2016.01.20

「蔡英文は同性婚を支持します」―― LGBT政治からみる台湾総統選挙

福永玄弥 クィア・スタディーズ・東アジア研究

国際 #LGBT#同性婚#台湾#蔡英文

1月16日、台湾で総統選挙と立法院選挙が実施された。総統選挙では最大野党である民主進歩党(民進党)の蔡英文主席が国民党候補を大差で破って当選した。立法院選挙でも民進党は68議席を獲得して過半数を上回った。これにより、陳水扁率いる前回の与党時代(2000-2008年)よりも安定した政権運営が可能になることが期待されている。

台湾の政治動向は東アジアの将来にも少なからぬ影響を及ぼすことから日本においても選挙結果は注目を集めたが、マスメディアの報道で「LGBT」イシューはほとんど黙殺されてしまった。本稿では、LGBT政治の観点から台湾の総統選挙および当事者運動の動向を考察する。

「蔡英文は同性婚を支持します」

2015年10月30日、蔡英文は自身のFacebookページで「同性婚を支持する」姿勢を表明した。「蔡英文は同性婚を支持します」と題した約15秒の動画を公表したのである。いわく、

「愛の前にはだれもが平等であり、蔡英文は同性婚を支持します。すべての人が、自由に愛し、幸福を求められるように。」

〔我是蔡英文,我支持婚姻平權〕

在愛之前,大家都是平等的。我是蔡英文,我支持婚姻平權。讓每個人,都可以自由去愛、追求幸福。──2015 台灣同志遊行 TAIWAN LGBT PRIDE 10/31(六)13:00集合,14:00出發集合地點/台北市景福門圓環西側(凱道旁)完整資訊:http://twpride.org/twp/

Posted by 蔡英文 Tsai Ing-wen on 2015年10月30日

総統選挙を2ヶ月後に控えた時期の公表であったことから、彼女の動画は台湾国内のメディアで大きくとりあげられた。台湾では2013年に同性婚法案を含む「多様性のある婚姻法案」(多元成家法案)草案が立法院へ送られており、LGBT運動でも同性婚の実現を推進する運動が急速に主流化しつつある。こうした状況を背景に、次期総統の最有力候補として注目された蔡英文による姿勢表明は、「アジア初の同性婚」の実現へ駒を進めるものとして世論の注目を集めたのである。

だが、蔡英文による姿勢表明は、LGBT運動内部では必ずしも歓迎を受けたとは言いがたい。「多様性のある婚姻法案」草案を起草したNGO(台湾パートナー権利推進連盟)の許秀雯(執行長)も、「蔡英文は2012年にすでに多様性のある婚姻法案に署名をしており、(2015年の動画公表は)3年前の姿勢をあらためて繰り返したにすぎない」とする冷ややかな声明を発表している。

すなわち、10月30日の動画公表による姿勢表明は総統選挙に向けたパフォーマンスでしかないと受けとめられたのである。事実、蔡英文が動画を公表した10月30日とは、性的少数者によるアジア最大規模のパレードとして国内外から注目を集める台湾LGBTパレードの開催日であり、彼女の動画はおそらくはその狙いどおりに「LGBTの権利を支持する総統候補」として英語圏のマスメディアで肯定的にとりあげられたのである(日本のマスメディアは鈍感にも報道を怠ったが、「LGBTメディア」は英語圏と同様の肯定的な記事を掲載した)。

台湾の政治エリートと「LGBT」イシュー

ここで、ひとつの問題が立ちあがる。つまり、台湾では政治エリートによる「LGBTフレンドリー」の姿勢表明が総統選挙に向けたパフォーマンスとして機能している、という事実だ。後述するように、台湾では2000年代後半からキリスト教系の民間団体を中心とした反同性愛/LGBT運動(バックラッシュ)が急速に勢いを増し、支持を拡大しつつある。そうした状況にもかかわらず、総統や市長をはじめとする政治エリートは「LGBTフレンドリー」を積極的に表明してきたのである。

日本ではほとんど知られていないが、その先駆者が2008年から総統を務めた馬英九(国民党)であった。馬英九は1998年の台北市長就任直後、「LGBTの公民権獲得を支持する」ことを目的に「台北LGBTフェスティバル」(正式名称「台北LGBT公民運動」)を開催し、当時台頭しつつあったバックラッシュ勢力と対峙しながらも「LGBTフレンドリー」な姿勢を貫き、選挙戦のたびに強調してきた

