「許す」と「赦す」 ―― 「シャルリー・エブド」誌が示す文化翻訳の問題

「殺されたシャルリーは自分(ムハンマド)でもある」

 

それから、預言者ムハンマドが「Je suis Charlie」 、つまり「わたしはシャルリーだ」と書かれた紙を持っていることが重要だ。これは、単に、預言者ムハンマドも自分たち「シャルリー・エブド」誌の味方なんだよ! と言いたいのではない。

 

「わたしはシャルリーだ」とムハンマドが言うことは、「殺されたシャルリーは自分(ムハンマド)でもある」、つまり、宗教の名の下に、暴力の行使によって相手の制圧をしようとすれば、あなたたちが信じていると思っている宗教もまた死ぬのだ、と、このムハンマドのイメージは、犯人たち(または犯人と意見を同じくする者たち)に訴えかけているのだ。

 

その意味では、これは、どれだけムハンマドが描かれていようと、イスラーム教の批判でもなければ、イスラーム教徒に対する侮辱でもない。むしろ、今後起きるであろうイスラーム嫌悪に対する歯止めであり、テロ行為に走ることは自分たちの信ずるイスラーム教の許すことではない、と考える、フランスに住む多くのイスラーム教徒を代弁しているとも言えるのだ。

 

この絵を描いた漫画家、ルスは、ここで描かれているのは、何よりも先ず「涙を流す人間のイメージ」であって、たとえムハンマドだとしても、自分が描いたムハンマドのキャラクターは、虐殺を行った犯人が妄信していたムハンマド像よりもずっと平和的なのでは、と発言している。

 

それでは、これは、単に平和と未来を望む、真面目な絵なのだろうか。「シャルリー・エブド」誌の漫画家たちは、悲劇を前にして、ユーモアの精神を忘れてしまったのだろうか?

 

ここには、三つ目の意味が隠されている。今回、諧謔精神は、事件の後、当該誌を読んだことさえなかったのに、あわてて猫も杓子も 「わたしはシャルリーだ」と言い出した現象に向けられている。

 

 

「しょうがねーなー、チャラにしてやるよ」

 

つねに資金繰りに苦心していた、公称6万部、実売3万部の弱小誌、しかも紙のメディアという、およそ時代遅れのこの雑誌は、多くのフランス人にもやり過ぎだと捉えられていたし、正面切ってこの雑誌が好きだと言う人はほとんどいなかった。

 

それが、今回の事件以後、突如、全国的に有名になり、最新号は300万部印刷された。政府からの補助金も出たし、個人の寄付も集まった。1月11日に行われた、反テロ・追悼集会では、フランス全土で370万人を超える参加者を数える、フランス史上最大規模の抗議集会となった。

 

表紙の絵を描いたルスは、襲撃事件が政治的に利用されることに違和感を表明し、11日の集会は「シャルリー・エブド」の精神とは正反対だ、と批判している。もう一人の生き残った漫画家ウィレムは、「いきなり自分たちの友だと言い出す奴らには反吐が出るね」と、辛辣なコメントを述べてさえいる。

 

しかし、そういう、お調子者のフランス人、自分たちを担ぎ上げて利用しようとする政治家たちをも、「Tout est pardonné しょうがねーなー、チャラにしてやるよ」、と笑い飛ばしているのが、この絵なのだ。今までの「シャルリー・エブド」誌の風刺絵の中には、鋭いものも、差別表現ぎりぎりのものもあったが、今回に関しては、お見事、というほかない。

 

ルスは、この絵を表紙にすると決めるまで、何日も同僚たちと編集会議を重ねたという。襲撃の直後に編集室に入り、同僚の死体を目撃した彼にとって、最新号の絵を描くことには自信が持てなかったという。最初は、同僚たちが倒れている状況を描き、イスラーム過激派を描き、そして、最後には、銃弾の跡ではなく、「笑うことの出来る絵」を描きたい、と思ってたどり着いたのが、この表紙の絵なのだ。

 

 

文化翻訳に関する多くの問題

 

「シャルリー・エブド」誌襲撃事件は、文化翻訳に関する多くの問題を結果的に提起している。イメージが、文化を越えてどのように読まれていく(=翻訳される)のかという問題もあるし、「自由」の概念の翻訳問題もある。読売新聞の記事が、「Tout est pardonné」を「すべては許される」と訳してしまった背景には、「リベルテ(自由)」という概念が、近代、日本語に翻訳される際に、 「勝手」と同義と捉えられていたという状況も思い起こさせられる。

 

また、漫画の翻訳を生業のひとつとしている者としては、漫画におけるテキスト部分がどれだけ重要なのか、という日頃から抱えている問題を改めて考えることになった。

 

多くの場合、人は、漫画における文章を副次的なものと考えがちだ。日本でこの表紙を目にした人の中には、絵だけから「今回は暴力的でないからいい」と考えた人もいれば、「ムハンマドが描かれているからやはりイスラーム教徒に対する侮辱だ」と考えた人もいただろう。それは、イメージを見ればそれで事足れりと考えているからだろう。

 

しかし、イメージに付随する言葉はイメージの解釈に方向性を与え、意味づけをするものなのだから、けっしてないがしろにされるべきではない。Tout est pardonnéの意味が分からなければ、このイメージの重層性を読むことは不可能だ。ここにもまた、文化翻訳の問題が横たわっている。

 

14日発行のこの号は、25カ国で販売され、アラビア語、英語、トルコ語、イタリア語など、複数の言語に翻訳されるという。不用意な翻訳により、新たな誤解が生じないことを祈りたい。

 

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