「望ましい」移民と「望ましくない」移民――国境を越えた自由移動の裏表

▶シノドスの電子メールマガジン「αシノドス」

https://synodos.jp/a-synodos

▶真の教養を身に着ける「シノドス・サークル」

https://synodos.jp/article/20937

「望ましくない」移民の不自由の問題

 

現代国家は、国境を越えた文化的・経済的交流を推進するための阻害要因となるモノやヒトの移動を取り締まる対応策を強化している。リスクとみなされる難民・非正規移民といった「望ましくない」人々の移動を取り締まり、諸権利を抑制することによって、「望ましい」外国人・移民の自由移動が成立しているといっても過言ではない。

 

国境を越えた自由移動の増大という問題を考えるときに、国境を越えた不自由な移動という影の問題が、グローバリゼーションの本質の一端を捉えるにおいて重要となる。筆者はグローバル化に伴う不自由な移動の問題を、現代ドイツの難民庇護を事例に検討してきた。本稿では、マイノリティ集団の保護において市民社会の影響力が増し、それに対して国家の相対化が言われる中で、国家が市民社会の難民庇護にどのように介在しているのか、難民の不自由の問題がいかに顕在化しているのかを、教会の難民庇護(教会アジール)を取り上げて明らかにする。

 

さらに「望ましくない」人々の取り締まりによる国家の再活性化は、ヨーロッパでは国家を越えた政策的取り組みにおいて顕在化しており、「望ましくない」移民を取り締まる領域において、国家と超国家組織は相互補完的な関係性を有している側面がある。そうした点を明らかにするために、EUの共通移民政策にも注目してみることにしたい。

 

 

難民受け入れ制限に伴う教会アジールの復活?

 

先進国の中でも「難民受け入れ小国」として知られている日本と違い、ドイツはこれまでに多くの難民を多く受け入れてきた。現代ドイツの難民庇護は、ナチス・ドイツによりもたらされた人権侵害を受けて、戦後ドイツ(当時は西ドイツ)の基本法(憲法に相当)16条の中で、「政治的な迫害を受けた者は庇護権を享有する」という、庇護の請求権を認める規定を設けた。この規定は平和憲法を象徴的に示す日本国憲法の9条に相当し、「ドイツの良心」とされるほどの重みをもっていた。

難民庇護は、当初は冷戦レジームの影響のもと、旧共産圏出身の難民を受け入れたために問題なく機能していたが、1970年代以降、状況は大きく変化した。発展途上国における紛争や貧困によりドイツにやってきた多くの難民は、ドイツでの豊かな生活を求めて、庇護制度を利用する「経済難民」であるとみなされ、国家は庇護申請の多くを「迫害を受けていない」ケースであるとして却下した。さらにドイツは、多い時には数10万人規模でやってきた難民の流入を大幅に制限するために、1993年に「ドイツの良心」とされた基本法の16条を改正した。

こうした受け入れ制限政策の実施により、苦境に立たされる難民が増えるようになった。たとえば、ある難民は16条に基づく難民とは認定されないものの、出身国に送還されることで、身体・生命に危険が及ぶおそれのある場合がある。そのため難民審査では、政治的な迫害を受けているかが審査されると同時に、それ以外の人道的観点から保護する必要があるのかも審査される。ところが制限政策が実施されたことで、人道上の観点から保護されるべき難民を強制送還するケースが増えるようになった。

こうした事態を受けて、1980年代以降、キリスト教徒たちは強制送還の危機にある難民を保護する活動である「教会アジール」を実施するようになった。

教会アジールといえば、聖域であった中世のアジールの制度を思い起こさせる。歴史家の阿部勤也らが論じているように、中世の時代は、近代のような中央集権国家のもとにある裁判権や警察権がいまだ確立されていなかった。また中世期は仇討ちが認められていたために、過失で人を死なせてしまった人は自分の身を自分で守らなくてはならない自力救済社会でもあった。そうした社会にあって、教会のアジールはローマ法や教会法にも認められて、追手から追われる者を保護した。追手が教会領域に無断で侵入した場合には、教会はその追手を破門に処すなどの重罰を与えることができる権力を有していた。日本においては寺院などがアジールの機能を有していたことは網野善彦などが論じているとおりである。

