2020.12.26

社会的弱者に、医療はどう向き合うか――『医療の外れで 看護師のわたしが考えたマイノリティと差別のこと』(晶文社)

木村映里(著者)看護師

医療の外れで: 看護師のわたしが考えたマイノリティと差別のこと

著者:木村 映里
出版社:晶文社

「生活保護、性風俗産業の従事者、セクシュアルマイノリティ、性暴力被害者などが、医療者からの心無い対応で傷ついたり、それがきっかけで医療を受ける機会を逸している現実がある。医療に携わる人間は、こうした社会や医療から排除されやすい人々と対峙するとき、どのようなケア的態度でのぞむべきなのか」

上記は、拙著『医療の外れで』の紹介文です。

本書は、「セクシュアルマイノリティ」「性風俗産業」「院内暴力」「虐待」「医療不信」「生活保護」「依存症」「性暴力被害者」「医療従事者」の9つのテーマに焦点を当て、エピソードと文献検討の両面から、医療の中でマイノリティや被差別的な属性を持つ人々がどのような傷付きを受けているのか、医療は彼ら彼女らにどう向き合えば良いのかを検討しました。

筆者である私は、「医療に携わる人間は」と、書籍の対象が医療従事者だけであるかのように書いたことを、実は少し後悔しています。というのも、COVID-19、通称新型コロナウイルス感染症の第3波を迎えている現在、この本を1番届けるべき人は医療従事者ではないのかもしれない、と考え始めているからです。

本書の中では、マイノリティや被差別的な属性を持つ人々への理解を医療従事者に促す一方で、医療現場の人間が新型コロナウイルス感染症の前から多忙を極め、疲弊し続けてきた事実や、暴力に晒され、人間として扱われているとは思えない環境の中でも、正義感と自己犠牲だけで現場を維持してきた様子を記述しています。

2020年12月現在、連日2000名を超える新型コロナウイルスの新規感染者が報告される中で、毎日のように「医療崩壊寸前」という報道を目にします。重症患者の受け入れを行う医療機関をはじめ、医療従事者の疲弊が日に日に強まっていく窮状は、東京都内の病院で病棟看護師として働く私も例外ではありません。

私が勤務しているのはいわゆる「コロナ病棟」ではなく、一般の急性期疾患の治療に加えてCOVID-19疑い患者の受け入れ(検査を実施し陽性となったら専用病床のある医療機関に転院していただく)を行う病棟ですが、医療崩壊寸前という言葉を見る度、もうとっくに崩壊しているじゃないか、と言いたくなる心境の中で勤務を続けています。

平時以上に多忙なだけでなく、感染症に対応する危機感やガウンの暑さで体力を奪われ、疲れ切ったスタッフが退職しても人員補充が来ない、到底ひとりで抱えきれる量の業務ではないのにどれひとつ後回しにできない、しかしミスをしたら人が死ぬプレッシャーに潰れそうになる中で、ひとりひとりの患者さんへの細やかなケアは困難になり、不安とストレスがピークに達した患者さんやご家族から罵倒されることも少なからずある、そんな悪循環の日々を送っています。

ようやく1日の仕事を終えた帰り道はいつも惨めで、もう辞めたいとすら思いながら、「でも、患者さんを人質に取られているからなあ」と泣きたくなります。ひとり辞めただけで、業務量の増大による医療事故や緊急入院受け入れ縮小の形で救えなくなる命があることを、私は現場の人間としてよく知っています。

「医療従事者に感謝を」「医療を応援しよう」。そんな言葉を、第1波の頃から、報道やSNSで頻繁に見かけます。医療従事者ではない友人から、「医療現場の人を応援したいし力になりたいけど、何をしたら良いか分からなくて、何もできなくて歯がゆい」と言われたのは、つい先日のことでした。

医療の外にいる人々に、私は何を求めたいのだろうか、と考えます。感染リスクを下げる生活をしていただきたいことはもちろんそうですが、その上で、一般の方々に何を期待して良いのか。何があれば、我々の痛みは少しでもマシになるのか。

例えば、面会禁止(大抵の医療機関は現在、感染症対策のため面会禁止になっています)の病棟に家族が入院した時、「大変な時なんだから特別に面会させてくれ、あなたたちには人間の気持ちが分からないのか」と受付で叫ばないこと。COVID-19疑いで検査を受ける時や陽性となった時に、防護服で対応するスタッフに、「大袈裟なんだよそんなもん脱げよ」と迫らないこと。外来受診での待ち時間が長い時に、「あとどれくらい?」と訊くのは構わないけれど、長く待たされることへの苛立ちをスタッフにぶつけないこと。病気によってもたらされる理不尽への怒りを、医療従事者を怒鳴ったり、殴ったりする形で発露させないで欲しいこと。

考えれば考えるほど、ありきたりな「お願い事」ばかりが並びます。そんなの当然じゃないかと思われるかもしれませんが、病の渦中で心身が通常と異なる状況にある時、普段の当たり前を全うするのは、意外と難しいものです。

不安や恐怖が大きいほど、「こんなに辛いんだから少しくらい嫌な態度になったって、融通利かせてくれたっていいでしょ」と感じるのはきっと自然な感情で、うつ病やナルコレプシーをはじめ、疾患を多重に抱える私の中にもあります。誰もが心身の状態次第で、他者を人として扱えなくなる現実を認め、「自分もそうなるかもしれない」と意識することは、冷静でいるための杖となり得る。私はそう考えます。

