マニラのスラムにみる生き延び方――相互依存・賄賂・コネ

貧困層に対する排除と包摂の試み

 

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他方、国家リーダーや中間層の組織するNGOは、こうした非公式な制度の蔓延をフィリピンの発展に対する障害とみなして、貧困層に対する介入を行う。介入の方法は、大きく二つある。ひとつは、貧困層を「正しく」政治に参加し、法を遵守する「市民」へと包摂しようとするものである。もうひとつは、貧困層の政治参加や不法な生活基盤を排除しようとするものである。

 

中間層は、貧困層が政治家からばら撒かれる金やイメージに操作されて、非合理にも腐敗した政治家を選出してきたためにフィリピンの発展は妨げられてきたのだ、と考えている。そのため、中間層の一部はNGO活動を通じて、貧困層に「正しい」投票を教えることで、選挙政治を改善しようする有権者教育を行ってきた。しかし、貧困層からすれば、彼らは自らの利益や尊厳を守ってくれそうだと考える候補者を吟味して投票しているので、有権者教育の目的は的外れである。こうした齟齬のために、有権者教育の効果は芳しくない。そのため、苛ついた中間層のなかには、教育の程度や住居の合法性を投票の要件に課して、貧困層の選挙権を制限しようと提案する者もいる。しかし、政治家の権力基盤は貧困層の票なので、彼らがこうした提案を導入することはない。

 

都市統治をめぐっては、NGOがロビー活動によって法制度を改善し、貧困層の生存基盤を公的に保証させようとしてきた。こうした包摂的な実践は、法の支配という国家や中間層の要請と、生存という貧者の要請の対立を調停しようとするものである。これはある程度成功し、不法占拠者が低利で土地を購入できる制度や、一部地域の街頭販売を合法化する制度が整えられた。しかし、前者は地価の高騰化と再開発の波の中で、十分に実施されていない。後者の実施にいたっては、賄賂システムに既得権益をもつ役人や政治家によって無視されている。

 

貧困層に対してより冷淡な中間層は、不法占拠者や露天商を都市における無秩序の象徴だと批判して、国家による不法占拠家屋や露店の取り壊しを支持する。政治家は票田として一部のスラムを囲い込んで温存する一方で、こうした声に乗じて、民間セクターによるショッピング・モールや分譲地への再開発計画が浮上した不法占拠地を取り壊してきた。河川沿いの「危険地域」からの住居撤去や、道路拡張に伴う取り壊しも多い。賄賂によって地方政府や警察に「保護」された露天商も、都市美化や交通渋滞解消を掲げる国家リーダーによってしばしば排除されてきた。

 

強制排除によって生存を脅かされた貧困層は、左派組織の協力を得てしばしば街頭デモで異議を申し立てる。だが、より見込みのある抵抗手段は、お馴染みのコネと賄賂の戦術である。貧困層は、政治家とのコネに訴えて強制排除の一時停止を請願したり、露天商であれば、賄賂で強制排除チームから事前に情報を得て、取り締まりの間は隠れておこうとする。強制排除は、こうしてコネや賄賂に訴える貧困層の抵抗活動を助長するので、逆説的にも非公式な制度を強化する傾向をもつ。このように、貧困層に対する包摂も排除も、非公式の制度を除去することに失敗してきた。

 

 

非公式な制度の両義性

 

ここで紹介したような非公式な制度は、政治腐敗に他ならず、貧困層の役に立っても社会全体の利益を損なっている、というのが一般的な理解だろう。しかし、物事はより複雑で、非公式な制度は、貧困層と社会全体の利益に対して両義的な意味をもつ。

 

非公式の制度は、貧困層のみならず、社会全体に対しても重要な役割を果たしている。たとえば、コネ・システムなくしては、貧困層は選挙政治でより周縁化されてしまい、彼らの利益は看過されるだろう。また、賄賂システムなくしては、生存を目指す貧困層と法を実施する国家の緊張関係は、深刻な暴力を引き起こしかねない。いわば、非公式の制度があるからこそ、公式の制度は貧困層を包摂してまがりなりにも機能しているのであり、もし非公式の制度を完全に除去すれば、選挙や法の支配といった公式の制度も破綻して深刻な混乱が生じるだろう。

