フィリピンはなぜ米軍を受け入れるのか――安全保障と基地問題を考える

フィリピン最高裁が米軍の事実上の再駐留を認める「比米防衛協力強化協定(EDCA)」について合憲判決を下した。フィリピンはどのように米軍を撤退させ、なぜ今、受け入れるのか。アメリカ・フィリピン・日本の3カ国にわたる国家、社会関係史を研究する一橋大学社会学部教授の中野聡氏と、海洋安全保障の専門家、獨協大学外国学部教授の竹田いさみ氏が解説する。TBSラジオ荻上チキSession-22 2016年01月14日放送「米軍がフィリピン再駐留へ。その歴史的背景とは?」より抄録。(構成/大谷佳名)

 

■ 荻上チキ・Session22とは

TBSラジオほか各局で平日22時〜生放送の番組。様々な形でのリスナーの皆さんとコラボレーションしながら、ポジティブな提案につなげる「ポジ出し」の精神を大事に、テーマやニュースに合わせて「探究モード」、「バトルモード」、「わいわいモード」などなど柔軟に形式を変化させながら、番組を作って行きます。あなたもぜひこのセッションに参加してください。番組ホームページはこちら → http://www.tbsradio.jp/ss954/

 

 

「憲法判断としては無理がある」

 

荻上 今回はフィリピンの歴史、安全保障を学ぶと共に、沖縄の基地問題、そして安全保障を考える上でのヒントを探っていきたいと思います。

 

ゲストをご紹介します。まずは、アメリカ・フィリピン・日本の3カ国にわたる国家、社会関係史を研究する、一橋大学社会学部教授の中野聡さんです。

 

中野 よろしくお願いします。

 

荻上 そして海洋安全保障がご専門の獨協大学外国学部教授の竹田いさみさんです。

 

竹田 よろしくお願いします。

 

荻上 今回の最高裁の合憲判決について、どうお感じになっていますか。

 

竹田 安全保障の観点から言えば、フィリピン政府および東南アジア諸国にとっては非常にプラスなことになります。なぜならアメリカ軍の存在は東南アジア全体にとって非常に重要なものだからです。今は中国の存在感が大きいので、バランスをとるために米軍に来てもらいたいといずれの国も思っています。

 

荻上 フィリピン国軍はどれくらいの規模になっているのですか。

 

竹田 基本的には国内治安部隊ですから、海外派兵して外国の部隊と戦闘することが前提ではないです。ですから海軍も陸軍も非常に規模が小さいです。

 

荻上 ということは他の国のサポートが必要なわけですね。

 

中野さんは、今回の最高裁判決についていかがですか。

 

中野 フィリピン国内の反応を見てみると、例えば保守派上院議員の一人にエンリレという大長老政治家がいますが、彼は今回、「最高裁は勇気のある決断をした」と称えています。

 

つまり、最高裁の判断は非常に政治的なものであって、「勇気のある」と言っているのは裏を返せば憲法判断としては相当に疑問があるということを、エンリレのような政治家すらも分かっているということです。

 

フィリピンのメディアの反応を見ていても、憲法判断としては難しいところがあるという点は一致しているけれども、南シナ海の問題などを考えた時にこの判断をどう見るべきかという観点から色々な議論が展開されているというのが僕の印象です。

 

荻上 最高裁自身、「憲法判断としては無理がある」という自覚がありながらも、政治的判断として合憲と判断した、と読めるわけですか。

 

中野 そのように私は見ています。フィリピン政治の仕組みを見るにはアメリカを参考にすると分かりやすいでしょう。アメリカと同様にフィリピンでも最高裁は司法として非常に強い権威があります。最高裁の決定は非常に重い意味を持ちます。その一方で、時として国益を含めた政治的な判断を下す存在でもあります。

 

アメリカでも、2000年の大統領選が大接戦になってフロリダの開票結果が連邦最高裁で争われるところまで行って、結局、共和党系の判事が多数を占める最高裁がブッシュ候補の勝利につながる判断をして、これが非常に政治的だったと批判されたことがあります。フィリピンも似たような所があります。

 

