2014.09.10
多数決型と多様性の間で揺れるトルコ民主主義――大統領選挙と大統領制導入問題
トルコの大統領は2007年の憲法改正を受け、国会議員による選出ではなく、国民による直接選挙で選出されることとなった。そして8月10月に、初の直接投票による大統領選挙が実施され、レジェップ・タイイップ・エルドアン首相が第1回投票で過半数を獲得し当選した。
同日夜、エルドアン首相は支持者らを前に勝利演説を行い、「今日の勝者は私だけではなく、トルコ国民の意思と民主主義だ」と述べた。エルドアンは8月28日、正式に大統領に就任し、前日に公正発展党(AKP)の新党首に選出されていたダウトオール前外相を首相に指名、組閣を要請した。
こうしてエルドアン大統領・ダウトオール首相の新体制が発足することとなった。憲法改正によって、大統領の任期は7年再選不可から5年2期までとなり、エルドアンは次期選挙で再選すれば、最長で2024年まで大統領職に留まることが可能である。
トルコの政治制度は議院内閣制であり、大統領には一定の立法権および行政権が付与されているものの、その権限は首相に比べて弱い。しかしエルドアンは、トルコで初めて国民から直接選ばれた国家元首として、これまでの大統領よりもより強い権限を行使すると明言している。さらにエルドアンは安定した政治運営とより迅速な政策決定を実現するためとして議院内閣制から大統領制への移行が必要と訴えている。大統領制導入が実現すれば、トルコ政治にとって大きな変化となるだろう。
そこで本稿では、まず今回の大統領選挙の意味と選挙結果を整理する。そしてAKPが提案する大統領制について検討する。この検討のなかで、厳格な三権分立に依拠するアメリカ型の大統領制度とは異なり、AKPの求める大統領制では三権分立の原則が緩められていることが明らかになるだろう。大統領制への移行に対する反対もトルコでは根強く、2015年6月に予定されている総選挙を前に、大統領制は今後の大きな政治争点になると思われる
反政府デモ、汚職捜査、パラレル国家
2002年に政権の座に就いて以来、AKPは2007年および2011年の総選挙で国民から再任され、2004年、2009年、2014年の統一地方選挙にも連勝、憲法改正の是非を問う国民投票でも改正案を可決させてきた。AKPが初めて戦った2002年総選挙を含め、今回の大統領選挙まで全戦全勝ということになる。経済が順調に成長し、その恩恵が広く国民に行き渡ったことがAKP人気の要因だ。また、有権者の多くは、エルドアン政権であれば今後も経済的繁栄が続くと信じ、AKPを支持してきた。
しかしながら、AKP政権が11年目を迎えた2013年、エルドアン首相は3つの大きな国内問題に直面していた。
ひとつは日本でも注目を集めた、2013年5月末から6月にかけて発生したゲジ公園反政府運動である。この抗議運動には、非常に大規模なものとなり、AKPのイスラーム主義に強い嫌悪感をもつ都市部の世俗派や左派、エルドアン政権の新自由主義的経済政策に批判的な人々、そしてイスラーム的価値観を重視しつつもエルドアンのデモに対する強行措置を「やりすぎ」と憤った保守層など、多種多様な集団が参加した。
エルドアン首相はデモに対して一切の妥協を示さず、最後まで対決姿勢を維持した。しかし批判の対象をもっぱら都市部の世俗主義勢力、特に治安当局に激しく抵抗した一部の過激な集団に絞り、さらにこうした集団はトルコの台頭を妨害しようとする外国勢力や金融業者らとつながっていると訴えた。一方で、治安当局の強行措置に対する純粋な憤りから政権を非難した市民や宗教的保守層に対してエルドアン政権は強い反発を示すことはなかった。こうした戦術により、エルドアン政権は政府批判の分断に成功する。結局、この抗議運動は7月下旬には沈静化した。
第二の問題は、昨年12月に始まり、エルドアン政権を揺るがした大規模な汚職捜査である。現役閣僚の子息のみならず、エルドアンの子息も贈収賄に関与したとして捜査対象となった。首相にも疑惑が及んだ。首相と息子の電話内容とされる音声データがインターネットに流出したからだ。この会話記録には、汚職捜査が始まった12月17日にエルドアン首相と思われる男性が息子に対して、自宅に隠した現金を隠すようよう指示している。
