創られた「野生の王国」セレンゲティ――自然保護と地域住民の受難

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(3)観光が生み出す格差

 

1980年代は「住民は自然を破壊する敵」とみなされていた。しかし、1990年代になると住民を自然保護に取り込むために「住民主体の自然保護政策」(community conservation)がセレンゲティで導入されるようになった。その政策では、自然への負荷の高い生活様式を変えるために、「野生動物を持続的に利用する土地利用」、すなわち観光を推進している。果たして観光は、地域にポジティブな成果だけをもたらすのだろうか。

 

「住民主体の自然保護」を具体的に実現するために、タンザニア政府は、1998年に「野生動物管理地域」(wildlife management area: WMA)という、新しい動物保護区を設立できる法律を制定した。これまでは「国(中央政府)」だけしか動物保護区を設立することができなかったが、この新法の下では、複数の村が集まって村落連合委員会をつくり土地を提供しあって動物保護区を設立することができる。イコマ地域でも5つの村が連合して、「イコナWMA」を2007年に設立した。

 

イコナWMAは、タンザニア政府としては「住民主体の自然保護」の「優良事例」としたい意図があったため、中央政府からの強力な支援が入って鳴り物入りで始まった。しかし、設立から7年目を迎える近年、その運営や利益分配をめぐっての不満が各村落から噴出している。

 

もっとも大きな不満は、WMAに参加している村の一つであるA村から出ている。A村は、セレンゲティ国立公園の入園ゲートのすぐ外側に位置しているため、観光客のアクセスがよく、WMA設立以前から観光ホテルを誘致し、ホテルから土地使用料および宿泊税を徴収して村政府の収入としていた。A村のホテルは2000年に1軒だったが、2010年には10軒になり、2010年の村への収入は27万USドルに達していた。

 

 

42ホテル

 

 

つまりA村は、WMA以前から観光業からの利益を村に還元させる仕組みをもっていたのである。しかし、A村も参加するWMAが設立されてからは、ホテルからの収益を5つの村で分け合うことになったため、A村への収入は激減してしまった。

 

このようなA村に不利な条件は、中央政府がWMA設立を提案してきたときにはまったく説明されていなかったため、「政府に騙された」とA村の人たちは怒り、WMAからの脱退を求めている。しかし、他の4村にとっては、観光利益が分配される仕組みとしてWMAは機能しているといえる。

 

このように「観光」は、収益が生まれる場(ホテル立地地域)が限定的であるため、保護区周辺のすべての村落に利益をもたらすことはできない。利益を享受できる地域は限定的である。そして、WMAのように広域に分配する仕組みをつくることは、A村からすれば既得権益の喪失になるので反発を招くことになる。かつてA村にホテルが少なく観光利益がなかった頃、わたしのA村のホストマザーは「われわれイコマが守ってきた動物からの利益を中央政府が吸いあげてしまっている。まるで私たちが政府に授乳しているようなものじゃないか」といきどおっていた。きっと今なら、「他の4村にわれわれが授乳しているようなものじゃないか」と怒るのだろう。

 

より視野を広げれば、セレンゲティ国立公園の周囲には100以上の村落が隣接しており、多くの村がゾウをはじめとした保護区内の動物から被害を受けている。その一方で観光からの恩恵を享受できる村は、アクセスのよい一部の地域のみに限定されている。観光がもたらす収益をどのように分配するか、分配が成功せずに生まれた格差をどう調整するかは、住民が動物による被害を許容できるかどうか、すなわち野生動物と共存できるかどうかにかかわってくる。村落連合、セレンゲティ県、中央政府といった複数のレベルでのタンザニアの行政組織のガバナンス(統治力)が問われる課題である。

 

 

地域住民の生活を想像する

 

ここまで本稿では、「ゾウを保護する」「ゾウの数が増える」「観光収入が入る」といった、グローバルな視点からは「善」「正しい」と見える「自然保護」が、地域文化やもともとあった生活を破壊して、ローカルには「害」をもたらす側面があることを示してきた。これは、アフリカのどの保護区の周辺でも同様のことが起こっているといえる。保護区のために住民が土地を失って移住を余儀なくされ、これまで利用していた動植物を使うことができなくなり、それが地域文化の喪失につながっていくのである。

 

とはいえ、このまま森林や野生動物が減少して自然そのものがなくなってしまっては、生物多様性の劣化というグローバルレベルの損失のみならず、農業や狩猟に依存したローカルな住民の生活も立ちゆかなくなってしまう。何らかの自然保護は必要だろう。では、どのようにすれば、地域住民の生活と自然保護を両立することができるだろうか。

 

大切なことは、住民たちが行う微細な創意工夫に寄り添い、それを支える意識を私たち外部者が持つことだろう。セレンゲティの例で示したように、住民たちは、圧倒的な権力と資金力で推し進められる自然保護政策に対して、抵抗を試みてきた。密猟となっても生活と文化の基盤となる狩猟を続け、その一方で、神であるゾウを殺さずに追払うことで農業とゾウが共生する道を探っている。そして、観光利益をめぐる政府や企業との争いでは、訴訟を起こして自分たちの権利を守る動きも始めている。

 

このような住民の主体的なアクションに着目し、そこから自然との共生のあり方を展望したとき、これまでとは異なる「自然保護」のあり方が見えてくるだろう。それは、「手つかずの野生の王国」や「稀少な動物種の楽園」といったグローバルな強者が求める自然ではなく、変動する政治経済状況の影響を受けながら生活を営んできた地域住民とのせめぎ合いの中で存在してきた自然なのである。その歴史的背景を視野に入れながら、現在の住民の試行錯誤を後押しすることが、今私たちに求められている。

 

注1:本稿は、拙著「自然保護と地域住民」( 『アフリカ社会を学ぶ人のために』松田泰二編 、世界思想社、2014年)を加筆修正したものである。
注2:「ハッピーハニーチャレンジ」は、W-BRIDGEの支援を受けている。

 

 

<参考文献>

 

岩井雪乃 2013 「自然の脅威と生きる構え―アフリカゾウと『共存』する村」『グローバル社会を歩く-かかわりの人間文化学』赤嶺淳編 新泉社 72-143ページ

岩井雪乃 2014 「自然保護への抵抗としての内発性―タンザニア・セレンゲティ国立公園の地域住民 」『新生アフリカの内発的発展―住民自立と支援』西川潤・大林稔・阪本久美子編 昭和堂 146-164ページ

岩井雪乃 2014 「自然保護と地域住民」 『アフリカ社会を学ぶ人のために』松田泰二編 世界思想社 211-223ページ

 

 

 

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