2013.07.30

書くことは私の命綱であり防御壁

「見えない障害」を可視化する・困ってるズ!メールマガジン

情報

2012年6月に始まった「見えない障害」を可視化するメールマガジン・困ってるズ!が、先月無事に一周年を迎えました。これまで30号以上のメールマガジンを発行し、障害当事者や難病当事者などからいただいた「困ってること」「助かってること」を皆さんにお届けしてきました。今日は改めて皆さんに「困ってるズ!」を知っていただきたく、過去に配信したメールマガジンから2号分を転載します。他人事と思っていた「見えない障害」が、実は身近な存在かもしれないとお気づきになるかもしれません。 ※メルマガ「困ってるズ!」は終了しました。

困ってるズ!vol.21(by Rinさん)

いきなりですが、書くことは私の命綱であり防御壁です。記録すること、と言い換えても構いません。

何の話だよ、というツッコミは少々お待ちを。簡潔に自己紹介させて頂きます。

私は、精神疾患が理由で働けないアラサー困ってる女子です。15年前に心療内科の扉を叩き、現在に至るまで様々な病名を頂戴致しました。強迫神経症、数々の人格障害、パニック障害、不安障害、自我障害、鬱、そして解離性障害。現在、診断書の「主たる精神疾患」には解離性障害と書かれます。稀に物知り顔で「それって多重人格っしょ?」とか言われることもありますが、それは解離性同一性障害のみを指すものであり、私は違います。

困ってることは多々あるのですが、今回は解離性障害をメインに書かせて頂こうと思います。

解離ってナニよ

解離性障害というからには解離という症状があるのだな、しかし解離って何さね、と首を捻るそこの貴方、軽くイマジンしてみて下さい。例えば「よっしゃ、俺はこれをやる!」と決意したとします。で、解離すると、「あれ、俺なんで『これ』をやろうとしたんだ? っていうか『これ』って何だっけ?」。

砕いてライトに説明するとこんな感じで、私個人は、解離の瞬間は脳内に冷たい風が吹くような、妙な感覚を覚えます。つけ合わせとして、「あんなに高まっていた意欲はどこへ消えた?」、「なんで意志決定が持続しない?」といった喪失感や自己嫌悪、更には他者に「尻軽」に見られる、という残念な現象も付随します。これらが原因で情緒不安定になったりして、表面的な症状ももれなく悪化致します。しかしながら、私は解離性健忘という症状も併発しており、時にはそういった不快感すら「健忘」し、二分後には全部忘れていたりします。

忘れるから書くのです

ICD-10によると、解離性健忘は「最近の重要な出来事の記憶喪失」であり、通常の物忘れや疲労では説明が出来ない程強いもの、だそうです。私の場合、事象の重要度に関わらず、忘れる時は何でも忘れます。それがどんなに大事な記憶であろうと。

前夜に電話した相手に「久しぶり!」とメールしたり、恋人に手痛くフラれた友人の嘆きを聞いたことを忘れて「彼氏元気?」などとほざき絶縁状ゲット、といったことが過去にあり、現在私は細かい備忘録を付け、チャットやメールのログは勿論保存、他者にアクションを起こす時はそれらを確認してからにしています。しかしこのメソッドが定着するのにも時間がかかりました。最初の内は備忘録や日記帳の存在自体を忘れていたからです。

また、医者に言わせるところの「記憶の離人化」という現象も悩みの種です。記憶自体は覚えていても、それがまるで他人事のように感じられたり、何十年も前のことのように感じてしまうのです。このやるせなさといったらありません。

ここで冒頭の台詞に戻ります。私は、忘れるから書きます。記録します。仮に忘れてしまった時、追体験は無理でも、読み返すことは出来るからです。

フーグまがいやら傷やらで困ってましたズ

解離性障害にはフーグ(解離性遁走)と呼ばれる症状も含まれます。

私の場合は「フーグまがい」で、気付いたら知らない所に居る、しかも道のド真ん中だったりする、といった症状に苦しみました。また、朝起きたら身に覚えのない書き物がある、記憶にないのに誰かにメールしている、挙げ句、知らない内に自分を傷付けてしまう、なんてことがありました(過去形)。

これは本当に恐怖です(現在進行形)。先日も、前夜に「これは明日やろう」と決めた作業が、翌朝には終わっていた、という、どこかの妖精さん大活躍な現象が起きました。

自傷行為が酷かった時期は、「知らない内に手首を切っていたらどうしよう」というのが最たる懸念でした。私の自傷は14年程続きましたが、現在は幸運にも足を洗えました。それでも、痕があるので今でも弊害はあります。自傷行為といっても手段や理由は十人十色、やめたくてもやめられない、という方の気持ちは痛いほど分かります。私はここで安易に「自分の身体は大事にして!」などと叫ぶつもりはありませんが、元当事者として、「後々、結構めんどいよ」とだけ、ぼそっと小声で耳打ちしたいと存じます。嗚呼話が逸れた……。

