「My農家を作ろう」方式の放射能測定がもたらしたもの

 「社会」で決めるということ

 

測定メソッドとともに、円卓会議が避けて通ることができなかったのは、自主基準値の設定である。3月中旬に行われた円卓会議の「My農家を作ろう」サイトのプレスリリースは、国の100Bq/kgへの食品基準値の変更のちょうど直前だったというタイミングの一致もあり、4月に数多く受けたマスメディアの取材の関心は、やはり20Bq/kgという自主基準値に集中した。きめ細かい農地からの測定メソッドや、地域の多様な主体の協働という円卓会議のプロジェクトの本質への理解なしに、20ベクレルという数字だけが独り歩きすることを警戒するわたしたちは、いくつかの取材の申し出を断らざるを得なかったほどだ。

 

が、円卓会議の自主基準値への見解は、行政との対決などといったインパクトの強いストーリーを作ろうとしがちな、多くのメディアの取材者たちにとっては肩すかしだったようだ。円卓会議は、この20Bq/kgという数字を決して適当に打ち出したわけではないが、何らか医学的な判断根拠を伴った「これなら安心」という意味も、ましてや、政府の基準値を不安視することからの対抗意識も、ことさらに込めているわけではないからだ。

 

この20Bq/kgという自主基準値は、数か月にわたる熟議を経て、立場の違う多様な主体が異なる利害をすり合わせて決定したものであり、そうしたプロセスの結果出てきた数字であるということのみに、何物にも代えがたい意味があるものだとわたしたち円卓会議のメンバーは考えている。

 

広く知られてきたように、現時点での科学から見た低線量被曝の影響についての正解は、最終的には「よくわからない」。人類は、広範囲にわたる放射線被害についての経験を、幸いなことに、まだ十分に蓄積していないからだ。そして、科学者の標準的な見解は、人体に対しての実効線量がどの数値を越えると明確に影響が顕れるという「しきい値」のない、線形モデルを採用している。

 

そこで提唱されるのが、よく知られている国際放射線防護委員会・ICRPのALARA(As Low As Reasonably Achievable:合理的に達成可能な限り低く)原則だ。どこからが危険だと明確に言えない以上、どの基準値をとるか=許容できる範囲をどこと定めるかは、防護をすることの医学的メリットと、防護をすることによる社会的・経済的ディメリットを天秤にかけて、「社会で決める」しかない。

 

この原則は、まっとうな科学者ならほぼ全員が合意している ―― すなわち、放射線防護基準は結局のところ、科学の領域ではなく社会の領域のマターだと科学者自身が認め、以前から社会の側にボールを投げかけていたわけだ。

 

円卓会議では、このALARA原則を第一回の会議の添付資料として配布して確認し、この思想を愚直に実践していこうと当初より意識していた。社会で決めるというのは、消費者としての市民のみが集まって、放射線防護のメリットのみを最大化した「ゼロベクレル」を目指していくことではない。利害の異なる多様な主体で構成されているのが社会であることを前提に、一定の放射線防護を実践することでディメリットが発生する可能性のある人々(農家など)の声にも耳を傾け、放射線防護を行うために発生するコストも勘案(円卓会議の場合は、おもに測定業者・ベクミルの見解)した上で、時間をかけて決定していくということだ。

 

農家にとっては、圃場のコンディションを把握しながら厳しく品質管理をすることで、現在の柏の状況において、決してこれ以上の放射能濃度は出さないという目標にすることができる数値であること。かなり放射能を気にする消費者にとっても、まあこのぐらいなら妥協あるいは「我慢」できるかという数値であること。

 

実際に地元野菜を店頭に置く小売業者にとっては、商品棚から自由に商品を選ぶことができる消費者に対して、他産地との比較の中で見劣りしない形で提供できる数値であること。そして、測定業者(ベクミル)にとっても、数多くのサンプル数を測ることを前提として、技術的・コスト的に達成可能な検出下限値をクリアできること。利害の異なるすべての円卓会議参加者の立場を尊重し、みんながここでやってみようと折り合えることにこだわったわたしたちは、この20Bq/kgという数値を決めるのに、3回の会議を必要とした。

 

柏というホットスポット化した地域において、正式な手続きは踏んでいないまでも、多様な利害の人々を集めたある種のコンセンサス会議的な場を作り、そこでの熟議を経て、測定メソッドと自主基準値を曲がりなりにも「社会的」に決定したというプロセスに、わたしたちは胸を張っていいと思っている。

 

もちろん、円卓会議という「社会」で決めた基準値を、柏市民は誰しも受け入れるべきだなどと思っているわけではない。一定の条件下で社会的に合意された基準値を受け入れて、購買行動の参照点にするかどうかは個人の自由な選択であり、押し付けるべきものではないというのは当然の大前提だ。

 

それでもわたしは、多様な市民がそれぞれの利害関心を調整することで、放射線防護を「社会化」するこうした試みが、全国的に広まることを願っている。いまだもって、食品安全委員会における専門家の議論を経て国が出してくる基準に対して、高すぎる、いや低すぎるというネット上の言い合いばかりが目立ち、ALARA原則の思想を地道に実践する各地のこうした試みがあまり伝わってこないのは、とても残念なことだ。

 

ただし、各地でこうした試みが行われたときに設定される基準値は、20Bq/kgより高い場合も、低い場合もありうるだろう。この数字はあくまで、2012年3月の時点の柏の汚染度における野菜の基準値として折り合って合意されたものであり、決して普遍的なものとも、絶対的なものとも考えていない。むしろ、最低限のベースとしての国の基準のほかに、さまざまな地域において、その時点での除染などの対策の進展や対象品目ごとに異なるリスク、それにマーケティング上の必要性などを織り込んで、それぞれの実情に応じた基準値の合意形成を図っていくほうが、本来あるべき科学と社会の関係性に近いのではないだろうか。

 

 

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