また、馬英九の後を継いで台北市長に就任した郝龍斌(国民党)も現市長の柯文哲(無所属)も「LGBTフレンドリー」を公言している。さらに、2015年には「LGBTフレンドリー」な柯文哲台北市長や陳菊(民進党)高雄市長林佳龍(民進党)台中市長の施政下で、同性パートナーを婚姻関係と認めたパートナー登記が開始している。

以上のことから、台湾の政治エリートは政党の差異にかかわらず、「LGBTフレンドリー」の姿勢を積極的に打ち出してきたということができる。もちろん、台湾でも性的少数者の人口比率は日本と変わらずマイノリティであると考えられるため、政治エリートの選挙運動にとって「LGBTフレンドリー」の表明が直接的な利益をもたらすと期待することはできない。

それでは、台湾の政治エリートと「LGBT」イシューをめぐる関係をどのように考えればよいのだろうか。さらに、台湾の性的少数者運動は今回の選挙戦をどのように受けとめ、あるいは介入したのだろうか。本稿では、前者の問いに答えるために、民進党が2000年に政権を奪取した当時に掲げた「人権立国」政策に注目して議論を展開する。そして台湾の性的少数者運動の選挙戦への介入の歴史をふり返りながら、後者の問いを考察したい。

民進党政権による「人権立国」

民進党は、2000年の総統選挙において国民党による長期に及ぶ独裁政治体制を打破して政権を奪取し、「人権立国」を宣言した。その後、2008年までの与党時代に「中華民国をもって21世紀における人権のあらたな指標にする」べく、「人権外交」などの手法をとおしてさまざまな「人権」施策を展開した。

陳水扁総統(当時)は2000年5月20日の就任演説で次のように述べている。

21世紀到来前夜、台湾の人びとは民主選挙という手法をもちいて歴史的な政権交代を果たしました。……私たちは自由と民主こそが普遍的で不滅の価値観であり、人類が理性をもって追求すべき目標であることを、神聖なる選挙をとおして世界中に証明しました。……

2000年の台湾総統選挙の結果は、個人や政党の勝利ではなく、人民の勝利であり、民主の勝利であります。世界の注目を浴びるなか、私たちはともに(旧時代の)恐怖や威圧、抑圧を乗り越え、勇気をもって立ちあがりましょう!……

中華民国は国際社会において欠くべからず重要な役割を果たしていくことができるでしょう。つよく結ばれた交友国と実質外交を継続し、さまざまな国際的NGOにも積極的に参与しましょう。人道や経済協力や文化交流など多様な方法をもちいて積極的に国際的イシューに関与し、台湾の国際社会における生存空間を拡大し、国際社会に復帰しましょう

さらに、国際的な人権擁護にたいしても積極的な貢献を果たしましょう。中華民国は世界の人権潮流の外に身を置くことはできず、私たちは「世界人権宣言」、「市民及び政治的権利に関する国際規約」、さらにはウィーン世界人権会議における宣言と行動計画などを遵守し、中華民国をあらたに国際人権体制の枠組みに入れていきたいと考えます。

そのため、新政権は、立法院に「国際人権規約」の批准を要請し、それを国内法化し、正式な「台湾人権規約」にしたいと思います。私たちは、国連が長期にわたって進めてきた主張を実現するため、台湾に独立運営の「国家人権委員会」を設立し、さらに国際法律家委員会ならびにアムネスティ・インターナショナルという二つのすばらしい人権NGOを招聘し、わが国のさまざまな人権保護政策の実施に向けての協力を依頼し、中華民国をもって21世紀における人権のあらたな指標にしたいと願います(強調は筆者による)。

台湾では1947年から87年まで世界的にも最長とされる戒厳令体制にあり、2000年の政権交代まで約50年もの長期にわたって国民党政府による一党独裁体制が敷かれていた。戒厳令時代には反政府運動やデモ活動などは弾圧の対象とされ、上述の就任演説の前段で強調されたように、旧時代の「恐怖や威圧、抑圧」は当時の人びとにとってリアルな実感をもって受けとめられた。