「個性」の問題

現在の主治医と、解離性障害という病名に落ち着くまで、私は上に列挙した数々の病名や、数え切れない精神科医・臨床心理士とバトルをして参りました。ある医者に「貴方は古い言葉で言う精神病質、サイコパスね」と半笑いで言われた時は、マジでどうしようかと思いました。当時は今ほど精神障害に対する理解もなく、「通常」から「逸脱」して「精神障害者」という枠組みに納められた自分が、その枠内ですら「浮いて」しまう、という事実が辛かった時期もあったりなかったり。

しかしここ数年、精神疾患を「病気」ではなく「個性」として捉える流れが出てきていると聞きました。また、精神障害の知名度は、私が説明するまでもなく広まっています。問題は、「知名度=理解度」では決してない、というシンプルな事実です。無論病気に対する知識・理解は重要ですが、それでも「この人は○○病だから」といった安易なカテゴライズ、先入観や対処は危険ですから、一人一人が全く異なる「個性」を持っているんだよ、という正しい情報の発信が必要だと、私は考えます。

好調不調両方を知って欲しいズ

とか何とか偉そうに書いとりますが、このふざけた文体からお察し頂けるように、私は普段、人を笑わせるのが好きな、かしましいひょうきん者であります。好調時しか知らない人は、私が働いていないことを不思議に思っている、ないしは怠け者扱いしているようです。逆に、私は不調時に異様なまでに他者とのつながりを求めるので、病気を理解してくれる友人らにいつも泣きついて迷惑をかけてしまいます。これは現在も大きな課題です。アラサーと類される身分としては、自分の問題は独りで対処したい所存。しかし「私、今辛いんだよ」と実際口に出して話すことは概ね気晴らしになります。

よって、私が助かるなぁと感じるのは、好調・不調時のいずれかのみを「私」と認識するのではなく、「あ、今日は不安定なんだね」、「今元気そうだから遊ぼうか」といった風に、両方を受け入れてくれる人に会えた時です。

解離・健忘に関しては、私はある程度信頼出来ると踏んだ相手にはあらかじめ軽くカミングアウトします。そこで引かれたら、ご縁がなかったのだと思うようにしてます(自傷痕に関しても同様です)。そして、例えば同じことを何度も話してしまう時、「そのネタもう四回目だよ!」ではなく、「ああ、その話は聞いたから、続きを話して」とやんわり指摘されると有り難いです。

書き続けます

長々と書かせて頂きましたが、私は自分が引いたこの「くじ」(by 大野更紗女史)と折り合いを付け、自己憐憫に陥ったり病気に耽溺したりせず、少しでもいいから社会にコミットしていきたいと切望しています。現時点で、解離や健忘を治す・抑える薬や確固たる治療法はないようなので、「これが私のくじで、個性だ」と自身に言い聞かせ、全てを書き続け、読み直しながら生きていきたい所存であります。

同時に、同じ「見えない障害」というくじを引いた困ってるズの方々の為に、何か出来るなら可能な限り行いたいと希求します。大きなことは言えませんし出来ません。でも、それでいいと思います。現に、この15年で状況は随分変わってきています。今すぐこの社会が全ての障害者に優しくなるなんていうのは不可能っていうか都合が良すぎて逆に恐いじゃないですか。ですから、ちょっとアンテナを立てる、RTしてみる、いいねボタンを押してみる、そういったことからでも充分だと思います。私は自分に出来ること=書くことをして、それが他の困ってるズ達の役に立つのなら、こんなに嬉しいことはありません。

困ってるズ!vol.26(by Rinさん)

こんばんは、よもやの再登場・21号で解離性障害についてフリーダムに書かせて頂いたRinさんです。自分をさん付けで呼ぶのは癖であります。「誰だおまえ」という方は以下をどうぞ。

前回までのあらすじ

15年前に精神科の扉を叩いたRinさんは、病名のデパート状態になったり入院したりサイコパス呼ばわりされたりしつつ、現在は主に解離性障害と戦っているアラサー困ってる女子。「解離」という症状の所為で感情や意志決定が持続せず困りんぐ。また「解離性健忘」が激しい為、行動記録・服薬記録・その他備忘録を書きまくり、書く書くとにかく書くことで何とか生き延びている日々。

