2015.10.14

なぜシリア難民はヨーロッパを目指すのか――中東の「プッシュ要因」から探る

立山良司 中東現代政治・安全保障

国際 #難民#ヨーロッパ

「この1,2カ月で、シリア難民が急にヨーロッパのことを口にし始めた。多くの難民が何としてでもヨーロッパ諸国に行こうとしている」

9月中旬にヨルダン北部にあるザアタリ難民キャンプで会った国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)の担当者は、シリア難民が置かれた厳しい現実をこのように話していた。

9月だけでドイツに着いた難民は20万人を超えたと推定されている。国際移住機関(IOM)によると、ヨーロッパに流入する難民の数は月を追うごとに増えており、今年初めから10月初めまでで56万人を数えている。その半数以上がシリアからの難民だ。

日本での報道はめっきり下火になったが、彼らは今も決して整備されているとはいえないルートを利用しながら、死に物狂いで地中海を渡り北上を続けている。

彼らのほとんどはシリア国内の武力対立が「内戦」と呼ばれるようになった2012年半ばごろから、周辺の中東諸国に難民となって流出していた。しかし、その彼らが今年夏ごろからなぜ急に、数千キロの危険な道のりをたどってでもヨーロッパを目指し始めたのだろうか。

レバノンとヨルダンで9月に行った現地調査で判明したのは、難民を引きつけるヨーロッパ側の「プル要因」とは別に、難民を中東から押し出そうとする「プッシュ要因」がきわめて強いことだった。

シリア難民はどこに行くのか

UNHCRよれば10月初め現在、国外に逃れたシリア難民は全体で405万人に上る。また国連人道問題調整事務所(OCHA)は、シリア国内に留まっている国内避難民(IDPs)は760万人に達していると推定している。シリアの全人口が2240万人程のため、実に国民の半数以上が国内か国外で避難生活を強いられている。

国外に出た難民が最も集中しているのはシリアに隣接するトルコ(8月下旬現在194万人)、レバノン(9月末現在108万人)、ヨルダン(10月初め現在63万人)の3カ国だ。この3か国が難民の90%を受け入れている。

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ヨルダンの場合、シリアからの難民は2012年末にはまだ11万人程度だったが、2013年に急増し、2014年初めには58万人に達した。それ以降も増加したが、2015年に入るとほとんど増えていない。むしろここ数カ月は若干だが減少している。

何故、ヨルダンでは難民数が減少傾向にあるのだろうか。援助関係者によると、シリアからヨルダンに逃れてくる難民は最近では1日50人程度だが、出ていく難民は倍以上の120人から130人に上っている。

それでもヨルダン在住の難民数が大きく減少しないのは、出生率が極めて高いためだ。つまり数字だけを見ると、ヨルダンにいるシリア難民に動きがないように見える。だが実際には、かなりの難民が移動しているか、あるいは移動を強いられているというのだ。レバノンも同じような状況にある。

しかも、ヨルダンを出ていく難民のほとんどが、内戦が続くシリアに戻っていくという。どうして彼らは危険極まりないシリアに戻るのだろうか。この問いに対する答えこそ、難民を引きつけるヨーロッパ側のプル要因と、流入してきた難民を再び押し出す中東諸国側のプッシュ要因を結びつけるものだ。

プッシュ要因1:難民の経済的困難

中東諸国側のプッシュ要因として最も大きく作用しているのは、シリア難民が直面している厳しい現実だ。

「難民」というと難民キャンプで生活しているというイメージを持つかもしれない。だがヨルダンの場合、難民キャンプは冒頭で紹介したザアタリともう1カ所しかなく、キャンプ居住者は難民全体の15%程度に過ぎない。一方、レバノンには難民キャンプは存在しない。

つまりヨルダンではほとんどの難民が、レバノンでは難民すべてが「ホスト・コミュニティ」と呼ばれる普通の町や村に住んでいる。特にシリアに地理的に近いヨルダン北部やレバノンのベカー高原北部には多くの難民が押し寄せ、人口が2倍から3倍に急増した地域もある。

この結果、アパート代などの家賃も高騰しており、ヨルダン北部では平均で3倍、一部は6倍にまで跳ね上がったとの報告もある。家賃が払えず、工事中のビルや空き地にテントを張って住んでいる難民も多い。ただ空き地といっても無料ではない。テントを張るための土地使用料を地主に支払わなければならない。