会話記録の流出後、エルドアン首相は即座に音声データは偽物と反論、汚職疑惑の対象となった閣僚を辞めさせ内閣改造を行い、体制の立て直しを図る。さらには捜査を担当していた警察官を大量に更迭・異動させ、捜査の封じ込めを行った。
同時に首相は一連の捜査は「パラレル国家」による政府転覆計画だと反論した。ここでいう「パラレル国家」とは、警察や司法内部に入り込んでいるトルコの有力なイスラーム社会運動のひとつ、ギュレン運動の賛同者らが形成したもう一つの権力構造のことである。
ギュレン運動は、米国ペンシルヴァニアで事実上の亡命生活を送るトルコのイスラーム指導者で説教師のフェトフッラー・ギュレンのイスラーム社会運動である。トルコだけでなく世界各地に支持者・賛同者のネットワークがあり、イスラーム的価値の実践を通じた社会変革を唱える市民運動体である。しかしギュレン運動の支持者らは市民社会だけではなくトルコ政府内、特に警察や司法においてもネットワークを構築していると疑われている。
政治政党であるAKPと、社会運動組織のギュレン運動との間には有機的なつながりはないものの、イスラームを重視する政治を求めるという点では一致する。さらに両者ともに長年トルコの世俗主義体制から、特に軍部から敵視されてきた点でも共通項がある。
そこで両者は2003年から2009年頃まではEU加盟交渉による民主化改革をテコにして軍部の政治的影響力を削ぐことに力を注いできた。AKP政府が法改正などにより文民統制を強化する一方、検察内部のギュレン運動の支持者が軍の一部による政府転覆計画をリークし、軍部を追い詰めていったと考えられている。
しかし軍部の封じ込めという共通の目標がなくなると、その後はいくつか重大な政治問題をめぐり齟齬が目立つようになり、AKPとギュレン運動は袂を分かつことになる。昨年来、エルドアン政権は統治機構からギュレン運動を一掃すると公言している。
もちろんギュレン運動側はこうした「パラレル国家」の存在を否定しているが、このエルドアン政権とギュレン派との抗争がトルコ政治における大きな不安定要因であり、エルドアン政権が昨年来直面していた第三の問題だ。
こうした中で今年3月には統一地方選挙が実施された。ゲジ公園デモ以降、エルドアン政権の強権的な政治手法が批判され、12月には大きな汚職スキャンダルが発生し、ギュレン運動との対立が高まる中、AKPがどれだけ得票するのか注目されたが、選挙結果はAKPが45%の得票で野党を圧倒した。
エルドアンの勝利に終わった大統領選挙
地方選挙で有権者の信任を得たと考えたエルドアン首相は、8月の大統領選挙出馬を決断する。今回の大統領選挙には3人の人物が立候補した。エルドアン首相(60歳)の対抗馬は、最大野党で世俗主義の共和人民党(CHP)と第2野党で極右トルコ民族主義の民族主義者行動党(MHP)が統一候補として擁立したイフサンオール(Ekmeleddin İhsanoğlu)前イスラーム協力機構 事務局長(70歳)と、クルド系政党の人民民主党(HDP)のデミルタシュ(Selahattin Demirtaş)共同党首(41歳)だ。
立候補者の顔ぶれが揃った時点ですでに選挙結果は概ね明らかだった。デミルタシュHDP共同党首の場合、クルド政治運動出身ということから大統領選挙で過半数を獲得することは初めから不可能と見られていた。
一方、CHPとMHPの統一候補のイフサンオールはエジプトのカイロで生まれ、長年イスタンブール大学でイスラーム科学史などを教えてきた学者である。また、2005年から今年1月まではイスラーム協力機構の事務局長を務めた人物でもある。イスラーム寄りの人物を擁立することでエルドアンに批判的な宗教保守層の票を狙ったCHPおよびMHP両野党の戦略と言えるが、低い知名度、高齢、カリスマ性の欠如、さらにはその親イスラーム的な立場によってCHP内部の強硬な世俗主義者たちからは擁立反対の声が上がってしまう。
イフサンオールの選挙スローガンは「パンのために」。一人あたりGDPが1万ドルを突破したトルコにおいて、人々の関心は日々のパン代を稼ぐことではなく、マイホームを手に入れ子供を大学に入れることに移っている。時代錯誤的なスローガンだった。