判決文は新聞で引用されている限りでみると「憲法に定めたところの上院による新たな承認を必要とする案件ではない」と書かれているようです。これは私個人の印象としても少々無理があるように感じられます。(放送後に公開されたフィリピン最高裁判決文の全文PDFは下記のアドレスから入手できます。

http://ja.scribd.com/doc/295614801/Supreme-Court-Decision-on-EDCA

 

荻上 日本でも似た事例として砂川事件の裁判がありますよね。当時はアメリカが日本の安全保障を満たすために駐留することの是非について間接的に問われました。そして実際に最高裁の判決に対してアメリカの政治的な介入があったのではないかという疑いが、公文書を元に指摘されています。フィリピンでも似たようなことがあるのでしょうか。

 

中野 介入はおそらくなかったと思いますが、最高裁の判事達がフィリピンの国家安全保障や米比関係の持つ意味をひしひしと感じながら判断を下したことは間違いないと思います。

 

 

米軍への歓迎ムード

 

荻上 最高裁の判決には市民レベルでも報道レベルでも疑問の声が出ているんですね。

 

中野 1990年代に米軍基地を完全撤退させた時の国内の反基地運動に起源をもつようなナショナリズムは少数派とはいえ今でも健在です。左翼運動家たちが最高裁の前で抗議行動をする模様もちゃんと報道されています。ですから、もちろん反対論はあると思いますし、知り合いの大学知識人も「やれやれ」という反応が多いです。

 

その一方、先ほど少し話に出ましたが、フィリピン国軍に対する国民の信頼感の低さという問題があります。それが米軍を一部歓迎するような雰囲気につながっているわけです。国軍が頼りない、というのは国内で続く内戦への対応においても言えます。

 

日本ではあまり知られていませんが、2013年11月にレイテ島を超大型台風(フィリピン名ヨランダ)が襲ったときに、米軍が災害救援にさっと駆けつけるという、東日本大震災と似たようなことがありました。これも「比米防衛協力強化協定(EDCA)」が結ばれるきっかけになりました。米軍がフィリピンの度重なる自然災害の救援にもっと力を貸してくれるだろうという期待がフィリピンにはあるんです。

 

荻上 日本でも同様に、東日本大震災で米軍がかなり手助けしてくれたことで、米軍あるいは自衛隊に対するイメージが変化したという世論の動きがありましたよね。米軍にとっては人道的見地が大前提としてある一方で、何らかのプランとして考えている側面もあったりするのでしょうか。

 

竹田 常にあると思います。スマトラ沖の大地震でも、もともとインドネシアとアメリカの関係はあまり良くなかったのに、大津波と地震が発生してすぐに救援に駆けつけました。一つの外交カードとして救援が常にあるんです。

 

荻上 そこで支持率を確保することで、安全保障に関するアメリカの様々な政治もやりやすくなるわけですね。

 

さて、フィリピン国内では今回の判決に対して社会の側の反応もさまざまで、それでも司法の解釈としては妥当性の問題が残っている。一方で、政府レベルでは歓迎しているという話がありました。このギャップはどう考えれば良いでしょうか。

 

竹田 ギャップがあるのは健全でしょう。一体化しようと思うほど全体主義で一方向へ向かってしまうわけですから。多様な意見が存在して常に政府を批判する勢力がいるのは健全な状態ですし、民主主義の国だなと感じます。

 

フィリピンの方はみなさんおしゃべりが上手で、議論をすることが国民性に染み込んでいるようです。フィリピンの日刊紙を読んでも、ニュースよりもオピニオンの方が多いんですね。そうしたことからも、フィリピンは民主主義で自由な国だと伺い知れます。

 

荻上 そうした議論が、政府の側としては一つの抑止力となるわけですね。

 

 

竹田氏

竹田氏

 

 

力の空白を埋めた中国

 

荻上 1992年にアメリカ軍が完全撤退した後、フィリピンの安全保障上の変化はどういったものだったのでしょうか。

 

竹田 アメリカ軍の撤退は東南アジア、南シナ海の「力の空白」を意味します。それを埋めたのが中国でした。同じ年に中国は領海法を制定し、「東シナ海から南シナ海まで全部自分のものだ」と宣言しているんです。これが契機となって中国の海洋進出が活発化していきました。人民解放軍の海軍の艦艇を南シナ海で循環させ、制空権も確保していきます。

