ビデオ・ジャーナリズムの可能性

ジャーナリストの行動規範

 

荻上 視聴習慣を変化させること、何かのメディアを作るということは、他人のライフスタイルに介入することでもありますね。特定の政治イシューに対する報道をチェックするというのは、その政治イシューの重要性を血肉化していないとどうしても難しい面があります。送り手も、受け手も、様々な変化が期待されている状況になっていますね。

 

神保 ええ、報道というと、なんだかちょっとハードルが高い感じがするかもしれませんが、何も特別なことではありません。既存のメディアがそれを聖域化していたので、取っつきにくい存在になってしまっているだけです。

 

だから、報道に関わりたいと思う人は、これまでみたいに記者になるためには新卒で報道機関に就職して、終身雇用でその会社しか知らないまま社会人としての一生を終える従来のキャリアパターンに限定されていると考える必要はないと思います。多くの国では、報道機関からNPOや市民運動に転じたり、一時的に政府の役職を担ったりした後で、再び報道機関に戻っている人もたくさんいます。

政治や立法プロセスに直接関わった経験は記者としても有益でしょうし、記者一筋の人には知り得ないことも知る機会になると思います。もちろん、記者に戻れば、かつての職場や所属していた機関から便宜を受けたり、利益相反や利害抵触があってはならないので、そのけじめをしっかりとつける必要があることは言うまでもありませんが。

 

利益相反について言えば、ネットで誰もが発信できる、誰もが記者の時代になった今、送り手側も受け手側も、ある程度利益相反問題に対するリテラシーが求められていると思います。送り手の側も報道をする以上は、自分がプロの記者ではなかったとしても、最低限の報道の倫理基準や行動規範は理解し、それを守っていく覚悟が必要です。

なぜならば、それは受け手側が報道というものにそれを期待し、それを前提に報道情報を受け取っているからです。それを守れない人が出てくると、そしてそうした前提となるルールが守られていないことが明らかになってくると、受け手側は報道情報といえども、広告や広報と同じレベルでしか信用しないようになってしまいます。こうなると、まじめに報道のルールを守っている大勢の記者たちが、大変な迷惑を受けることになります。

 

また、これはある意味では残念なことではありますが、受け手側も、従来の報道機関で実践されていた倫理基準が必ずしも同じレベルで遵守されていない可能性があることを、ある程度は念頭に置いた上で、記事を読んだり映像リポートを見たりする必要があるでしょう。良くも悪くも、メディアは新しいフェーズ、新しい時代に入っているのですから。

 

幸い伝送路の開放によって、コンテンツの数は以前よりも飛躍的に増えているわけですから、一つ一つの報道内容を100%真に受けるのではなく、そういう情報もあるしこういう情報もあるというような、ある程度幅を持たせた立体的な受け止め方をしながら、複数の情報の中から全体像を把握するような形で情報を消費するべきだと思います。

 

もちろんそれは、これまでの自身の経験からある特定のメディアやある特定の記者を非常に高く信頼できると判断したのであれば、そのメディアやその記者の報道にはそれなりの信頼を置いていいでしょうし、逆に結構いい加減な情報を流した前歴のあるメディアやジャーナリストについては、それ相応の対応をするというように、受け手側も独自の判断を下せるようになる必要があるでしょう。

 

実はそのような判断は報道以外の商品に対しては、誰でも当たり前のようにしているはずです。しかし、こと報道となると、選択肢が少ないということもあって、これまではあまりにもそれを真に受け過ぎる傾向があったように思います。そして、すべてを報道機関に任せておいて、常に全幅の信頼を寄せ、ちょっとでもおかしなことがあれば容赦なくぶっ叩くというような旧態依然たる対メディア姿勢は、メディア企業がほんの一握りしかなかった特殊な時代の産物だったのではないかと思います。これからはメディアも普通の産業としてやっていかなければならないわけですから、受け手側もメディアとは是々非々でつきあっていく姿勢が必要になっているのだと思います。

 

先ほどの利害抵触問題に付言すると、たとえば八百屋さんがフリーのジャーナリストとして企業についての記事を書くのは何の問題もありません。でも、例えば証券会社の社員がある企業の記事を書いた場合、その企業が自分が証券マンとして担当している企業だったり、そのライバル会社だとすれば、その記事は、仮にそれが実際はとても中立・客観的によく書けた記事だったとしても、やはり読み手側は注意して読まなければならないし、その内容を100%真に受けることも危険です。これまでは既存の報道機関で働く記者が、副業をやっているということはほとんどあり得なかったので、この利益相反問題はそれほど大きな問題にはなりませんでした。

いや、実際にはメディア企業がいろいろな事業に手を出していて、それが報道内容と抵触する恐れがあるような場合はありましたが、少なくとも記者が自分の私益のために記事を利用するようなことは、ほとんど心配する必要がありませんでした。しかし、これからは受け手側も注意が必要です。なぜならば、匿名のブログやツイッターなどでは、情報を発信している人が何者なのかが、必ずしも明らかになっていないからです。

 

荻上 「御用」問題でもそうで、ポジション報道にならないようにする必要はありますよね。特定分野の専門家を名乗っている方が、蓋を開けてみると、元官僚で、脱藩したとはいえ、所属省庁のDNAが残っているがゆえに、誘導的な言論を吐いていたり。