性的少数者の観点から言えば、戒厳令時代には男性が髪の毛を長髪にしたりスカートを履いたりしたまま外出するだけで「善良風俗を乱した」という理由で警察に拘束されることもあった(何春蕤・丁乃菲・甯應斌・王蘋, 2008,「同性戀、跨性別、SM、婢妾」香港序文書室座談)。また、2000年代初頭まで警察による臨検は合法的職務とされ、ゲイ男性やレズビアン、かれらが集まるバーやハッテン場などはしばしば取り締まりの対象とされた。性的少数者にとって警察は「人民の擁護者であるどころか、むしろその人権を圧迫し、蹂躙してきた」といわれるゆえんである(賴鈺麟, 2013,「台灣性傾向歧視之現狀」『兩性平等教育 季刊NO.23』: 15-6)。

1986年に結成された民進党が挑戦したのは、国民党によるこのような権威体制であった。民進党は戒厳令の解除とともに爆発的に台頭した社会運動のエリートを自陣営に取り込みながら90年代をとおして勢力を拡大し、2000年に政権を奪取することに成功したのである。

こうして政権に就いた陳水扁総統の施政下で、「人権立国」のためのさまざまな施策が展開された。たとえば、2000年10月には総統府に人権諮問グループが設置され、70年代に女性運動を牽引した呂秀蓮副総統を主任委員とし、弁護士や法学者、専門家、アムネスティ・インターナショナル台湾総会秘書長など、約30名からなる委員会が結成された。2001年7月には「行政院人権保障推進チーム」が設置され、2002年には『国家人権政策報告書』が刊行された。同性愛者やトランスジェンダーの権利擁護はこの報告書においてはじめて国家の人権課題として包摂されたのである。

民進党政権による「人権立国」は、2008年の政権交代を受けてふたたび与党に返り咲いた馬英九率いる国民党政権にも引き継がれた。ひとつ例をあげるなら、2011年には国民党政権下で「女子差別撤廃条約施行法(CEADAW)」が公布されている。1979年に国連で採択されたCEADAWは日本では「女子差別撤廃条約」として1985年に採択されたが(国籍法の改正や男女雇用機会均等法を推進)、台湾では約30年の「時差」を経て国内法化されたのである。そして、この「時差」が、台湾政治における「LGBT」イシューの位置づけを考察する際に示唆を与えてくれるのである。

というのも、台湾は、中華人民共和国との国際社会における「ひとつの中国」のポジションをめぐる争いに敗れて1971年に国連を脱退した結果、長年にわたって国連を基軸とする「グローバル・フェミニズム」のネットワークから排除されてきた歴史をもつ。そのため、90年代以降の国連復帰運動の盛りあがりや民進党政権による「人権立国」への転換を受けて、はじめて国際規範の国内化(ローカル化)が実現したのである。

2007年に陳水扁総統(当時)はCEADAWの加入書に署名したものの、国連の潘基文事務総長によって加入を拒否され、その結果、CEADAWは2011年の馬英九政権下で国内法化されるという複雑な経緯があった。すなわち、CEADAWの国内法化の歴史から、台湾の性政治は国際社会における国民国家としての位置づけやナショナル・アイデンティティに大きく影響を受けていることがわかる(なお、約30年の「時差」を経て国内法化されたCEADAWは、トランスジェンダーの脱病理化運動の根拠として活用されるなど、興味深い活用事例が台湾ではみられる)。

「LGBT」イシューの「人権立国」施策への包摂

LGBTの尊重は、多様な文化の尊重と人権の保障を意味しています。LGBTの尊重は先進国家の人権指標のひとつであるだけでなく、私たちの卓越した国家が人権先進国と同質であることの重要な証明でもあります(馬英九, 2004,「小小的種子, 散播與與耕耘」)。

馬英九台北市長(当時)は2004年の「台北LGBTフェスティバル」のパンフレットでこのように述べた。ここで、「LGBTの尊重」を「私たちの卓越した国家が人権先進国と同質であることの重要な証明」とする論理を考察するために、もう少し踏み込んで「人権立国」の背景を検討しよう。