ヨルダンの貧困ラインは月98ドルだが、シリア難民の86%は貧困ライン以下の生活をしている。この数字に表れているように、家賃の高騰を含めシリア難民の生活状態は極めて厳しい。もともと貧しい層が難民となっている上に、ヨルダンでもレバノンでもほとんど仕事に就けないからだ。

そもそも、シリア難民が流入する前から、両国では失業者が多かった。国際労働機関(ILO)によればヨルダンの場合、失業率は難民流入前の2011年ですでに14.5%あった。そこに難民が入ってきた結果、2014年には22.1%にまで上昇した。また、英国の王立国際問題研究所の調査によれば、難民を多く受け入れている地域の若者の失業率は42%にも達している。

このため多くの一般国民は「難民に仕事を奪われた」という意識を持っている。こうした国民感情、さらに後に述べる政治的な理由から、両国政府とも原則としてシリア難民に対し労働許可を出していない。

結局、シリア難民が合法的に就労することはほとんど不可能だ。一家の大黒柱である成人男性が働けないとなると、結果的に児童労働や売春、口減らしのために女の子を早期結婚させるケースなどが増えているという。成人男性の不法就労もあるようだが、法的保護がないためかなりの低賃金など過酷な労働条件を強いられている。

なお今回は調査していないが、シリア難民の最大の受け入れ国であるトルコも同様の問題を抱えている。世界銀行の報告によると、インフォーマル・セクターで働いていたトルコ人労働者のほとんどすべては、低賃金のシリア難民に取って代わられたという。ちなみにトルコ政府もシリア難民に労働許可を出していない。

プッシュ要因2:ホスト・コミュニティの負担

厳しい状況は難民だけではない。ヨルダンやレバノン政府、さらに多数の難民を抱えているホスト・コミュニティも大きな負担を強いられている。

人口の急増に対応して社会インフラを改善し、公共サービスの提供を拡大しなければならないが、ほとんどはもともと貧しい地域だ。それだけに上下水道や電力供給、ごみ処理、学校での児童生徒の受け入れ、保健衛生などの面で、本来の能力をはるかに上回る需要に応じきれないでいる。

たとえばヨルダンでもレバノンでも児童数の急増に対応するため、多くの学校で午前と午後の2部制を導入した。さらに授業時間を短縮している学校もあるという。それでも相当数の難民児童が就学できないでいる。ゴミの量も急増しており、ヨルダン北部では以前の倍近くになった。そのためごみ収集能力が追い付かず、軍に支援を求めた町もあるという。

ホスト・コミュニティの住民と難民との関係も決して容易ではない。仕事の取り合いや犯罪増加などの結果、住民と難民との関係は緊張している。その上、国連やその他の援助機関が難民だけを支援すれば、もともと貧しいホスト・コミュニティ住民の恨みを買ってしまう。

実際、ILOが2014年にヨルダン人労働者を対象に行った意識調査では、84%がシリア難民に対する国際社会の金銭的な支援を不公平と見なしていた。さらに80%はシリア難民がヨルダンの治安や安定を脅かしていると感じていた。

しかし「不公平」というヨルダン人一般の見方とは逆に、国連機関などによるシリア難民への支援は決して十分ではなく、むしろ問題の長期化による資金不足から縮小傾向にある。国連はシリア難民支援のために今年、総額で45億ドルの資金拠出を国際社会に訴えている。しかし9月下旬現在で集まった資金は18億ドル、必要額の40%に留まっている。

シリア難民に対し冷ややかなのは、ホスト・コミュニティの住民だけではない。中東各国政府も難民に厳しい視線を注いでいる。

特にヨルダンやレバノンは過去に苦い経験を持っている。両国ともイスラエル独立前後に多数のパレスチナ難民を受け入れた。当初は「アラブ同胞」として一時的な受け入れのはずだったが、すでに70年近くが経過している。内戦が長期化するにつれ、シリア難民の存在も長期化するとの懸念が強まっている。

特に両国にとって、人口バランスは実に微妙な政治問題だ。レバノンの場合、1970年代から15年間続いたレバノン内戦は、宗教・宗派の人口バランスが崩れたために発生した。シリア難民のほとんどはイスラーム教スンナ派だ。もし100万人の難民がシリア社会に組み込まれるとすれば、人口バランスは大きく変わり、現在は多数派であるシーア派イスラーム教徒と、少数派だが伝統的に政治権力の配分が大きいマロン派キリスト教徒に不利に作用するに違いない。

