2014年インドネシア政変――ヘビメタ大統領・ジョコウィの誕生と「新しい風」

ジョコウィ現象

 

そんな状況が一変したのが2013年である。「ジョコウィ現象」といってもよい。彼は2012年9月のジャカルタ州知事選挙で現職を破って当選し、翌10月に州知事に就任した人物である。前職はソロというジャワ島中部にある古都の市長を務めていた。2005年にソロ市長に選ばれ、2010年に圧倒的な人気で再選し、任期半ばの2012年に、所属する闘争民主党(党首はメガワティ元大統領)からジャカルタ州知事選への出馬を要請され、トントン拍子で政界の階段を登ってきた。

 

ソロ市長の前は、地元ソロ市で木材家具の輸出業を営む普通の人だった。いわゆるエリートの出ではない。金持ちでも軍人でもない。いってみれば庶民である。こういう人がソロの市長になり、住民に対する行政サービスの向上で人気が上がり、今度はジャカルタの州知事になった。その彼が、ジャカルタで何をするかが注目された。

 

期待を裏切らず、ジョコウィは州知事就任後、すぐに様々な難問に取り組んだ。大量の露天商が道を塞いで渋滞が慢性化している問題や、洪水対策用の貯水池に無許可で住み着いている人たちに立ち退いてもらう問題など、これまでの知事が野放しにしてきた難問に取り組み、対話と説得で解決策を出していった。さらには、州独自の無料診療や教育無償化を導入し、貧しい人たちの健康と教育の充実を図ってきた。渋滞の緩和に向けた地下鉄の建設も、彼の時代になってようやく動き出した。行政改革にも早急に取りかかり、公共事業の決定過程の透明化や、入札のインターネット化、さらには区長の選出に公募制を導入するなど、「奉仕する行政」への変革を訴えた。

 

明らかにこれまでと違うタイプの州知事の誕生に、ジャカルタ市民は大いに喜んだ。「実行する知事」、「仕事ができる知事」、「庶民目線の知事」といった評判が広がり、連日メディアが彼の「抜き打ち視察」を追っかけてニュースにする。それが5ヶ月も続いた時点で、ジョコウィはすでに単なる州知事としてではなく、有力な次期大統領候補としてメディアが意識するようになっていた。SMRCの2013年3月の世論調査では、初めてジョコウィの名が大統領候補として登場し、支持率10%でプラボウォの8%を抜いた。

 

このジャカルタでの「ジョコウィ現象」を、いち早く政治的に利用できると閃いた人たちがいた。野党第一党である闘争民主党の若手議員や、闘争民主党の党首メガワティにあまり近くない党内非主流派の議員たちである。

 

彼らの一番の心配は、翌2014年4月の議会選挙にあった。このままでいくと、党は何の新しいアピールもなく、「独立の父」スカルノ初代大統領の娘であるメガワティの弱々しいカリスマに頼る選挙になろう。それでは多くの地域で負けが多発する。そんな事態になったら、全国各地でイスラム主義政党が幅を利かすことになり、これまで大事にしてきたインドネシアの世俗主義や多様性が衰退してしまう。それは許されない。そうならないためにも「メガワティ以外」で選挙を戦う必要がある。こういう論理を掲げて、ジョコウィの擁立に向けて動くグループが党内に出てきた。

 

この党内運動のピークが2013年9月の全国集会でみられた。会場に集まった各地の党州支部の幹部たちは、「次期大統領選挙にジョコウィを擁立すべき」という要請を執行部に伝えた。そのアピールに乗らなかったのは中ジャワ州支部くらいである。同州はメガワティの娘のプアンの地元であり、母親の後継者になりたいプアンに気を遣っていた。

 

メガワティも、この地方支部のジョコウィ擁立要求はショックだった。彼女は大統領選挙に過去2回負けている。そのため、もうこれ以上出馬したくないという思いも強い。かといって、ぽっと出のジョコウィを「人気者」というだけで大統領候補にしていいのか。党内の秩序が乱れないか。いや、もっと大事なのは自分を女王様扱いしてきた党の人間が離れていくのではないか。自分の党内影響力が低下しないか。メガワティに保身の心が芽生えた。党全国集会の夜、彼女は州支部幹部を別邸に呼び出し、「大統領候補を決めるのは党首の私ですから」と念を押し、これ以上ジョコウィのことをメディアで喋るなと箝口令を引いた。

 