8月15日、トルコの選挙管理委員会は公式な選挙結果を発表した。エルドアンが51.8%(2100万票)を獲得し当選した。イフサンオール候補は38.4%(1559万票)、デミルタシュ候補は9.8%(396万票)に終わった。
地域ごとに投票結果を見てみると、イフサンオールは伝統的にCHPの支持が高いトルコの欧州側やエーゲ海・地中海沿岸で票を固めた。こうした地域は経済発展が進んだ地域であり、世俗的、欧州志向の人々が多く住む。デミルタシュは当然のことながらクルド人の多い南東部で支持された。
一方エルドアンはこれらの地域を除くトルコ全土で幅広く支持を受けた。反政府運動の中心地であったイスタンブールでも1位である。エルドアン首相の支持者の多くは、AKP政権になってようやく経済発展の恩恵を受けるとともに、エルドアン政権が福祉政策やインフラ整備によって手厚くもてなした人々である。もちろんイスラーム的価値を重視するエルドアンの政治姿勢もこうした人々から強く支持されている理由の一つである。
ただし、デミルタシュHDP共同党首も今回の選挙ではもう一人の勝者と言える。選挙前の得票率予測では9%を下回ると言われていたデミルタシュだが、終わってみれば9.8%と善戦し、3月の統一地方選挙に比べるとHDPの得票数は40%も増えた。
また、8月に民間リサーチ会社が行った世論調査によると、「もし次の日曜日に選挙があればどの政党に投票しますか」という問いに対してHDPを選択した回答者は10%を超えている。クルド系政党の支持率が世論調査で10%を超えたのはこれが初めてと言われている。
支持率10%というのはクルド系政党にとって鍵となる数字だ。トルコの総選挙には10%条項という規定がある。得票率が全国で10%に満たない政党は国会で議席を得られないという規定である。これは弱小政党の増加で政治が不安定化することを防ぐための措置であるが、これによりクルド系政党はこれまで一度もこの10%の壁を超えたことがない。そのためクルド系政党の候補者は10%条項が適用されない無所属で出馬している。
デミルタシュの得票が10%近くにまで伸びた原因は2つあるだろう。ひとつは、エルドアンは嫌いだが、イフサンオールにも投票したくない若者や世俗派、左派の一部がデミルタシュに流れた可能性がある。ゲジ公園での反政府運動に支持を表明していたことに加えて、HDPはイデオロギー的には社会主義政党であるからだ。
ふたつ目は、クルド人ではないさまざまな少数派からの支持が増加したと考えられる。HDPは、その支持層を拡大し、クルド人だけではなく性的マイノリティや宗教的マイノリティといった多様な少数派の受け皿になろうとしている。HDPの正式名称はトルコ語でHalkların Demokratik Partisi。日本では「人民民主党」と訳されているようだが、正確には「『諸人民』の民主党」である。同党が代表するのはクルド人だけではなく、「抑圧され、搾取され、疎外されたあらゆる人民」であり、女性、労働者、失業者、若者、障がい者、性的マイノリティなどのための政党だとHDPの党規に謳われている。
現在トルコ政府はPKK(クルド労働者党)との和平を模索している真っ最中だ。昨年には政府とPKKとの間で停戦が実現し、今年の夏からは和平実現に向けた法整備が進められている。今回の選挙で存在感を示したHDPは、今後の和平プロセスにおいて重要性を増すだろう。
大統領選挙での最大の敗者はCHPだろう。MHPとの統一候補として擁立したイフサンオールの得票は40%を下回った。支持者の一部はデミルタシュのHDPに流れた。さらに選挙の失敗を受けてCHP内では党首の責任問題が浮上し、派閥争いが表面化している。
エルドアン―ダウトオール新体制の発足
8月21日、アンカラで開催されたAKP中央執行委員会はエルドアン氏の側近であるダウトオール外相を次期党首に推薦すると決定した。ギュル大統領(当時)がAKP新党首に復帰し、ロシアでプーチンとメドヴェージェフが行ったような大統領職と首相職の交換を行うとのシナリオもあったが、エルドアンはギュルではなくダウトオールを後継者に選んだ。