台湾は1971年に国連を追放されて以来、アメリカや日本をはじめとする主要先進国と相次いで国交を断行してきた。1970年代から80年代にかけては飛躍的な経済成長によって国際社会において経済実態としてのプレゼンスを向上させることに成功したが、90年代後半から2000年代にかけて中国が経済大国として台頭すると、台湾は中台間のパワー・バランスの変化と、米中関係を軸とした中台間の相対的関係の変化という、ふたつのバランスシフトに直面することになった(佐藤和美, 2007,「民進党政権の『人権外交』:逆境の中でのソフトパワー外交の試み」)。

つまり、中国が「世界の工場」として世界経済における存在感を発揮する一方、台湾の経済成長は減速傾向を示し、国内経済の中国依存度が急増した。くわえて、戦後一貫して台湾の強力な支援者であったアメリカも、中国との関係を重視するようになったのである。

民進党政権が「人権立国」を宣言したのは、このように国際環境の急激な変動に直面した時期であった。国際社会における生存空間の縮小という危機感を背景として、民進党政権は「政府主導により台湾を人権社会としてさらに成熟させることで『人権立国』台湾を内外にアピールし」、どうじに「人権・民主」イシューを対外交流の基盤に置くという「人権外交」を打ち出したのである(佐藤和美2007: 131)。

すなわち、「中華民国をもって21世紀における人権のあらたな指標」するという「人権立国」戦略は、対米・対中関係に強く規定されたといえる。民進党政府は、「人権後進国」の中国とは対称的に民主化の成功を果たしたとするアイデンティティに依拠し、人権状況の改善を国策に掲げることによって対米関係の深化や国連に代表される国際機関・国際社会への復帰を実現しようと試みたのである。

そして、「同性愛」や「LGBT」イシューこそが、当時の国際社会において新しい人権問題として着目を集めた「先進的な課題」であるとどうじに、台湾にとっては「同性愛」や「LGBT」に抑圧的な政策を展開してきたことで知られる中国と差異化できるイシューでもあったのだ。

このようにして、戒厳令解除後の台湾社会では、政治エリートにとって「LGBTを含むマイノリティの社会運動を支持することが開放的であるとどうじに進歩的であるとみなされるようになった」(朱偉誠, 2005,「公民權論述與公民社會在台灣」)。2000年代の政治エリートが競って「LGBTフレンドリー」を公表するという状況は、こうした政治状況を背景としていたのである。

LGBT運動による選挙政治への介入

以上の議論にくわえて、「LGBTフレンドリー」な政治エリートの台頭の背景には、90年代以降の性的少数者運動の展開があったことを忘れてはならない。日本でも2000年代半ば頃から衆参議員選挙などの選挙戦などで「LGBT」イシューにかんする政見を選挙候補者へ問う運動がみられるようになったが、台湾では90年代の「選挙の大衆化」を受けて、性的少数者を含むさまざまな社会運動が選挙政治への介入を始めている。

性的少数者を主体とする運動も1995年の立法委員選挙を皮切りに、総統・副総統直接選挙(1996-)や台北市長選挙(98-)などで、「われわれも選挙権を有する公民である」という言説を掲げて、候補者へ圧力をかける運動を開始している。

台湾の政治エリートのなかでもとりわけ「LGBTフレンドリー」を強調してきた馬英九も、陳水扁とともに1998年の台北市長選挙に介入した当事者運動の要求に応えた政治家のひとりであった。そして、馬英九は運動の要求に応じた結果、2000年以後、台北市長として公的資金を拠出した「台北LGBTフェスティバル」を開催したのである。ただし、選挙戦のたびに「LGBTフレンドリー」を強調する馬英九の戦略をただの「パフォーマンス」でしかないとする批判も、後になって多く寄せられるようになった。

蔡英文の「同性婚」支持と、新しい局面に立つLGBT運動

それでは、蔡英文による「同性婚」の支持表明をどのように考えればよいのだろうか。まず、彼女が「同性婚の実現に意欲的」であるとか「台湾の同性婚の日も近い」などとするナイーブな見方は控えるべきである。たしかに蔡英文はパレードの開催日に合わせて「同性婚支持」を訴えたが、肝心の選挙戦では同性婚を含む「LGBT」イシューを黙殺する姿勢を最後まで崩さなかった。

また、上述の議論を踏まえるならば、台湾の政治エリートと「LGBT」の関係はより複雑な様相を呈していると考えるべきである。にもかかわらず、蔡英文を「LGBTフレンドリーな総統」として肯定的かつ一面的に表象するとすれば、そうした言説は政治エリートによる「LGBT」イシューの収奪を許してしまう効果をもたらしてしまうだろう。

