「エイズを終わらせる」ために何が必要か

治療へのアクセスを妨げる様々なハードル

 

 ――では、ミクロにみるとどうなのですか。

 

まず、ここで「マクロな視点」というのは、いわば「鳥の目」からみて、どのくらいの人たちが治療にアクセスできているか、という話です。ところが、一人のHIV陽性者という、いわば「虫の目」から見ると、話は異なってきます。

 

一人のHIV陽性者がエイズ治療を得るためにはどうすればよいのか、そこにどんな苦労が待ち受けているのか、ということは、マクロな視点からはなかなか見えてきませんよね。ここでいう「ミクロな視点」とは、そういうことです。治療を受けられる人の数が増えたということと、いざ自分がHIVに感染したとして、簡単に治療にアクセスできるかどうかということは、全く違うことですよね。

 

規模や水準は一定異なるにしても、日本でも同じようなことはあります。日本にはそれなりに社会保障制度があり、福祉業界やNPOのサポートがあり、相談窓口もあるにもかかわらず、結果として、社会保障にアクセスできずに病死したり、餓死したりする人たちがいるわけです。ある人が特定の局面に陥ったとき、対策にアクセスするまでにはさまざまなハードルがあり、誰もがそのハードルを越えられるわけではないのです。

 

アフリカの場合、ひとつは病院における不正や腐敗というハードルがあります。たとえばPEPFARやグローバルファンドからエイズ薬がタダで入ってくる。これを近所の薬局に転売してしまえば丸儲けですよね。丸儲けにするためにどんどん転売をしてしまう。そうすると、薬があるはずの病院にない(ストックアウト)ということが起きてしまいます。

 

あるいは、薬がクリニックに届くまでものすごく時間がかかったり、流通に関わるマネジメントの悪さも目立ちます。そういった状況なので、患者が薬を求めて何十キロも歩いて病院に来たのに「薬はないので薬局で買ってください」と言われ、結局お金がないから買えずに帰る……なんてことも頻繁に生じるわけです。

 

あるいは病院側が、法律上は無料と決められているエイズ治療に関して、不正な支払いを強要するケースも多くあります。患者側としては、このようなハードルをうまくかいくぐって治療にアクセスしなければならないということになります。インターネットなどで調べれば「どの病院に行けば治療が受けられるのか」を知ることはできますが、「その病院が本当に不正や腐敗のない病院なのか」という情報はなかなか手に入らないのです。そもそも、インターネットなど一般の人はあまり見ません。

 

ですから、やはり口コミが頼りということになります。しかし、情報を持っている人に直接聞くとなると、自分がHIV陽性者だと知られてしまう可能性がありますよね。差別や偏見の目にさらされる危険もあり、とくにビジネスをやっている人は、自分がHIVに感染している、などと商売敵に知られればマイナスになります。こうしたこともあり、正しい情報を手にいれることは大変難しいのです。

 

他にも、患者個人の主体的な判断によって、治療が中断してしまうこともあります。というのも、HIVは、感染しても数年は症状が出ないまま進行していくという病気です。「HIVに感染している」といわれて、最初は慌てて薬を飲んでも、だんだんと飲まなくなっていきます。で、しばらくは平気な状態が続くわけです。すると、もう治ったもの、ということで、そのまま飲まなくなってしまう人もいます。

 

あるいは、周りにHIV感染者がいる場合、その人の方が自分より重症だからと親切心で薬をあげてしまう場合もあります。HIVの場合、薬を毎日きちんと飲むという習慣をつけていることが大事です。しかし、その習慣がつかないまま飲まなくなってしまうと、HIVがその薬に耐性を持ってしまい、薬が効かなくなってしまいます。

 

 

「1ドルあたりの投資効果」を優先する

 

――私たちの想像を超える治療への障害が国内にはたくさん潜んでいるんですね。

 

よりマクロ的な問題としてありうるのは、グローバルファンドやPEPFARの資金援助そのものが断たれてしまうということです。たとえば、特定の国において大規模な油田や鉱山開発が行われて資源の産出が増えたり、資源価格が高騰した場合に、社会の実態や行政の能力は低所得国のままなのに、一人当たりGDPが急増して、「中所得国」の仲間入りをしてしまうことがあります。そうなると、国際機関や各国の援助機関の態度も変わってくるわけです。

 

たとえば、一人当たりGDPが一定以上の水準になると、例えばグローバルファンドの場合、資金拠出の前提として、その国も一定程度の割合で資金を出す、ということになります。さらに、知的財産権などに関する位置づけも変わってきます。実態として変化がないのに、資源価格の高騰による収入増が「経済成長」とみなされ、国際社会における扱いが変わってしまうのです。

 

もちろん、保健や教育などについて、当事国がオーナーシップを持ち、自らの予算を相当程度割いて実施するようになる、というのは、本来的には肯定すべきことです。しかし問題なのは、資源価格など、世界経済の動向によってどうにでも変化するようなことによって、途上国の「ステータス」が変わり、取り組みが阻害されるということです。

 

