ビデオ・ジャーナリズムの可能性

新しい伝送路

 

荻上 神保さんはこの十数年間、既存メディアが抱えている問題を、新しく整備された、誰かに独占されているわけではないインフラを活用することで、オルタナティブの萌芽を作ろうと活動されてきたわけですよね。そんな神保さんからは、たとえばニコ生やユーストリーム、あるいはメルマガやブログを活用し、いろいろな人が自分のメディアを持てるようになったことについて、どのようにご覧になっているのでしょうか。

 

神保 既存のメディアはいろいろな理由で公共的な機能をどんどん喪失しています。そのツケは、政治にしても経済にしても社会にしても、かなり大きいと僕は思っています。それを少しでも埋める、あるいは補完する新しいジャーナリズム機能が、新たな技術やインフラの上でできなきゃいけないというのが、まずは大きな問題意識としてあります。

 

ですが、現状は僕自身を含め、必ずしもその課題に応えられていないと思います。確かにインターネットが普及して、ユーチューブやユースト、ニコ生などの動画配信のインフラも整備されたことで、誰でもメディアに参入できるようにはなりました。そのことで、ちょっと語弊があるけれど、三角形の底辺は広がったと思います。僕はこれをメディアの民主化と呼んでいるのですが、要するに、これまで極端に参入障壁が高かった報道メディア、とりわけ映像を扱う「テレビ」の事業分野にも、誰でも参入できるようになった。制約だらけの放送免許など取得しなくても、映像コンテンツを不特定多数の受け手の元に届けられるようになったわけですね。このことの意味がとても大きいと思っていますし、これからも新規参入はどんどん進むでしょう。これはユーチューブが登場したあたりから始まっている現象ではありますが、ここに来てユーストや日本ではニコ動などが出てきて、映像メディアというマーケットが、一夜にして10倍、100倍に膨れあがった感じはあります。また、それ自体はとてもいいことだと思っています。

 

でも、最終的に大事なのは、より多くの人が参入した結果、より質の高い、より公共性の高いコンテンツが出るようにならないと意味がないと、僕は考えます。つまり、三角形の底辺は広がったけど、最終的にはそれが三角形の高さに結びついていかないと、メディアの民主化、テレビの民主化の意味は、ただお楽しみが増えたということだけで終わってしまうと。一般論としては、あるスポーツの競技人口が増えると、そのスポーツの国代表チームが強くなるのと同じで、底辺が広がれば広がるほど、そこに競争が生じ、ノウハウも蓄積されてきて、いずれは高さも伸びてくるんじゃないかという期待はあります。既存のメディアは、参入者がとても少なかったので、三角形もとても小さかったし、だからこそその高さも大したところまでは到達できなかった。今は、底辺は広がったので、これまでよりも高いところまで持って行ける必要条件は揃ってきた。だけど、そこから先は、放っておけば自然に高さが出てくるというほど、ジャーナリズムは甘くないと思います。

 

また、さっきも話に出ましたが、誰でも映像を投稿したり発信したりはできますが、それがビジネスとして成り立つようにならないと、それは要するに趣味や道楽に過ぎません。持続的なジャーナリズム活動の場にしていくためにも、報道ビジネスをマネタイズできるようになる必要があります。

 

荻上 多様性はぽつぽつ出てきたように見える。ただし、たとえば既存メディアや、あるいは理想としてのメディア環境と比べたときに、まだまだ良質な面が確保できていない。

 

神保 ええ。むしろ現状では、もしかすると弊害の方が目立っているのかもしれません。これは当初から予想されていたことかもしれませんが、極度に参入が制限されていた市場が開いて、一気に新規参入が進めば、当初は質が犠牲になるのは、当たり前といえば当たり前のことでした。

 

