ラテンアメリカにおける「条件付き現金給付」政策――貧困削減と民主主義のジレンマ

現在、貧困や所得格差といった社会問題は、多くの国が共通して取り組むべき課題として認識されており、人々の関心も高まっている。

 

そうした世界的な潮流の中で、1990年代以降、ラテンアメリカ諸国が貧困削減のために実施してきた新たな取り組みが国際的な注目を集めている。メキシコやブラジルといった域内大国が、「条件付き現金給付(Conditional Cash Transfers、以下CCT)」という貧困削減政策を導入したのを皮切りに、他のラテンアメリカ諸国のみならず、アジアやアフリカにもCCTが普及しつつある。

 

ラテンアメリカは、世界的に見ても貧困や所得格差のレベルが高いことが知られているが、近年、その傾向に変化が見られる。国連ラテンアメリカ経済委員会が発表した最新のデータによると、1990年前後と2010年前後の数値を比べると、貧困と所得格差がともに減少していることが分かる。

 

人口に占める貧困層の割合について見てみると、域内平均で48.1%から28.1%へ減少し、所得格差の度合いの指標であるジニ係数については、0.531から0.496へと改善した(注1)。これらの変化は、部分的にCCT実施の効果によることが指摘されている。

 

(注)Economic Commission for Latin America and the Caribbean (ECLAC). 2014. Social Panorama of Latin America 2014. Santiago, Chile: ECLAC.  (最終閲覧日:2015年3月10日)

 

それでは、世界的に注目されつつあるCCTとは、どのような貧困削減政策なのだろうか。どのような経緯で、導入されるに至ったのだろうか。また、CCTの貢献と問題とは何であろうか。CCTについての理解を深めることは、貧困や様々な格差が重要な問題となりつつある日本を含む先進国にとっても、重要な示唆を与えると考えられる。以下、これらの点について考察してゆく。

 

 

条件付き現金給付政策とは?(注)

 

(注)ラテンアメリカにおけるCCT導入の背景や特徴については、次の文献で詳しく論じている。高橋百合子・青山さくら 2015「条件付き現金給付政策の発展-女性のエンパワーメント・ジェンダー平等の視点」『ラテンアメリカ時報』第57巻第4号、5-8頁。高橋百合子 2011「ラテンアメリカにおける福祉再編の新動向-「条件付き現金給付」政策に焦点を当てて」『レヴァイァサン』第49号、46-63頁。浜口伸明、高橋百合子 2008「条件付き現金給付による貧困対策の政治経済学的考察:ラテンアメリカの事例から」『国民経済雑誌』第197巻第3号、49-64頁。

 

新たな貧困削減政策であるCCTは、新自由主義経済改革と政治的民主化という、過去30年間にラテンアメリカで起こった重要な政治経済上の変化を背景として導入された。

 

1980年代初頭に、累積債務危機が同地域を襲った。国家破綻という未曽有の危機に直面した域内各国の政府は、米国を中心とする外国政府や国際通貨基金(IMF)といった国際機関から支援を受ける必要があった。

 

その支援の見返りとして、いわゆる「ワシントン・コンセンサス」に沿った改革を実施することが条件とされた。それは、財政赤字の削減、民営化、税制改革、補助金の削減、貿易・金融・為替の自由化などを内容としており、マクロ経済の均衡回復を目指して、域内各国は構造調整政策や新自由主義経済改革の実施へと踏み切ったのであった。

 

しかし、これらの改革は、失業の増加、実質賃金の低下、貧困の悪化などの社会的コストを強いることになり、生活水準の低下に苦しむ国民からの不満は高まっていった。

 

その一方で、1970年代末以降、ほとんどのラテンアメリカ諸国は、権威主義体制から民主主義体制への移行を遂げ、選挙や様々な政治参加を通じて、国民は自分たちの声を政治に反映させることが可能になった。こうした背景の下、域内平均で人口の約半数を占める低所得者層から、政府に対して格差や貧困への対処を求める圧力が強まり、貧困削減が重要な政治課題として扱われるようになった。

 

そして、新自由主義改革が課する厳しい財政制約に直面するラテンアメリカ諸国の政府は、限られた予算で、効率的かつ効果的に貧困を緩和する新たな方策としてCCTを考案するに至ったのである。