グローバルファンドは2011年から12年にかけて、組織の大改革を行い、感染者が多く医療システムも弱い国、エイズ対策が十分にできない国に対して、足りないお金を重点的に提供する、という形で戦略を変えました。そのような国に投資する方が「効果が高い」という考え方によるものです。これを「戦略的投資(Strategic Investment)」といいます。

 

もともと対策がなかったところに大きく対策を導入すれば、もとがゼロに近かった以上、なにがしかの成果は出すことができますよね。また、拠出した資金当たりの効果も高くはなります。もともとが何もなかったわけですから。それを「大きなインパクトが出せる」と表現することは、もちろん、間違ってはいません。

 

グローバルファンドは「戦略的投資」の観点から、このような「ハイ・インパクト国」をリストアップして、ここに投資をある程度集中させることにしています。実際、そうすることで、このような国々においても、感染者の一定の割合が治療にアクセスできるようになりました。もとが何もなかったわけですから、「素晴らしい達成」です。しかし、本当に大変なのは、そのあとで、残った問題を解決していくことです。

 

「ハイ・インパクト」でない状況まで改善した国に対しては、当然、資金拠出は減少ということになります。「ハイ・インパクト」ほどの効果が出ないからです。しかし、この論理のいわば「愚かさ」は、少し考えてみればわかることと思います。効率を優先するというのは、見方を変えれば、実は非常に恐ろしい意味を含んでいます。「1ドルあたりいくつの人命を救えるか」という効率によって対処する国を選定する。そのような要因で途上国の治療へのアクセスが困難になってしまうことも実際に起きているんです。

 

こうした「効率」の論理は、グローバルファンドのみならず、新自由主義的な考え方に影響された最近の開発理論に通底するものであり、多くの開発機関がそのような考え方の影響を受けているということができます。グローバルファンドは、まだ市民社会や当事者がガバナンスに参画しているだけ余程ましだ、ということができます。上からの「効率性」の論理が、本来必要な取り組みを阻害するということが、あちこちで多発するようになってきているわけです。

 

 

稲場氏

稲場氏

 

 

エイズの「普通の病気」化

 

――一方で治療薬の開発が進み、今エイズは「死の病」でないという印象があります。

 

現在では新薬の開発も進み、非常に強力な治療薬が使えるようになりました。エイズはきちんと治療を続ければ発症を抑えられる「慢性病」に変わったのです。ただ、すると今度は「もはやエイズの個別性・独自性に配慮する必要はない」、という議論が出てくるわけです。

 

そもそもエイズには他の慢性病にはない人権基準が存在します。たとえば、以前はHIV(エイズウイルス)検査の際に「VCT(Voluntary Counseling & Testing)」という体制が推奨されていました。「自発的(Voluntary)」とは患者が自分の意思で検査を行うということです。

 

そして、まず検査をする前にカウンセリングを行い(プレカウンセリング)、その人がもし陽性と診断されてもマインドセットを平常に維持できるかどうかを見ます。これは、その人が精神的に感染の事実を受け入れられないと考えられる場合は検査を行わない方がよい、という考え方によるものです。また、検査結果を伝えた場合は「ポストカウンセリング」を行い、ケアにつなげます。この「プレカウンセリング→検査→ポストカウンセリング」という流れを徹底してやりなさい、というのが「VCT」の考え方です。

 

しかしエイズが高血圧や痛風と同じ「慢性病」と言われ始めると、アフリカなどのHIV陽性者が多い国では「サービス提供者主導検査・カウンセリング」

(PITC: Provider Initiated Testing & Counseling)という体制に移行していきます(2007〜2008年以降)。これは、病院に来た人全員にHIV検査をするというものです。

 

たとえばボツワナなど、感染者の割合が非常に高く、治療の体制が一定程度整っている国があります。こうした国では、自分がHIVに感染しているかどうかを知ること、また、感染していたらとにかく治療につなげること、が対策の重点となります。そこで、PITCという考え方が導入されるわけです。つまり、何らかの体調不良などで病院に行ったとする。その理由が何であれ、医師らは患者にHIV検査を受けることを勧める。そして「受けない」と言った人以外はみんな検査をする、いわゆる「オプトアウト方式」です。

 

VCTは、この「オプトアウト」方式とは反対の「オプトイン方式」、つまり反対に「検査を受けます」という人だけ検査するという形でした。「これまでと異なった脅威であるHIV/AIDSに対しては、これまでと異なった対応をしなければならない」という意識の産物だったのです。それに対して、PITCはエイズを「普通の病気」扱いするということです。ちなみに、PITCは感染率が高い国で行うからメリットがあるのであって、日本などの感染率が比較的低い国で行っても効率的ではありませんし、かえってコストがかかります。

 

最近は治療技術の進展により、患者は強力な治療薬を継続して投入すれば本来の寿命と近い年まで生きられるようになりました。だからこそ、とにかく治療につながることが重要なので検査を徹底することを優先するべきだ。だから逆に、人権や心の準備(Preparedness)の問題はそれほど考えなくても良いのでは、という傾向が強まってきたのです。【次ページにつづく】

 

 

 

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