これに便乗したのがメガワティの取り巻き達である。この人たちは、彼女のおかげで党内の影響力のあるポストを得て、それを元にビジネスも上手くやってきた。彼らの心配は、党内求心力がジョコウィに移り、メガワティの影響力が薄れることである。この取り巻き達が、「理想のシナリオ」として模索したのが、正副大統領候補としてメガワティとジョコウィをペアで擁立する案である。人気のジョコウィを副大統領候補にすることで、メガワティの大統領への復帰を実現させるというシナリオである。

 

ジョコウィはまだ早い。党は伝統的にスカルノ家の血筋でやってきたからこそ根強い支持基盤があるわけで、それを裏切ることになる。そもそもジョコウィは党内でも新参者だ。このような意見がメガワティの側近たちから出された。娘のプアンも、自分が母親の後を継ぐつもりでずっとやってきた立場から、ジョコウィ擁立には消極的だった。こういう人たちが、メガワティをヨイショして、「勝てる勝てる」と吹き込み、大統領選に再度立候補させる目論見を立てていた。

 

一方のジョコウィは何を考えていたか。彼は、机の上に置いてある各種世論調査のレポートを筆者の前に差し出し、いくつかのページを示しながら、次のようにつぶやいた。「メガワティでは負けるでしょう。プラボウォの人気は高まっています。若い人に支持が広がっています。彼らは軍人時代のプラボウォを知りません。危険です」

 

筆者も彼に言った。「ジョコウィさんを擁立すれば、来年4月の議会選挙で闘争民主党は躍進します。10年の野党生活から抜けだして国会第一党に返り咲きです。それが党首メガワティのためにも党のためにもベストだ、ということを直接伝えてはどうですか」ジョコウィは姿勢を正し、こう返した。「メガワティの思考回路は複雑です。まずは彼女の信頼を勝ち取ることです。一緒に出かけ、ご飯を食べ、自分を理解してもらう。野心は絶対見せてはいけません」そう言いつつも、「来年1月の党設立記念日のタイミングで擁立を発表してもらえれば、議会選挙まで3ヶ月あるので十分準備ができます。うまくいけば得票率35%も夢じゃない。その勢いで7月の大統領選に突入する。これが理想です」と野望を覗かせた。

 

しかし、メガワティのほうは、なかなか態度を決めなかった。人気のジョコウィに託すか、やはり自分が出馬するか。取り巻きは後者が良いという。でも自分は本当にプラボウォに勝てるのか。ジョコウィは自分を裏切らないか。メガワティの不安は尽きなかった。

 

メガワティのジレンマを理解するジョコウィは、極力彼女と会う時間を増やし、裏切るようなことはないというメッセージを送り続けた。それでも2014年1月の党設立記念日に、メガワティの発表はなかった。いよいよジョコウィ周辺も焦り始める。ここで一歩踏み込んだ。ジョコウィが承認するボランティア団体が各地で発足し、草の根運動として、「ジョコウィ大統領の実現」を街頭でアピールするイベントが繰り広げられた。ツイッターやフェイスブックでイベント参加者を募り、メディアもこれを大々的に取り上げ、ジョコウィの出馬を支持する一般世論も高まっていった。その結果、当時の世論調査でも、約50%の回答者がジョコウィとプラボウォの対決では前者に投票すると答え、後者(20%)を大きく引き離していった。

 

このトレンドを見て、いよいよ党内も動いた。2月の半ば、メガワティ直属のアドバイザリーチームは、彼女にチームの調査結果を伝えた。党のためにも彼女のためにも、ジョコウィ擁立がベストなシナリオであるという結論だった。これでメガワティの腹も決まった。発表は、4月9日の議会選挙のキャンペーンが始まる3月16日の直前にしようという話になり、「ジョコウィ旋風」を活かして大幅な議席増大を狙う作戦を練った。そして3月14日、メガワティはジョコウィを党の大統領候補に指名すると公に発表した。これで勝負あり。多くの人がそう思った瞬間だった。

 

 

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メガワティと仲良く植樹するジョコウィ(筆者撮影)

 

 

誤算の議会選挙

 

予想しないことが起きるのが政治の醍醐味であろう。メガワティは、ジョコウィを大統領選に擁立することを議会選挙前に発表したものの、議会選での闘争民主党の得票率は予想をはるかに下回るものだった。同党の選対部長であるプアンが示した目標は27%である。得票率27%という目標は、大統領選を睨んだ目標である。選挙法の規定で、25%以上の得票率、もしくは国会の議席保有率で20%以上を獲得した政党か政党連合のみが7月9日の大統領戦に候補者をノミネートできる。できるだけ党は単独で候補を擁立したい。だから25%を若干上回る数字が、獲得すべき得票率の目標となる。

