2016.08.26

地下資源に群がる精霊たち――モンゴルにおける鉱山開発とシャーマニズム

島村一平 文化人類学・モンゴル研究

国際 #モンゴル#シャーマニズム

俺に故郷を残しておいてくれ、わが祖霊よ!

わが望みは金ではないことをわかってくれ。

自分のためだけに生きるのはやめてくれ

モノやカネの前にひざまずくなよ、おまえら

 

俺はこの大地の主だ。伝え継いできたわが祖先たちよ

今の今まで他人にとられてこなかった大地を、最後に

子孫たちは、モノやカネの交換できるってことを知った。

俺はついてない男だ。まったく運のない男だ。

父が俺に命を授けてくれたとき、決して俺を見捨たりはしなかった。

だが、俺たちは自分の子供や孫たちのことを忘れちまった。

カネだけがあればいいんだよって、バヤラグ(豊かさ、資源)(注1)を売っちまった。

富や資源っていうが、物質的なものばかりを探し求めているだろう?

でも本当の豊かさバヤラグ(豊かさ、資源)ってもんは、その大地の下になんかに、ねえぞ。

おまえの血、おまえの知恵、おまえの大地。そしてその地に育つ植物。

それが本物の豊かさバヤラグ(豊かさ、資源)ってやつさ。

金や銀を売っても、カネを人間は食うことはできねえんだよ。

草を家畜が食い、家畜を人が食っているってことをわからなくなったっていうのか? 

まさかだろ? 将来、モンゴルという名の砂漠を俺たちは見ることになるかもな。

 

(注1)モンゴル語でバヤラグ(Bayalag)という語には、「豊かさ」と「資源」という二つの意味がある。

モンゴルのラッパー・Gee vs Jonon feat Bayaraa  ‟Minii nutgiig nadad uldee(俺に故郷を残しておいてくれ)“ 2012年の歌詞より。

地下資源が好きな精霊たち

「精霊は、地下資源が好きなんだよ」

その奇妙な語りを耳にしたのは、2010年の春のことだった。モンゴルの首都ウランバートルの郊外にあるガチョールトという炭鉱の町での出来事である。

以前に シノドス誌で「シャーマニズムという名の感染病」という小稿で紹介したとおり、近年モンゴル、とりわけ首都ウランバートルではこうしたシャーマンになる人があたかも感染症のように激増している。貧富や老若男女にかかわらず、一般の市民から政治家や歌手といった有名人にいたるまでシャーマンになるものが続出している。シャーマンとは、特殊な衣装を身に着け皮製の太鼓を打ち鳴らしながら精霊(多くは先祖霊)を降ろすことで人々に託宣を行う宗教的職能者のことである。

社会主義による宗教弾圧を経て蘇ったシャーマニズムは、現地人研究者によって伝統文化の復興として評価されている。その一方で、詐欺事件や儀礼を巡る事故死といった問題をも引き起こしている。

私がインタビューをしていたのは、33歳の男性シャーマンであった。彼は、他の鉱山都市でもシャーマンが増え続けていることを教えてくれた。その理由を尋ねると「俺は、(シャーマンに降りてくる)精霊が、地下資源が好きだからだと思っている」と説明したのである。

私は面食らった。なぜなら遊牧的な民間信仰に根ざしたモンゴルの伝統的な価値観の中では「大地を掘り返すこと」は、タブーとされてきたからだ。モンゴル遊牧民にとっては、農業ですら、土を掘り返す耕作をともなうがゆえに、牧草地を破壊する「悪しき習俗」であった。

こうした文化的背景を持つモンゴル人たちの間で、なぜ地下資源開発が積極的に進められ、しかも伝統文化に根ざしているはずのシャーマンから「精霊は、地下資源が好きなのだ」というお墨付きをもらっているのか。そしてなぜシャーマンたちは、鉱山を渡り歩いて「布教活動」に励んでいるのか。

地下資源開発という社会変容に対して「伝統宗教」の側はいかに対応あるいは対峙するのだろうか。一般的に自然環境の破壊をともなう開発に対して、先住民が自らの価値観に基づいて反対運動を行うような事例は、世界各地で報告されている。

南シベリアのモンゴル系のブリヤート人たちの事例を紹介すると、2000年ごろ、彼らが「聖地」とされてきた山にロシアの巨大石油会社ユコスがパイプライン建設を進めようとした。これに対して、シャーマンや仏教ラマといったローカルな宗教的実践者たちが協力して儀礼を伴った反対運動を行い、建設中止に追い込んだのだという。ロシアの民族学者N.ジュコフスカヤは、こうした宗教的実践者たちの運動を「土着主義運動として論じている[Zhukovskaya2009]。

鉱山開発に対してローカルな宗教実践者たちは、反対運動を展開するばかりではない。例えばイギリスの人類学者M.ハイは、モンゴル国中央県のザーマル金鉱の鉱山都市オヤンガにおいて仏教ラマたちが、むしろ高額な謝礼を伴う儀礼を行うことで鉱山利権を「自由に」むさぼる姿を皮肉たっぷりに描き出している。 [High2013]。

