地下資源に群がる精霊たち――モンゴルにおける鉱山開発とシャーマニズム

俺に故郷を残しておいてくれ、わが祖霊よ!

わが望みは金ではないことをわかってくれ。

自分のためだけに生きるのはやめてくれ

モノやカネの前にひざまずくなよ、おまえら

 

俺はこの大地の主だ。伝え継いできたわが祖先たちよ

今の今まで他人にとられてこなかった大地を、最後に

子孫たちは、モノやカネの交換できるってことを知った。

俺はついてない男だ。まったく運のない男だ。

父が俺に命を授けてくれたとき、決して俺を見捨たりはしなかった。

だが、俺たちは自分の子供や孫たちのことを忘れちまった。

カネだけがあればいいんだよって、バヤラグ(豊かさ、資源)(注1)を売っちまった。

富や資源っていうが、物質的なものばかりを探し求めているだろう?

でも本当の豊かさバヤラグ(豊かさ、資源)ってもんは、その大地の下になんかに、ねえぞ。

おまえの血、おまえの知恵、おまえの大地。そしてその地に育つ植物。

それが本物の豊かさバヤラグ(豊かさ、資源)ってやつさ。

金や銀を売っても、カネを人間は食うことはできねえんだよ。

草を家畜が食い、家畜を人が食っているってことをわからなくなったっていうのか? 

まさかだろ? 将来、モンゴルという名の砂漠を俺たちは見ることになるかもな。

 

(注1)モンゴル語でバヤラグ(Bayalag)という語には、「豊かさ」と「資源」という二つの意味がある。

 

モンゴルのラッパー・Gee vs Jonon feat Bayaraa  ‟Minii nutgiig nadad uldee(俺に故郷を残しておいてくれ)“ 2012年の歌詞より。

 

 

 

 

地下資源が好きな精霊たち

 

「精霊は、地下資源が好きなんだよ」

 

その奇妙な語りを耳にしたのは、2010年の春のことだった。モンゴルの首都ウランバートルの郊外にあるガチョールトという炭鉱の町での出来事である。

 

以前に シノドス誌で「シャーマニズムという名の感染病」という小稿で紹介したとおり、近年モンゴル、とりわけ首都ウランバートルではこうしたシャーマンになる人があたかも感染症のように激増している。貧富や老若男女にかかわらず、一般の市民から政治家や歌手といった有名人にいたるまでシャーマンになるものが続出している。シャーマンとは、特殊な衣装を身に着け皮製の太鼓を打ち鳴らしながら精霊(多くは先祖霊)を降ろすことで人々に託宣を行う宗教的職能者のことである。

 

社会主義による宗教弾圧を経て蘇ったシャーマニズムは、現地人研究者によって伝統文化の復興として評価されている。その一方で、詐欺事件や儀礼を巡る事故死といった問題をも引き起こしている。

 

私がインタビューをしていたのは、33歳の男性シャーマンであった。彼は、他の鉱山都市でもシャーマンが増え続けていることを教えてくれた。その理由を尋ねると「俺は、(シャーマンに降りてくる)精霊が、地下資源が好きだからだと思っている」と説明したのである。

 

私は面食らった。なぜなら遊牧的な民間信仰に根ざしたモンゴルの伝統的な価値観の中では「大地を掘り返すこと」は、タブーとされてきたからだ。モンゴル遊牧民にとっては、農業ですら、土を掘り返す耕作をともなうがゆえに、牧草地を破壊する「悪しき習俗」であった。

 

こうした文化的背景を持つモンゴル人たちの間で、なぜ地下資源開発が積極的に進められ、しかも伝統文化に根ざしているはずのシャーマンから「精霊は、地下資源が好きなのだ」というお墨付きをもらっているのか。そしてなぜシャーマンたちは、鉱山を渡り歩いて「布教活動」に励んでいるのか。

 

地下資源開発という社会変容に対して「伝統宗教」の側はいかに対応あるいは対峙するのだろうか。一般的に自然環境の破壊をともなう開発に対して、先住民が自らの価値観に基づいて反対運動を行うような事例は、世界各地で報告されている。

 

南シベリアのモンゴル系のブリヤート人たちの事例を紹介すると、2000年ごろ、彼らが「聖地」とされてきた山にロシアの巨大石油会社ユコスがパイプライン建設を進めようとした。これに対して、シャーマンや仏教ラマといったローカルな宗教的実践者たちが協力して儀礼を伴った反対運動を行い、建設中止に追い込んだのだという。ロシアの民族学者N.ジュコフスカヤは、こうした宗教的実践者たちの運動を「土着主義運動として論じている[Zhukovskaya2009]。