21号では解離性障害メインで書かせて頂いたので、今回は別の困ってることを。でも今回の困ってること、「病名」が分からないというミステリアスなシロモノであります。

困ってるズ!vol.21感想まとめ : http://togetter.com/li/443849

アラサー女子のカラダは正直

私はメンタルにストレスがかかると、すぐさま身体症状に出ます。嘔吐は日常茶飯事、目眩動悸手足の震えはしょっちゅうで、更には腹を下したり過呼吸になったり、なんぞこれ何の罰ゲーム? と逆ギレしたくなるスペックでございます。二度目の入院時は、顔面神経痛っぽくなったり、物を咀嚼することが不可能になっておかゆオンリー生活を強いられたり。しかしながら、何科に何度行っても物理的な疾患はなく、遠巻きに「精神科帰れ」と言われたことが幾度となくありました。要するに身体症状を抑える為にはメンタルを安定させる必要があり、メンタルを安定させるには服薬する訳で、その薬の副作用で更なる身体症状が……ってもういいよこの悪循環。

個人的に最もきついのがコレ

書くのが好きな私ですが、勿論読むのも大好きです。十代の頃は結構な量の本を読んでい ました。しかし、二十歳を過ぎた頃から、本を開く→文字を目に映す→内容を把握する→読み進める、という当たり前の行為が難しくなってしまいました。文字を見るところまではいいのですが、意味が分からなくなったり、必死に読み進めても一文前を忘れてしまう、結局何が書いてあるのか分からなくなる、といった現象が起きるのです。

医者に言わせるところの「集中困難」なのですが、他の事には集中出来たりするし、全く進まない本もあれば、あっさり一気読み出来る時もあります(あ、荻上編集長の本は後者でしたよ)。読めないのは本当に辛いです。でも、最近は「今日は無理っぽいから他のことをしよう」といった風に折り合いを付けるよう尽力しています。

「声なき声」とは分かっていても

読書は独りの行為ですから、自分で割り切れば、まあ何とかなります。しかし対 人の場で一番困るのが、ズバリ「頭の中の声」です。聞こえ始めたのは十代の終わり頃だったかと。正確には「幻声(げんせい)」と呼ぶらしいのですが、とにかく声がするのです。私はそれが実際の音声でないことを自覚しています。しかしこの声がまた厄介で、独りで居る時に否定的・攻撃的なことを叫ばれると情緒にクリティカルヒットですし、上記の通り人と居る時にこれが発生すると、最悪会話が成り立たなくなってしまいます。

先日も、とある打ち合わせの最中に声が響き始め、議題が分からなくなって冷や汗をかきました。以前よりは幾分マシになっているのですが、それでも対人の場では苦労します。

色々並べましたが

他にも細々した困ってることはあるのですが(希死念慮とか希死念慮とか)、解離や健忘と同じように、対処法は自分である程度立てる事が出来ます。これまでの「困ってるズ!」を拝読させて頂いて思うのは、困ってるズの数だけ(それ以上に?)困っていることが存在し、多くの困ってるズはそれら障害に対する努力を既に相当行ってらっしゃる、ということです。ですから昨今私が考えるのは、その努力では手が届かない時・対応しきれない時にこそ、「支援」が必要なのだな、と。

勿論、同じ病名でも症状が全く異なるなんてことは多々あります。よって、個人的に希望するのは、周囲に困ってるズさんがいらしたら、その方固有の支援方法を知って頂くことです。「○○病の人はこう扱う」といったマニュアルなんぞ脳 内のデリートキー連打で消してもらって、「個別の対応」を採って頂く。

「そんなんしてたら身が持たねえし、キリがねえよ!」と思われるかもしれませんが、変な先入観や偏見で「困ってるズを更に困らせてるズ」になるのは、このメルマガを読んでらっしゃる方の望むところではないと確信しております。また、私を含む困ってるズの皆々様も、「こういう時はこうして欲しい」という、支援の手段を具体化することが必要かなと思います。とか言いつつ、私自身それは完璧に出来ていないのですが。嗚呼。

Rinさんの今後

さて、前回投稿させて頂いた時、障害者手帳について一部でツッコミを頂きました。現時点で、私は手帳を持っていません。

実は去年の年末から申請&入手&障害者枠での就労を視野に入れ始め、リサーチにリサーチを重ね、年明けに主治医に相談したのですが、ぶっちゃけ渋られました。曰く、私は遅々とした歩みながらも回復傾向にあるから、急がなくてもいいのでは、と。

いやー先生、私アラサーなんすけど。結構焦ってるんですけど。と内心呟いていると、彼はこう言いました。

「障害者手帳はRinさん自身の点数を上げるものではなく、及第点をほんの少し下げるだけのもの」


成る程、と納得し、当面は自分自身のスコアを上げる努力をした方がいいかな、と思いました。具体的には、自分に合った就労支援機関に 通い、そこでのアクティビティを通じて社会に出る練習に打ち込む日々です。これがまた存外ハードなんですが。

無論、手帳の取得や障害者枠での就労を否定するつもりは毛頭ありません。私の周りは割と「制度は利用してなんぼ」な方が多く、手帳持ちで働いている友人も結構居ます。しかし、私個人に限って言えば、それは「今」である必要はない、という結論です。

そんな訳で、今日も明日もその次も、何かしら書きつつ、生き延びていきたいと思います。