 

また、中国南部のベトナムに接する海南島という島で「リゾート開発」という名の実質的な軍事基地化を進めていきます。これで中国は南シナ海に睨みを効かせることができる。米軍がいなくなったことにより、南シナ海と東シナ海を一体化できるようになったわけです。

 

中野 1992年当時、米軍基地撤去の前後では、こうした地政学的な変化を予想する議論が、アメリカでも十分には行われていなかったと思います。90年代前半は冷戦後のアジア太平洋の安全保障をめぐって新しい構想が作られていった時代で、それが日米安保の再編にもつながっていきます。

 

1995年のナイ・レポート(「東アジア太平洋戦略」第3次報告書)を読んでも、南シナ海をめぐる米中の軍事的対峙の可能性を考慮した内容にはなっていません。その時点においてはアメリカにとってフィリピンはそれほど地政学的に重要ではなかったのです。そういう意味では今アメリカがフィリピンに強い関心を向けていることは非常に久しぶりだという印象を受けます。

 

竹田 1992年のアメリカ海軍のレポートでは、「中国の脅威は心配しなくていい。南シナ海に進出することはない」とほぼ断言しています。その当時の中国には外洋進出するほどの力はなかったからです。

 

荻上 その後、中国が軍事力を強化していく中で、パワーバランスの変化も起きていったわけですよね。リスナーの方からこんな質問が来ています。

 

「フィリピンでもしも米軍が撤退しなかったら、その後の中国の動きは変わっていたのでしょうか。」

 

竹田 変わっていたと思います。中国にとって一番の脅威であり、なおかつ一目置いているのはアメリカですから。米軍がそこにいれば、やたらなことはできないでしょう。

 

 

逆思いやり予算

 

荻上 そうした中で今、アメリカ軍がフィリピンに戻ってくる意味とはどういったことなのでしょう。

 

竹田 やはり、アメリカも東南アジア諸国もフィリピンが地政学的に非常に重要だと認識したからです。米軍が戻ってくることに関しては少なくとも政府レベル、安全保障政策の面から見ると大歓迎です。

 

シンガポールなどは、フィリピンから米軍が撤退したら代替基地を提供すると言ったくらいですから。みんなアメリカが本格的に戻って来てくれると信じたいわけです。おそらく予算制約がありますし、そこそこのレベルでしか戻れないとは思いますが。

 

荻上 アメリカも、基本的には各国の軍事力でそれぞれカバーしながらネットワーク的に対応しようという方向にシフトしようとしている。なおかつ予算削減しようとしている状況なので、フィリピンとの関わり方も以前と同じような駐留に戻るわけではないんですね。

 

竹田 米軍には駐留できるだけの予算はないです。フィリピン政府もそうした予算は提供できません。

 

荻上 日本には「思いやり予算」がありますが、フィリピンにはそうしたものはないのでしょうか。

 

竹田 あるのは「思いやり」の気持ちのみです。お金は出せないんですね。ただ、米軍はフィリピンのコーストガード(沿岸警備隊)に対して、中古ではありますが大型の巡視船を低利で売る、という形で武器や治安の装備品の提供を始めています。

 

中野 フィリピンでは、スービック海軍基地もクラーク空軍基地も施設の老朽化が進んでいます。ですから本格的に南シナ海を睨んでの基地運用を始めるためには、アメリカがもう一度恒久的な施設を整備しなければなりません。

 

EDCAが定めたのは、米軍が基地的な施設を作って、それをフィリピン側に移管したうえで米軍が使用するという仕組みです。「これは米軍基地ではなくフィリピン国軍の施設なんだ」とした上で、そこを米軍が使用するという形になっているんです。

 

荻上 なんだか「逆思いやり予算」のような感じですね

 

中野 1992年に米軍が撤退するまでフィリピンはアメリカから基地使用料にあたる援助を受けています。アメリカにとってフィリピンに基地を置けばコストがかかりますが、沖縄をはじめ日本に基地をおいた場合は逆に「思いやり予算」を措置してもらえるわけです。

 

荻上 それでは、なんだか日本が損しているような気がしますが……。【次ページにつづく】 

 

 

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