややこしいことがでてきて、そのなかでどう妥協しながら物事決めていくかという話になりがちです。そのうちに、原点にある怒りや悲しみが揺らいでしまうのではないか。

 

この原点にこだわっていかなければならないと思います。復興に向けて歩いている人もいれば、いろいろ胸の奥に秘めている人もいる。両面を一人の個人を通じて感じます。全体像をかけるかどうか常に考えるようにしている自分は、そこで試されているように思います。

 

亀松 最後に川端さん。

 

川端 「記憶」です。被災地をまわって感じたのが、過去の大津波の被害がしっかり記憶に残っているところは被害が比較的出ていないということです。被害をなるべく小さくするのは、過去の記憶をいかに残しておくかに関わってくるんじゃないかと思います。

 

あの3月11日に何が起きたのか。われわれが書いたものを全て出しても100分の1も書けていないんじゃないかと思います。安全と言われていた場所でもたくさんの人が亡くなっています。何があったのか、そしてある場所では救えたのに、別の場所ではなぜ救えなかったのかということを、もっとしっかり検証を続けて書いていかなければいけないと思います。

 

おそらく今回の震災のことは記録としては必ず残るでしょう。ただわれわれは、それを人々の記憶として残す仕事をしていかなければならない。そのためにどうするのかという答えは見つかりませんけど、それが新聞記者の重要な仕事なのかなと考えています。

 

亀松 今、「記憶は消えるよ」というコメントがあったんですがまさしくその通りだと思いますね。被災体験した人でも、だんだんディテールを忘れていってしまいます。記憶が消えていってしまうものだからこそ、いったん記録しないといけない。それをまた多くの人に伝えていく。ある人が体験したことを記録にして、それを記憶して伝えていってもらうということに意義がありますよね。

 

川端 そうですね。記録として残すだけではいけない。記録として残したものを記憶に残しておくということは、なかなか大変ですがやらなければいけないことだと思います。

 

亀松 皆さん、ありがとうございました。視聴していただいたユーザーの皆様、三時間を超える長い番組になってしまいましたが、どうもお疲れ様でした。ありがとうございます。ではこのあたりで失礼したいと思います。

 

(本記事は、2012年3月29日に放送されたニコニコ生放送「被災地最前線からの報告」をもとに再構成したものです。 )

 

 

 

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