山形浩生は何を語ってきたか

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「論争」としての翻訳

 

荻上 山形さんは要所要所で、いろんな方と激しい論争を繰り広げられていますね。ぼくは学生時代、最初はポストモダン系の議論を面白く読んでいましたが、山形浅田(彰)論争をきっかけに、「ああ、ベーシックな学術書も読まなきゃだめじゃん」と学ばされたものです。

 

知識人というのはこれまでも、輸入学問的な面が強くあって、それに対して別の翻訳体系をぶつけるという作業そのものが、ひとつの論争行為になってるなぁと思いながら僕は(山形訳を)読んできたんですよね。

 

山形 自分が面白いと思うときは、世の中でいわれている見方というものに、新しいポイントが付け加えられるときで。でも、それが変な形で紹介されていると、「いやそれは違うんじゃないの」と、ついいいたくなるのはありますね。

 

幸か不幸か、日本では翻訳者というのは偉そうなことをいえる立場にいます。欧米では翻訳者には著作権すらない、単なる一工程なので状況が違いますが、日本だと「まとめ屋」として、いろんなことをいえてしまう。

 

荻上 「訳者解説」として、誰よりも先に、文脈付をできるわけですね。

 

山形 その立場を勝手に利用しているようなところはありますね。『訳者解説』って本も出しましたし。

 

学術もこれまで、輸入学問に頼ってきたという面もかなり大きくて。単に輸入するだけならぼくのほうが上手くできるという思いはあった。それにこれまでの専門家は自分の砦を死守したがるので、一時流行した見解が否定されはじめても目をつぶったりしますが、ぼくは特定分野の翻訳だけをやってるわけじゃないので、自分が間違っていても「ごめんなさい」といえばそれで済む。返り討ちにあって自分がやばくなる、という配慮をしなくてもいい。半分真面目に受け取られにくい部分にいるがゆえに、いいにくいところもいいやすいというポジションにあるのかも。

 

荻上 教祖モデルで威張ることが仕事なのだというストロングスタイルをとって、「間違いを認める→ファンを失う→仕事を失う」という焦燥感から、マイナスの方向にアクセルを踏んでしまうケースもありますよね。それでますますドツボにハマるような。

 

昔も今も「海外ではこれが流行っている」というキーワードは非常に効きますね。それは良し悪しあって、たまたま紹介された翻訳本を特定著者や特定分野の主著として消費し、言論が「ガラパゴス化」するということもある。

 

山形 それと、アカデミズムのなかで紹介されるのと、一般書として読まれて流通するのとでは、ちょっと違うよね。おそらくレッシグなんかも、ぼくが翻訳をやらなくても、インターネットの法学者が少し訳したりしていました。ただそれが、「インターネットの法学という特定の畑の中に、レッシグという人がいますよー」という形に留まっていたかもしれない。福祉の話でも、大沢真理さんが訳されたエスピン・アンデルセンの『平等と効率の福祉革命——新しい女性の役割』は、誰が訳しても、福祉を学問としてやっている関係者ならば必ず読まなきゃいけないものでしょう。

 

そういう意味では、大枠では「なんでこれが訳されたのか/訳されなかったのか」ってのは、そんなにないんじゃないかとも思います。それなりに学者は学者で目敏いから、必読書は訳そうと誰かが動く。でも、それをどういう形で世に出していくのかという話ですね。レッシグを法学のなかだけの問題にしていくのか、エスピン・アンデルセンを福祉学のなかだけで留めていいのか、という。

 

昔の学者は、毎日丸善に行って、いい洋書が入ってきたら全部買いしめて、それをずっと自分のタネにするという感じだった。でもそれは、「これは俺の領域」って宣言してしまう行為でもあって、そのために歪められて、世に広まっていないものも結構あると思います。

 

荻上 この分野はオレが翻訳するんだ、という。そもそも、翻訳の権利だけとって、全然訳されない、というケースもありますからね。

 

山形 そういう人たちが「守っている」領域を、一般に向け、どう文脈づけて引き出してくるかですよね。良くも悪くも、どう意味づけるかが重要になるわけです。単にいいものを見つけてきて紹介するというだけならば、みんなやっているから。それを決まった特定の領域ではなく、広い読者に出せるというところに、少しは僕の強みがあるんだろうと思います。

 

 

未完成な物のなかに論点が隠れている

 

荻上 実証的な研究成果をリスペクトし、基本的なデータなどを確認して議論しようという向きは強まっていると僕は思っていて、とてもいいことだと思います。シノドスで編集していると、アカデミズムの世界と論壇・ジャーナリスティックな世界の境界について考えさせられます。

 

「打席に立たない倫理」みたいなのを持っている学者さんのなかで、優れている人はたくさんいる。執筆依頼する際に、「その点についてはぼくより詳しい人がいる」「その点についてはまだ議論の余地があるので、あとX年くらい経ってから書きたい」みたいな。偉いなぁと思いつつ、ただそれだと、その間は打率ゼロ割のままだよなとも思う。山形訳の著者たちのような、社会に応答する研究者というのも、もっと増えてほしいとも思っています。

 

そういえば、山形さんは、翻訳はサクサクできるけど、自分自身で物を書くほうはまったく進まない、といったことを書かれていましたね。

 