これに対して、これから語る話は以上のような「開発に抵抗する伝統文化」といった単純な図式や「開発に便乗して利権をむさぼる変わり果てた伝統文化」といった極端な図式に収斂されない宗教実践の在り様である。すなわち、モンゴルのシャーマンたちは鉱山開発に経済的に依存しながらも、鉱山開発による環境破壊や貧富の格差に「抵抗」している。シャーマン自体も、伝統的な存在というよりもむしろ鉱山開発がもたらした貧富の格差よって生み出された副産物である。その一方で開発がもたらした自然環境の悪化に対して、シャーマンたちが「抵抗運動」を開始している。ここでは彼らのこうしたあり方を「依存的抵抗」と呼んでおこう。

物語の舞台となるのは、世界最大級の金・銅を埋蔵するといわれるモンゴル国南ゴビ県のオユートルゴイ鉱山である。まずは、オユートルゴイ鉱山の概要を紹介した上で、その鉱山都市であるハンボグド郡において社会がどう変化しているのかを見てみよう。そうした上で、人々は鉱山都市でなぜシャーマンになっているのか、そしていかなるシャーマニズムが実践されているのか、「依存的抵抗」をキーワードに読み解いていきたい。

モンゴルのシャーマン
モンゴルのシャーマン

オユートルゴイ鉱山

オユートルゴイ鉱山は、ゴビ砂漠東南部に位置する世界最大級の埋蔵量を誇る金・銅鉱山である。行政区画で言うならば南ゴビ県ハンボグド郡に属する。首都ウランバートルから約650km離れている一方で中国国境までわずか80kmのところに位置する。

調査ルート(地図作成:木下光弘)
調査ルート(地図作成:木下光弘)

同鉱山を実質上運営しているイギリス・オーストラリア系の資源メジャーRio Tint社(以下RT社)によると推定埋蔵量は、銅270万トン、金170万オンス(約482トン)だとされている[Rio Tinto 2013]。しかしながら、それよりも埋蔵量がはるかに多いとする情報もある。また同社によると、鉱山寿命は50年ほどあり、ゆくゆくはモンゴルのGDPの三分の一を担うようになるのだという。

そもそもオユートルゴイの地に鉱床があることは、社会主義時代よりソ連とモンゴルの共同地質調査によって知られていた。しかし操業にいたるまでの道は一筋縄ではいかなかったといってよい。2001年、採掘権を譲渡されたアメリカ人ロバート・フリードランドが率いるIvanhoe Mines社(以下IM社)がこの地で鉱床を「発見」すると、同社がその開発を主導していくことになった。

しかし、このフリーランドという人物は、かつてコロラド州において鉱山開発を通じて壊滅的な環境破壊を行ったことで知られていた。コロラドでの一件で彼は「有毒ボブ」の悪名を轟かせていたことから、一部のモンゴル人とモンゴル在住の外国人とのあいだで不安が広がった[ロッサビ2007:136-137]。

こうした中、2003年よりIM社とモンゴル政府は生産開始に必要な手続きを開始したがその契約は難航し、契約まで6年の月日を要した。最終的に政府とIM社およびRT社によって投資協定が締結された。[岩田2009:40-41]この3社によって設立されたオユートルゴイ社は、現在、株式の66%をTurquoise Hill Resources社(IM社とRT社の合弁会社、RT社が株式の51%を所有)を保有し、モンゴル国営企業のErdenes Mongol社が34%を保有している[RioTint2014]。

鉱山都市における貧富の格差と雇われ牧民

オユートルゴイ鉱山を擁するハンボグド郡(Khanbogd)は、南ゴビ県の東南端に位置している。郡の南側は中国と国境を接しており、郡センター(郡役場や病院、学校などのある定住区)は、オユートルゴイ鉱山から40kmほど離れている。面積は15100平方キロメートル(岩手県とほぼ同じ)で、そこに4300人(2012年)が暮らしている。しかし、郡長によると鉱山関連で働きにきている一時的な居住者をあわせると12000人強となるのだという。

オユートルゴイ鉱山
オユートルゴイ鉱山

そもそもハンボグド郡は、鉱山開発が行われるまでは、牧畜以外にこれといった産業のないいわゆる遊牧民の郡であった。郡の人口もオユートルゴイ鉱床が発見された2001年の時点では2400人に過ぎなかった。しかし鉱山開発とともに2012年には人口は1.8倍の4300人に達した。12000人という実質上の居住者でいうならば、10年前の5倍に膨れ上がったことになる。

2011年の夏、最初にハンボグドに訪れたとき、郡センター周辺をあちらこちらで大型のタンクローリーが走り回り噴煙を巻き上げていた。聞くところによると鉱山施設の建設のために資材を運ぶ中国系の会社の車なのだという。郡センター内の道路舗装工事が始まっており、ホテルの建設も進んでいた。