 

もっとも、非公式の制度には、法や選挙といった公式の制度による本来の機能を歪めるだけでなく、貧困層が公式の制度のもとで安定した利益を享受する可能性を妨げる側面もある。賄賂システムから利益を得る政治家や役人は、貧困層を非公式かつ非合法な状況に押し留めようとする。またコネ・システムは、政治家による貧困層への一時的かつ恣意的な「ばら撒き」を助長して、体系的な再配分政策の制度化を妨げる。貧困層は自律的な資源に欠いているために、今の生活を守り、より良き未来を引き寄せようとする実践が、こうしたジレンマを招いてしまっているのである。

 

 

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壊れない社会のために

 

実は、こうした問題は、今日の日本社会にとっても他人事ではないようだ。というのは、経済的利益を理由にした原子力発電所の再稼動や、財政赤字を理由にした公教育における教師数の削減といった、喫緊の利益のために長期的な利益を犠牲にしかねない決定や提案がやたら目に付くからである。個人のレベルでも、非正規雇用が増大する一方で、国民年金の納付率が減り続けている。マニラのスラムでも日本でも、今を生き延びなくてはならないという切実な要請が、未来を不安定化するジレンマを生み出している。ただし、両者の置かれた文脈と、その困難な状況を生き抜こうとする方法は大きく異なる。

 

今日の日本では、新自由主義のもと、厳しい生存競争を勝ち続けることを要請されている。こうした過酷な競争は、落伍者を生み出さざるを得ない。しかし、互いの生を支え合う社会的紐帯は、すでにズタズタになっており、セーフティネットは脆弱だ。しかも競争のストレスは、異なる世界観をもつ他者を怨嗟する独善的な正義の言説を強めている。こうして社会が断片化すればするほど、社会秩序を人びとの手で自発的に維持するのが難しくなる。それに歩を合わせるかのように、国家も企業も「改革」の名のもとに国民や従業員を統制する制度と道徳の厳格化を進めている。もともと近代日本は、あらゆる公式の制度が精密かつ円滑に機能する社会を作り上げてきたが、それをいっそう厳格化することで、制度の崩壊を防ごうというのであろう。

 

 

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たしかに、競争と統制の強化は、一時的には競争力の向上や社会秩序の効率性に寄与するかもしれない。だが、それは、人びとのストレスや生き苦しさの増大と、互いの生を支え合う相互依存の破壊という犠牲と引き換えに得られるものであろう。そのため長期的には、社会をいっそう断片化、硬直化させ、人びとが偶発的なリスクを受け止めながらも生き延びることを可能にする社会のしなやかさを蝕んでいるように思う。

 

他方、フィリピンのスラムでは、慢性的な貧困状況のなかで、もともと見ず知らずであった者たちが、互いに反目しながらも、最低限の生存を保障し合う相互依存を新たに作り出していた。また、政治家や役人に集合的に交渉して、コネ・システムや賄賂システムといった国家の統制から自律的な秩序を自生的に作り上げて、生の保障をより強固にしていた。たしかに、賄賂やコネによって今日を生き抜く生存戦略には、公式の制度による生の保障の実現を阻害するジレンマがある。だが、公式の制度による生の保障を期待できない状況で、何よりも今日の生存を優先するのは決して非合理ではない。彼らは、あえてリスクを呼び込む投企的実践を繰り返しつつ、他者と相互依存しながら自律的な制度を作り上げることで、偶発的なリスクに柔軟に対処しつつ、より豊かな生を目指してきた。

 

こうした相互依存と非公式で自律的な秩序は、目覚しい経済成長や公的な制度の効率性に寄与しないし、未来の不確実性も克服できないだろう。だが、今日の不確実で困難な社会を生き抜いていく際に、フラフラと低空飛行しながらも墜落はしない、よりしなやかでレジリエンスのある社会の創造には寄与するかもしれない。

 

知のネットワーク – S Y N O D O S –

 

 

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シノドス国際社会動向研究所

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