「エイズを終わらせる」ために何が必要か

2030年までに「エイズを終わらせる」

 

――治療の技術が向上したために、人権の問題が重要視されなくなったんですね。

 

さらに、UNAIDS(国連合同エイズ計画)の新しい事務局長、ミシェル・シディベに変わって以降、エイズ対策のトレンドは大きく変化します。2012年には、これまでの「ミレニアム開発目標(MDGs)」に変わる、2016年〜2030年の「持続可能な開発目標(SDGs)」をめぐる議論が(2015年までの期限付きで)始まりました。ここでUNAIDSとしては何としてでも「エイズ」の項目を入れなければならなりません。そうでないとSDGsの時代にはエイズは重要でないことになってしまうからです。

 

実際、これまでエイズ対策に膨大な資金が流れていたために色々な弊害が生まれてきた、という不満の声も、他の保健セクターから上がっていました。医療従事者もNGOも「エイズをやる方が儲かるから」という理由で、他の分野から離れ、エイズに流れてしまったケースが多くあったからです。だからSDGs時代においては、エイズ以外の分野にこそ光を当てるべきでないか、というような考え方です。

 

たとえばインドは、人口が多いために、HIV陽性者の数はトータルでは多いですが、人口比で言えば非常に少ない。となると、インドではエイズ対策をするよりも、乳幼児死亡率低下のためにお金を使った方がいいんじゃないか。その方が安いお金でたくさんの人を救えるのではないか。そういう発想が出てくるわけです。

 

さらに、これまでエイズ対策に投資してきた先進国の政府や援助機関としても、今回、エボラ・ウイルス病(エボラ出血熱)が流行したことで、さらにエイズの比重が下がりかけてきました。「もうエイズはいいだろう」というわけです。金を出す側は、非常に移り気で無責任なんです。しかし、UNAIDSとしてはこのような連中をなんとかつなぎとめて、ポスト2015目標にエイズを入れてもらわなければならない。そのために、あらゆるレトリックを行使していきます。

 

最初に出してきたのは、2011年の国連エイズ・ハイレベル会合で提示された「三つのゼロ(Three Zeros)」という目標です。これは、新規感染ゼロ(Zero New Infection)、差別ゼロ(Zero Discrimination)、エイズ関連死ゼロ(Zero AIDS Related Death)を目指すということ。その後、究極の伝家の宝刀として「エンド・エイズ(End AIDS)」というスローガンが登場してきました。ここまでインパクトのあることを言わないとドナーが見向きもしなくなるからです。

 

「エンド・エイズ」とは、端的に、SDGsの期限である2030年までに「エイズを終わらせる」こと。ただ実際にエイズがなくなるわけではありません。いまも3000万人以上の方がHIVと共に生きているからです。つまりこれはレトリックであって、実のところは「End AIDS as One of the major global health threats」=公衆保健上の主要な脅威としてのエイズを終わらせる。要するに、「エイズは存在するが、もはや大した病気ではない」という状況にしよう、という意味合いです。

 

さらに2013年に米国のワシントンDCで開催された国際エイズ会議では、「画期的」な研究結果が発表されます。それは感染して間もなくエイズ治療を導入すれば、HIV陽性とHIV陰性のカップルの96%が(コンドームなしのセックスをしていても)HIV感染を防ぐことができる、というもの。感染初期にエイズ治療薬を投入することでHIVウイルス量を検査で確認できる値以下にしてしまうからです。

 

それなら、感染した段階ですぐに治療に繋げてしまえばいい。つまり「PITC(Provider Initiated Testing & Counseling)」で、とにかく病院に来た人全員を検査し、HIV陽性者を見つけ出してすぐに治療につなげてしまおう。そうすれば相手に感染しないわけだから「治療=予防(Treatment as Prevention)」になる。とりあえず治療につなげてしまえば予防も同時にできるので、「効果がわからず、面倒くさい」啓発などは、しなくてもよい、もしくは、それほど比重を置かなくてもよいことになります。

 

こうした「治療=予防」が主流化し、次にUNAIDSが提唱したのは「90-90-90」目標というものでした。これは2020年までに「HIV陽性者の90%を検査し、その90%を治療し、その90%のウイルス量を検出可能値以下に下げる」(90% Tested, 90% Treated, 90% HIV Suppress)という目標です。

 

「90-90-90」目標を達成することで、2030年までに「エンド・エイズ」を成し遂げる。そのためにはエイズ対策に対して今まで以上の投資をしなければなりません。こういうレトリックになっているのです。

 

 

――「エンド・エイズ」と聞くとエイズを「完治する病気にする」という印象を受けますが、そういう意味ではないんですね。

 

「『AIDS cure(HIVの完治)』を目指す」という話が出てこないというのは非常に重要なポイントです。というのも、HIV陽性者とは「治療薬の消費者」ですから、製薬企業としてはこの収入がなくなっては困るわけです。

 