何よりも驚かされたのは、ここの郡にはトヨタ・ランドクルーザーを中心に大型のSUV車が走り回っていたことだ。地元の人々の話によると2011年の時点で100台以上のランドクルーザーの所有者がこの郡にはいるとのことだった。また、現地で「ハウス」と呼ばれる欧米式の一戸建て住宅も郡センターには散見された。一般的にゴビ地域の郡センターでは、住宅はゲル(遊牧民の移動式家屋)であることが多く、木が貴重なゴビ地域においては木造建築も少ない。車もロシア製の中古ジープが中心であり、ゴビでこのような高級車や高級住宅が見かけられることはなかった。鉱山開発はある種の社会階層を生み出したといっても過言ではない。

意外なことにハンボグド郡で一番の富裕層を生み出したのは、実はオユートルゴイ鉱山ではない。オユートルゴイ鉱山は、外資ということもあり地元住民の雇用数は比較的少ない。また給料はいいが知識と技術を必要とするエンジニアは、モンゴル人でもウランバートル出身の高学歴者が雇われることがほとんどである。

ところが2003年、鉱山の敷地外で地元住民の手によって金の鉱床が発見されたのである。この情報を得た人々は金を求めて群がった。この鉱床は、イラク丘と名づけられた。アメリカのブッシュ大統領がイラクに侵攻した年に鉱床が見つけたからだ。この「イラク丘」に群がったのは、遊牧民というより、むしろ元から郡センターの定住区に住む公務員や商売人が多かった。というのも遊牧民はその情報を知っていても家畜をほったらかして金を掘りにいくわけにいかなかったからである。

イラク丘で儲けた人々の次に豊かになっていったのは、鉱山労働者となった牧民たちだった。現地の牧民たちの語るところによると、「働ける子供の数が多ければ多いほどその家は潤っていった」のだという。

地元住民たちが鉱山関連企業に採用されたのは、鉱山敷地内での工場建設や警備員、車両の運転手、あるいは敷地周辺の飛行場建設や巨大な工場に水を供給するためのパイプラインの建設作業員といった仕事である。牧民たちは家畜を親戚や知人に預けて、青年層の子供たちをこうした労働に従事させるようになったのである。したがって、鉱山関係の仕事につく子供がたくさんいれば、家畜を委託してもその家の現金収入は何倍にも増えるわけである。とはいえイラク丘で儲けた連中に比べれば、牧民出身の労働者たちの収入はしれたものである。

そうした中、イラク丘やオユートルゴイ鉱山の利権に預かれない者たちは、「雇われ牧民」として牧地に残されていくようになった。2010年を前後してこの地域ではゾドと呼ばれる大寒害が起こった結果、多くの牧民たちが家畜を失った。虚弱者や老人や女性といった社会的弱者も鉱山関連の仕事を得るのが難しい。このような家畜を失った人々や社会的弱者は、当然にして人の家畜を委託放牧する「雇われ牧民」に身をやつすほか道はなくなったのである。

しかし、こうした雇われ牧民より経済的苦境を強いられているのは、郡センターに住む失業者たちである。牧民たちは、雇われに身をやつしたとしても食料となる家畜があるので食べていくのに困ることはない。これに対して郡センターに住む人々の中には家畜を持たず、職にも恵まれない者たちがいる。実は、こうした者たちの中からシャーマンが誕生しているのだった。

家畜の「減少」・水不足・粉塵被害

シャーマンの話に入る前に牧民たちの窮状にもう少し耳をそばだててみよう。現在、彼らは家畜の減少や水不足、粉塵による健康被害といった問題に悩まされている。牧民たちは水不足と牧草地の悪化の原因をオユートルゴイの鉱山開発が原因だと理解している。彼らの語るところによると、鉱山建設には莫大な量の水を要する。オユートルゴイ鉱山は地下水脈を掘り当てて、そこからパイプラインで水を鉱山敷地内に供給するという方法をとった。そうした中、牧民たちが使う井戸の水量は減り、中には枯れ上がるものも出てきたのだという。

また鉱山開発によって牧草地の草の生え具合も悪くなったのだとも語る。そんな矢先、ゾドとよばれる大寒害が2008年から3年続いてこの地域を襲い、多くの家畜が凍死した。鉱山敷地に程近いある井戸の近くに夏営地を置く牧民(63)は、かつてその井戸を利用していた牧戸は10軒ほどあったが、今は彼の家のみになってしまったのだと嘆いた。

その理由は不明なのであるが、こうした「水不足」にさらなる拍車をかけているのが「井戸の私有化」である。すなわち裕福な郡センターに住む不在畜主たちは掘削ドリルを使って深井戸を掘り、ポンプ式の汲み上げ施設をつくった。そして、こうした井戸のポンプ小屋に鍵をつけて井戸の「所有者」以外の人間が使えないようにしたのである。本来、モンゴルの遊牧民にとって井戸は誰の所有物でもなく、地域の牧民なら誰もが利用できるというのが慣わしであった。こうした井戸の「私有化」によって、貧しい牧民たちはさらなる「水不足」へと追いやられたのかもしれない。水のないところでは、人も家畜も生きてはいけない。

