2015.01.14

「許す」と「赦す」 ―― 「シャルリー・エブド」誌が示す文化翻訳の問題

関口涼子 翻訳家、作家

国際 #シャルリー#フランステロ

「シャルリー・エブド」誌襲撃事件の後、フランスと日本のメディアによる報道を追っていて、この事件への反応や解釈が両国でまったく異なっていることに気がついた。

大まかに言えば、フランスの場合は、「シャルリー・エブド」の編集方針に賛成でない人、あるいは同誌を読んだことがない人でもほぼ全員が、同誌への抗議の手段として殺人という最大の暴力が行使されたことに激しく怒りを覚えたのに対し、日本の場合には、「テロは良くないが」というただし書き付きで、「でも表現の自由と騒ぐのは西欧中心主義ではないか。表現の自由にも、他者の尊厳という制限が設けられるべきでは」と表明することが少なからず存在した。

ここではその点については触れない。それとは別に、取り急ぎ指摘するべき問題が一つあるからだ。

1月13日付読売新聞の夕刊、国際欄に出ていた記事のことだ。今日14日水曜日、襲撃事件後初めて発行される「シャルリー・エブド」最新号の表紙のデッサンに触れたその記事では、

「最新号の表紙には、ムハンマドとされる男性が、泣きながら『ジュ・スイ・シャルリー(私はシャルリー)』との標語を掲げる風刺画が描かれている。この標語は、仏国民が事件後、表現の自由を訴えるスローガンとして使った。表紙には、ムハンマドのターバンの色とされ、イスラム教徒が神聖視する緑色を使った。また、『すべては許される』との見出しも付け、ムハンマドの風刺も『表現の自由』の枠内との見解を訴えたと見られる。」

とある(AFP通信を始め、他の幾つかの日本のメディアにも、「ムハンマドへの風刺も許されるという意味と見られる」とあった)。

CHARLIE-COVER

 

この記事には多くの事実誤認が見られる。政治学者の池内恵氏によると、緑はムハンマドのターバンの色ではなく、そもそもシャルリー誌の表紙絵の男性も緑のターバンなど被っていないのだから、単に一般的にイスラーム教というと緑とされているから、背景に緑を用いたのだろう、という。

また、ムハンマドの表象自体は、一般的ではないとはいえ、イスラーム世界でもかつては伝統的に存在していた。中世イランのミニアチュールなどでは、ムハンマドが描かれている。

右手、説教壇の上にいるのがムハンマド。ペルシャの学者アル・ビールーニーが書いた天文学書の挿画。
右手、説教壇の上にいるのがムハンマド。ペルシャの学者アル・ビールーニーが書いた天文学書の挿画。
イランで80年頃から作成されるようになった、若きムハンマドの肖像ポスター。
イランで80年頃から作成されるようになった、若きムハンマドの肖像ポスター。

そしてなにより、私が翻訳者としてこの記事で指摘したいところは、この記事に見られる重大な誤訳なのだ。

「Tout est pardonné」の意味

この表表紙には、ふたつの文章が記されている。まず、ムハンマドと解釈されるような男が「Je suis Charlie」と書かれた紙を掲げ、涙を流している。そしてその上には「Tout est pardonné」と書かれている。

読売新聞の記事は、「Tout est pardonné」を「すべては許される」と訳し、何でもありだ、という、言論の自由(というか「勝手」)を示したものだとしているが、これはまったく逆の意味だ。

「すべてが許される」であれば、フランス語ではTout est permis になるだろう。「許可」を意味するPermissionから来ているPermisと異なり、Pardonné は宗教の罪の「赦し」に由来する、もっと重い言葉だ。そして、permisであれば、現在から未来に及ぶ行為を許可することを指すが、pardonnéは、過去に為された過ちを赦すことを意味する。「Tout est pardonné」は、直訳すれば「すべてを赦した」になる。

しかしこれは同時に、口語の慣用句であり、日本語で一番近い意味合いを探せば、たとえば、放蕩息子の帰還で親が言うだろう言葉、「そのことについてはもう咎めないよ」、または、あるカップルが、深刻な関係の危機に陥り、長い間の不仲の後、最後に「いろいろあったけどもう忘れよう」という表現になるだろう。

これは、ただの喧嘩の後の仲直りの言葉ではない。長い間の不和があり、それは実際には忘れられることも、許されることも出来ないかもしれない。割れた壺は戻らないかもしれない。それでも、この件については、終わったこととしようではないか、そうして、お互いに辛いけれども、新しい関係に移ろうという、「和解」「水に流す」というきれいごとの表現では表しきれない、深いニュアンスがこの言葉には含まれている。

画面上この文章は、預言者ムハンマドが言ったとも取れるし、「シャルリー・エブド」誌側の言葉とも取れる。つまり、複数の解釈を許しているのだ。ムハンマドが言ったとすれば、それは、「君たちの風刺・または思想をもわたしは寛容に受け止めよう」ということであり、「シャルリー・エブド」誌の側としては、「わたしたちの仲間は死んだ。でも、これを憎悪の元にするのではなく、前に進んでいかなければならない」ということを意味するだろう。

読売新聞の記者は、このデッサンに「自分が読みたいことを読んだ」のかもしれない。イメージは曖昧であり、ときに自らが含んでいない解釈も許してしまう危険性があるが、この文章と結びつけられたときのメッセージは明白だ。Tout est pardonnéを、「すべては許される」とすることで、この読みの多様性が全て消えてしまう。

