「不毛なことの意味をかすかに信じる」――彫刻家・今野健太が彫り出す存在

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「自分の身体」というモチーフを通して「存在の不安」をテーマに制作をしてきた彫刻家・今野健太さんは、東日本震災以降、「ある」という肯定的なエネルギーを形にしたいと思ったそうです。「石さえやっていなければもっと楽に生きていけるのに」「彫刻は時代を牽引できない」と思いながら、彫刻という「不毛なこと」を続ける意味を、かすかに信じていると語る今野さん。「いま“表現すること”にどんな意味があるのか?」を考える障害者文化論の研究者・荒井裕樹さんとの対談をお送りします。(構成/金子昂)

 

 

「彫刻家」という希少職種

 

荒井 今年2月の大雪の時は、10日間もアトリエに閉じ込められたそうですね(笑)。

 

今野 はい。いま、ぼくのアトリエは神奈川と山梨の県境の山間にあるんですが、2週続けて降った雪が合わせて1.5mくらい積もりました。アトリエに続く道は使用する人が少ないので除雪が後回しになって。普段からアトリエにこもることはあるので、「食糧の備蓄もあるし……」と悠長に構えていたら、最終的に助けに来てもらったのが10日後でした。

 

荒井 その間、制作もされていたんですか?

 

今野 展示を控えていた作品を雪の壁に囲まれながら制作していました。制作に集中する良い機会だったはずなんですが、当時の記憶は「屋根がつぶれるんじゃないか……」とおびえながら、朝から晩まで雪掻きをしていたことしかありません……。

 

荒井 制作も命がけなんですね(笑)。今日は、そのアトリエとは別の制作現場ですが、足を踏み入れてから、ずっと驚きの連続です。石を削るノミまで刀鍛冶みたいに作っていると聞いて、びっくりしました。

 

 

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いま、日本に「彫刻家」って何人いらっしゃるんでしょうね。しかも「石」を専門にしていて、それを「職業」にしている人というのは、普通に生活していると出会う機会はめったにないですよね。文筆家や翻訳家よりも希少職種かもしれません。そもそも、ぼくはいままで「彫刻家」の話に、真剣に耳を傾けたことがあっただろうかと思って、今回は今野さんにお声かけいたしました。なので、今日は、とても楽しみにしていました。

 

最初に、どうして彫刻家に、しかも石を素材に選んだのかについてお聞かせください。そもそも東京藝術大学って、入学するときには何を専門にするか決まっているんですか?

 

今野 予備校に通う時点で、どの科を選ぶのか決めます。ぼくはそこで彫刻を選びました。初めて石を彫ったのは東京藝大に入学した年の実習のときだと思います。石を本格的に使い始めたのは卒業制作からで、それまではずっと粘土で作品を作っていました。

 

荒井 どうして粘土から石に変えたんですか?

 

今野 粘土って形が作りやすいんですよね。一日の作業を終えたら、粘土が乾かないようにタオルを巻いてビニールを被せるんですが、翌日にはタオルの形が粘土にうつってしまうんです。前日の状態に戻すための作業が必要なんですけど、ぼくはその作業だけで何カ月も経ってしまって。

 

みかねた先生に「きみに粘土は向いていないから石をやってみなよ」と言われて、石を彫ってみたら、少なくともぼくの目には、翌朝になっても形は変わっていないようにみえた。「これなら安心して進められる」と思いました。

 

荒井 何かの形を正確に再現するなら、他にもっと都合の良い素材はありますよね。でも、今野さんにとって相性がよかったのは石だったんですね。

 

今野 大学1年生で石彫実習をやったときは、「二度と石なんてやらないぞ」って思っていたんですけどね。重いし、硬いし、卒業したら作れる場所も限られるし、素材として選ぶ意味がわからないって(笑)。

 

 

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荒井 制作できる場所も限られますよね。

 

今野 削る音も粉もすごいから周りの家に迷惑をかけちゃうんですよ。公害みたいに思われてしまって。ぼくもアトリエの場所を何度も移動しています。

 

荒井 アトリエも、電気と水道を引くところから全部自分で作るそうですね。そして石を削る道具も作らないといけない。彫刻家って大変ですね(笑)。

 

今野 でも、みんなやっているわけじゃないですよ。ぼくも昔は、わざわざふいごとか古臭いものを使って、自分で鉄を叩いたり削ったりしながらノミを作るなんて大嫌いだったんですよ。最新の技術を使って彫刻をつくる方がクールだと思ってた。

 

でも、あるとき、そこに限界を感じたんですよね。石はノミによって削られます。ということはノミで石の形が決まっている。だったら、まずノミをつくらないといけない。

 

荒井 時代の流れと逆行しているんですね。

 

今野 参考にする資料もどんどん時代をさかのぼっていくんです。オーギュスト・ロダンをみてみると、彼はミケランジェロをみていたんだと気づく。ミケランジェロは、より昔の彫刻をみている……。古くに作られた作品は、ぼくがテーマとしているものを、より直に表現しているように思います。不在感を形にしようとしているというか……強いエネルギーを感じるんですよね。

 

 

「自分」という不確かな存在

 

荒井 「彫刻の素材」として、石の利点って何ですか?