水のない草原は牧草地にはならず、単なる草原でしかない。川や湖といった地表水がほとんど存在しないゴビ地域において井戸の私有化は、牧草地の事実上の私有化であるといっても過言ではない。しかしここで重要なのは、牧民たちは水不足と牧草地の悪化の原因をオユートルゴイの鉱山開発が原因だと理解しているという点である。

「(鉱山会社が)あちらこちらで土地を掘り返したので、大地が怒っているのだ」

彼らは口を揃えたかのようにそう語る。オユートルゴイ鉱山側も、この事態に対処すべく鉱山周辺域に住む牧民たちのために冬の家畜小屋を建設してあげたり、井戸を新たに掘って牧民に提供したりした。また、鉱山敷地の中心から直径20km圏内を影響圏と呼び、その圏内で放牧をしていた牧民に対して、補償金(一種の立ち退き料)が支払われたのだという。牧草の不足を補うために干草が鉱山会社から提供されたこともあった。

しかし、それでもなお、(あるいはそれがゆえに)牧民たちは不満を口にする。「オユートルゴイは俺たちのことを相手にしてくれない」と。

こうした不満は家畜の「減少」や水不足だけではない。鉱山周辺域には、ひっきりなしに建築資材やガソリンなどを運ぶタンクローリーが行きかっており、未舗装の道路が多いこともあり、草原に粉塵を撒き散らしているのである。

砂煙を巻き上げるタンクローリー(オユートルゴイ鉱山付近)
砂煙を巻き上げるタンクローリー(オユートルゴイ鉱山付近)

こうした資材は陸路で中国から入ってくる。中国人のドライバーたちは近道をするために草原、すなわち牧草地を通過することも少なくないのだという。その結果、鉱山周辺の牧民たちの生活圏である草原は常に粉塵にさらされることとなった。

また、トラックが巻き上げる粉塵による被害は家畜だけではない。牧民立ちの中には呼吸器系健康不安を抱えていることを訴える者も少なくない。聞き取り調査をした牧民たちの中には咳き込みながらインタビューに答える者も多くいた。また、家畜の原因不明の死や下痢といった問題を口にするものもいた。

オユートルゴイ鉱山は開発に伴う地元住民への補償を行ってはいるが、決して地元の人々は満足していない。

粉塵被害を語る牧民の老婆
粉塵被害を語る牧民の老婆

シャーマンの誕生

そんなハンボグド郡でシャーマンが増えている。2012年現在、ハンボグド郡には30人ほどのシャーマンがいるといわれている。このハンボグドのシャーマンたちは鉱山が生み出したといっても過言ではない。

地元の老人によると、そもそもこの地域でシャーマンがいたという話は聞いたことはないという。住民の多くはモンゴルの他の地域と同様に仏教を信じてきた。そんな場所にシャーマニズムが広まるきっかけとなったのは、2007年のことである。ちょうど、オユートルゴイ鉱山の工場建設が開始されて間もない頃のことだった。一人の足の不自由な老人(シャーマン)がバガノール(ウランバートルの東100kmほどに位置する炭鉱都市)からこの地にやってきて「布教」を開始したのだという。人々は彼のことを「バガノールのシャーマン」と呼んだ。

バガノールのシャーマンは、当初ハンボグドの人々に全く相手にされなかった。しかし徐々に占いや相談をする地元住民も出てき始めた。やがてバガノールの老人は、仲間のシャーマンを二人ほど呼んできたのだという。そんな中、2008年、ハンボグド郡の住民の中から、バガノールのシャーマンに弟子入りし、二人のシャーマンが誕生した。

一人はテルビシ(仮名)といい20台半ばの男性であり、もう一人は彼のオバでもある50代の”チムゲー”(仮名)である。彼らはともに郡センターの住人だった。やがてバガノールのシャーマンとその仲間は故郷に帰り、この二人が次々と弟子をとることでハンボグドにおいてシャーマンとその信者が増えていった。シャーマニスト的にいうならば、精霊たちは、地下資源に群がり始めたのである。

聞き取りを通じてわかってきたのは、ハンボグド郡でシャーマンとなった者たちは、第一に鉱山開発の利権にまったく預かってこなかった者たちだということである。彼らの中にはイラク丘で儲けた者もいなければ、鉱山関連の職についていた者もいない。

例えば、病院の看護士であったり、ただの学生であったり、失業者といった者たちである。また牧民の中からシャーマンは誕生していない。いいかえるならば、定住区である郡センター住民の中で比較的貧しい者たちがシャーマンとなっているというわけである。

最初にシャーマンとなり、現在は多くの弟子シャーマンを抱えるテルビシも仕事がなく喧嘩による傷害罪で服役していたこともあるのだという。お金もない。家族ともうまくいかない。そんな彼がシャーマンとなったのは、師匠に「おまえは精霊を受け入れないと死ぬぞ」といわれたからである。