エルドアンがダウトオールを新党首に擁立した最大の要因は、離党後も彼を通じてAKP内に影響力を確保できると見込んだからだ。トルコではアメリカと違い、現行憲法下では大統領には中立性が求められ、大統領就任に際して、エルドアンは離党しなければならない。
したがって、今後も政治運営の中心にいたいエルドアンとしては、エルドアンと並び立つような強力な首相は望ましくない。ギュルの場合、確かに彼はエルドアンとともにAKPを立ち上げ共に戦ってきた同志ではあるものの、2007年の就任以来大統領として高い評価を受けており、エルドアンに「ものが言える」政治家だ。AKP嫌いの世俗派の人々の中にも、「エルドアンは嫌いだけれどもギュルならば」と考える人もいる。
また、AKP内には今でもギュルを支持する古参メンバーらがおり、エルドアンを取り囲む若手議員らとの対立が指摘されている。大統領制導入を目指すエルドアンに対してギュルは議院内閣制の維持が望ましいと繰り返し述べており、今後のトルコ政治体制のあり方を巡る見解の違いも目立つ。
一方ダウトオールは、これまでエルドアンの側近として親密な関係を構築しそれを維持してきた。AKP新党首に擁立されることが決まった際、ダウトオールはこれまでのAKPの方針を引き継ぎ、その目標を達成させると宣言した。
また、ダウトオールの党首擁立は、AKP内の世代交代と関連する。AKPには国会議員が連続4選を禁ずる内規がある。つまり、国会議員になれるのは連続3期までということになる。そしてこの規定により、エルドアンと一緒にAKPを設立当初から支えてきたベテラン議員たち70人は2015年総選挙に出馬できず、AKP議員は次期選挙で大幅に入れ替わる。
エルドアンが大統領選に出馬した理由の一つも、彼自身にもこの内規が適用されることだった。内規を変更し、4選禁止を解くという手段も残されていたが、エルドアンはこの内規の維持を求めた。エルドアンはこの内規を利用して古参議員を党運営から退かせ、AKPをエルドアン派の若手で固めようとしたのではないだろうか。AKPの若手議員や幹部の多くはエルドアンに強い忠誠心を持つ。たとえばダウトオールの党首擁立を強く支持したヤルチュン・アクドアン議員は若手幹部の代表格であり、彼はエルドアン首相の筆頭顧問を務めた人物である。
したがって、今後のAKPでは、離党はしたもののエルドアン新大統領が「指導者」としてダウトオール新党首を通じて党内に影響力を行使し、エルドアンに忠実な若手が党運営を進めていくと考えられる。ダウトオール首相が8月29日に発表した閣僚名簿からは、エルドアン大統領の腹心が2人新たな副首相に内定していることが明らかになっている。
ダウトオール新首相に課せられた大きな任務は、当面は2015年6月に予定されている総選挙に勝ち、大統領制導入に向けた憲法改正に必要な議席数を確保することである。改憲には国会で少なくとも5分の3以上の賛成票が必要だが、現在AKPの議席数は全550議席中312席にとどまっている。
AKPの大統領制構想
では与党AKPはどのような大統領制を構想しているのか。最後にこの点について確認しておこう。
国家元首である大統領には2つのタイプがある。ひとつはドイツの大統領のように、行政権が極めて弱い形式的、儀礼的な大統領。もうひとつはアメリカの大統領のように、国家元首であると同時に行政府の長でもある大統領。日本語ではどちらも「大統領」であるが、トルコ語では明確に区別される。儀礼的な大統領はcumhurbaşkanと呼ばれ、行政府の長を兼ねる大統領はbaşkanと呼ばれる。現在のトルコの大統領はcumhurbaşkanであり、大統領制が導入されるとbaşkanになるというわけだ。
ではここでAKPが2012年に発表した大統領制草案を見てみよう。今後エルドアン大統領がこの草案をそのまま憲法改正に盛り込むとは限らないが、この草案を読むと、どのような大統領制が念頭に置かれているのかがわかるだろう。
この草案によると、AKPの大統領制案は、アメリカの大統領制と異なる点があり、そうした違いは三権分立の原則に関係している。アメリカ型大統領制の根幹は、厳密な三権分立であり、大統領、議会、司法がそれぞれ牽制しあう制度設計になっている。特に大統領(行政府)が強大にならないよう、さまざまな仕掛けが埋め込まれた制度である。