 

この数字は夢ではなかった。15年前、民主化後初の99年選挙で同党は33%取っている。当時よりもメディアやSNSの影響が大きい今なら、もっと浮動票を取れると考えていた。とりわけ、ユドヨノ率いる国会第一党の民主主義者党が、幹部の汚職事件の連発で世論が呆れ果てているなか、大量の浮動票がジョコウィ支持で闘争民主党に流れることを期待していた。

 

メガワティ自身も、4月9日の議会選で党が大勝し、10年間の野党生活から抜け出し、これから来るインドネシア経済の黄金期に、与党の党首として君臨したいと考えていたであろう。そのためにも、世論人気のジョコウィを大統領に担ぎ上げ、長期政権を狙う。1期5年の政権を2期やって2024年。その後はスカルノの血を引くメガワティの息子か娘を大統領候補に据える。それが上手くいけば、今から少なくとも15年は闘争民主党が国政を牛耳れる。こういう夢を描いていた。

 

ところが、蓋をあけてみたら、第一党にはなったものの、目標の27%どころか20%にも届かない19%という得票率だった。大番狂わせといってよいだろう。なぜそうなったのか。

 

「キャンペーンは完全に失敗だった」ジョコウィの特別補佐は、筆者にそう嘆いた。闘争民主党は、ジョコウィを選挙キャンペーンの先頭に立たせることなく、遊説先でも彼の国家観や政策ビジョンを語ることを禁じた。政策議論は党内コンセンサスを得てから、との理由であるが、おかげでジョコウィの演説は「党に勝利を」とか「一致団結しよう」とか、誰でも言えるようなお粗末なアピールに終始してしまった。おまけにテレビコマーシャルも、票取り役のジョコウィが出て訴えるものではなく、選対部長のプアンを全面に出す何とも退屈なものを使い、有権者を完全にしらけさせた。

 

ジョコウィ陣営は、こういう「キャンペーンの失敗」を、議会選で闘争民主党が大躍進できなかった理由として説明する。もっとジョコウィの好きにやらせていたら、目標の27%は実現できた。そう主張する。そうかもしれない。だが「ジョコウィ効果」が大方の予想より小さかった理由は、それだけではない。党もメディアも世論調査も認識しきれていなかった大事な現実があった。それは、議会選の主役はジョコウィでもプラボウォでもなく、国会や州議会や県・市議会の議席を争う全国約20万人の議員候補たちであるという現実だった。

 

彼らは地縁や血縁、その他もろもろのローカル・ネットワークを駆使して、自らの当選に向けて一年前から準備してきた。地元の様々な集会に顔を出しては寄付金を出し、自分こそが地元に有益な候補であることを訴えてきた。議会選は候補者間の戦いであり、他党候補者はもとより、同じ党から出馬する候補者さえも競争相手となる。自分を有権者に売り込まないと勝てない。党がどうだとか、大統領候補が誰だとかではなく、自分の人気を固める。これが全国各地の議員候補者の行動原理となった。その結果、有権者も、党より候補者を一義的に考え、より魅力的な候補者に票が集まった。ここに闘争民主党の皮算用が大きく外れる理由があった。「ジョコウィを大統領に」と言って騒ぐだけで、地元の発展ビジョンを語れない議員候補は、各地で総スカンをくらったのである。

 

また、議会選のキャンペーン期間中、ジョコウィが何を語るのか、どのようなビジョンを示すのか、それを聞きたいと期待していた有権者は多かった。それがなかなか出てこないことに対して、沢山の人が失望感を持った。他方、プラボウォは、なりふり構わず大統領への野望むき出しで、がむしゃらに支持を訴えた。無茶苦茶ではあるが、排他主義的な政策ビジョンを怒鳴り散らし、強いインドネシアを作るために自分について来いとアピールした。その姿に、少しずつ着実に有権者の支持が高まっていった。

 

信頼できる世論調査の結果が5月4日に発表されている。それによると、二人が7月の大統領選で一騎打ちの場合、ジョコウィ支持率は昨年12月の段階で62%だったものの、今年3月には56%、そして議会選挙後の4月14日の調査では52%まで下降した。逆にプラボウォ支持率は23%、26%、36%と上昇した。差はじわじわと縮まっており、嫌なムードが社会を覆いつつあった。【次ページにつづく】

 

 

議会選の投票に向かうジョコウィ、メガワティ、プアン(左)

議会選の投票に向かうジョコウィ、メガワティ、プアン(左)

 

 

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シノドス国際社会動向研究所

vol.279 

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