こうした不幸や災厄の原因を精霊に求める災因論的思考は、モンゴル国内のブリヤートのシャーマニズムに由来するものだといってよい。かつてドルノド県のブリヤート人たちの間でシャーマンが増え始めたとき語られていたのは「おまえはルーツにねだられている。シャーマンになってルーツ霊を憑依させないと死ぬぞ」という文句だった。ここでいうルーツ(現地語ではオグ)とは、その人をシャーマンにさせるべく病気や悩みで知らせていた先祖霊のことである[島村2011]。

そしてこの思考法は、ルーツを「天」や「崇拝の対象)といったふうに表現を変えながらウランバートルやそのほかの地域に伝播していった[島村2011]。仏教の場合、災厄の原因の説明は行われずにラマが厄除けの経を読むという形で対処する場合が多い。現代モンゴルのシャーマニズムの特徴は、「何か悪いことがあればその原因を精霊に帰しめる」と同時に「それを解決するにはシャーマンになるほかに道はない」と思う思考法であるといってよい。

すなわち鉱山開発によって派生した貧富の格差がこの災因論的思考と結合した結果、周縁化された者たちがシャーマンになっているのである。

新たにシャーマンとなった者たちは想像上の社会的地位を獲得することで、親族や信者から崇敬と畏怖の念を得ている。すなわち、シャーマンに憑依してきた精霊は、そのシャーマンの地位をタイジ(旗長レベルの王侯)、ノヨン(貴族)、トゥシメル(官吏)といった清朝時代の王侯貴族の名で与えるのである。こうした地位はシャーマンに憑依する精霊=先祖霊の生前の地位であると解釈されている。

富の再分配か、マルチ商法か

ひとたびシャーマンとなると、彼/彼女の精神的および肉体的不調は劇的に改善されるといわれている。しかしそれ以上に目に見える改善点はその人の生活水準である。新たにシャーマンとなると信者(圧倒的にほとんどが家族・親戚)たちからの経済的な援助を得ることができる。

例えば前出のテルビシは「精霊の導きにより、すべてがうまくいくようになった」という。というのも彼に憑依してきた精霊が「私のメッセンジャー(すなわち精霊のメッセージを伝えるシャーマンのこと)は、新しい6枚壁のゲル(遊牧民の移動式住居)に住まなくてはいけない」と言ったので親族や弟子たちが新しいゲルを提供してくれたのだという。

ゲルは折りたたみ式のハナと呼ばれる格子状の壁で作られている。6枚壁とはかなりの大型のゲルである。彼は郡センターに固定式のゲルを構えており、中には大型のフラットTVや冷蔵庫、立派な家具が置かれていた。こうしたものもどうやら精霊の託宣によって信者や弟子から提供されたものであるらしい。

シャーマンにとって収入を得る最も大きな機会は、誰かをシャーマンにすることである。弟子をとりシャーマンにするためのイニシエーション儀礼「チャナル」において、師匠シャーマンに対して高額の謝礼が支払われるのである。師匠への謝礼は、ハンボグド郡において100万T~300万T(約6万円~18万円)ほどかかるといわれている。

それに加えて、太鼓などのシャーマンの道具やシャーマンの帽子やコート、靴といった衣装の製作など儀礼に100万~200万Tほどかかる。当然にして貧しいシャーマン候補には、その出費は耐えられるものではなく、家族や親戚が分担して支払うことになる。こうした親戚のことを「血統を同じくする人々」〔オダミーン・オルソード〕という。親族のうち、誰が何に関する費用を支払うかは、精霊の託宣によって決められる。つまり、シャーマンの信者は、一義的には新シャーマンの家族や親戚ということになる。

他にもシャーマンには収入を得る手段がある。ハンボグド郡のシャーマンたちは一ヶ月のうちに少なくとも1回、多いときは2回、家族や親戚を集めて会食を伴った儀礼を行う。そのときシャーマンが憑依させる精霊(集まった人々にとっては先祖霊でもある)への捧げものとして現金が渡されるのである。こうした余剰は「鉱山開発」によってもたらされたものである場合が多い。すなわち、シャーマンの誕生とシャーマニズムの実践自体、経済的に鉱山に「依存」しているわけである。しかし、いずれにせよ、ハンボグドにおいてシャーマニズムは偏在が進む「富の再分配のシステム」として機能していることは確かであろう。

しかし、こうしたシャーマンたちの活動は必ずしも皆に受け入れられるものではない。事実、シャーマニズムに否定的なある郡政府の管理職の女性は「シャーマニズムは単に親戚から金を集めるためにあるようなものよ」と語った。彼女の話によると、ハンボグドでシャーマンとなったある中年男性が儀礼を通じて金を集めて会社を設立したのだという。