 

神保 その人の価値観に根ざしたものなのであれば、良い悪いは別にして、それはそれでしょうがないんです。もちろん記者個人の価値観を反映させた記事がいいかどうかと言えば、ジャーナリズム本来の考え方の上に立てば、それはあまり好ましくはないということになります。しかし、ここで問題なのは、価値観などといった個人的なことではなく、例えばその記者がどこかの会社の株を持っているとか、本業のライバル会社を攻撃する記事を書くというような、書き手の直接の利害関係のために、記事が利用される可能性があるということです。

 

記者個人の価値観が反映された記事というのは、中立性という意味では問題がありますが、受け手側にとってもその記事なり映像リポートなりにその人の価値観が反映されていることが明らかなのであれば、それなりに割り引いて受け止めることができます。しかし、そのような利益相反があり、それが可視化されていない、つまり受け手から見えない状態になっているとすれば、受け手は自分が偏った記事を読まされていることがわからない。それが問題なわけです。

 

荻上 関連機関誌での寄稿が多かったり、関連団体での講演が多かったり。そういったものがインセンティブとして働くことはあるでしょうね。

 

ところで、普段仕事をしていると、「評論家」「ルポライター」「ノンフィクション作家」「ジャーナリスト」という肩書きが、良くも悪くも細分化、機能分化されている印象を受けますね。

 

神保 なぜかはわかりませんが、ジャーナリズムという言葉は日本ではある種特殊な重々しい意味を持ってしまっているようです。55年体制のもとでの左側というか、権力と戦う勢力でなければならないというようなニュアンスも含んでいるかもしれません。本当は取材して記事を書く人や映像を撮ってリポートを作る人であれば、左右に関係なく全部がジャーナリストなんですけどね。

でも、例えば日本ではルポライターと名乗っている人が、海外で何かの事故に遭えば、その人はニュースなどでジャパニーズ・ジャーナリストとして紹介されます。日本でもジャーナリストという言葉の使い方はもうすこし寛容というか、肩肘張った感じにならない方がいいと僕も思いますが、こればかりは僕がこう言えばどうなるものではないですからね。僕自身は英語ではジャーナリストを名乗ることが多いのですが、日本語では自分自身を「記者」と位置づけるのが、一番しっくりきます。

 

ジャーナリストという肩書きは、弁護士や医師とは違って、何の資格試験もないので、言った者勝ちのところがあります。そして、それは資格であるべきではありません。そんな資格を認定する団体ができてしまったら、その団体を誰がチェックするんだという話になりますから。ただ、言ったもん勝ちということは、第三者はそのジャーナリストの真贋を評価してくれないわけですから、誰の報道をどの程度信じるかは、実は以前から受け手の側に委ねられていたということです。

ただ、これまでは一握りの大手メディアが幅を利かせていて、それに全部お任せしていれば事が済んでいたので、「あのメディアが載せているのだから本当だろう」のようなお任せモードでもよかったのかもしれませんが、実はその大手メディアもかなりいい加減なことがわかってしまった以上、これからはお任せメディア以外の情報源ともつきあっていかなければなりません。

 

僕が最近ちょっと気になっているのは、これまで新聞やテレビなどの大手メディアの報道を、ある程度盲目的に信用してきた人たちの中に、大手メディアのダメさに気がついたのはいいんだけど、今度は大手メディアに代わって盲目的に信用できる別の情報源を求めてしまっているような人が案外と多いのではないかということです。元々大手メディアといえども盲目的に信用すべき対象ではなかったわけですが、新しいメディアであればなおさらそうです。

メディアへの参入が急激に増え、受け手にとって情報源が増えたことの最大のメリットは、多様な情報から事実を多面的に捉えられるようになったことです。しかし、その一方で情報源多様化の対価として、その一つ一つの情報の確実性や信頼性、中立性などは、一握りのメディアが支配していた時代と比べると、低下している可能性があるということです。だから、特定のメディアや情報発信者の信者などにはならず、常に批判的な、あるいは注意深い情報の受け手であることを心がけるべきだと思います。

 

荻上 信じる教祖を変えただけ、というような状況。

 

神保 でも、今はメディア環境の激しい移行期のただ中にあるので、新しいメディア環境に適応するのが遅れた人の中には、一時的に変なデマを信じてしまったりして、多少痛い目にあう人が出てしまうような場合もあるかもしれません。でも、若い人の多くは、もう物心ついた時には大手メディアの不祥事が後を絶たないというような環境で育ってきているし、小学生なんかでは実際にテレビよりもユーチューブを見る時間の方が長いという子供が多いそうなので、彼らにはメディアを真に受けないという作法は最初から身についています。

だから、これは時間の問題で変わっていくのではないでしょうか。もっとも、あんまり無責任なことを言うと、5年とか10年後になって、あの時神保さんあんな暢気なことを言ってたけど、実際にはこんなひどいことになったじゃないかと怒られちゃうかもしれないから、未来予想はやめておきますが、そもそも現在のメディアの変革というのは、100年スパンで見ていきましょうよというのが僕の基本的な考えなので、ご容赦くださいな(笑)。

 

 

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無題

 

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