このようにして、教会アジールは行き場のない人々を救済する平和領域として機能していた。しかしながら、近代になって国家がその領域を平定し、教会アジールは国家により取り込まれてしまった。かつて「聖域」「平和領域」の意味を有していたアジールは、現代においては主権国家がその領域外からやってくる外国人を保護する「庇護」とか「難民庇護」を意味して使われるようになったのである。
したがって、現代においてアジールといった場合には、通例、難民庇護を意味しており、庇護を認定する主体は国家のはずである。それにもかかわらず、教会が教会アジールという難民庇護を行うことは、中世の時代の教会アジールの復活、あるいは国家のアジールに挑戦する動きと捉えられるのも、もっともであった。

多国籍企業やグローバル市民社会が台頭し、「国家の相対化」と言われる時代にあっても、なお現代において権力主体としての国家は絶大であり、それ以外の主体は相対的に劣位な立場に立たされる。そうした中にあっては、教会が普通に難民庇護をやっていても、自分たちの主張を国家に認めさせることはなかなか難しい。また国家を動かすためには、世論の支持を得ることが重要であるが、教会アジールという形以外で、難民庇護をやっても、世間はさほど関心を示すことはない。

だが教会が、教会アジールという中世のそれを彷彿させる、難民庇護を実施することにより、政治家やマスコミは、「教会アジールは中世のアジールの復活なのか」、あるいは「教会の国家に対する挑戦なのか」と反応するようになる。実際、マスコミは教会アジールを報道し、1990年代、時の連邦内務大臣がマスコミのインタビューに対して教会アジールを完全否定するような事態にすらなった。各方面からの関心を集めることにより、教会の人々は難民庇護に関する公共的論争を高めることができたのである。

教会アジールは、署名活動や請願などの難民を助けるための合法的手段が尽くされたうえでの最後の一手とされている。教会の人々が教会アジールという合法的とは言えない形で庇護活動を行わなくてならないのは、そうでもしないと助けられない難民がドイツに多く存在していることを示唆している。

教会は、一度は庇護認定を否定され、退去強制の危機に立たされた難民の庇護を国家に認めさせることができた。これまでに教会アジールで保護された難民数は3000人以上に上っており、教会アジールは実施総件数の7割以上において、国外退去処分の決定を覆すことに成功している。このように教会は、中世に存在していた教会の伝統をうまく活用して、難民庇護を実現させたのだった。

 

 

CIMG0029

 

 

「監獄」に閉じ込められる難民たち

 

以上のように、教会の人々はどうしたら難民庇護が成功するのかを考え、知恵と勇気を振り絞って教会の有する象徴的資源を活用する方策を見出し、難民庇護を実施した。このように教会アジールを成功させるために、活動を世間に広くアピールすることは重要であるにしても、それは同時にさまざまなリスクを伴っている。

教会の人々は、教会アジールが国家にたてつく行為とみなされ、不法滞在者をかくまう罪に問われるおそれがあった。また行政当局や警察が教会にやってきて、難民を連れ出してしまう可能性もある。中世の教会は聖域として機能していたが、現代の教会は、そのような治外法権を有さない。国家が教会に立ち入って、滞在資格を有さない難民を連れ出すことは法的には可能である。ただし強制的に難民を連れ出して送還するケースというのは実際にはまれである。ドイツのように、個人の自由や人権を尊重する自由主義的な国家が難民を強制的に送還することは、国家の存立基盤を揺るがし、難民の人権を踏みにじるものとして、各方面からの大きな批判を生み出すからである。

ただ現実的に教会で庇護されている難民が連れ出されることはまれだとしても、教会アジールの難民は不安や恐怖から自由になれるわけでは決してない。国家は国外退去処分の執行という行動に出ることはめったにないにしても、教会アジールを断念させようと、それ以外の様々な行動に出るからである。たとえば、警察は教会を日々訪問し、教会アジールは合法的な活動ではないから即刻中止するように説得したりする。また逆に、当局は教会アジールと接触しない方法をとる場合もある。この場合、行政は教会と難民の退去強制処分を取り下げるかどうかの話し合いをほとんど行わない。教会が音を上げて、教会アジールを中止するまで、ずっと放置するという「兵糧攻め」を行うのである。

前記のような場合には、教会アジールの支援者や難民たちの精神的な負担は途方もないものとなる。難民が生き地獄のような体験を強いられるケースもままあり、兵糧攻めにされた教会アジールにおいては、難民たちはおよそ5年間も教会においてひきこもり状態にあることを強いられた。