確かに信じない人々にとってシャーマニズムは、一種の金儲けにしか写らないかもしれない。首都ウランバートルにおいて同様の問題が詐欺事件として扱われることもあり、シャーマニズムはマルチ商法ではないか、という記事が新聞に掲載されたりもしていた。ハンボグドにおいてシャーマンたちのカネの流れについては現在のところ不明である。彼らの資金集めがマルチ商法的な方法論をとっているのか否かは、今後さらなる検証が必要であろう。

親族ネットワークの再構築

シャーマンの誕生は富の再分配をもたらすと同時に、それを可能とする親族ネットワークを再構築している。社会主義以前のモンゴル遊牧社会は、いわゆる父系親族集団によって組織されてきたことは知られている。

ただし、ここでいう親族ネットワークは従来の父系に基づくものでもなければ、生産組織を伴っているものでもない。親族間の相互扶助意識によって富の再分配をもたらすような、境界のあいまいな情動的ネットワークである。

前述したとおり、シャーマンとなることは個人だけで解決できる問題ではなく、家族や親族を巻き込んだ問題となる。イニシエーション儀礼に対する高額な謝礼や衣装、儀礼道具一式を負担するのは「血統を同じくする者たち」と呼ばれる親族だからである。この「血統を同じくする者」とは、父系・母系・姻族に関わらず現在彼らが認知している親戚関係のある者たちで、その境界にはっきりとした定義があるわけではないようだ。

いずれにせよ、イニシエーション儀礼負担の分担は師匠シャーマンに憑依してきた精霊によって決定されるが、信者である親族は自発的に喜んで差し出しているように見えた。

その背景には、シャーマンを擬制的な「祖父」にした親族ネットワークの構築があるからだと考えられる。

ハンボグドのシャーマニズムにおいてシャーマンに憑依してくる精霊はたいていの場合男性の先祖霊であり、それがゆえに彼らは「お爺さま」と呼ばれる。不思議なことに信者≒親族たちの間でシャーマン自身もその精霊の名前で呼ばれ尊敬されるようになる。例えば26歳のテルビシは、「ダンザンお爺さま」と呼ばれている。前出のチムゲーも、女性であるにも関わらず「ガナーお爺さま」と 呼ばれている(注2)。

(注2)これらの名前もシャーマンの名前の特定を避けるため仮名とした。

さらに信者には、シャーマニスト(信者)たちの間でのみ通用する「洗礼名」のようなものがシャーマンから与えられる。これを「秘密の名前」というのだという。彼女によると、この秘密の名前は、美しく肯定的な意味を持つ単語で与えられるとのことであった。また、彼らシャーマニストたちは、儀礼の最中やシャーマニスト間の会話は実名ではなく、秘密の名前で呼び合わなくてはならないとされている。

こうした親族ネットワークは情動性を持ちながら再構築されるといってよい。例えばバヤルマーは、何不自由ない豊かな暮らしをしているが、孤独に苛まされていた。彼女は親族のつながりに飢えていたのだった。しかし、そんな彼女に転機が訪れる。彼女のオイ、すなわち実の妹の息子がシャーマンになることになり、バヤルマーに会いに来たのだった。話を聞くと「精霊のお告げ」により、お姉さんに会いに行けといわれたからだという。彼女は妹の願いに応じて、オイをシャーマンにするための費用を出した。オイに憑依してきた精霊(=「お爺さま」)は、彼女のキョウダイたちに対して「大きいお姉さん」と呼ぶように言った。それ以降、何か相談ごとがあると弟や妹たちが「大きいお姉さん!」といってやってきれくれるようになった。「本当にうれしかったわ」と彼女は語る。

バヤルマーの系譜(曲線内は再構築された親族ネットワーク)
バヤルマーの系譜(曲線内は再構築された親族ネットワーク)

また、シャーマンの儀礼に参加するのも楽しみなのだという。彼女は「シャーマン儀礼はまるで旧正月みたいに楽しい」と語った。事実、彼らの儀礼に参加してみると、普通の旧正月で会食しながらなごやかに親族の長老と語らう景色とさして変わらぬものであった。ただし、この「旧正月」で子どもや孫と語らう「お爺さん」が20歳そこその若者で、独特なシャーマンの衣装に身を包んでいることを除けば。

シャーマニズムの「教え」も親族ネットワークの構築に寄与している。ハンボグドのシャーマニストたちによると、精霊たちはシャーマンを介在して以下のように語るのだという。

「儀礼に多くの人が来れば来るほど、シャーマンは力を獲得するのだ」

人間のネットワークが広ければ何らしかの力を獲得することをモンゴルの伝統的なことわざも教えている。このようにシャーマニズムは情動性を伴いながら親族ネットワークを再構築する一方で、それを受け入れない人もいる。社会主義を70年間にわたって経験してきたモンゴルの人々の中には無神論者も少なくない。シャーマニズムは無条件に親族ネットワークを再びつなぎ合わせるわけではない。

