原発を再稼働させる必要はない

次世代に対する責任の欠如

 

―― 日本の電力市場を日本の外から見た場合、さまざまな面で不透明に映るところがあるかと思います。そのひとつとして「責任の所在が不明確である」ということがあげられるかと思います。

 

国の委員会では「今後も原子力が主要な電源となる」というオプションを出す委員もいて、それが意味するところは今後も放射性廃棄物が生み出され、その処分にかかる政治的・経済的コストは明らかに現在世代の若年層や将来世代にまわされるということです。そして残念なことに、そういった政策の議論に若年層の意見が汲み取られることはほとんどありません。

 

このような観点から見ると、日本のエネルギー政策の議論は不透明かつ不公正に感じられるのですが、どう思いますか。

 

たしかに不公正だと思います。現在世代においても電力会社は原子力発電の事故コストを自ら支払いきっていません。

 

また、残念ながら原子力発電はいまや時代遅れであり、他の安価な電源との競争に勝つことはありません。原子力発電をおこなう電力会社は破産することになるでしょう。そして、将来の納税者は放射性廃棄物の処理費用や原子炉の廃炉費用を支払わなければなりません。また、事故が起こった際の除染費用も支払わなければなりません。

 

経済的に言えば、これから引退するであろう世代がこれまでおこなってきた原子力発電への取り組みは、彼らの孫世代に対してきわめて高い代償を強いることになるでしょう。

 

その意味で将来世代への責任が不在であると言えますが、しかし、そういった費用を現在世代も支払わねばならないということも理解しておく必要があります。

 

私自身は、原子力への取り組みをはじめた上の世代と、その結果に苦しまざるをえない世代のちょうど中間にあり、この先数十年と限定的ではあるものの、そのコストを支払うことになります。このことは私たち世代にとってまったく誇れることではありません。

 

同時に、将来かかるであろうコストの増大を防ぐために、いますぐにでも方向性を変えることが必要であり、現在、政府や電力会社の幹部として権力をもつ立場にいる人たちにはそれを実行する責任があるということを、彼ら自身が認識しなければなりません。

 

 

原子力産業の歴史に残る影

 

―― スウェーデンやデンマークなど、スカンジナビア諸国のエネルギー政策は、政策立案者や政治家などが責任や民主主義といった原則を共有し、公平・公正・透明な議論の上に形成されているという印象があります。その上で、政策が市場や技術や金融を進化させているのではないかと思うのですが、一方で日本ではそういった原則を欠いたまま政策が作られているように感じます。政策形成における政治・政策文化の違いをどのように考えていますか。

 

日本の政治文化について、私にはよくわからないことがたくさんあります。それは、日本の人たちがスカンジナビアや欧州の政治文化においてよくわからないことがあることと同じだと思います。そのため、日本の政治が特に不透明なのか、私がまだ熟知できていないからなのか、それはわかりません。

 

しかし、エネルギー政策一般について言えば、この20年でスカンジナビアの国々が達成してきたことは、誰にでも価格が見えるように透明な市場を開き、新たな投資が多く流れ込むことを可能にしたことであり、これは非常に意義があることでした。

 

しかし、原子力発電に関連する問題については、いまだに不透明な部分があり、民主的でない意思決定がなされてきた部分があります。

 

歴史的には、スウェーデンもそうであるように、原子力発電の開発というのは、核兵器開発への野心に動機付けられておこなわれてきたことはよく知られています。 これが原子力発電に密室主義や不透明性の起源を与えることになり、それはいまだに原子力産業に影を落としているのです。

 

今日、原子力や放射性廃棄物処理の本当のリスクの多くは秘密にされたままであり、それは「もし原子炉がどれほど不安定なものであるのかが知れ渡ってしまえば、テロリストに狙われてしまい、甚大な事故を招くことになってしまう。だからこそ、一般の人々には原子力発電所が危険なものであると知られてはいけないのだ」という議論が背景にあるからです。

 

その結果、原子力の安全性についての誤ったイメージが人々にもたれてしまいました。本当に重要な原子力の安全基準を検証する民主的なプロセスの中で、十分な情報にアクセスできないままになってしまいました。

 

そのため、必ずしもスウェーデンやヨーロッパが完璧というわけではなく、原子力に関わる政治には、現在世代や将来世代に影響する多くの失敗が残されているのです。

 

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シノドス国際社会動向研究所

vol.272 

・荒木啓史「遺伝か環境か?――ゲノム科学と社会科学の融合(Sociogenomics)が教育界にもたらすイノベーション」
・神代健彦「道徳を「教える」とはどのようなことか――「押しつけ」と「育つにまかせる」の狭間を往く教育学」
・中里透「財政のことは「世の中にとっての」損得勘定で考えよう!」
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