地下資源に群がる精霊たち――モンゴルにおける鉱山開発とシャーマニズム

親族ネットワークの再構築

 

シャーマンの誕生は富の再分配をもたらすと同時に、それを可能とする親族ネットワークを再構築している。社会主義以前のモンゴル遊牧社会は、いわゆる父系親族集団によって組織されてきたことは知られている。

 

ただし、ここでいう親族ネットワークは従来の父系に基づくものでもなければ、生産組織を伴っているものでもない。親族間の相互扶助意識によって富の再分配をもたらすような、境界のあいまいな情動的ネットワークである。

 

前述したとおり、シャーマンとなることは個人だけで解決できる問題ではなく、家族や親族を巻き込んだ問題となる。イニシエーション儀礼に対する高額な謝礼や衣装、儀礼道具一式を負担するのは「血統を同じくする者たち」と呼ばれる親族だからである。この「血統を同じくする者」とは、父系・母系・姻族に関わらず現在彼らが認知している親戚関係のある者たちで、その境界にはっきりとした定義があるわけではないようだ。

 

いずれにせよ、イニシエーション儀礼負担の分担は師匠シャーマンに憑依してきた精霊によって決定されるが、信者である親族は自発的に喜んで差し出しているように見えた。

 

その背景には、シャーマンを擬制的な「祖父」にした親族ネットワークの構築があるからだと考えられる。

 

ハンボグドのシャーマニズムにおいてシャーマンに憑依してくる精霊はたいていの場合男性の先祖霊であり、それがゆえに彼らは「お爺さま」と呼ばれる。不思議なことに信者≒親族たちの間でシャーマン自身もその精霊の名前で呼ばれ尊敬されるようになる。例えば26歳のテルビシは、「ダンザンお爺さま」と呼ばれている。前出のチムゲーも、女性であるにも関わらず「ガナーお爺さま」と 呼ばれている(注2)。

 

(注2)これらの名前もシャーマンの名前の特定を避けるため仮名とした。

 

さらに信者には、シャーマニスト(信者)たちの間でのみ通用する「洗礼名」のようなものがシャーマンから与えられる。これを「秘密の名前」というのだという。彼女によると、この秘密の名前は、美しく肯定的な意味を持つ単語で与えられるとのことであった。また、彼らシャーマニストたちは、儀礼の最中やシャーマニスト間の会話は実名ではなく、秘密の名前で呼び合わなくてはならないとされている。

 

こうした親族ネットワークは情動性を持ちながら再構築されるといってよい。例えばバヤルマーは、何不自由ない豊かな暮らしをしているが、孤独に苛まされていた。彼女は親族のつながりに飢えていたのだった。しかし、そんな彼女に転機が訪れる。彼女のオイ、すなわち実の妹の息子がシャーマンになることになり、バヤルマーに会いに来たのだった。話を聞くと「精霊のお告げ」により、お姉さんに会いに行けといわれたからだという。彼女は妹の願いに応じて、オイをシャーマンにするための費用を出した。オイに憑依してきた精霊(=「お爺さま」)は、彼女のキョウダイたちに対して「大きいお姉さん」と呼ぶように言った。それ以降、何か相談ごとがあると弟や妹たちが「大きいお姉さん!」といってやってきれくれるようになった。「本当にうれしかったわ」と彼女は語る。

 

 

バヤルマーの系譜(曲線内は再構築された親族ネットワーク)

バヤルマーの系譜(曲線内は再構築された親族ネットワーク)

 

 

また、シャーマンの儀礼に参加するのも楽しみなのだという。彼女は「シャーマン儀礼はまるで旧正月みたいに楽しい」と語った。事実、彼らの儀礼に参加してみると、普通の旧正月で会食しながらなごやかに親族の長老と語らう景色とさして変わらぬものであった。ただし、この「旧正月」で子どもや孫と語らう「お爺さん」が20歳そこその若者で、独特なシャーマンの衣装に身を包んでいることを除けば。

 

シャーマニズムの「教え」も親族ネットワークの構築に寄与している。ハンボグドのシャーマニストたちによると、精霊たちはシャーマンを介在して以下のように語るのだという。

 

「儀礼に多くの人が来れば来るほど、シャーマンは力を獲得するのだ」

 

人間のネットワークが広ければ何らしかの力を獲得することをモンゴルの伝統的なことわざも教えている。このようにシャーマニズムは情動性を伴いながら親族ネットワークを再構築する一方で、それを受け入れない人もいる。社会主義を70年間にわたって経験してきたモンゴルの人々の中には無神論者も少なくない。シャーマニズムは無条件に親族ネットワークを再びつなぎ合わせるわけではない。

 

 

環境ナショナリズムと「抵抗運動」

 