間口が開いた瞬間というのは、開く前よりも一時的に質が低下するのは避けられません。今まで一部の少ない人間に独占されていたために、既存メディアというとても小さな三角形の外に報道のノウハウなどがまったく共有されていないわけです。そこにほとんど経験がない人たちが大挙して入ってくれば、当然最初は質的には不十分なものがいっぱい出てくるに決まっている。でも長い目で見れば、それが徐々に淘汰されたり、切瑳琢磨されたりする中で、メディアが一握りの事業者に独占されていた頃よりも、もっと価値の高いところに到達することは十分に可能だと思います。

 

荻上 初期段階の混乱というのは確かにあると思います。ある程度のコンセンサスや、失敗の歴史が共有されるまでは、「俺はここまで行ける」と非行自慢をするかのような、露悪的なプレイヤーも出てくる。

 

とはいえ、短期的には「弊害」を淘汰していくことも重要になるでしょう。そこで、率直に、神保さんが今のフリーランス、メディアの活動をどう観察しているのかをお聞きしたいです。

 

神保 メディアの現状については、皆さんのご覧になっている通りです、という感じですね。まだ、日本全体、メディア全体で見ると、産みの苦しみを味わっているまっただ中といったところではないですか。それは送り手側についても言えるし、受け手側についても言えます。また、送り手と受け手の境目が見えなくなっているという意味でも、新しいメディア状況が生まれていると思います。それなりに長い年月プロとして野球をやってきた人間が、新しいプレーヤーがどばっと入ってきて競技人口が一気に増えた時に、初心者や見よう見まねでプロのまねごとをやりながら、一生懸命野球に取り組んでいる人たちを見て、「あんなの野球じゃない」などといった批判をして、一体何の意味があるでしょうか。

 

僕は個人的にアドバイスを求められれば、できる限り応じるようにしていますが、あとは皆さんが自分でやってみて、これは受け手としても送り手としても両方の意味で言っているのですが、それこそ「地雷」を踏んだり、炎上したり、騙されたりして、いろいろ痛い目にあいながら、新しいメディア環境を作っていくしかないと思います。

 

受け手の側も、これまでの特権をもった既存のメディアに対する接し方が特殊だったことを、そろそろ理解する必要があるように思います。つまり、これからはメディアで発信している人も、これまでのような特別な権益を受け取った「特権的業界人」ではなく、自分と同じ普通の生身の市民が一念発起してやっているんだってことです。ちょっと問題があると、まるで鬼のクビを取ったかのように批判をするのは、既存のメディアに対する作法をそのまま新しいメディアにも適用しているのでしょうが、それはメディアがまったく新しい時代に入っていることを、理解できていないということだと思います。まあ個人的にはどんどん叩かれた方が、鍛えられていいとも思わないわけではありませんが、あまり厳しくすると、みんなやめちゃうでしょう。

 

とにかくこれまでのメディアの最大の特徴は、あまりにも参入障壁が高かったことです。今までは伝送路が希少だったために、伝送路さえ持っていれば自動的にメディアを名乗れた。たとえばフジテレビというチャンネルは放送免許をもらっていますが、そのことの意味は、放送がしっかり出せるだけの技術的な裏付けは要求されていますが、こと番組制作については、フジテレビが最も公共の利益に資するサービスを提供できるという入札なり評価なりがあって、フジテレビに放送免許が交付されているわけではありません。電波の割り当てをもらったら、自動的に制作も独占できるようになっているということには、必ずしも合理性はありません。そうでなければならない理由が、実はないんですね。

 

伝送路を持っているということは、土管を持っているということですので、土管の管理者が土管の中を通すモノまで一手にコントロールする必然性はないんです。これを垂直統合といいますが、これは今、電力の分野でも問題になっている構造問題の最たるものの一つです。

 

荻上 しかし今は、新しい伝送路のおかげで、いろいろな人が発信できるようになりました。そうした様々な環境変化が、既存メディアにも「外圧」になっているようにも見えます。

 