 

今野 うーん、重かったり硬かったりするところかなあ。ぼくはしつこくアプローチをするので、他の素材だとすぐ荒れちゃうんですよね。木だったら柔らかくて形もとりやすいけど、ずっといじってるとすぐに細くなっちゃう。粘土だといくらでもいじり続けられるので終わりがみえない。オーソドックスな素材のなかでは、ぼくのしつこさに一番応えてくれる素材だと思っていて。

 

荒井 木の彫刻だと、例えば人体もパーツごとに作成して、後で組み合わせたりできるんでしょうけど、石の場合はそうはいかないですね。一度ノミをいれたら、それまでですよね。

 

今野 そうですね、接ぐこともできるんですけど、木の彫刻ほど技術は発展してないです。欠けてしまったら終わり。

 

荒井 手をあげた像をつくることに決めたら、手を下げた像は作れないわけですよね。石って、ものの形を作るにはやっぱり不便な素材ですよね。

 

今野 ええ、ぼくも不便だと思っていました。

 

作品を作るときは、「可能性を殺している」ことを常に感じているんです。だから一番楽しいのは最初の「荒彫り」という大まかな形を作るときなんですよね。これは可能性がまだまだ残っているので、肉体的にもスポーツみたいに楽しめる。日が暮れるまで気持ちよく削って、夜になったら、「今日も働いたなあ」ってお酒を飲んで寝て終わり。

 

荒彫りのあとは、一手一手が可能性を削っていく作業に入っていきます。毎日カリカリしながら作っている。このときは本当につらいですし、生活も荒れますね……。

 

でも、できることが限られているからこそ、そのなかで考えられるという良さがあるんです。質量的には削ることしかできないんだけど、全体的なバランスをみながらだと、ある部分を削ることで、別の部分が膨らんでみるようになったりもするから、盛り付けることだってできる。不自由だからこそできることもあるような気がします。

 

荒井 不自由さが可能性を生みだす、というのは面白いですね。ただ、石には「ひび割れ」や「模様のムラ」といった不確定な要素もありますよね?

 

今野 ありますね。たぶん制作を始めた時点での不確定要素は、他の素材よりも多いと思います。でも、スタートしてから起きる時間的な不確定要素は少ないかな。石が割れちゃうときも、割れやすいところに気付けなかった自分の責任なので、納得できる。

 

荒井 以前、この企画で写真家の齋藤陽道さんと対談したときに、齋藤さんがフィルムを使う理由は「失敗するから」って言っていたんですよね(その傷のブルースを見せてくれ――写真家・齋藤陽道のまなざし 荒井裕樹×齋藤陽道)。自分でもなんでこういう写真が撮れるのかわからないって。表現者にとって、不確定要素は必ずしもネガティブなものじゃないんだなあと、とても面白く感じた記憶があります。

 

今野 ぼくは、その不確定要素が、ぼくのなかにある気がするんです。制作を続ける動機として、「わからないことがある」というのはとても重要だと思うんです。何度やってもわからないから少しでも理解しようとさまざまなアプローチを考えて作品が展開していく。

 

フィルムとか木とか焼き物の不確定要素って、たぶん気温、湿度、光、時間といったものですよね。そういう自分ではコントロールしきれない大きな要素によって「自分の意図を超えた表現」が生まれるという力を持っているんだと思います。

 

でも、ぼくにとって一番興味のある「わからないこと」というか、「自分のコントロールを超えたもの」は自分だったんです。自分という素材に起こる「変化」や「わからなさ」に興味を持っていて、それをテーマにしてきました。

 

自分のなかに不確定要素があるから、素材には落ち着いていて欲しいんです。時間によって変化する素材だと、ぼくのなかで起きた「ゆがみ」とか「ズレ」みたいなものと、素材の「ゆがみ」「ズレ」とを混同して妥協してしまいそうなんです。

 

 

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