環境ナショナリズムと「抵抗運動」

シャーマニズムは、ハンボグド郡においては鉱山開発によって生まれた貧富の格差の中で生まれたといってよい。そしてそうした格差を是正するような親族内の富の再分配や親族ネットワークの再構築といった新たな社会コンテキストを生みだしている。仮に貧富の格差が、鉱山開発が生み出した「第一次副産物」であるとするならば、シャーマニズムは鉱山開発の「第二次副産物」であるといってよい。こうした第二に副産物は、第一次副産物への反作用のような形で生み出されていた。

さらに牧民たちの家畜の減少や水不足といった第一次副産物に対しても、シャーマニズムは反作用的な副産物、すなわち鉱山会社に対して環境ナショナリズム的な一種の「抵抗運動」を開始している。

2012年の夏、シャーマンたちのリーダー、テルビシは鉱山会社への一種の「宣戦布告」をしたことを私に語った。

「牧草は生えなくなった。水を飲むことも食べていくこともできなくなった。俺は、正直言って、彼ら(鉱山会社)の業務、つまり地下深くにある設備に妨害行為をしかけようと思っている。地下水を組み上げている装置をつぶしてやるのさ。(私に憑依する)精霊たちも言っている。人的被害が出ない形で設備を秘密の力で被害を与える。人間のいのちや健康に危害を与えない形で。俺に憑依してくる守護霊や天空神も、『やれ』とアドバスしていることだし」

実はテルビシはこのインタビューの1年ほど前(2011年)、人を介して一度、オユートルゴイ鉱山の経営者側に接触を試みている。彼は、牧草地の井戸の水位が非常に低下していることを憂慮していた。そこで鉱山側に伝えたのは「ゴビの三つの県の自然を仕切っているのは、私だ。私に会に来い。山や水の主を鎮撫してやる」というメッセージだった。彼は明言を避けたものの、現地の人々によるとテルビシは鉱山会社に対して儀礼を執行するための謝礼を要求したらしい。しかし鉱山側は「我々は、水の主や山の主なんてよくわからない。だから定められた業務を遂行するだけだ」と答えるのみであったのだという。

テルビシは憤りながら話を続けた。

「鉱山会社は、俺に会って話をしない。私の山や水、そして俺を無視するならば、俺も彼らを無視せざるをえないだろう。人がせっかくこういう態度で接しているのに。俺の中に『モンゴル人のプライド』というものがあるんだろう。俺がなんとかしてやるといっているのに無視するならば、こちらだって報復措置をとるまでだ。現在、首都から俺の配下のシャーマンたちが集まってきている。彼らをみんな連れてオユートルゴイに行き、守護霊を降ろす。俺自身も90の守護霊を降ろそうとしている。3、4日後には、ハンボグドに99人のシャーマンを連れてくる。全て俺の弟子たちだ」

その1年後、ハンボグドを再び訪れた私はテルビシの戦いが果たしてどうなったのかが気になり、再びハンボグドを訪ねた。地元の牧民たちの話によるとテルビシは30人ほどのシャーマンを率いて行動を起こしたようである。モンゴルでは9という数字はもっとも縁起がよい数字であるとされる。テルビシが99人といったのは、こうした背景を持つ誇張表現であったようだ。

いずれにせよ地元の牧民によると、彼は本当にシャーマンを集めてオユートルゴイを見下ろせる丘の上で盛大に儀礼を行った。キャンプファイアーを焚き、一晩中シャーマン太鼓の音は草原に響き渡った。その結果、家畜が騒ぐので驚いた牧民たちが警察を呼ぶという騒ぎにもなった。しかし、テルビシが語っていたような鉱山の地下施設の破壊がなされたという話は聞かなかった。また警察も夜中に儀礼を行っているという理由で彼らを逮捕するわけにもいかず、注意をして帰っていった。ただ、その儀礼の後、山の上にいくつかのオボー(積石塚)がシャーマンとその信者たちによって築かれていたのだという。

ここで重要なのは、シャーマンが水の主や山の主という概念が象徴する自然環境を仕切るのは「モンゴル人のプライド」に関わる行為とみなしている点である。言い換えるならば自然環境保護とナショナリズムがセットとなって新たな宗教実践を生み出されているわけである。鉱山開発による自然破壊に対して、これからどのような「抵抗運動」をシャーマンたちが起こしていくのか、予断を許さない状況にあるといえよう。

さいごに

本稿では、オユートルゴイ鉱山を擁するハンボグド郡において鉱山開発によって貧富の格差が拡大する中、「持たざる者たち」がシャーマンとなっているという状況を見てきた。そもそもこの鉱山都市周辺には、シャーマニズム文化は存在していなかった。つまり、シャーマンたちは鉱山開発の副産物であるともいえ、その誕生そのものが鉱山開発に「依存」しているといえよう。また、シャーマンたちは儀礼を通じて親族ネットワークを再構築すると同時に「富める親族」から富の再分配を受けていた。この富める親族は鉱山開発の利権に預かった者たちでもある。つまり、シャーマンの経済的基盤は、鉱山の利権に依存しているといえよう。