神保 それはその通りです。既存のメディアもかなりネット報道やネット言論を意識せざるを得なくなっているとは思います。でもそれは、既存のメディアがネットで叩かれたり炎上の対象になるのを恐れているからという面が強くて、またネットメディアが脅威になっているというところまでは、いっていないんじゃないかな。

 

ネットメディアは、まだまだ玉石混淆です。ことジャーナリズムに関する限り、このまま次々と新しいメディアが起ち上がってくるというほど、メディアは甘くないと思っています。というか、多分、これからみんな、いろいろと痛い目にあうんですよ。メディアは厳しいですから。ちょっとした勇み足で100倍返しくらいされるのが、メディアだし、もしそうなっていないとすれば、おそらくそのメディアは影響力もないし、社会からまともに相手にされていないから。100倍返しされるということは、メディアにとっては名誉なことなんですね。僕はCSやCATV時代も含めると独自のメディアを作るという大それた作業に関わるようになって15年も経つので、その大変さは心底実感しています。本当に厳しいけど、それがメディア作りの楽しさだし、やり甲斐でもあります。

 

最初は人に干渉されることなく自分の意思で何かを発信できる喜びだけで、十分楽しいでしょう。でも少しでも影響力を持ち始めたり、見る人や読む人が増えてくると、ちょっとしたこと、例えば、事実関係の間違いは言うまでもありませんが、ちょっとした偏りだけでもすぐにいろいろなところから弾が飛んできます。それがメディアの特徴です。これからいろいろと痛い目にあって、つらい思いもするメディアが出てくるんだろうなと思いますが、それが広がった底辺が上に伸びていくために不可欠な経験なんだと思ってます。

 

僕は今まで痛い目にたくさんあってきたんだから、それを若い人たちに教えてあげるべき立場なのかもしれません。でもそういう僕も未だに日々、痛い目にあっていて、人に教えられるほどの余裕はありません。記者になってからはもう27年も経っていて、メディア作りを15年もやってきている僕でさえ、未だにいっぱいいっぱいな状態でやっている。それほどメディア作りは大変な作業なんです。実際にメディアを立ち上げ、その喜びと同時に大変さを経験すれば、みなさんがあれだけボロカスに言ってきた大手メディアの苦労も、わかるようになるでしょう。メディアの不用意な一言でどれだけの人が迷惑し、どれだけの抗議が寄せられるかを、最初は小さな規模で経験することで、メディアを作ることの難しさやノウハウが蓄積されていく。これまでほんの一握りの事業者しか参入できなかったメディアが、特殊な産業から普通の産業に脱皮していくためには、僕を含めた新しいメディアの担い手一人ひとりが、それを乗り越える必要があると思っています。

 

 

ネットメディアの可能性

 

荻上 メディアを運営していくことにつきまとう様々な困難を自然と知っていくことで、「既存メディアを叩くこと、の先」に実際に行くことの困難が見えてくるわけですね。また、既存メディアにはそのメリットも多々あり、不合理にみえる部分も、「そうなった経緯」というのが含まれている。それを踏まえてこそ、反権力的ポーズによる「大メディア叩き」だけではダメだとして、では具体的に何ができるのか、という議論が真実味を帯びてくるわけですね。

 

神保 たとえば、既存のメディアとネットではリーチに明らかな違いがあります。でも別に既存のメディアを、テレビ局という単位で一塊にして見る必要はないわけです。

 

今は放送という産業がたまたま垂直統合という仕組みを採用しているから、一塊に見える。あるいは記者クラブが固まっているから既存メディアという塊があるように見える。でも、実際はコンテンツは番組ごとに分かれているわけだし、番組内容も地域によって異なる。これからいろんなメディアが登場するでしょうし、ネット上にもいろんなものがどんどん出てくるはずです。その中で、今まで新聞やテレビが、ここだけは負けないと自負してきた報道の信頼性や速報性さえ、ネット上にそれを凌ぐメディアが出てくるかもしれません。これからは、自分のメディアはどこで勝負するのかも、はっきりとしたビジョンを持たないと、生き残れない時代に入っていると思います。