 

鉱山開発に対してローカルな宗教実践者たちは、反対運動を展開するばかりではない。例えばイギリスの人類学者M.ハイは、モンゴル国中央県のザーマル金鉱の鉱山都市オヤンガにおいて仏教ラマたちが、むしろ高額な謝礼を伴う儀礼を行うことで鉱山利権を「自由に」むさぼる姿を皮肉たっぷりに描き出している。 [High2013]。

 

これに対して、これから語る話は以上のような「開発に抵抗する伝統文化」といった単純な図式や「開発に便乗して利権をむさぼる変わり果てた伝統文化」といった極端な図式に収斂されない宗教実践の在り様である。すなわち、モンゴルのシャーマンたちは鉱山開発に経済的に依存しながらも、鉱山開発による環境破壊や貧富の格差に「抵抗」している。シャーマン自体も、伝統的な存在というよりもむしろ鉱山開発がもたらした貧富の格差よって生み出された副産物である。その一方で開発がもたらした自然環境の悪化に対して、シャーマンたちが「抵抗運動」を開始している。ここでは彼らのこうしたあり方を「依存的抵抗」と呼んでおこう。

 

物語の舞台となるのは、世界最大級の金・銅を埋蔵するといわれるモンゴル国南ゴビ県のオユートルゴイ鉱山である。まずは、オユートルゴイ鉱山の概要を紹介した上で、その鉱山都市であるハンボグド郡において社会がどう変化しているのかを見てみよう。そうした上で、人々は鉱山都市でなぜシャーマンになっているのか、そしていかなるシャーマニズムが実践されているのか、「依存的抵抗」をキーワードに読み解いていきたい。

 

 

モンゴルのシャーマン

モンゴルのシャーマン

 

 

オユートルゴイ鉱山

 

オユートルゴイ鉱山は、ゴビ砂漠東南部に位置する世界最大級の埋蔵量を誇る金・銅鉱山である。行政区画で言うならば南ゴビ県ハンボグド郡に属する。首都ウランバートルから約650km離れている一方で中国国境までわずか80kmのところに位置する。

 

 

調査ルート(地図作成:木下光弘)

調査ルート(地図作成:木下光弘)

 

 

同鉱山を実質上運営しているイギリス・オーストラリア系の資源メジャーRio Tint社(以下RT社)によると推定埋蔵量は、銅270万トン、金170万オンス(約482トン)だとされている[Rio Tinto 2013]。しかしながら、それよりも埋蔵量がはるかに多いとする情報もある。また同社によると、鉱山寿命は50年ほどあり、ゆくゆくはモンゴルのGDPの三分の一を担うようになるのだという。

 

そもそもオユートルゴイの地に鉱床があることは、社会主義時代よりソ連とモンゴルの共同地質調査によって知られていた。しかし操業にいたるまでの道は一筋縄ではいかなかったといってよい。2001年、採掘権を譲渡されたアメリカ人ロバート・フリードランドが率いるIvanhoe Mines社(以下IM社)がこの地で鉱床を「発見」すると、同社がその開発を主導していくことになった。

 

しかし、このフリーランドという人物は、かつてコロラド州において鉱山開発を通じて壊滅的な環境破壊を行ったことで知られていた。コロラドでの一件で彼は「有毒ボブ」の悪名を轟かせていたことから、一部のモンゴル人とモンゴル在住の外国人とのあいだで不安が広がった[ロッサビ2007:136-137]。

 

こうした中、2003年よりIM社とモンゴル政府は生産開始に必要な手続きを開始したがその契約は難航し、契約まで6年の月日を要した。最終的に政府とIM社およびRT社によって投資協定が締結された。[岩田2009:40-41]この3社によって設立されたオユートルゴイ社は、現在、株式の66%をTurquoise Hill Resources社(IM社とRT社の合弁会社、RT社が株式の51%を所有)を保有し、モンゴル国営企業のErdenes Mongol社が34%を保有している[RioTint2014]。

 

 

鉱山都市における貧富の格差と雇われ牧民

 

オユートルゴイ鉱山を擁するハンボグド郡(Khanbogd)は、南ゴビ県の東南端に位置している。郡の南側は中国と国境を接しており、郡センター(郡役場や病院、学校などのある定住区)は、オユートルゴイ鉱山から40kmほど離れている。面積は15100平方キロメートル(岩手県とほぼ同じ)で、そこに4300人(2012年)が暮らしている。しかし、郡長によると鉱山関連で働きにきている一時的な居住者をあわせると12000人強となるのだという。