シャーマニズムは、ハンボグド郡においては鉱山開発によって生まれた貧富の格差の中で生まれたといってよい。そしてそうした格差を是正するような親族内の富の再分配や親族ネットワークの再構築といった新たな社会コンテキストを生みだしている。仮に貧富の格差が、鉱山開発が生み出した「第一次副産物」であるとするならば、シャーマニズムは鉱山開発の「第二次副産物」であるといってよい。こうした第二に副産物は、第一次副産物への反作用のような形で生み出されていた。

 

さらに牧民たちの家畜の減少や水不足といった第一次副産物に対しても、シャーマニズムは反作用的な副産物、すなわち鉱山会社に対して環境ナショナリズム的な一種の「抵抗運動」を開始している。

 

2012年の夏、シャーマンたちのリーダー、テルビシは鉱山会社への一種の「宣戦布告」をしたことを私に語った。

 

「牧草は生えなくなった。水を飲むことも食べていくこともできなくなった。俺は、正直言って、彼ら(鉱山会社)の業務、つまり地下深くにある設備に妨害行為をしかけようと思っている。地下水を組み上げている装置をつぶしてやるのさ。(私に憑依する)精霊たちも言っている。人的被害が出ない形で設備を秘密の力で被害を与える。人間のいのちや健康に危害を与えない形で。俺に憑依してくる守護霊や天空神も、『やれ』とアドバスしていることだし」

 

実はテルビシはこのインタビューの1年ほど前(2011年)、人を介して一度、オユートルゴイ鉱山の経営者側に接触を試みている。彼は、牧草地の井戸の水位が非常に低下していることを憂慮していた。そこで鉱山側に伝えたのは「ゴビの三つの県の自然を仕切っているのは、私だ。私に会に来い。山や水の主を鎮撫してやる」というメッセージだった。彼は明言を避けたものの、現地の人々によるとテルビシは鉱山会社に対して儀礼を執行するための謝礼を要求したらしい。しかし鉱山側は「我々は、水の主や山の主なんてよくわからない。だから定められた業務を遂行するだけだ」と答えるのみであったのだという。

 

テルビシは憤りながら話を続けた。

 

「鉱山会社は、俺に会って話をしない。私の山や水、そして俺を無視するならば、俺も彼らを無視せざるをえないだろう。人がせっかくこういう態度で接しているのに。俺の中に『モンゴル人のプライド』というものがあるんだろう。俺がなんとかしてやるといっているのに無視するならば、こちらだって報復措置をとるまでだ。現在、首都から俺の配下のシャーマンたちが集まってきている。彼らをみんな連れてオユートルゴイに行き、守護霊を降ろす。俺自身も90の守護霊を降ろそうとしている。3、4日後には、ハンボグドに99人のシャーマンを連れてくる。全て俺の弟子たちだ」

 

その1年後、ハンボグドを再び訪れた私はテルビシの戦いが果たしてどうなったのかが気になり、再びハンボグドを訪ねた。地元の牧民たちの話によるとテルビシは30人ほどのシャーマンを率いて行動を起こしたようである。モンゴルでは9という数字はもっとも縁起がよい数字であるとされる。テルビシが99人といったのは、こうした背景を持つ誇張表現であったようだ。

 

いずれにせよ地元の牧民によると、彼は本当にシャーマンを集めてオユートルゴイを見下ろせる丘の上で盛大に儀礼を行った。キャンプファイアーを焚き、一晩中シャーマン太鼓の音は草原に響き渡った。その結果、家畜が騒ぐので驚いた牧民たちが警察を呼ぶという騒ぎにもなった。しかし、テルビシが語っていたような鉱山の地下施設の破壊がなされたという話は聞かなかった。また警察も夜中に儀礼を行っているという理由で彼らを逮捕するわけにもいかず、注意をして帰っていった。ただ、その儀礼の後、山の上にいくつかのオボー(積石塚)がシャーマンとその信者たちによって築かれていたのだという。

 

ここで重要なのは、シャーマンが水の主や山の主という概念が象徴する自然環境を仕切るのは「モンゴル人のプライド」に関わる行為とみなしている点である。言い換えるならば自然環境保護とナショナリズムがセットとなって新たな宗教実践を生み出されているわけである。鉱山開発による自然破壊に対して、これからどのような「抵抗運動」をシャーマンたちが起こしていくのか、予断を許さない状況にあるといえよう。

 

 

さいごに

 

本稿では、オユートルゴイ鉱山を擁するハンボグド郡において鉱山開発によって貧富の格差が拡大する中、「持たざる者たち」がシャーマンとなっているという状況を見てきた。そもそもこの鉱山都市周辺には、シャーマニズム文化は存在していなかった。つまり、シャーマンたちは鉱山開発の副産物であるともいえ、その誕生そのものが鉱山開発に「依存」しているといえよう。また、シャーマンたちは儀礼を通じて親族ネットワークを再構築すると同時に「富める親族」から富の再分配を受けていた。この富める親族は鉱山開発の利権に預かった者たちでもある。つまり、シャーマンの経済的基盤は、鉱山の利権に依存しているといえよう。