ところが、シャーマンたちのリーダー、テルビシとの対話からわかるとおり、彼らは環境ナショナリスト的な発想を持っており、鉱山開発が引き起こした水不足や粉塵による健康被害といった環境問題に対して、鉱山会社への宗教的「抵抗運動」を開始していた。

こうしたシャーマンたちの「依存」しているが「抵抗」もするという活動は、一見すると矛盾・混乱しているものとして理解されるかもしれない。しかし彼らのやり方は、敵の武器や食料を奪いながら抵抗戦をするゲリラやパルチザンと呼ばれる人々が使う戦術と近似しているといえよう。

この「依存的抵抗」の行為主体たるシャーマンは、存在そのものが外圧の副産物である。シャーマンもオユートルゴイ鉱山の開発がなければ、ハンボグドに生まれなかったに違いない。したがって、本論の冒頭で挙げた「精霊は地下資源が好きである」と「鉱山開発に抵抗するシャーマン」という矛盾するローカルな言説・活動もこれまで論じてきた「依存的抵抗」という文脈に沿うならば、了解可能な事柄なのかもしれない。

ゲリラ戦が「依存的抵抗」という戦術をとるのは、相手が強大過ぎて、まともに正面から戦えないからである。グローバル資源メジャーという巨大な資本とそれがもたらす社会・環境の急激な変化という脅威に対して、シャーマンたちは今まさに「宗教的なゲリラ戦」を開始しているのである。

本論を終えるにあたり、オユートルゴイと並んでモンゴルを代表する鉱山であるタワントルゴイ炭鉱での社会変容とシャーマニズムの関係を少しだけ紹介しておこう。タワントルゴイも世界最大級の炭鉱である。その鉱山都市であるツォグトツェツィー郡は、2012年の時点でインフラを含めて町の整備がハンボグドよりかなり進んでいると感じられた。しかしながら鉱山周辺域の牧民たちは水不足や家畜の減少、粉塵といった問題に悩まされているという点においては、ハンボグドと同様であった。また貧富の格差も出てきており、雇われ牧民も誕生している。

こうした中、ツォグトツェツィーの人々による2010年、チムゲーという名の女性シャーマンがハンボグドからやってきた。ハンボグド同様にこの郡にもシャーマンはいなかった。ところが今やチムゲーに弟子入りした多くのシャーマンが郡の定住区を中心に活動しているのだという。すなわちシャーマンは鉱山から鉱山を渡り歩きながら新たにシャーマンを生み出していっているといってよい。ある意味、精霊たちは本当に地下資源が好きなのかもしれない。

引用・参考文献

・High, Mette M. 2008. ‘Wealth and Envy in the Mongolian Gold Mines’. Cambridge Anthropology 27/3, 1–19. Cosmologies of Freedom and Buddhist Self-Transformation in the Mongolian Gold Rush. Journal of the Royal Anthropological Institute. 19 (4): 753–770.

・Humphrey, Caroline 2002. The Unmaking of Soviet Life: Everyday economies after socialism. Ithaca and Cambridge: Cornell University Press.

・岩田伸人 2009 「モンゴルの資源開発に関わる一考察」『青山経営論集』第44巻第3号、pp.32-44。

・Khanbogd (Ömnögov’Aimag Khanbogd Sum)2013 Galba Nutag, (郡紹介パンフレット)。

・ロッサビ、モーリス(小長谷有紀、小林志歩訳)2007 『現代モンゴル:迷走するグローバリゼーション』、明石書店。

・Shimamura, Ippei 2014. The Roots Seekers: Shamanism and Ethnicity among the Mongol Buryats. Yokohama: Shumpusha Publishing.

・島村一平2011、『増殖するシャーマン:モンゴル・ブリヤートのシャーマニズムとエスニシティ』、春風社。

・島村一平 2014 「シャーマニズムの新世紀―感染症のようにシャーマンが増え続けている理由」小長谷有紀・前川愛(編)『現代モンゴルを知るための50章』、pp.280-285、明石書店。

・Zhukovskaya, Natalia 2009. ‘Heritage versus Big Business: Lessons from the YUKOS Affair’. Inner Asia 11,157-167.

インターネットサイト

Rio Tint 2014 ‘Oyu Tolgoi’

本稿は、棚瀬慈郎・島村一平(編)『草原と鉱石:モンゴル・チベットにおける資源開発と環境問題』(明石書店)所収の論文「鉱山を渡り歩くシャーマン:モンゴルにおける地下資源開発と『依存的抵抗』としての宗教実践」を短くした上で改稿したものである。

プロフィール

島村一平文化人類学・モンゴル研究

滋賀県立大学人間文化学部准教授・博士(文学)。モンゴルのシャーマニズムをナショナリズムやエスニシティとの関連から研究してきた。その他の関心領域としては、ポピュラー音楽、現代におけるチンギスハーンを巡る言説や表象、鉱山開発による社会変容など。2013年度日本学術振興会賞、地域研究コンソーシアム賞、2014年度大同生命地域研究奨励賞をそれぞれ受賞。

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