先進国においては一人当たり年間200万円という膨大な資金が、それも国民の税金から支払われています。エイズを治癒する薬ができて、これが全てなくなってしまうと、製薬企業にとって大きな打撃になりますよね。もちろん、現在でも「AIDS cure」に取り組んでいる研究者はいます。しかし、(因果関係は不明ですが、)そこにはあまり投資がされておらず、投資を促進するためのイニシアティブも存在していないのが現状です。

 

 

エイズ対策における医学の奪権闘争

 

――最近の動向はこれまでのエイズ対策とはどのような比較ができますか。

 

「90-90-90」目標に代表される最近のトレンドは、「治療」中心のエイズ対策です。つまり、PITCで徹底的にHIV陽性者を見つけ出し、すぐさま「治療=予防」につなげる。悪い表現をすれば、「薬漬け医療」をやっていこうとしているのです。

 

これはミレニアム開発目標(MDGs)時代のエイズ対策とは大きく異なります。そもそもMDGs(2000年)以前の途上国の状況というのは、治療を受けられる体制が全くできていませんでした。ですから、どうせ治療に繋がらないなら検査結果はいわば「緩慢な死刑宣告」にあたるものです。

 

さらには、すぐに差別や偏見の目にさらされるとなれば、誰も検査なんて受けようと思いません。こうした状況でしたから、まずは、せめてケアの体制を作り、また差別をなくして、検査を受けることやコンドームを使うといった予防策を受け入れることメリットを作り出そうとしたわけです。これがうまくいったのが90年代のウガンダでした。

 

 

ウガンダの首都・カンパラ、草の根のエイズ・キャンペーン(この市場では、どこに行ってもエイズ・メッセージを目にする)

ウガンダの首都・カンパラ、草の根のエイズ・キャンペーン(この市場では、どこに行ってもエイズ・メッセージを目にする)

 

 

その後、途上国でもエイズ治療を普及させようという方針が出てくると、検査の受診には一層のメリットが出てきます。治療薬の調達体制を整備し、「予防→検査→治療」とつながるように外部資金を流していきました。また、治療の甲斐なく亡くなってしまった場合は、残された子どもたちのサポートや社会の体制構築が必要となるので(エイズ死によるインパクトの軽減)、特定のコミュニティにおける予防やケア、政策提言のための投資も行われました。これは特に、MSM(Men who have Sex with Men)やセックスワーカー、ドラッグユーザー、移民、少数民族、先住民など、感染率の高いコミュニティに対する投資です。

 

結果として「予防→検査→ケア→治療→インパクト軽減→予防……」と循環するシステムをきちんと機能させていく。こうした取り組みが2000年のミレニアム開発目標(MDGs)以降かなり進められてきたのです。予防や検査、インパクト軽減とは「社会的介入」であり、これらが優位性を持っていたのがMDGs時代のエイズ対策でした。

 

治療を導入しても、「治癒」するわけではありませんし、一生薬を飲み続けるためには、治療薬を飲むことの動機づけを社会的に作り出すことが不可欠です。ですから、そこに「医学」が占める割合は低く、むしろ治療のインセンティブを上げることも含め、いかに社会的介入がエイズの負荷を軽減していくのかが非常に重要だったのです。

 

ところが時代が変わり、市民社会の力が徐々に弱体化していく中で、社会的な側面についての認識も弱くなり、代わりに、とにかく治療を早期に導入しよう、予防も薬を使ってやっていこう、といった、医学的介入優先の傾向がどんどん強まっていきます。「エンド・エイズ」戦略においては、治療や医学の面が、かつて社会的介入との関係で占めていた割合を逆転する形となっています。いってみれば、医学による「奪権闘争」が行われているわけです。

 

 

 「我々なくして『エンド・エイズ』はない」

 

――これからアフリカ諸国や途上国のエイズと闘っていく上でどのような対策が望ましいのでしょうか。

 

最も基本的なことは、これまで積極的に行ってきたコミュニティ・ベースの社会的な介入について、手を抜かずにしっかりとやるということです。例えば予防対策で言えば、これまでもあちこちで行われてきたように、コンドームへのアクセスを高めることが重要です。たとえばアフリカで非常に多いのは、長距離のトラック運転手とセックスワーカー間の感染と言われています。アフリカは54カ国もある広い大陸なので隣国との国境線を超えなければならない。その際に国境付近の街で何日も待たされることがあります。そのときに売春街でセックスをして感染してしまうケースが多いのです。

 

あるいは、鉱山に単身で労働しに来ている人たちが労働の後に買春をして感染をしてしまう場合もあります。特に南アフリカ共和国の場合は、アパルトヘイト政策で単身の黒人労働力を必要なときに必要なだけ導入するシステムがありました。このシステムを発動すればするほどHIVの拡大は大きくなったという背景があるのです。これらの性行為感染を防ぐためには鉱山や黒人農場などでコンドームのアクセスビリティを高めることが効果的です。これは以前から変わっていません。

 

そして、肝心なのは治療につながった人がきちんと薬を飲み続けていくことです。それを明確に実施するためには、その人が属する地域コミュニティや社会的コミュニティにおいて、治療を継続するための恒常的な動機付けが必要です。「治療=予防」といって、検査後すぐに治療につないで「つながった、よかった」と言っているだけでは不十分なんです。