ヨルダンの場合、ハーシム王家を支えているのはもともとヨルダン川東岸に住んでいた住民たちであり、現在も彼らが政治や治安の実権を握っている。しかし、難民を含むパレスチナ人人口は増大しており、さらに長期滞留しているイラク難民も多い。それだけにレバノンと同様、旧来からのヨルダン川東岸住民はシリア難民の流入がもたらすかもしれない人口バランスの変化を危惧している。

政治的意図があるか定かではないが、ヨルダン政府は今年2月に難民を含む在住シリア人に対し新しい身分証明書を発行し始めた。問題は身分証明書の取得費用が手数料だけで1人40ディナール(約6800円)もかかることだ。家族5人であれば200ディナール(約3万4000円)の出費になる。ほとんどが貧困ライン以下の生活をしているシリア難民多数にとっては、とても出せない金額だ。

今のところ強制ではないが、いずれ必携となる可能性があり、政府による難民管理はいっそう厳しくなる。こうした新制度の導入も難民にとってプッシュ要因になっているようだ。

プッシュ要因3:シリア国内の状況

中東諸国でのこうした厳しい状況に加え、シリア難民をヨーロッパに押し出すもう一つのプッシュ要因はシリア国内の状況だ。すでに4年半に及んでいる内戦が終結する兆しはまったく見えない。バッシャール・アサド政権側も反体制側も現状を打ち破る力を持っていない。

最近のロシアによる軍事攻撃をめぐり米ロが対立しているように、政治決着に向けた外部アクターの足並みもまったくそろっていない。「イスラーム国(IS)」は依然としてユーフラテス川中流域を支配している。

こうした状況を背景に、難民の多くがシリアの将来に見切りをつけたとしても不思議ではない。

援助関係者によれば、ヨルダンにいる難民の多くは何とかして資金を捻出し、まず父親や夫が単身で航空券を手にトルコに向かう。残された妻や子供たちはシリアに戻り、それから戦火の中を南から北へと陸路でトルコを目指す。まさに命がけの移動だ。

もちろん無事に着けばだが、トルコで先に来ていた父親や夫と合流する。そうして家族でエーゲ海を渡りギリシャ、さらにドイツを目指すというのだ。

父親の航空券や、シリアやトルコを抜ける際の「業者」に渡す資金はどうやって捻出するのだろうか。ヨルダンに来ている難民の多くはシリア南部の農民だ。彼らは自分たちの農地を売って資金を手にしているという。文字通り二束三文でしか売れないだろうが、それでもヨーロッパ行きに将来を託すべきだと彼らは思っている。見方を変えれば、いつかシリアに戻って農業をするという望みを持ち続けることができず、ヨーロッパをめざし始めたのだ。

シリアの南から北へ、つまり陸路でヨルダンからトルコに抜ける難民用の「移送ルート」が最近かなり「整備」されたことも、プッシュ要因になっているという。トルコ紙によれば、ヨーロッパに向かう難民が移送業者に支払いう費用は、1人当たり1000ユーロから5000ユーロ(約13万円から68万円)程度といわれている。

カーネギー欧州センター研究員のマルク・ピエリニは、難民が業者に支払う費用を1人当たり平均2500ユーロとして、今年前半だけで移送ビジネスの稼ぎは10億ユーロ(約1350億円)に上ると試算している。移送ビジネスが今年後半、もっと大きく「成長」していることは間違いない。

業者に多額の金を払ったからといって、安全の保障はもちろんなく、悪徳業者も多いだろう。家族がバラバラになる危険も多い。それでも難民たちは中東からヨーロッパを目指している。難民の巨大な流れを生み出しているのはヨーロッパ側のプル要因だけでなく、中東側にある非常に強いプッシュ要因が作用しているからだ。

プロフィール

立山良司中東現代政治・安全保障

防衛大学校名誉教授、(一財)日本エネルギー経済研究所客員研究員。早稲田大学政治経済学部卒業。国連パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA)職員、(財)中東経済研究所研究主幹、防衛大学校国際関係学科教授などを歴任。専門は中東の国際関係・安全保障研究。著書に『揺れるユダヤ人国家』(文春新書)、『イスラエルとパレスチナ』(中公新書)、『エルサレム』(新潮社)、『イスラエルを知るための60章』(編著、明石書店)、『中東政治』(共著、有斐閣)など。

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