 

ところが、シャーマンたちのリーダー、テルビシとの対話からわかるとおり、彼らは環境ナショナリスト的な発想を持っており、鉱山開発が引き起こした水不足や粉塵による健康被害といった環境問題に対して、鉱山会社への宗教的「抵抗運動」を開始していた。

 

こうしたシャーマンたちの「依存」しているが「抵抗」もするという活動は、一見すると矛盾・混乱しているものとして理解されるかもしれない。しかし彼らのやり方は、敵の武器や食料を奪いながら抵抗戦をするゲリラやパルチザンと呼ばれる人々が使う戦術と近似しているといえよう。

 

この「依存的抵抗」の行為主体たるシャーマンは、存在そのものが外圧の副産物である。シャーマンもオユートルゴイ鉱山の開発がなければ、ハンボグドに生まれなかったに違いない。したがって、本論の冒頭で挙げた「精霊は地下資源が好きである」と「鉱山開発に抵抗するシャーマン」という矛盾するローカルな言説・活動もこれまで論じてきた「依存的抵抗」という文脈に沿うならば、了解可能な事柄なのかもしれない。

 

ゲリラ戦が「依存的抵抗」という戦術をとるのは、相手が強大過ぎて、まともに正面から戦えないからである。グローバル資源メジャーという巨大な資本とそれがもたらす社会・環境の急激な変化という脅威に対して、シャーマンたちは今まさに「宗教的なゲリラ戦」を開始しているのである。

 

本論を終えるにあたり、オユートルゴイと並んでモンゴルを代表する鉱山であるタワントルゴイ炭鉱での社会変容とシャーマニズムの関係を少しだけ紹介しておこう。タワントルゴイも世界最大級の炭鉱である。その鉱山都市であるツォグトツェツィー郡は、2012年の時点でインフラを含めて町の整備がハンボグドよりかなり進んでいると感じられた。しかしながら鉱山周辺域の牧民たちは水不足や家畜の減少、粉塵といった問題に悩まされているという点においては、ハンボグドと同様であった。また貧富の格差も出てきており、雇われ牧民も誕生している。

 

こうした中、ツォグトツェツィーの人々による2010年、チムゲーという名の女性シャーマンがハンボグドからやってきた。ハンボグド同様にこの郡にもシャーマンはいなかった。ところが今やチムゲーに弟子入りした多くのシャーマンが郡の定住区を中心に活動しているのだという。すなわちシャーマンは鉱山から鉱山を渡り歩きながら新たにシャーマンを生み出していっているといってよい。ある意味、精霊たちは本当に地下資源が好きなのかもしれない。

 

 

引用・参考文献

 

・High, Mette M. 2008. ‘Wealth and Envy in the Mongolian Gold Mines’. Cambridge Anthropology 27/3, 1–19. Cosmologies of Freedom and Buddhist Self-Transformation in the Mongolian Gold Rush. Journal of the Royal Anthropological Institute. 19 (4): 753–770.

・Humphrey, Caroline 2002. The Unmaking of Soviet Life: Everyday economies after socialism. Ithaca and Cambridge: Cornell University Press.

・岩田伸人 2009 「モンゴルの資源開発に関わる一考察」『青山経営論集』第44巻第3号、pp.32-44。

・Khanbogd (Ömnögov’Aimag Khanbogd Sum)2013 Galba Nutag, (郡紹介パンフレット)。

・ロッサビ、モーリス(小長谷有紀、小林志歩訳)2007 『現代モンゴル:迷走するグローバリゼーション』、明石書店。

・Shimamura, Ippei 2014. The Roots Seekers: Shamanism and Ethnicity among the Mongol Buryats. Yokohama: Shumpusha Publishing.

・島村一平2011、『増殖するシャーマン:モンゴル・ブリヤートのシャーマニズムとエスニシティ』、春風社。

・島村一平 2014 「シャーマニズムの新世紀―感染症のようにシャーマンが増え続けている理由」小長谷有紀・前川愛(編)『現代モンゴルを知るための50章』、pp.280-285、明石書店。

・Zhukovskaya, Natalia 2009. ‘Heritage versus Big Business: Lessons from the YUKOS Affair’. Inner Asia 11,157-167.

 

 

インターネットサイト

 

Rio Tint 2014 ‘Oyu Tolgoi’

 

 

本稿は、棚瀬慈郎・島村一平(編)『草原と鉱石:モンゴル・チベットにおける資源開発と環境問題』(明石書店)所収の論文「鉱山を渡り歩くシャーマン:モンゴルにおける地下資源開発と『依存的抵抗』としての宗教実践」を短くした上で改稿したものである。

 

 

 

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