 

昨今、コミュニティに対するエイズ対策は軽視される傾向にあります。とくにMSMやセックスワーカー、ドラッグユーザー、移民、少数民族、先住民など、感染リスクの高いコミュニティに関しては、「対策」として重要なのではなく「人権問題」として重要だ、と言い縮められてしまう傾向が出てきています

 

単なる「人権問題」となると、それは政治の課題であると見なされ、投資の対象としては弱くなってしまうのです。そうなると啓発・予防や、コミュニティの力を強めるための具体的な対策に力が注がれなくなります。

 

 

スラムに生きるKENWA(ケニア・エイズと共に生きる女性たちのネットワーク)

スラムに生きるKENWA(ケニア・エイズと共に生きる女性たちのネットワーク)

 

 

とくにドラッグユーザーのコミュニティについては、問題が大きくなってきています。東欧・旧ソ連などの諸国は社会主義体制の崩壊以降、違法薬物が大量に流入したことと、多くの人々が生活苦や将来に希望のない状態に放り出された結果、薬物使用につながったということで、薬物の影響が非常に大きい地域です。ウクライナはHIV感染率が全体の2%以上。これはアジアの中で最もHIV感染率が高いカンボジアと同じくらいですが、その8割がヘロインの静脈注射など、薬物の回し打ちによる感染と言われています。

 

ロシアも同じで、人口の1%以上が感染しており、そのうちの8割はヘロインの静脈注射など、薬物の回し打ちで感染しています。このような地域におけるエイズ対策について、たとえば日本や、その他、薬物による感染がそれほど多くない地域と同じ発想で行うことはできません。ヘロインの回し打ちなど、HIVの感染につながる行為を行う人の割合が、日本などでは考えられないほど高いからです。このような地域では、第一にドラッグユーザーの感染を防ぎ、その健康被害を軽減することが非常に重要となるはずです。清潔な注射針の供給と一度使った注射針の回収(Needle exchange)を、緊急に行わなければなりません。

 

しかし、「そんなことをしたら、薬物使用を認めるのと同じだ」というロジックも、社会の主流から常に出てくるわけです。また、グローバルファンドの援助があったころは、外部資金を使うだけなので目をつぶることもできたわけですが、経済成長などで一人当たり国民所得が増え、外部資金が撤退すると自国で注射針の供給・回収を行わなければなりません。当然、「そんなやつらのために国民の税金を使われてたまるか」という不満が出てくる。

 

ですから、これほど深刻な健康問題であっても、たとえばロシアは、国としての積極的な対策は取らず「見て見ぬふり」をしてきたのです。あらゆる意味で、今コミュニティに基づく社会的介入が軽視されてきています。こうした傾向が強くなればなるほど、本来取り組むべき問題を見えなくなり、結果としてエイズ対策の根本そのものが揺らいでしまいます。この問題を克服していかないと、「持続可能な開発」など実現できません。本当に薬漬け医療をやっていくのなら、ずっと治療の継続を担保する仕組みを作らなければならないはずです。

 

WHOやUNAIDSが主導する、「エンド・エイズ」、「90-90-90」目標といったレトリックは、それが独り歩きすることで、大きなリスクを抱えています。現在の医学重視の対策は途上国における腐敗・不正による治療薬のアクセス途絶の問題などをほとんど想定していません。だから、現場でHIV/AIDSに取り組んでいる人たちは、政策の現場で言われている内容を自分たちの現場に応用できないという限界性を、みんな感じているはずです。

 

要するにこれは「数値至上主義」の弊害です。コミュニティによる社会的介入はその効果が数字で表せないので何も確証が持てませんが、「治療=予防」なら「HIV陽性者の○%に薬を飲ませ、△%の感染を防いだ」と数値で実績が出せるから、なんとなく確実なような気がします。ドナーは「我々の投資した額に見合った成果を(数値で)出してくれないと困る」という「パフォーマンスを踏まえた資金拠出」(Performance-Based Funding)の考え方に基づいて投資を行い、実績が出なければすぐに資金を減らしてしまいます。ですから、資金を確保するためのアドボカシーとしては「三つのゼロ」「エンド・エイズ」などといった呪文を延々と唱え続けなければならない。

 

だからこそ市民社会は、国際エイズ会議などの場において、UNAIDSなどが「エンド・エイズ」などと鼓吹するのに対して、逆に「我々コミュニティの存在なくして『エンド・エイズ』はない」と言っています。本当に「エンド・エイズ」を目指すのであれば、コミュニティや社会の力をより動員していかなければなりません。市民社会からもそうした声が上がっているのです。ただ私個人としてはそれだけでは不十分だと思います。まずは途上国における腐敗・不正の問題をしっかり指摘し、批判していく必要があり、その上で、こんな状況において本当に医学的介入重視の対策を進めていくのが正しいのかどうか検証していかなければなりません。【次ページにつづく】

 

 

 

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