2015.03.22

ペレストロイカ開始から30年――“悪意に敷き詰められた道”はどこへ?

国際 #SYNODOSが選ぶ「ロシアNOW」#ゴルバチョフ#ペレストロイカ

30年前の1985年3月11日、ミハイル・ゴルバチョフ氏が、新しいソ連共産党中央委員会書記長に選ばれた。当時は、近い将来に国があれほどの激変に見舞われるとは、誰にも予想できなかった。(フョードル・ルキヤノフ外交・防衛政策会議議長)

ペレストロイカと「新政治思考」は、類まれな現象となった。これが何であり何故起こったのかという議論には、けっして最終的な結論は下されまい。結果は、余りにもスケールが大きく明らかに予見されていないものであった。ウクライナをめぐるロシアと西側の鋭い対立が深まるなかで、「冷戦」の終結やシステムの対立からの脱却といった主要とみなされてきた成果も、大きな疑問に付されている。

「新思考」は、余りにも理想主義的なものであったため、大方の観測筋は、長いことその本気度を信じかねていた。指導者らの職能の程度や経済危機の影響や状況の巡り合わせなどについていろいろと論じることはできるが、それによって肝心なものが取り消されるわけではない。国の指導部は、全人類的価値と先んじた善意の示威に基づいて、対立を終わらせてイデオロギー的な重圧を取り除くばかりでなく、平等で公平な別の世界の建設について合意することもできる、と実際に信じていた。

極端から極端へ

政治の振子は、揺れており、一方へ大きく振れれば、それだけ逆への振れも激しくなる。今日のロシアの雰囲気は、ペレストロイカのソ連で支配的だった雰囲気の対極にある。理想主義のかわりに、ときには極限に至るまでの現実主義一辺倒がある。自身の力のほかには、どんなツールもメカニズムも信じていない。西側のパートナーに対する信頼が欠如しているばかりでなく、敵対的および打算的なもの以外のせめて何らかの行動の動機を相手のうちに認めることを拒んでもいる。

なにも驚くことはない。ペレストロイカは、その発案者たちが予想したようには終わらなかった。ロシアにおいて、それに続く時代のコンテンツとなったのは、一つの国家体制の崩壊を克服して別の国家体制を建設する試みであった。得をしたのはソ連の敵対者たちであるが、彼らが最大限の利益を引き出そうとしていたからといって腹を立てても仕方なく、彼らの立場にあったなら誰もがそうしていたに違いない。ソ連は、もしも「冷戦」で勝利をおさめていたならば、オランダやポルトガルをワルシャワ条約機構へ加盟させるべきかどうかで悩むことはなかったであろう。

しかし、そうした経験ののちにロシアの政権が自分の意思で自分を制限するという強者の意欲に対する幻想を保ちつづける、と期待するとしたら、それ以上に奇妙なことであろう。そして、もはや「ゼロ・サム・ゲーム」など一切存在しないという甘言を信じることを期待するとしたら。「人道的干渉」の教訓については、私が言うまでもない。凡てこうした出来事の帰結として、ロシアは、今日、おそらくペレストロイカ以前のソ連以上に周囲の世界に対して警戒感を抱いているのである。

世界の理想主義的な解釈からの逸脱は、説明がつく。懸念を抱かせているのは、裏切られた期待の「ハイパーリアリズム」がスキーマ化や極端な単純化を生んでいることである。 結果に対する不満は、先行する出来事の論理によって条件づけられた、必然的な国の発展段階ではなく、ほとんど外部から持ち込まれた変異のようなものをペレストロイカとその結果に見てとることを、国民の意識に強いている。

“悪意に敷き詰められた道”はどこへ?

人間は、過去を理想化するものである。とりわけ、現在が面白くなく未来が霧に閉ざされているときには。ロシア社会に欠けているのは、歩んできた道の気休め的な糊塗ともそのマゾヒズム的な唾棄とも一切無縁な内省であろう。

新たな国民のアイデンティティーの手探りの模索は、今のところ、次のような状況をもたらしている。人々は、歴史とくに最近の歴史を「歴史的楽観主義」にうまくはめこもうとしており、悲劇的あるいは多元的で多義的な出来事の客観的意味づけを回避しようとする。

ペレストロイカは、劇的に終熄した。しかし、このドラマは、それを地政学的もしくは社会的経済的な面においてばかりでなく、わが国にとってたいへん重要な人間の衝動および刷新や浄化への志向の局面としても評価するに値する。どんな過ちが犯されたにせよ、それらが誰かに利用されたにせよ、歴史におけるそうしたエピソードの役割は、計り知れない。ペレストロイカは、理想主義やより良きものに対する信念の過剰が何をもたらすかを示した。今、私たちは、もっぱらプラグマティズムや不信のうえに何か揺るぎないものを築くこともまた不可能であるという別の認識に近づきつつあるのではなかろうか。

■本記事は「ロシアNOW」からの転載です。

 http://jp.rbth.com/opinion/2015/03/20/30_52341.html

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