「殺されたシャルリーは自分(ムハンマド)でもある」

それから、預言者ムハンマドが「Je suis Charlie」 、つまり「わたしはシャルリーだ」と書かれた紙を持っていることが重要だ。これは、単に、預言者ムハンマドも自分たち「シャルリー・エブド」誌の味方なんだよ! と言いたいのではない。

「わたしはシャルリーだ」とムハンマドが言うことは、「殺されたシャルリーは自分(ムハンマド)でもある」、つまり、宗教の名の下に、暴力の行使によって相手の制圧をしようとすれば、あなたたちが信じていると思っている宗教もまた死ぬのだ、と、このムハンマドのイメージは、犯人たち(または犯人と意見を同じくする者たち)に訴えかけているのだ。

その意味では、これは、どれだけムハンマドが描かれていようと、イスラーム教の批判でもなければ、イスラーム教徒に対する侮辱でもない。むしろ、今後起きるであろうイスラーム嫌悪に対する歯止めであり、テロ行為に走ることは自分たちの信ずるイスラーム教の許すことではない、と考える、フランスに住む多くのイスラーム教徒を代弁しているとも言えるのだ。

この絵を描いた漫画家、ルスは、ここで描かれているのは、何よりも先ず「涙を流す人間のイメージ」であって、たとえムハンマドだとしても、自分が描いたムハンマドのキャラクターは、虐殺を行った犯人が妄信していたムハンマド像よりもずっと平和的なのでは、と発言している。

それでは、これは、単に平和と未来を望む、真面目な絵なのだろうか。「シャルリー・エブド」誌の漫画家たちは、悲劇を前にして、ユーモアの精神を忘れてしまったのだろうか?

ここには、三つ目の意味が隠されている。今回、諧謔精神は、事件の後、当該誌を読んだことさえなかったのに、あわてて猫も杓子も 「わたしはシャルリーだ」と言い出した現象に向けられている。

「しょうがねーなー、チャラにしてやるよ」

つねに資金繰りに苦心していた、公称6万部、実売3万部の弱小誌、しかも紙のメディアという、およそ時代遅れのこの雑誌は、多くのフランス人にもやり過ぎだと捉えられていたし、正面切ってこの雑誌が好きだと言う人はほとんどいなかった。

それが、今回の事件以後、突如、全国的に有名になり、最新号は300万部印刷された。政府からの補助金も出たし、個人の寄付も集まった。1月11日に行われた、反テロ・追悼集会では、フランス全土で370万人を超える参加者を数える、フランス史上最大規模の抗議集会となった。

表紙の絵を描いたルスは、襲撃事件が政治的に利用されることに違和感を表明し、11日の集会は「シャルリー・エブド」の精神とは正反対だ、と批判している。もう一人の生き残った漫画家ウィレムは、「いきなり自分たちの友だと言い出す奴らには反吐が出るね」と、辛辣なコメントを述べてさえいる。

しかし、そういう、お調子者のフランス人、自分たちを担ぎ上げて利用しようとする政治家たちをも、「Tout est pardonné しょうがねーなー、チャラにしてやるよ」、と笑い飛ばしているのが、この絵なのだ。今までの「シャルリー・エブド」誌の風刺絵の中には、鋭いものも、差別表現ぎりぎりのものもあったが、今回に関しては、お見事、というほかない。

ルスは、この絵を表紙にすると決めるまで、何日も同僚たちと編集会議を重ねたという。襲撃の直後に編集室に入り、同僚の死体を目撃した彼にとって、最新号の絵を描くことには自信が持てなかったという。最初は、同僚たちが倒れている状況を描き、イスラーム過激派を描き、そして、最後には、銃弾の跡ではなく、「笑うことの出来る絵」を描きたい、と思ってたどり着いたのが、この表紙の絵なのだ。

文化翻訳に関する多くの問題

「シャルリー・エブド」誌襲撃事件は、文化翻訳に関する多くの問題を結果的に提起している。イメージが、文化を越えてどのように読まれていく(=翻訳される)のかという問題もあるし、「自由」の概念の翻訳問題もある。読売新聞の記事が、「Tout est pardonné」を「すべては許される」と訳してしまった背景には、「リベルテ(自由)」という概念が、近代、日本語に翻訳される際に、 「勝手」と同義と捉えられていたという状況も思い起こさせられる。

また、漫画の翻訳を生業のひとつとしている者としては、漫画におけるテキスト部分がどれだけ重要なのか、という日頃から抱えている問題を改めて考えることになった。

多くの場合、人は、漫画における文章を副次的なものと考えがちだ。日本でこの表紙を目にした人の中には、絵だけから「今回は暴力的でないからいい」と考えた人もいれば、「ムハンマドが描かれているからやはりイスラーム教徒に対する侮辱だ」と考えた人もいただろう。それは、イメージを見ればそれで事足れりと考えているからだろう。

しかし、イメージに付随する言葉はイメージの解釈に方向性を与え、意味づけをするものなのだから、けっしてないがしろにされるべきではない。Tout est pardonnéの意味が分からなければ、このイメージの重層性を読むことは不可能だ。ここにもまた、文化翻訳の問題が横たわっている。

14日発行のこの号は、25カ国で販売され、アラビア語、英語、トルコ語、イタリア語など、複数の言語に翻訳されるという。不用意な翻訳により、新たな誤解が生じないことを祈りたい。

プロフィール

関口涼子翻訳家、作家

1970年、東京生まれ、翻訳家、作家。訳書に、M・エナール『話してあげて、戦や王さま、像の話を』、A・ラヒーミー『悲しみを聴く石』ほか、日本の小説や漫画の仏語訳も多数。仏語著作は”Ce n’est pas un hasard” “Manger fantôme”等、これまでに10冊以上。パリ在住。

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