福島レポート

2019.12.05

「福島はおいしい」を伝える――福島県川内村・Kokage Kitchenの挑戦

福島大学4年・大島草太氏インタビュー / 服部美咲

インタビュー・寄稿

東京電力福島第一原子力発電所の事故の後、福島県双葉郡川内村は、避難指示が出た地域をはじめ、一時は全村が避難した。2016年6月には避難指示区域がなくなり、2019年には原発事故前の8割以上にまで人口が回復した。さらに、村を挙げての移住支援も功を奏し、フラワーショップやブーランジェリーなど、若者が活躍する新たな事業も次々にはじまっている。

2019年3月、川内村のそば粉を使ったワッフルを移動販売するKokage Kitchenがオープンした。店主は福島大学4年の大島草太さんだ。大島さんは「川内村の魅力を伝えて、川内村の人たちをもっと笑顔にしたい」と語る。

大島さんは、さらに多くの人々に広く川内村の魅力を伝えるために、2019年12月26日まで、クラウドファンディングにも挑戦している。

・福島県川内村の魅力をのせて旅するワッフル屋さん、キッチンカーをつくるの巻!

 https://camp-fire.jp/projects/view/211180

――福島にいらっしゃる前(高校時代)、福島についてどのような印象をお持ちでしたか。

福島には、小さい頃にキャンプなどで訪れていたので、自然が豊かなイメージを持っていました。震災と原発事故があってからは、「放射能汚染がどこまできているかわからない」という漠然とした不安を感じていました。

大学進学と同時に福島へ行くことが決まった後は、そういった原発事故後に感じた不安があったので、公的なデータやインターネットなどで、福島の現状について調べました。もし自分自身が住むことにならなったら、福島にこれほど関心を持つこともなかったと思います。

――川内村で見たものや景色で、心に残っているものはありますか。

新緑の濃さや秋の鮮やかな紅葉など、印象的な風景はたくさんあります。なかでも心に残っているのは、星空です。大学のある福島市では、同じ県内でも、あれほどたくさんの星は見られません。車があまり通らないのをいいことに、当時「むらの大学」(福島大学の地域実践型学習プログラム)で同じグループだった仲間と、道路に寝転んで、しばらく流れ星を数えたこともあります。

――川内村で出会った方とのエピソードをお聞かせください。

大学一年の時に、「むらの大学」で川内村を訪れ、関孝男さんと出会いました。関さんは、震災と原発事故後、川内村に移住され、「いわなの郷」(イワナの養殖・釣り堀施設)でお仕事をなさっている方です。その後、村の中にいて空き時間ができたとき、特に用事がなくても、ふらっといわなの郷へ遊びに行き、関さんと話すのが楽しみになりました。

Kokage Kitchenを立ち上げる際、私が真っ先に相談した人も、関さんでした。A4用紙1枚の、粗くて、今思えば詰めの甘い事業計画書を突然持ってきたにもかかわらず、関さんは私の話を真剣に聞いて下さいました。

関さんご自身も、様々な挑戦をし、おそらくたくさんのご苦労をなさっているためでしょうか、関さんのアドバイスからは、いつも、前向きでありながら同時に慎重さも感じています。「面白そう」と思えば「すぐやろう」と行動に移してしまいがちな私にとって、冷静な視点を持つ関さんの意見は貴重なものです。だから、特に用事がなくても、関さんのところに行って話を聞いてもらおうと思うのかもしれません。

――川内村に、国内外のほかの田舎とは異なる特色はありますか?

川内村には、外の人を迎え入れて、一緒に面白いことをやっていこうという、前向きな雰囲気があります。私は、震災と原発事故があってから川内村に関わりはじめました。そのため、川内村の前向きな雰囲気が、元々のものなのか、震災と原発事故の後、移住者が増えていく中で生まれたものなのか、わかりません。

いずれにしても、この雰囲気は、多くの人が感じていると思います。年に一度開かれる「かわうちの郷かえるマラソン」は、日本で一番温かいマラソンといわれています。川内村は、一度訪れた人がまた帰ってきたくなるような村です。

――田村市や川内村でお仕事や生活をする上で、苦労していることはありますか?

まだ川内村で仕事を始めてから日が浅いので、現時点ではまだあまり苦労は感じていません。車の運転が好きなので、市外村外への用事も苦ではありません。食べものも買いにいけます。むしろ、郡山市や仙台市などのちょっとした都会へ行くときにはウキウキして、帰りは田舎でゆっくりできると思えるので、往復が楽しいです。強いていえば、11月でもものすごく寒いので、初めての冬の寒さが心配です。カナダの-20℃の土地で生活していたこともありますが、やはり寒さには慣れません。

――田村市や川内村でお仕事や生活をすることの意味をどうとらえておられますか。

住みたい場所や共に過ごしたい人々、やりたいことや楽しいと思えること、そういったことと生業はちゃんと両立できるんだ、ということを、身をもって体現したいと思っています。人生はもっと楽しいし、仕事ももっと楽しい。田舎にいても、こんなに楽しく生きられるんだ、ということを、自分自身の生活で証明して、たくさんの若い人たちに知ってもらいたいです。

――海外で福島のマイナスイメージに触れられたと伺いました。

「あんな場所、人が住むところではない」などといわれ、福島に住んでいる私が汚いものであるかのような対応をされたことがあります。あくまでこれは個人的な体験ですし、ごく少ない例です。でも、そういう体験が重なるうち、次第に「I’m from Fukushima」と堂々と言えなくなってしまいました。