教会アジールで庇護されたある難民は、教会アジールのことを「親しい間柄の監獄」とたとえたように、保護される難民や支援者たちの精神的苦労は並大抵のものではない。教会における難民庇護は、退去強制よりもずっとましだとはいえ、国家との対峙の中で、それをやり続けることができるかまったく見通しが立たなくなるほどに追い込まれたりすることが少なくない。また保護を途中で断念することもある。教会アジールは、受け入れ社会にも、出身国にも自分の居場所を持たない難民が退去強制から逃れるための一時しのぎの方法であって、難民がずっと居続けることのできる安息の場を提供するものではないのである。教会アジールは難民を救うための最後の一手であることからも、教会における庇護も過酷なものとならざるをえない。

 

 

「強制されたトランスナショナリティ」

 

ところで教会アジールで保護される難民には、子供たちが多く含まれている。彼・彼女らは、小さいころにドイツ社会にやってきたか、ドイツで生まれ育った子供たちである。難民の子供たちにとっては、生活の本拠地も、自分の帰属意識の先も、もともとのルーツである「出身国」ではなく、ドイツとなる。しかしながら、彼・彼女らは出国義務を有するという法的に置かれた状況により、国外退去を命じられ、送還の危機に立たされる。難民たちはこれまでのドイツでの生活とは一変した、教会アジールという狭い空間で保護されることになる。国家は、国外退去命令を下すことにより、難民に対して、ドイツではなく、難民の子供にとっては直接には縁もゆかりもないような「出身国」に帰属意識を持つように強いたのであった。

越境移動の増大に伴って、人々の帰属意識のあり方も多様化し、移民は出身国と受け入れ国とにまたがる複合的な帰属意識を有している場合がある。つまり移民がこうした帰属意識を生み出すことにより、当該国家の構成員とその帰属意識は同一だとする従来の国家のあり方も相対化されると言われてきた。しかしながら、難民の受け入れ国と出身国とのつながりというのは、彼・彼女ら自身によってではなく、国家によって生み出されている点が指摘できる。しかもそうしたつながりや帰属意識というのは、移民のポジティヴな帰属意識を投射したものというよりも、むしろネガティヴな側面を顕在化させている。

エラナ・ジルバーグという研究者は、居住したアメリカ合衆国を自分の「故郷」であると感じていたエルサルバドル出身の移民が、強制送還されることにより、もはや実質的なつながりをもたない「故郷」において、どのような帰属意識の変化を経験するのかを分析したが、強制送還された移民はアメリカとエルサルバドルとの間に否定的な感情を抱くことを明らかにした。ジルバーグは、もはや実質的なつながりを持たず、彼・彼女らにとって「故郷」ではない場所に強制的に送還されることに対しての若者のナラティヴには、領域と帰属意識とが一致するという国民国家の原理原則を越えた心理的状況が投影されていると指摘しており、これを「強制されたトランスナショナリティ」であると論じている。

さらにアメリカとラテンアメリカ双方で移民調査を行ったハーガンらも、国家の強制送還政策が強化される中で、移民たちは万が一強制送還された場合を想定して、出身国に送金したり、子供のために二重国籍を取得するなど、出身国・地域とつながりを持つように努めていたという。

以上のように国境を越えた人の移動や帰属意識というは、無媒介的に生じるものではなく、多分に国家の政策の影響を受けて生じている。それは、国境を越えた関係性が国家に制約を課す、あるいは国家の相対化に直結するというだけではなく、国家もまた国境を越えた関係性を生み出しており、相互作用的な側面に注目する必要があることを意味している。前記のように退去強制処分の執行は実際には困難な場合が多いものの、それでもドイツは毎年7000人以上の外国人を国外に送還している。ドイツの難民NGOは、送還された人々が「出身国」あるいは「故郷」とされる場所において、経済的、あるいは精神的・心理的にきわめて困難な状況に陥っていることを指摘している。【次ページにつづく】

 

 

1 2
シノドス国際社会動向研究所

vol.267 

・堅田香緒里「ベーシック・インカムとジェンダー」
・有馬斉「安楽死と尊厳死」

・山本章子「誤解だらけの日米地位協定」
・桜井啓太「こうすれば日本の貧困対策はよくなる――貧困を測定して公表する」
・福原正人「ウォルツァー政治理論の全体像――価値多元論を手がかりとして」
・鈴木崇弘「自民党シンクタンク史(11)――シンクタンク人生から思うこと」
・杉原里美「掃除で、美しい日本人の心を育てる?」