しかしAKPの提案する大統領制では、三権分立の原則が弱められている。エルドアン大統領が目指している制度は、大統領に権力が集中するラテンアメリカ型大統領制だと批判される原因となっている。
具体例をいくつかあげよう。たとえばこの草案によると、閣僚は国会議員からではなく民間人から大統領によって登用される点ではアメリカの制度と同じであるが、AKP案では国会には大統領が指名した大臣および高等裁判所判事などの承認を拒否する権限が与えられていない。つまり、大統領は国会の審議を受けずに大臣を任命することができる。
次に、国会議員選挙と大統領選挙は同日に実施される。これにより、大統領の所属政党とは異なる政党が国会で多数派を占めることで発生するねじれ現象の可能性が低くなるとAKPは考えているようだ。アメリカの制度ではねじれ現象は行政府と立法府に抑制と均衡をもたらす制度と前向きにとらえられているが、AKPは抑制と均衡よりも行政府と立法府との協働による政治運営の効率性を重視している。
国会と大統領の対立が長引き、政治混乱が発生した場合、大統領は国会を解散し、総選挙のやり直しをすることができる。つまり、アメリカの大統領と異なり、AKP案では大統領に議会解散権が与えられている。ただしその場合は大統領選挙も同時に実施される。大統領は、選挙で自身の所属政党が勝ち、かつ自分が再選されると確信した場合に国会を解散させるだろう。ユニークなのは、国会側にも大統領選挙やり直しを求める権限が与えられている点であるが、この場合でも国会議員選挙と大統領選挙が同時に行われる。
この他にも、大統領には政策の遂行に必要な大統領令を制定する権限が与えられる。また、国会には大統領を弾劾する権限が付与されるが、弾劾には国会議員の4分の3以上の賛成が必要で、3分の2以上の賛成で弾劾が可能なアメリカや韓国に比べてハードルは高い。
以上確認したように、AKPが想定している大統領制では三権分立が弱められており、大統領が国会に対して優位な制度である。このため、大統領制への移行によりエルドアン大統領個人に大きな権力が集中しかねないとの懸念が高まっている。
おわりに
エルドアン大統領にとって、大統領制の導入はトルコの民主主義をさらに深化させるための一歩だ。ここでいう民主主義とは、「国民(多数派)の意思」が、軍部や司法といった、国民の信託を受けていない政治機関の干渉を受けずにそのまま政策決定に反映される制度を意味している。
当然のことながら、エルドアンに批判的な政党、メディア、市民団体、研究者などはこうした大統領制の導入に反対し、エルドアン大統領に対して多数決型民主主義ではなく多様性を尊重する民主主義を要求する。多数派の声だけではなく野党や少数派の声にも耳を傾けるべきだということだ。
こうした批判に対してエルドアン大統領は、多数派の声がこれまでは世俗主義の擁護者である軍部や司法によって抑圧され、そして現在ではパラレル国家によって脅かされていると反論し、大統領制の必要性を主張する。
現在のところ、本稿で紹介したような大統領制の導入が可能かどうかは不明である。大統領制の行方は2015年6月の総選挙の結果に大きく左右されるだろう。しかしながら、大統領制の導入が不可能な場合でも、現行の議院内閣制のまま、大統領に与えられている権限を最大限活用し「事実上の大統領制」を実現するとエルドアン大統領は公言している。
こうしたことから、エルドアン大統領が大統領制導入を最重要課題としていることは明らかだ。今日のトルコではクルド和平プロセスや中東外交、EU加盟交渉など様々な課題が山積しているが、大統領制への移行は、政治制度の根幹に関わる重大な問題であり、大統領制の構想内容のみならず、移行に向けた憲法改正過程を注視していく必要がある。
サムネイル「Erdogan cropped.JPG」Prime Minister Office
プロフィール
柿﨑正樹
1976年生まれ。テンプル大学ジャパンキャンパス上級准教授。(一財)日本エネルギー経済研究所中東研究センター外部研究員。トルコの中東工科大学政治行政学部修士課程修了後、米国ユタ大学政治学部にてPhD取得。ウェストミンスター大学非常勤講師、神田外語大学非常勤講師などを経て現職。専門はトルコ政治。