 

 

オユートルゴイ鉱山

オユートルゴイ鉱山

 

 

そもそもハンボグド郡は、鉱山開発が行われるまでは、牧畜以外にこれといった産業のないいわゆる遊牧民の郡であった。郡の人口もオユートルゴイ鉱床が発見された2001年の時点では2400人に過ぎなかった。しかし鉱山開発とともに2012年には人口は1.8倍の4300人に達した。12000人という実質上の居住者でいうならば、10年前の5倍に膨れ上がったことになる。

 

2011年の夏、最初にハンボグドに訪れたとき、郡センター周辺をあちらこちらで大型のタンクローリーが走り回り噴煙を巻き上げていた。聞くところによると鉱山施設の建設のために資材を運ぶ中国系の会社の車なのだという。郡センター内の道路舗装工事が始まっており、ホテルの建設も進んでいた。

 

何よりも驚かされたのは、ここの郡にはトヨタ・ランドクルーザーを中心に大型のSUV車が走り回っていたことだ。地元の人々の話によると2011年の時点で100台以上のランドクルーザーの所有者がこの郡にはいるとのことだった。また、現地で「ハウス」と呼ばれる欧米式の一戸建て住宅も郡センターには散見された。一般的にゴビ地域の郡センターでは、住宅はゲル(遊牧民の移動式家屋)であることが多く、木が貴重なゴビ地域においては木造建築も少ない。車もロシア製の中古ジープが中心であり、ゴビでこのような高級車や高級住宅が見かけられることはなかった。鉱山開発はある種の社会階層を生み出したといっても過言ではない。

 

意外なことにハンボグド郡で一番の富裕層を生み出したのは、実はオユートルゴイ鉱山ではない。オユートルゴイ鉱山は、外資ということもあり地元住民の雇用数は比較的少ない。また給料はいいが知識と技術を必要とするエンジニアは、モンゴル人でもウランバートル出身の高学歴者が雇われることがほとんどである。

 

ところが2003年、鉱山の敷地外で地元住民の手によって金の鉱床が発見されたのである。この情報を得た人々は金を求めて群がった。この鉱床は、イラク丘と名づけられた。アメリカのブッシュ大統領がイラクに侵攻した年に鉱床が見つけたからだ。この「イラク丘」に群がったのは、遊牧民というより、むしろ元から郡センターの定住区に住む公務員や商売人が多かった。というのも遊牧民はその情報を知っていても家畜をほったらかして金を掘りにいくわけにいかなかったからである。

 

イラク丘で儲けた人々の次に豊かになっていったのは、鉱山労働者となった牧民たちだった。現地の牧民たちの語るところによると、「働ける子供の数が多ければ多いほどその家は潤っていった」のだという。

 

地元住民たちが鉱山関連企業に採用されたのは、鉱山敷地内での工場建設や警備員、車両の運転手、あるいは敷地周辺の飛行場建設や巨大な工場に水を供給するためのパイプラインの建設作業員といった仕事である。牧民たちは家畜を親戚や知人に預けて、青年層の子供たちをこうした労働に従事させるようになったのである。したがって、鉱山関係の仕事につく子供がたくさんいれば、家畜を委託してもその家の現金収入は何倍にも増えるわけである。とはいえイラク丘で儲けた連中に比べれば、牧民出身の労働者たちの収入はしれたものである。

 

そうした中、イラク丘やオユートルゴイ鉱山の利権に預かれない者たちは、「雇われ牧民」として牧地に残されていくようになった。2010年を前後してこの地域ではゾドと呼ばれる大寒害が起こった結果、多くの牧民たちが家畜を失った。虚弱者や老人や女性といった社会的弱者も鉱山関連の仕事を得るのが難しい。このような家畜を失った人々や社会的弱者は、当然にして人の家畜を委託放牧する「雇われ牧民」に身をやつすほか道はなくなったのである。

 

しかし、こうした雇われ牧民より経済的苦境を強いられているのは、郡センターに住む失業者たちである。牧民たちは、雇われに身をやつしたとしても食料となる家畜があるので食べていくのに困ることはない。これに対して郡センターに住む人々の中には家畜を持たず、職にも恵まれない者たちがいる。実は、こうした者たちの中からシャーマンが誕生しているのだった。【次ページにつづく】

 

 

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