とはいえ、「同性婚」が現実的な政策イシューとして議論されていることも事実である。関連草案はさまざまな議論は含みながらもすでに立法院へ送られており、今回の立法委員選挙で当選した委員のうち、同性婚の支持を表明している者が過半数には及ばないながらも少なくない数に昇っているという事実は注目に値する。

そして、LGBT運動において同性婚を要求する運動が主流化していることも見過ごしてはならない。今回の選挙でも「同性婚」は性的少数者の人権課題のなかで最大の「優先課題」とされた。たとえば、「性的少数者の公民よ、立ちあがれ!」と掲げた民間団体による選挙介入運動「プライド・ウォッチ台湾」も、その「使命」の第一に「台湾をアジア初の同性婚合法化国家とすること」として運動を展開した。

いうまでもなく、性的少数者の人権課題は「同性婚」に還元されない多様な領域に渡っている。同性婚を求める運動の主流化は「モノガミーなレズビアンやゲイが社会的認知を高める一方、LGBTの主流イメージから逸脱的な性的少数者をさらに暗いクローゼットへ押しやるもの」として批判的に捉える声も台湾の運動領域には根強くある(2014年度台湾LGBTパレード)。しかし、今回の選挙戦でそうした批判的な声がほとんど聞かれなかった点は特徴的であったといえよう。

台湾LGBTパレード2014で「アセクシュアル」の存在を訴える活動家
台湾LGBTパレード2014で「アセクシュアル」の存在を訴える活動家

さらに、運動の新しい傾向として、「選挙権を有する性的少数者は投票にあたってLGBTの人権課題を最優先すべきである」とする言説が支配的であった点もあげられる。すなわち、性的少数者は他の政治的イシューを差し置いても「LGBTフレンドリー」を公表する候補者に一票を投じるべきであるとし、国民党や民進党などの大規模政党ではなく、「LGBTの支持」を党是に掲げる「時代力量」のような小規模政党へ投票すべきとする運動を展開したのである。

このような主張は、性的少数者を取り巻く問題を「性的指向」や「性自認」の問題に還元するという意味でいささかナイーブすぎるといわざるをえない。とりわけ、自民党の稲田朋美政調会長が「LGBTへの偏見をなくす政策をとるべき」であると提案して検討チームを立ちあげたというニュースを「マイノリティ差別の解消へ向けた前進」としてナイーブに喜ぶことのできない状況に直面している私たちにとっては、疑問を喚起する戦略といえるだろう。

しかし、急いで付けくわえなければならないのは、台湾では2000年代後半からバックラッシュ運動が急速に力を増してきたという事実である。バックラッシュ勢力の拡張は日本に生きる私たちには想像することのできないほどのスピードで進展しているのだ。ホモフォビック/トランスフォビックな言説と日常的に対峙している活動家にとって、「反性解放運動」を党是とする「信心希望聯盟」のような政党が結成され(2015年9月)、かれらが今回の選挙で20万票を獲得したという事実は深刻な危機感をもって受けとめられたのである。こうした危機感の大きさが、選挙介入運動における「LGBTイシューの優先」という傾向を後押ししたといわざるをえない。

すなわち、台湾の運動も、「蔡英文は同性婚を支持します」というわずか15秒の動画を、やはりナイーブに受容することのできない文脈に置かれているのだ。かれらは一方で、政治エリートによる「LGBTイシューの活用」に警戒しながらも、他方では急速に支持を拡大するバックラッシュ勢力と対峙しているのである。その意味において、今回の選挙戦およびその結果は、台湾の性的少数者運動にとって新しいステージへ突入したことを告げるものであったといえるだろう。

高雄LGBTパレード2015における「クィアは服従しない」
高雄LGBTパレード2015における「クィアは服従しない」

プロフィール

福永玄弥クィア・スタディーズ・東アジア研究

東京大学大学院総合文化研究科博士後期課程、日本学術振興会特別研究員。近刊に「『LGBTフレンドリーな台湾』の誕生」、「台湾におけるフェミニズム的性解放運動の展開:逸脱的セクシュアリティ主体の連帯」(いずれも瀬地山角編『東アジアのジェンダーとセクシュアリティ』勁草書房所収)など。

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