 

それでは、貧困削減を目指す新たな政策であるCCTとは、どのような特徴を持つのだろうか。

 

各国で実施されているCCTに相違点はあるもの、所得やサービスを直接的に移転することにより貧困家庭の所得向上を目指すという「短期的目標」と、子供に対して教育(奨学金支給など)、保健衛生(定期健診や予防接種の義務化など)、栄養(栄養補助食品の配布、栄養指導など)の面で総合的な補助を行うことによって人的資本を形成し、将来、経済的に自立できるように支援するという「長期的目標」を掲げる点は、あらゆるCCTに共通した特徴である。その他、CCTの一般的な特徴として、

 

・厳密な資力調査(means test)を行うことによって、本当に支援を必要としている家庭を見極め、受給資格を与える。

・個人ではなく、子供のいる貧困家庭に対して補助を与える。その際、母親が責任者として、現金やサービスの給付を受け取る。

・受益家庭の母親は、子供の通学や保健所での定期健康診断の受診を義務付ける「共同責任」を果たすことを条件に、CCTの受給資格を継続することができる。

 

ことが挙げられる。つまり、CCTは、本当に支援を必要としている人に限定して資金を移転するによって、公的財源の無駄遣いを防ぐ点で「効率的」に、そして、共同責任の義務遂行を条件に給付の継続を約束することによって、福祉依存を防ぐ点で「効果的」に貧困を削減することができる、と考えられているのである。

 

 

貧困削減効果についての賛否両論

 

1990年代にCCTが導入されて以来、CCTの政策効果については賛否両論が示されてきた。まず、世界銀行などの国際機関は、CCTについて肯定的な評価を行い、多くの開発途上国に対してCCT導入の支援を行っている(注)。

 

(注)こうした国際機関による肯定的な評価の一例として、以下の文献が挙げられる。しかし、同書は、CCTの貧困削減効果を認める一方で、CCTは包括的な社会保護システムとしては不十分であることも指摘している。Fiszbein, Ariel, and Norbert Schady. 2009. Conditional Cash Transfers: Reducing Present and Future Poverty. Washington, D.C.: World Bank.

 

ラテンアメリカ域内でも規模の大きいCCTである、1997年にメキシコで導入されたプログレサ(Programa de Educación, Salud y Alimentación, Progresa)や、ブラジルで2004年に開始されたボルサ・ファミリア(Bolsa Família)については、厳密な政策評価研究が行われてきた(注)。肯定的な評価は、主としてこれらの研究結果に基づく。

 

(注)メキシコのプログレサは、2002年にオポルトゥニダデス(Oportunidades)へ、2014年にはプロスペラ(PROSPERA)へと名称が変更されたが、政策自体の基本路線は変わっていない。

 

例えばプログレサについては、政策開始当初から、国際機関や国内外の研究者(主に経済学者)が参加する形で、外部評価が行われてきた。受益世帯を施策グループと比較グループに分けて抽出したサンプルを対象に、数回に渡って家計調査を行うことによって、プログレサの貧困削減効果について検証した。

 

その研究結果によると、CCTの施策によって、貧困家庭の子供たちの就学年数が長くなったり、初等・中等教育を終える子供達が増えたりした。また、子供の身体発育にも改善が見られた。さらに、貧困家庭の母親に共同責任遂行の義務を課することは、女性のエンパワーメントにつながったりするなど、CCTの副次的効果も指摘されている。

 

他方、CCTが貧困削減に及ぼす効果は限定的だとの見方もある。例えば、就学率や就学期間の改善は、必ずしも学力の向上につながっていないとの指摘がある。CCTにより学校へ行く子供の数が増えたが、学校設備の充実や先生の増員が相応に追い付いていないため、結果として、教育の質を保つことが難しくなり、子供の学力も伸び悩む子になってしまうのである。また、子供の教育水準が上がったとしても、それが職業機会につながらなければ、貧困家庭の子供が経済的に自立することは難しくなる。

 

こうした問題点の指摘は、CCTと職業訓練との連携の強化や、雇用機会を生み出す経済成長の促進など、CCTが取り組むべき今後の課題を示唆している。【次ページにつづく】

 

 

 

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