また、私が勤務する病棟でいえば、平日の昼間は患者さん6~8名を1人の看護師が受け持つ一方で、17時を過ぎれば20名以上の患者さんをひとりの看護師が受け持っていること、休日は看護師の数が減ること、主治医が毎日24時間いつでも患者さんを診ているわけではないことなど、病院のシステムが一般に知られていないがゆえに、「どうして今すぐ対応してくれないの?」という不信感が患者さんの中に積み重なる側面もあるように感じます。

そういった意味では、現場の多忙さや病院の仕組みを一般の方々が理解してくださり、少しずつ配慮していただくことが、現場の負担の軽減に繋がるのではないか、という気がします。

しかし、きっと、医療現場の窮状が知られるほど、あるいは我々が配慮を求めるほど、医療にアクセスできない人が出てしまう、とも思います。

何年も前、重症の心不全で呼吸もままならなくなり救急搬送されてきた患者さんに「どうしてもっと早く来なかったの、苦しかったでしょう」と尋ねたことがあります。「生活保護を受けて、国のお金で暮らしてる自分なんかが病院に行っちゃいけないと思った」と言われ、私は、なんてことを訊いてしまったのだろうかと、ひどく申し訳ない気持ちになりました。

「自分なんか」という気持ちは、私の中にも覚えがあるものでした。親をはじめとする他者の愛情を感じることが難しく、精神疾患を抱え、自分は無価値だと信じるしかなかった育ちの中で、他者の手を煩わせてはいけないと、誰かに関われば迷惑しかかけないはずだと思い込んでいた自分が、どうしようもなくその患者さんと重なりました。

もし自分が看護師でなく、医療は万人に平等に開かれるべきだという知識を持っていなければ、こうして「医療崩壊寸前」という報道が毎日のように流れる現在、余程体調を崩さない限り、むしろ体調を崩しても、私だって病院受診はできないだろうな、と思います。

自分なんかが病院にかかってはいけない、と医療へのアクセスを遠慮することは、生きることを遠慮するのと一緒です。看護師として「医療現場に配慮して欲しい」と思う私の気持ちは、そんな遠慮をして欲しいわけではありません。誰かを医療から排除したいなんて、少しも思っていないのです。それなのにどうしたって、医療従事者が忙しいと言うだけですら、自分は無価値だという想いを抱えた人たちへの斥力となるメッセージが生まれてしまう。

医療現場からの発信がなければ医療はどんどん閉鎖的になり、医療について知る権利を持つはずのあらゆる人々を排除するけれど、医療従事者の発信は、それ自体が誰かを傷付け、排除するものになり得るのではないかと、新型コロナウイルス感染症が流行するよりも以前から、長らく考えていました。今回の新型コロナウイルス感染症を通して、改めてその認識と危機感を強めています。

看護師として文章を書く時にはいつも、自分の文章が誰かを傷付けないか、看護師として発する言葉が、誰かを置き去りにしていないかと怯えています。そんな不安と恐怖の中で、できるだけ誰も取りこぼさないようにと、私自身の、決して希望に満ちているとはいえない経験を基に書いたのが、『医療の外れで』でした。

医療従事者から受けた言葉や態度によって傷付きを受ける人々や、逆に患者さんや社会からの傷付きを受ける医療従事者自身について、誰を悪者にすることもなく、ただ、痛みが生じる構造を明らかにしたかった。

私の書籍を読んでくださった、被差別的な属性を持つ方からの、「医療現場の人も人間だって、当たり前なのに、忘れていたと思う」「医療に希望を持てた」という感想を目にした時、私は、もしかしたら私のその想いが、きちんと誰かに届いてくれたのかもしれない、この本はもしかしたら、今苦しい状況にある方々への斥力を生まない形で、医療現場の実情を伝えられているかもしれない、と感じました。

新型コロナウイルス感染症がもたらした医療への差別について、直接的に触れたのは最後の1章のみですが、社会の構造の中で我々が誰かを傷付けてきた事実、同時に我々自身が傷付きを受けてきた事実は、新型コロナウイルス感染症によって浮き彫りになった面はあっても、決して、新型コロナウイルス感染症によって新たにもたらされたものではありません。

そしてその構造に目を向けることは、すべての生活者が医療に関わる可能性を持つ社会で、医療従事者と生活者を繋げる一助になるかもしれない。分断されたような気持ちすら覚える今を、少しでも穏やかな方向に引き寄せることができるかもしれない。

マイノリティや被差別的な属性を持つ人々への共感や医療従事者への啓発以上に、誰かが崩れ落ちそうな気持ちの中で、それでも生き延びるための、ささやかな錨になれば。そう思って本を書きました。

医療従事者に限らず、身体的に、精神的に、あるいは経済的に、「誰からも人として扱われていない」という苦しみを持つ方は、数限りなく居られるでしょう。人としてありたい、人としてあって欲しい、そんな想いが、願いではなく決意となりますよう。私の本がその気持ちに寄り添う錨として機能しますよう。心からそう祈ります。

プロフィール

木村映里看護師

1992年生まれ。日本赤十字看護大学卒。2015年看護師資格取得し、看護師として東京都内の病院の一般病棟に勤務している。執筆に医学書院「看護教育」での連載等。

この執筆者の記事