山形 そう。翻訳では、「こいつ馬鹿なこといってるな」と思う部分があっても、そのまま訳し続けられるけれど、自分の文章で、「あ、自分は馬鹿なことを書いているな」と気がつくと、考えないといけないなとなるわけです。だからさっきおっしゃったような、学者の方が答えが出るまではなかなか発言できないという気持ちもわかりはするんですよね。

 

荻上 「100点とれるまで沈黙・我慢する」という倫理観、あるいは「怪我」をしたくないという思いが、いい方向に機能することもたくさんありますからね。だけどその結果、言説が社会に浸透していく速度が遅れる面もある。「30点の状況を60点にするだけでもマシ」と思って行われている仕事に対し、「こことここが不足していて100点ではない」とダメだし側に回り続けるという形になるのも、もったいないなとも。

 

山形 そうね。惜しいな、と思います。学者の方と話をしてみると、本当にいろんなことを知ってる。じゃあ、知ってるんだったらもっと発言してよ、分かってるんだったらもっと早く教えてくれよ、という話はたくさんありますよね。

 

震災後の放射能問題でtwitter上で役に立つことをいっていた面々に、早野龍五さんや黒猫先生、菊池誠さんみたいな方々がいましたよね。みんな物理学者。僕は工学部出身ですが、こういうときに工学部が活躍できなくてどうすんだよと、非常にもどかしい思いもありました。「こうすればいいんだよ」って、どうしていえないのかと。

 

でもやっぱり、自分なりに自信をもって100点をとれるような状態ではないからという考えにしばられてしまったせいか、かえってものがいえなかったりしていた。そこらへんはもうちょっといい加減でもいいから、少しは出してほしかったですね。

 

ぼくが今まで訳してきたものは、「今すぐに必要」という言説の類ではなくて、むしろ大雑把に、「こんな説もあるらしいよ」ぐらいの話なので、もう少し気楽だと思うんですよね。むしろ、まだいろんなことが決まっていなくて、論争が続いているからこそ面白い、そういう部分も結構あります。そうした曖昧な部分をもっと重視して、公の場で議論を重ねてくれると、分野の発達にもつながるんじゃないかと思います。

 

未完成な状態で物を出すとか、中途の経過で物を出すということも、それこそ洋書ではたくさんある。参考文献の欄に、未発表論文やワーキングペーパーや草稿がリストアップされていて、そうした段階のものがやたらに出回っているということが非常によくわかります。だから、中途半端でまとまっていない考えでもどんどん出していけるはずなんですね。それに、本来はそこに面白い論点が隠れているものです。

 

荻上 一歩前にでて、情報発信をしながら提言をしていく人、それでいて「成功」できたような方がロールモデルになるといいなとも思いますが、山形さんが議論をはじめられてからの十数年、状況は変わりましたか?

 

山形 一部の分野については、ジャーナリストでも研究者でも、ウェブやTwitterでそれなりに発言するようになってきてくれたのはありがたいところではありますよね。経済の分野では刮目すべき論争や啓蒙というのも行われているし。それがタダで読めちゃうわけですから。

 

情報をどんどん流すという意味では、「道草 http://econdays.net/ 」というサイトを運営している、経済分野で重要な記事をグループ翻訳している人たちがいますよね。非常にありがたい動き。下手でもいいからとりあえず訳そうぜ、そしたらみんなもケチつけてくれるしさ、という感じで。

 

ぼくの翻訳はなかなかケチつけてくれる人がいなくて、一人で訳しているような状況にあります。それに比べて彼らがグループで活動できるというのは非常にうらやましい。もっと他の分野でもやってほしいですね。

 

荻上 それこそ、山形さんがやられていた、「プロジェクト杉田玄白」の系譜に位置づけられるような動きですよね。

 

山形 そうですね。プロジェクト杉田玄白は「大きな作品」というものを考え過ぎてしまったがゆえに、敷居が高いようなところがありました。

 

荻上 一人ではちょっと厳しいものを、みんなで分担していたと。

 

山形 それはなかなかうまくいかなくて。でも、「道草」のように記事一つぐらいなら一人で訳すこともできるし、プロジェクト杉田玄白の至らなかったところをちゃんと補ってくれて、立派。

 

荻上 短い文章のほうが、訳した人の記名を気軽に入れられたりするので、翻訳のインセンティブにもつながるのかもしれませんね。壮大なWikiプロジェクトを構想して、とりあえずページを作ってみたものの、編集者が集まらなくておジャン、みたいなページの残骸は、腐るほどありますしね。【次ページにつづく】

 

 

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シノドス国際社会動向研究所

vol.267 

・堅田香緒里「ベーシック・インカムとジェンダー」
・有馬斉「安楽死と尊厳死」

・山本章子「誤解だらけの日米地位協定」
・桜井啓太「こうすれば日本の貧困対策はよくなる――貧困を測定して公表する」
・福原正人「ウォルツァー政治理論の全体像――価値多元論を手がかりとして」
・鈴木崇弘「自民党シンクタンク史(11)――シンクタンク人生から思うこと」
・杉原里美「掃除で、美しい日本人の心を育てる?」