落語における怪談とは

芸術分野で優れた業績を挙げた人に贈られる芸術選奨文部科学大臣賞を、落語家の五街道雲助さんが受賞した。これを記念して、8月15日のα-Synodos130+131号より、インタビューを転載する。(聞き手・構成/山本菜々子)

 

 

「怖い」を押しつけない

 

―― 今回は、雲助師匠に落語における「怪談噺」についてお話伺えればと思います。雲助師匠といえば三遊亭圓朝(1839‐1900)作の怪談噺に積極的に取り組まれており、夏場は師匠の怪談を聞くために多くの方が集まります。落語といえば、笑える話ばかりのイメージが強いですが、怪談などの怖い話もあるんですよね。

 

そうですね。「落語」というと滑稽な「落し噺」を多くの人は想像しますが、「怪談噺」や「人情噺」と呼ばれるものもあります。

 

今の寄席は10日間の興行ですが、昔の寄席はだいたい一か月間も興行が続きました。どんな落し噺の名人でも、一か月連続で、お客を呼び続けるのは大変です。「今日はいいや、雨降っているから辞めよう」とお客さんが来なくなってしまう。どうやったらお客さんがずっと来るのか考えた時に、次の日にまたいで続く噺を思いついた。今の連続テレビ小説みたいなもんで(笑)。「この後は、また明日申し上げます」と良いところで切り上げて、ひと月お客さんを引き続けることをやっていた。

 

私はそれらの「落し噺」には入らない続きものの噺を「世話噺」と命名しています。この中に、いわゆる怪談噺の要素が入ったものがあるんです。この続きものの噺で有名なのが、三遊亭圓朝師匠です。師匠がつくった噺には笑いの要素が少ない続きものが多い。それらの噺はよく「圓朝もの」といわれます。

 

 

―― 一日では終わらない話を「世話噺」と名付けているということですね。

 

私がいう「世話噺」は、昔は「人情噺」と呼ばれていました。でも、「人情」と言うと勘違いしてしまう人が多いんです。昔はよく「人情噺ができないと真打じゃない」と言われていましたが、それはお客さんを泣かせないとダメだという意味じゃない。一か月の間お客さんを引きつけられる力があるから「真打」という意味だった。でも、今はやたらお客さんを泣かせにかかる噺家もいる。お客さんもそういうものだとおもっているふしがある。泣かせるだけが人情ではなく、喜怒哀楽といったさまざまな人間の情を織り交ぜて、ストーリーをこさえていくもんなんだけどね。

 

だから、私は「怪談噺」というのも厳格には区分けしていないんです。「圓朝もの」の中に怪談のようなストーリーがありますが、圓朝師匠としては怪談としてつくったわけではないと思っていて。何話もある話の中の、一席だけを取り出して、怪談噺といってやるようになったんです。

 

 

―― 雲助師匠自体には怪談をやっているという認識はあまりないということですか。

 

私の中では無いですね。一言で「怪談」といっても、さっき言ったような世話噺タイプの怪談もありますし、お化けが出て来るコミカルな落し噺の怪談もあります。

 

そもそも、怪談噺をしようと思っていたわけではなく、世話噺を勉強しようと思っていたんです。圓朝ものの「真景累ヶ淵」の中に「豊志賀の死」という一席があるのですが、お客さんに「怖い噺ですよね」と言われ初めて気づきました。自分としては怪談だと認識していなかったけど、展開が怖いようですね。

 

アメリカのホラーだったら、光や音で脅かす部分がありますが、日本の「怪談」って情念が絡み合ったところに怖さがあると思います。「豊志賀の死」も男と女の情念の絡み合いです。たぶん、「怖いだろう」と観客に怖さだけを押しつけて、情念を粗末にしてしまったらちっとも怖くない。情念をしっかり描けば自然と怖くなるような気がしますね。

 

「牡丹灯籠」の「お露新三郎」もロマンチックですが怖い。両思いであったお露と新三郎ですが、お露が死んでしまい、幽霊となって新三郎のもとを訪ねるという話です。なんともいえない綺麗さがある。静かで怖いんですよね。圓朝ものは、情を絡めていくと、怖い怪談になっていく話が多いんです。

 

 

―― お客さんから「怖い話をやって」という要望はありますか。

 

夏場になると会の主催者に頼まれることが多いですね。お化けが出て来る滑稽な怪談をすることもありますし、怖いタイプの怪談噺を頼まれると、「豊志賀の死」や「もう半分」をやります。

 

じつは、「もう半分」は冬の噺なんですよ。私がやっているのは「正直清兵衛」という噺から取ったもので、そうとう古い形です。原典では八百屋のじいさんを殺すのが雪の中なんですが、頼まれるのは夏が多いので、雪を雨に変えてやっています。

 

不思議なことに、みんな怖い噺を聞きたがるんですよ。昔はよく、小学生や中学生の前で落語をする学校寄席に行っていました。その時に、「面白い噺」「じんとくる噺」「怖い噺」のどれが聞きたいかと、生徒たちに聞くと、必ずみんな「怖い噺」と言うんですよね。人間はどうも、怪談に興味があるのかもしれません。私が子どものころも夏になると近所のおじさんが縁側に近所の子ども達を集めてちょっとした怪談話をしていましたね。

 

 

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―― 昔の寄席などでは、セットがあったり、前座さんが扮した幽霊が登場して脅かしたりと、大がかりな演出がよくされていたと聞きます。雲助師匠はこのような演出はされていませんよね。

 

やりませんね。確かに、昔の寄席などでは、焼酎で火の玉をつくったり、前座が扮した幽霊が出てきてお客さんを脅かしたりとさまざまな演出をしていました。林家彦六師匠なんかが有名ですよね。現在でも一部で続けられています。

 

 

―― 前座時代、幽霊役をしたことはありますか。

 

私はあんまり駆り出されませんでしたね。やっぱり幽霊顔ってあるんだよね(笑)。幽霊顔の人が師匠に指名されてやっていました。

 

 

―― 幽霊顔ですか(笑)。師匠がそういった演出をしないのはなぜでしょうか。

 

そもそも、なぜ昔は大がかりな演出でやっていたのかというと、芝居のミニチュア版としての役割があったからなんです。昔の人は芝居が楽しみでしたが、値段が高くて頻繁には行けなかった。だから手軽な娯楽として、芝居風の演出を寄席で楽しんでいた。圓朝もそういったやり方を当初はしていたようですが、後期からは素噺になっていったと聞きます。

 

当人に会って話を聞いたわけではないから、明確な理由は分かりませんが、素噺のほうがやりがいがあるんですよね。話に深く入っていける。演出ももちろん面白いんだけど、素噺の深くつっこんで人間を語れるところがすごく面白かったんじゃないかなと思います。

 

 

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