海外では、外国語で会話をすることや、慣れない土地で生きることに精一杯だったので、福島に住んでいる自分に誇りを持てないままに過ごしていることを気にする余裕はありませんでした。でも、日本に帰ってから、なんだかもやもやした気持ち悪さが残ってしまいました。そういった体験もあって、福島をもっと誇れるようにするために何かできないかと思うようになりました。

――郡山の人気フレンチ「なか田」の中田智之シェフが商品開発に関わってくださった経緯をお聞かせください。

 

 

 

2019年の3月に、郡山でKokage Kitchenの出店をした際、福島の食材を使う地産地消を大切にしているシェフが近くにいると教わって、その日のうちに、ワッフルを持って中田シェフのお店に伺い、「食べてみてください」と言いました。

唐突に押し掛けたのにもかかわらず、じっくり私の話を聞いて下さって、厳しくも優しい意見を頂くことができました。中田シェフのお店は、一日二組限定・完全予約制で、いつも満席の人気店です。でも、中田シェフはとても気さくな方で、意欲ある若者だからと、その後、何度も閉店後のお店でごはんを頂いたり、相談に乗ってくださったりしました。

中田シェフは熱い方で、お話もとても面白く、厳しいアドバイスもくださるので、郡山に出るときには中田シェフのところに伺うようになりました。今回も、川内村の食材を使ったパニーニのレシピ考案と、クラウドファンディングの返礼品として「なか田」のディナー招待をお願いに伺ったところ、二つ返事で引き受けてくださいました。

ご縁ができてから、中田シェフが「知産知消」を掲げていらっしゃることを知りました。地元の食材と、シェフの人間性で、お客さんを魅了し続ける中田シェフは、出会った時からずっと、私の目標です。

――「食」に携わるにあたって、どのような工夫や訓練をされましたか。

「食」に向かう心構えは、料理人である父から教わりました。「一つひとつの料理に手を抜かないこと」「お客様への敬意と共に、生産者の方への感謝を忘れないこと」。

調理技術は、カナダに滞在している間、一年間結婚式場の厨房で働いて、ある程度訓練しました。ただ、お菓子づくりの経験は皆無でした。自分自身の舌と、試食に協力してくれた友人の意見を頼りに、何度も何度も試作を繰り返して、今のそば粉ワッフルの味にたどり着きました。

やはり、おいしいものができれば、お客様が喜んでくれます。どんなに思いを込めても、おいしくなければ、感動も共感もいただけません。Kokage Kitchenを始めて、身をもってそれを体感することができました。

――県外で移動販売をされていて、苦労することはありますか。

東京に出店する当日、高速道路で移動中に車が止まってしまうなど、何度かハプニングはありました。しかし、それ以上に苦労しているのは、県外での川内村のPRをどうするかということです。

福島県内であれば、川内村に何かしらの縁がある方も少なくありません。直接の縁はない方でも、「郡山といわきの間くらいです」といえば場所は大体伝わりますし、「浜通りですが、山に囲まれていて、どちらかというと気候や人の雰囲気は、田村市や葛尾村などのあぶくま地域に近いんです」といった話も通じます。

でも、県外ではそうはいきません。村を紹介するための展示物も、県外に行くときには、作り直して出店に挑むこともあります。どうすればもっと川内村の魅力が伝わるのか、毎回模索しています。

――川内村のものには、県外や海外で売れるような魅力があると思いますか。

川内村の農産物は、昼夜の寒暖差の大きい、高原の冷涼な気候で育つため、甘くて本当においしいです。最近は、消費者が食品を購入する際、ストーリー性を重視するようになっています。その意味でも、県外や海外の方から見て、震災と原発事故からの復興の道を歩む川内村の魅力は大きいと思います。

福島のリアルな現状を伝えたいと、イタリアから何度も取材にいらっしゃるジャーナリストが、継続的にKokage Kitchenを取材してくださっています。その方が、「Kokage Kitchenは世界的にも注目される素晴らしいプロジェクトだ」と絶賛してくださいました。

おいしい食べものは世界中にたくさんあります。ですから、「おいしいものであること」は当然クリアすべき最低条件だと思っています。おいしさに、どんな価値を付加できるかによって、売れるかどうかは決まるのではないかと思います。そして、川内村のものは、十分に付加価値を持っていると私は思います。

Kokage Kitchenは、試行錯誤の結果、ワッフルの味も、川内村のストーリーを伝える技術も向上しました。店舗を持っていないのにもかかわらず、リピーターや常連のお客様も増えています。

――県外で移動販売することで、伝えたいことはありますか。

 

 

川内村の人の魅力を伝えたいです。今までは、写真や話、冊子などで川内村の魅力を伝えようとしてきましたが、今後は、「村人に一日店長をしてもらう」など、村の人とお客さんが直接交流する機会をつくって、もっと川内村の人の魅力を伝えていこうと思っています。

――大学卒業後の具体的なプランをお聞かせください。

今後もKokage Kitchenを続けて、川内村にかかわっていこうと決めています。川内村の農産物を仕入れて、全国各地で川内村のPRをし、少しでも川内村の地域創生に貢献できたらと思います。それから、田村市の地域おこし協力隊として、田村市都路町でクラフトビール会社の運営をし、グリーンパーク都路の利活用推進を行っていきたいです。

川内村のKokage Kitchenと田村市地域おこし協力隊を組み合わせ、阿武隈地域一体の活性化をしたいと考えています。お互いに似た風土のもの同士、行政区に捉われずに。人も物も協力して、さまざまなコラボレーションをしていくことで、今までになかった価値を生み出していきたいと思います。