 

荻上 特定の法案に関する議論はこのウェブメディアが一番得意だな、といったようなケースは、今でもありますね。

 

神保 そう、特定のイシューに関してでもいいし、もうちょっと広くてもいい。例えば、医療問題に強い報道メディアとか、法律問題に特化された報道メディアとかね。その切り分け方も、いろいろなデザインが可能になっています。とにかく伝送路が開放されたことで、これまでメディアに参入する上での決定的な制約だったものが取っ払われたわけですから、やろうと思えば何でも可能は可能になったのはその通りなんだけど、問題はそれがビジネスとして成り立たないと、その活動がある程度持続性をもったものになり難いということです。可能かどうかだけでなく、その活動をマネタイズできるかどうか。

 

長らく伝送路が、一握りの事業者によって独占されてきたために、メディアの世界、とりわけ報道メディアの世界にはそのノウハウ、つまり報道をビジネスとして成り立たせるためのノウハウの蓄積が決定的に欠けていると思います。既存の報道メディアが持つノウハウも、高い参入障壁によって完全に保護された下でのノウハウなので、とてもネット時代に通用するようなものではありません。

 

その意味ではいまわれわれは、ネット時代にも生き残らせることができる報道メディアをどう運営するかについてのノウハウを、ゼロから蓄積しなければならない局面にあると言っていいと思います。

 

マネタイズとかビジネスという言葉を使うと、「銭儲けの話ですか」なんて言われて、話が下世話になったかのような扱いを受けることが少なくありませんが、むしろそれこそが、これまでメディアはビジネスとして成り立つことを第一に考えないでもよかった特殊な産業だったことの証左だと思います。儲かるかどうかは別にして、ビジネスとして成り立たなければ、人が趣味や道楽でやっていることになるので、持続的なものにはなり得ないし、プロフェッショナリズムも育ってきません。NPO方式の可能性も含めて、制作活動や取材活動を支えるための資金をどうやって工面するのかは、新しいメディアが成り立つかどうかの必要条件になりますし、それが確立できるかどうかが、今日世界中のメディアが直面している最大の課題だと思っています。

 

他の産業や、メディアの中でもエンターテイメントやマーケットニュースといった他の分野のコンテンツと比べた時、報道はマネタイズする上で制約がとても多いんです。報道事業が成り立つためには、視聴料を実際にサービスを受けている人からもらうか、第三者からもらうかの、どちらかしかないわけです。だけど、第三者から資金をもらった場合には、その第三者がなぜ資金を出す動機やメリットがあるかを考えなければなりません。報道事業との利害抵触や利益相反をどうクリアするかが問題になります。報道は儲からないから、報道事業以外のビジネスで儲けたお金で報道を行うやり方では、事実上その事業者自身が第三者になったも同然になります。つまり、その事業者が儲けているビジネスやその分野の規制や法律に直接的、間接的に関連した問題について、その報道機関は中立的な報道が可能ですか、ということです。

 

この議論はともすれば原理主義的、あるいは理想主義的なメディア論と受け止められがちですが、既存の報道機関がなぜジャーナリズムとしての公共責任を果たせなくなったかを考えた時に、やっぱりこの問題、つまり報道とスポンサーとの利害抵触問題をクリアできなかったからだということが、大きく影響していたことは間違いありません。だとすれば、それで既存のメディアがダメになったから、新しいメディアの制度設計をしましょうという時に、既存のメディアをダメにした問題に対して、深い反省と分析を持って臨まないでいいはずがありません。今、その問題にとことんこだわっておくことは、意味があることだと思っています。

 

 

 

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シノドス国際社会動向研究所

vol.254 公共性と社会

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3.斉藤賢爾「ブロックチェーンってなあに?」
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